2009/12/31

良いお年を!

2009年は、私のファミリーにとっても楽しいことや辛いことがたくさんあった1年だった。
長男の浪人と妻の入院と手術は予定外だったが、それを埋め合わせるかのようなプレゼントもいくつかあった。妻と久しぶりに旅行に出かけたり、娘の体育大会や文化祭、そして、息子の野球の応援にも出来るだけ顔を出したりもした。

私の活動の中では「風のメロジア」の発売や月1回継続できたリコーダー講座は大きな出来事だった。新たな出逢いや挑戦もあり、創作の幅もさらに広がり、自分なりのボサノヴァスタイルも少しずつ見えてきた。

そして、冬と夏の2度にわたる北海道への旅は、非常にすばらしいものだった。屈斜路湖での洗礼式は、特に思い出深い。教会では大きなビジョンを掲げず、長年にわたって淡々と聖書そのものを語ってきたわけだが、ここ数年の全国の兄弟姉妹との交わりを通して、神の配剤による大きな絵を垣間見ることが許されている感じだ。

死ぬまで右肩上がりで生き抜く予定の私としても、まずまずよくやれたのではないかと思っている。

来年はあらゆる方面でもっともっと面白いことがいっぱい起こるはずである。神は間違いなく祝福にかわる新しい祝福をこれでもかと準備してくださっているからである。

そして、もちろん特別な出来事に期待する以上に、淡々とした日常をさらに楽しく充実させることが大切だと思っている。徘徊業もあと3ヶ月だが、日々を大切にキチンと締めくくりたい。

来春には上と下の子どもが進学したかと思えば、真ん中が受験生になる。子どもたちの活動や経験の範囲も広がり、手はかからなくなるが、ますますお金はかかりそうだ。子育ての道険し。かじられるスネを鍛えねば。

さまざまなかたちで私と私の家族に関わってくださった方々に、心からの感謝の意を表したい。

主イエスの御名によって、皆様に豊かな祝福がありますように。

良いお年を。

マイケル・ジャクソン オックスフォード大学での講演

オネシモさんのご紹介を受けて、マイケルジャクソンのオックスフォード大学におけるスピーチを聴いた。

強烈なビートの渦の中で躍動するマイケルとは違う繊細な一面が十分にうかがい知れる。

声の調子といい、内容といい、うまく表現することばが見つからないが、私にとっては、多くの人たちが絶賛するオバマの就任演説よりも遥か切実なものを感じ、本当のことが語られている印象を受けた。

父親との葛藤について語りながら、受け入れがたかった父親の人格が、その世代の南部の黒人が生きづらい状況がそのようにさせたのだと分析して許そうと思っていることや、毎週日曜日に「エホバの証人」の広告塔として布教に借り出される中で、自分以外の普通の子どもの日常の姿に触れて、自分の置かれている特別な状況を相対化して非常に辛かったことなど・・・マイケルの苦悩の核心の部分が赤裸々に語られていた。

自分が、なぜこれほどまでに、子どもの権利や幸せについてこだわるのかということにも熱を込めて語っていた。メディアが面白半分に伝えてきたマイケル・ジャクソンとは、全く違う事実をこのスピーチから知ることが出来る。
         
     
※     ※      ※      ※
 

以下は、マイケルのことばを一部ご紹介。

Tonight, I come before you less as an icon of pop (whatever that means anyway), and more as an icon of a generation, a generation that no longer knows what it means to be children.

今夜わたしは、ポップの聖像(この意味はともかく)としてでなく、同世代、つまりもう子どもではない世代の聖像として、ここに立っています。

All of us are products of our childhood. But I am the product of a lack of a childhood, an absence of that precious and wondrous age when we frolic playfully without a care in the world, basking in the adoration of parents and relatives, where our biggest concern is studying for that big spelling test come Monday morning.

私たちはみな、幼児期の産物です。子ども時代は、人格形成に大きく影響します。でも、わたしにはすばらしい子ども時代はありませんでした。両親や周りの大人からの愛情を一身に浴び、最大の心配事といえば月曜日の朝のスペリングテストしかないような、夢中になって遊べるはずの貴重な時期を過ごさずに来てしまいました。

http://www.allmichaeljackson.com/speeches/oxforduni01.html


an icon of pop (whatever that means anyway)と、All of us are products of our childhoodという表現が痛々しい。

2009/12/30

八木で飲む

わが青春の町「八木」で、高校時代の友人ふたりとささやかな忘年会。一人は鍼灸師で、もう一人は同業者である。皆それなりに年を重ねたが、こうして座を囲んでアルコールが入ると一気にタイムマシンが作動する。

同じ時代を同じ空間を共有して生きてきたなかまと語り合うのは単純に楽しい。仕事上の駆け引きやさまざま自主規制の中でことばを選んでいるのとは違う。

いつになく飲み、いつになくよく喋った。ふたりが私の話をけっこう面白がって聴いてくれたので、調子にのって普段あまり話さないようなことも話題にした。いいお酒だった。

2009/12/29

This is it

遅まきながら、マイケル・ジャクソンの「This is it」を観た。

スリラーの大ヒットしていた時期は、ほとんど音楽も聴かず、世捨て人のような日々を多くっていたので、マイケルの音楽にもダンスにもほとんど興味も持たずに過ごしてきた。

目にしてもビデオクリップ1本程度で、これだけまとまってマイケルの音楽と向き合うのは初めてのことだった。

ライブでも立つか座るかぐらいしか動きのない私にとっては、マイケル・ジャクソンの動きは驚異的だったし、その才能の豊かさとショーのスケールにも感心した。

マイケルのショーのねらいは、スタッフを前にして彼自身が語っていたように「観客に日常を忘れる体験を提供すること」だ。

今の私に与えられた条件では、それは求めても難しいだろうし、追求しようとも思わない。むしろ、私は「日常を見つめ直すきっかけになる演奏をしたい」と思っている。そんなことをしみじみと考えていた。

もちろん追悼作品だが、その実は「その死にあやかって儲けてやろう」という意図のマイケル礼賛Movie・・・

マイケルはあんなふうに賞賛されることではなく、もっと普通に愛されたかったんだと思う。スポットを浴びて輝いている瞬間にも、マイケルがどこか寂しげに見えたのは私だけだろうか。

2009/12/28

先日、紹介したフルート奏者「笛吹童子くん」のために曲を書いた。

ボサノヴァにしたので楽譜を書くのが面倒くさい。ボサノヴァは通常2拍子で表現するので、3拍子や4拍子よりもずっと書きづらい。あまり気がすすまないのだが、やはり音楽の保存や伝達の手段としては楽譜は非常に便利がいい。

クラシックベースの人なので、細かいところもキチンと書いておかないとニュアンスも伝わりにくい。コードもざっくりつけてみたが、まだまだ工夫の余地はありそうだ。フルートのために曲を書いたのは初めて。音色と音域などの楽器の特性を意識したが、そんなに幅広い音域をフルに使ったわけではなく、Salt流のインスト・ボッサにした。とりあえずは完成。

赤いフェアレディZに乗って爽やかにドライブする彼のイメージに合わせて、タイトルを「Z]とした。

明日さっそく音合わせをし、1月のリコーダー講座で披露してもらおうと思っている。

2009/12/27

腐った卵

「システムが自分を支えてくれる」というのは幻想だ。

良い学校、良い会社に入っても、自分が何者でもなければ、「人材」としての顔のない私をシステムに売る時の管理番号を得るだけのこと。

所詮、自分で笑う力の無い奴は、TVを消したら退屈でたまらくなるのと同じだ。

「富国強兵」や「殖産興業」などという目標が高らかに謳われていた頃と、行く先を失い、舵の折れた船のようになっている現在の日本の政治はどちらが正しいのだろう。

右肩上がりを続けた高度成長を遂げた時代や、皆が浮かれたバブルの頃の経済状態は幸せだったのだろうか。

教師が尊敬され、あらゆる指示が徹底していた戦前の学校と、教師が軽んじられ、いじめや不登校がある戦後の学校ではどちらが過ごしやすいだろう。

私は何をとっても、明らかに現在の方がマシだと思っている。

これまで安全だ、絶対だ、と思っていた価値がいかに当てにならないものであるかが、はっきりわかったのだから。

過去の目標や成長や秩序は、すべて偽物であり、現在の混沌こそが真実なのだから。

楽園と同時に神を失った人が、エデンの東に作り上げて来た都市という「システム」の壊れた核が露わにされるだろう。人間は「近代化」とともに人間性を失っていくのではない。人間性そのものが神から離れた時点で壊れていたのである。

「システム」のせいではない。「卵」はひびが入る前から腐っていたのだ。

2009/12/26

すべらない話

「すべらない話」というのが人気らしい。子どもがテレビをつけていたので、私も興味があってちょっとだけ見ていたが、すぐにアホらしくなって自室にこもった。誰にでもどこにでもあるような話題を、お笑い芸人が脚色して話しているだけじゃないか。それが松本流だというのはわかるがどうも感心しない。個人的には松本は笑いのツボを心得ていると思う。M1グランプリでも、審査員の松本のコメントが、漫才自体より面白い。

松本に限らず、伸助にしても、タケシにしてもそうだが、サブカルチャーの担い手が、ショービジネスの玉座にふんぞり返っているのは、絵としては非常に醜い。タケシなんかはフライデーで叩かれてなきゃつまらない。タケシのボケにうなづく構図が出来上がったところで予定調和的にボケたって、何が面白いのかと思うが。

M1にしてもそうだが、必死に笑わそうとする巨大な仕掛けばかりが気になって、悲しくなって腹を抱えては笑えない。

不安で退屈で、忘れたいことが多すぎて、真面目に考えるのが嫌で、笑いたくて待ちかまえている人を、その仕掛けに招き入れて笑わす。この遊園地っぽさというか、国民的な幼稚さに苛立つ。

別にDVDにはしないが、私の日常はもっと面白いので、ブラウン館の中の「すべらない話」は私の中ではすべっているのだ。

TVのお笑い番組なんか見てないで、すべらない日常をenjoyしよう。他人に笑わせてもらわないと笑えないなんて、はっきり言って情けないぜ。

2009/12/25

2009年の音楽活動を振り返って

アトリエSUYOクリスマス会の演奏を終えて、2009年の音楽活動はおしまい。
Uribossa氏のリクエストもあったので、振り返ってみよう。

今年は、リコーダー講座の伴奏者として手伝ってもらったMomoちゃんとOz-Mayというユニットを結成。まさかこれにオファーが来るとは・・・銀治郎氏規格の神戸の出張講座がものすごく楽しかった。イトーヨーカードーのイベントにも参加し、これはDVDにもなっている。

とにかく、Momoちゃんのおかげでリコーダー講座は、非常に充実したものになった。私の自作曲に加えて、クラシックや叙情歌、ジャズやポップスのスタンダードナンバーもやり始めますます楽しい。スペシャルは、野田さん&赤星さんの飛び入り参加、そして、笛吹童子参上である。いやあ、毎回ドラマ、ドラマ。

スーちゃんとのケーナ&ギターユニットSalt&VinegarとOz-Mayが合体してTetraを結成。これにも及びがかかり、ハーブクラブではお月見ライブに出演、さらに来年の出番まで決まっている。ところが、ここでにわかに問題が・・・ 実はTetraというネーミング。奈良では超有名なマリンバ奏者、松本真理子さんのユニット名とかぶり、「それはやめて!」とクレームあり。どうしょうかな?

私ひとりでの出番もちょこちょこ。これまでもUribossa氏が都合のつかないときは、ひとりで出かけていたし、S&U結成まではずっとひとりでやってたわけだし、出来なくはないのだが、どうもひとりはさびしく、もの足りない。ギャラが半分になっても、2倍以上楽しいユニットで演りたい。そういう甘えというか、引っ張られる気持ちがあり、「仕方ないからひとりで演るか・・」という感じだった。ところが、この秋、旅の音楽家丸山祐一郎氏が、最大限の賛辞をくださって、実はちょっとだけ励まされた。ひとりの弾き語りボッサで出せる味を出せるように精進しなきゃという気持ちになれたのだ。

さて、そして何と言っても今年は、S&Uにとっては記念すべき年になった。「風のメロジア」発売。そして、ニューアルバム「約束の場所へ」制作に向けてのプロジェクトも動き出した。次回作は確実に良くなる。そんな希望をもって一年を締めくくれるのは本当に幸せだ。

この死にたくなるような嫌気のさす世界で、何とか生きる気力を維持できるようにと、神さまは私に音楽を楽しむ力を与えてくださった。神さまにただただ感謝。

ライブは、みんなから「ありがとう」と言われ、おまけにギャラまで貰える夢のような時間である。企画してくださった方々、来てくださったお客さん、CDを買ってくださった皆さんに感謝。

 1.24     元気村 リコーダー講座 準備会
 2.08     宇陀市子ども会 ワークショップ in 元気村
 2.11     「風のメロジア」ミキシング&マスタリング
 2.15     「風のメロジア」勾玉ライブ S&U①
 2.11     リコーダー入門①
 2.26     「ほのぼのコンサート」やまぞえホール S&U②
 3.14     リコーダー入門②
 3.21     「愛それは歌うこと」文化センター / 泉座 NZ プロデュース
 3.22     豊田子ども会Live S&U③
 3.26     ジャケット撮影 山上公園
 3.27     丸山祐一郎&こやまはるこ Live プロデュース
 4.19     アースデーならsouth S&U④
 4.29     リコーダーアンサンブル① 
 5.03     つながるマーケット Salt&Vinegar
 5.30     リコーダーアンサンブル②
 6.13      リコーダーアンサンブル③
 6.20     キャンドルナイト 尼崎はまようちえん S&U⑤ 
 6.21     「風のメロジア」ミキシング・マスタリング MORG
 6.27     ブリコラージュ S&U⑥
 7.18     壮馬 ライブ at NZ プロデュース
 7.20     リコーダーアンサンブル④
 7.25     八尾養護学校 夏祭り S&U⑦
 8.08     学びと育ちの支援 Oz-Mayリコーダー講座 in神戸
 8.12~13  リコーダー合宿 リコーダーアンサンブル⑤⑥
 8.15     「風のメロジア」発売 Oz-May 長岳寺Live
 9.5~6    Koji&Mayumi 結婚式Oz-May mini Live
 9.12     リコーダーアンサンブル⑦
 9.22     元気村合宿 Tetra
10.03     Tetraハーブクラブ お月見Live
10.17     リコーダーアンサンブル⑧
10.24     Salt Live名古屋 あいうえオノマトペ 
10.27     Oz -May八尾イトーヨーカドー 「さをりマルシェ」
11.07     元気村合宿 Salt&Uribossa
11.14     リコーダーアンサンブル⑨
11.17     丸山祐一郎&こやまはるこ プロデュース 
11.28     田原本「カフェ・アルコ」 S&U⑧
12.12     リコーダーアンサンブル⑩
12.19     奈良市「カフェテラスNZ」ライブ S&U⑨
12.20     橿原市「風草木」ライブ S&U⑩
12.25     アトリエSUYO クリスマス会  Salt

2009/12/24

2009年のメッセージを終えて

昨日で2009年のメッセージをすべて話し終えた。

「ひねくれ者の聖書講座」を10本、「ダビデの生涯と詩編」を12本、昨日のクリスマス礼拝や特別なテーマのものや、他教会などでのメッセージを合わせても、今年は年間20本くらいのもので、これまでに比べるとずいぶん楽をさせてもらっている感じだ。多分2010年はこのペースで行って、少しずつ減らしていく予定だ。

それにしたところで、まとまった話をするのはそれほど簡単なことではない。何でもよけりゃテキトーにしゃべるが、聖書に忠実に、そして、自分自身に忠実に話さないといけないのだ。これは大変ですよ。私みたいないい加減な人間にとってはかなり難しいこと。

毎週、「もうあんまり話すことなどないよなあ」というのが本音。伝えたいことなんて別にない。「みんな好きにやればいいんだ」と本気でそう思っている。それでも、何か語るべきことがやってくる。まだ、もう少しどこかに必要はありそうだ。

私は教えの体系を整理してお伝えしようなんて思っていない。主がリアルな私を通して伝えようとしておられることを伝える義務は感じている。自分以上のことはわかるはずもないし気持ちものらない。また、自分以下の話にはあまり力がこもらない。

常に身の丈に合わせてしゃべるためには、しょんぼりしてたり、ゴロゴロしてたりは出来ない。逆にメッセージが嘘のないキチンといたものであるために、常に一定のテンションでシャンとしていられるようなもの。

私は放っておけば不節制で無茶ばかりしてしまうが、「自制」というのは聖霊の賜物。私のうちにおられる方が何とか守ってくださったとしか言いようがない。私の心身の程よい緊張と健康にもメッセージは役立っているようだ。

2009/12/23

クリスマス食事会

教会の「こまちたち」と一緒にクリスマスの食事会。CS教会の子どもたちも、立派なお嬢さんになり、そろそろ「こまち」の仲間入り。昔の職場で、女性の集まりをあつかましくも「こまち会」などと呼んでおられたのをほほえましく思い出す。

なぜ、こういう書き出しかと言うと、食事会の会場となったお店の名前が「こまち」だったのだ。母マリヤもガリラヤこまちだったはず。

さて、私の教会の「こまち」たち。実年齢は「おばさん」や「おばあさん」であっても、どこか女の子なキュートな部分のある方ばかりだと思っている。

繁殖するために雄を惹きつけるセクシーさではなく、いつまでも品のある艶っぽさを保っていることは大事なのだ。

勿論、男も同じ・・・

世のブ男衆は、イエスもその仲間に入れたいらしいが、「見とれるような姿や輝きもなく、慕うような見ばえもない」というイザヤの預言は、受難という要素が多分に含まれており、外見が見にくかったというわけじゃない。宗教画に見る金髪ロン毛のイエスとはずいぶんかけ離れてはいるだろうけど。

悩みのある人や子どもたちがすっと近づけるようなやさしさと同時に、まやかしを見通すようなある種の近づきがたさを兼ね備えておられたに違いないのだ。決して中性的ではなく、男らしかったのではないかと私は想像する。

おいしいものを食べながら、和やかな会話がはずむ。暗いご時世ではあるが、主にあって明るく来年の抱負を語りあった。

北海道のこまちたちも元気かな。ブログをはじめたふたりは超楽しそうだが。

全国あっち、こっちの「こまちたち」にメリークリスマス!!

2009/12/22

笛吹童子

「私のファンを自称する恋人」が時々出現する。

訂正。「私のファンを自称する変人」が時々出現する。

まず、私なんぞのファンであること自体が「変」なので、「変人」呼ばわりしても問題ない。そして、彼らは自分が「変」であることを喜んでいる節もある。さすが私のファンである。

今年もいろいろな人が現れたが、一番面白かったのは、赤いスポーツカーに乗った笛吹童子こと、K.Kくんである。

「笛吹」というのは、ホンマに笛吹なのだ。クラシックの基礎があるフルート奏者である。

「童子」というのは、私の弟というよりは、息子の年齢に近く、しかも俳優系の甘いマスクをしているからだ。そして、白馬の代わりに赤いスポーツカーに乗っている。

先日の風草木でのライブにもリハーサルの時間から来てくれたので、ニューアルバム収録予定の「大地のうた」に小鳥がさえずるイメージでフルートを入れてもらうことになった。

Uribossa氏と3人でゆっくり語ろうと思っていたが、「次の用事がある」と言って、さっと帰ってしまった。手袋を忘れて。

2009/12/21

徘徊停止

今日は徘徊指導最終日となった。明日は終業式。3学期までは自由に仕事を組める。週末からは充電期間に入り、仕事は最小限に抑える予定。

4人の新任教諭のうち、この1年の間に、1人が結婚、1人が妊娠出産。彼らにとっては大事な初年度であり、人生の節目でもある年だ。私はどれだけ丁寧に係われただろうか。

ささやかな自己満足といくつかの反省を胸に、第2ピリオド終了だ。

2009/12/20

右京さん、とにかく無事で良かった

冬の富士山は厳しい。その美しい姿とは裏腹に非常に危険な山なのだ。連続する峰がないため風が分散せず、想像を絶する強風が予期せぬ方向から吹き付けるようだ。片山右京さんが関わった今回の遭難でも、どうやらテントごと吹き飛ばされたらしい。

右京さんは、私とも関わりの深いハーブクラブのイベントにも協力していただいている。ハーブクラブのマスターから、「Saltさんとは絶対気が合うはずです」と紹介され、陽光の差し込むテーブルで談笑したのは2年前だっただろうか。

カフェテラスNZの真絹ちゃんへのサインも快く書いてくれて、お店のことについても興味をもって、熱心に質問してくれていたのを覚えている。その日はサイクリングのイベントだったのだが、「昨日九州の山を下りて来て今日は奈良で自転車に乗って、明日はカナダへ行く予定だ」と力強く語っていた。思っていたよりずっと小柄だったが、活力にあふれていた。

今回のインタビューを受けていたブラウン菅の中の右京さんは憔悴しきっっていた。なかまを見捨てるかたちで下山せざるを得なかったその心中を思うと胸がしめつけられる。亡くなったふたりの友人の遺族のコメントも右京さんを責めるようなものではなく、「好きな山で逝くことができ本望」というような主旨のものだっただけに、彼にとってはいっそう厳しいものだったかもしれない。

日常の暮らしを離れ、厳しい自然の中に身をおいて己の生を確認したいという渇望は誰にもあるものだ。しかし、時に自然は人に牙をむく。自然には人格があるわけではない。一定の法則に委ねられているだけだ。

「生きもの」としての人と、いのちを取り巻く環境としての自然というものを考えるとき、人と自然との関わり、そして、人の生き方を思う。

私は彼らのように「冒険」する人間ではない。自らのいのちを自然の中で限界に晒さなくても十分スリルやエクスタシーはある。

右京さんは、祈っただろうか。祈ったとすれば、それはどこの何者に対するどんな祈りだったのだろう。不謹慎かもしれないが、そういうことに興味が湧く。

2009/12/17

マイケル・ジャクソンの真実②

創作の方法についての質問を受けたとき、マイケルは「音楽やダンスは上から降りてくるんだ」と語った。そして、「上から降りてくる瞬間を見せろ」という無理難題にも、「僕はシャイなんだ」とためらいつつも、自分の曲を流してその場で即興のダンスを披露した。それにしても、この番組を制作したイギリスのジャーナリストは最高にウザかった。私なら即刻インタビューは打ち切るところだ。マイケルはいい奴だ。

それがいわゆるマイケルが言うところの「降りてくる瞬間」でなかったにせよ、カメラの前の即興ダンスは、驚くほど完成度の高いものだった。

「踊るときに考えることは最大のミスなんだ。感じることさ」と、まるで「燃えよ、ドラゴン」のブルース・リーみたいなことを言っている。これはアートに限らず、極めれば神髄はみな同じなのだ。要するに、自然体で大きな流れに身を委ね法則に乗ることだ。

音楽家の仕事は空中に蝶を創作することではない。飛んでいる蝶を捕らえるように曲を作るのだと思う。まだまだ未発見の新種が、その美しい羽をたたんで、どこかに潜んでいるのだ。

神は数え切れないほどの多種多様な蝶を創造された。音楽は、蝶よりも偉大な人類への贈り物だ。ゴムで作ったようなオモチャの虫なんか無視しよう。

私はマイケルが見つけなかった種類の蝶を集め始めた子どもなのだ。

2009/12/16

マイケル・ジャクソンの真実①

マイケルジャクソンのドキュメント番組、ご覧になった方はおられるだろうか。

長かったが、ついつい全部見てしまった。途中子どもを迎えに行ったもりしたが、その時間を惜しむほど惹きつけられた。

当初からマスコミが興味本位にかき立てているとおりが事実だとは思っていたわけではなかったが、よもやこのような真実が隠れているとは思わなかった。簡単に言うと、ダイアナの独占インタビューで名を売ったイギリスのジャーナリストが密着取材して制作されたTV番組「マイケル・ジャクソンの真実」は悪意に満ちた編集になっており、一連のマイケル裁判は事実無根であったという内容だ。

マイケルは、彼の無垢な純粋さやありあまる資産や世界的な名声を利用する醜悪な連中によって悩まされ続け、その結果、極度のストレスから薬物に依存していったのだった。

極めて繊細な感受性を持ちながら、幼い頃からその才能が認められたために、普通に成長できない環境の中で育ったマイケル。12才の頃、すでに毎月7200万の小切手をもらって、そのお小遣いの中からガムやキャンディ―を買っていたと言う。

そして今は、まるで駄菓子を買うように、アンティークショップで、あり得ないような金額の品物を値段も聞かずに次々に購入する。強いコンプレックスと人間不信からくるストレスが、そんな数々の奇行を生み、それをまたマスコミが面白がって取り上げ、興味本位に報道する。

ネバーランドという超豪華な引きこもり部屋を自分で用意して、利害関係がない子どもたちを招いては心を許していたマイケルだが、その子どもたちを通して魔物が侵入してくる。

ショービジネスという怪物に食いつぶされたキング・オブ・ポップスの生涯は、果たして幸せなものだったのだろうか。

私も「風のメロジア」が1億枚売れたら、人間性がおかしくなるかもなあ。

でも、100枚そこそこで停滞している現状を肯定する気は全然ないぞ。売りモットー、行けモットー。とりあえず、1000枚売ろう。ご協力よろしく。大事な人へのクリスマスプレゼントやお年玉にいかが?

2009/12/15

粋に生きたい そして 逝きたい

不毛地帯の主人公「壱岐正」に、多少の思い入れがある。不毛地帯は映像としては何の面白みもない地味なドラマだが、なかなか見応えがある。

義を重んじるが故に家族を泣かせ、家族を愛するが故に商社に勤め、国を憂うが故に望まぬ競争に巻き込まれ大事な友人を亡くす。そうこうするうち最愛の妻を失い、子どもたちも自分の願いとは大きくかけ離れた選択をしていく。見ていてかなり痛々しいものがある。

作者山崎豊子がなぜこの主人公を「壱岐正」と名付けたのか。私は全く知らないが、いろいろ考えてみるのも面白い。

「息」「逝」「粋」「活」「意気」「域」「行」「征」と、いろんな漢字が浮かぶ。

人生の節目、その折々に、「壱岐」は正しい選択をしたかに見える。しかし、それは必ずしも正しい選択ではなかった。「壱岐」の正しさは、ただ「壱岐」にとっての正義でしかない。そう、それぞれの正義が衝突することは不毛なのだ。

「壱岐正」
・・・こう考えてくると、なかなか味のあるネーミングである。これがルークやリチャードじゃあ台無しだ。もちろんソルトなんぞは論外である。漢字は深い!

しかし、正直下手すりゃ私も壱岐正。不毛地帯に没入していく頑なさと弱さ(強さ)を資質としては十二分に兼ね備えている。鍵は脱力すること。負けてやることだ。力んで勝ちに行ったらエライことになる。正しさをあまり主張しちゃダメだ。正論なんて所詮暴論である。ちょい悪や遊び半分がちょうどいい頃合いなのだと私は勝手に思っている。(勝手に思ってるだけで、全然正しくない)とにかく、信仰があってよかったと胸を撫で下ろしつつ、しみじみしながらドラマを楽しんでいる。




洒落で、Salt流の「生きる秘訣」を谷川俊太郎風にまとめてみた。




生きる


いきいき生きるということ

それは
生きものとして元気であるということ

楽しく生きているということ
昨日の償いでもなく
明日の備えでもなく
今を
楽しく生きているということ

それは
誰かに会いたくなるということ
どこかへ行ききたくなるということ

飯がうまいということ
女が美しく見えるということ
音楽があふれてくるということ

風が心地よいということ
昨日を振り返らないということ
明日の心配をしないということ


息があるということ


永遠につながる今を
生きているということ

2009/12/14

「浮き」と「はみ出し」

Y.B.M氏の写真専門学校時代の教え子である新進気鋭の写真家「梅佳代」さんのことがコメント欄で話題になり、Y.B.M氏自身がかつてのエピソードについて臨場感あふれる報告をしてくれている。彼女の傑出した才能を早い時期に見出したY.B.M氏は、特別な指導は何もせず、ただ認め励まし続けた。写真表現の授業で自分の写真が取り上げられず、「駄目なんだ」と思って泣きそうな気分のときに、最後の最後に、先生の最大級の賞賛とともに自分の写真が出てくるのである。写真家「梅佳代」誕生の貴重な裏話だ。

彼女は確かに普通の教室の中にいたら、「浮いてしまう子」「はみ出してしまう子」だったかも知れない。また、どのようなスタイルの学校であっても、そのような「浮き」や「はみ出し」はやむを得ないし、ある意味ではむしろ必要なのだ。その「浮き」や「はみ出し」でつぶれてしまう程度の感性なら、残る価値のないものなのかも知れない。「浮く」こと「はみ出す」ことで自分の相対的な位置を確認できるのである。

これまでの表現のかたちを変えていくほどの飛び抜けた感性の持ち主は、既製のシステムやフレームの中では、正当な評価を受けることはまずない。彼らの発信は、最大公約数的な価値観、つまり凡庸な感性のプラットフォームには落ち着かないからだ。

多くのアーチストは、この最大公約数的な価値観とどこかで折り合いをつけつつ、己の目指すべき処を探りながら、表現を磨いていくのである。残っていくべき人は、どんなキビシイ環境でも残っていくのだろう。

私が教育に関わるものとして、問題にしたいのは、そういう飛び抜けた才能はない「多くの普通の人たち」である。こうした人たちだって、他者に抜きんでて極めずとも、自分の伸びしろの範囲で自分なりの表現力を高めたり、表現それ自体を楽しんで、なかまと分かち合うことが出来るはずだ。自分の才能を開く前に、教育が表現者と聴衆を分離するのは違うと思っているのだ。誰だって、歌ったり、踊ったり、演じたり、描いたり、何かを作ったりすることは、それ自体が楽しい行為なのだ。

「表現」のかたちを方向づける感性が、認知や発達の個性とどのように関連しているのかは、まだまともに研究対象とされたこともない。既製のシステムやフレームに限界や退屈さを感じている人たちが障害者のアートを面白がっている程度の現状であるが、実はここに大きな秘密がある。

だから、私の戦いは学校というシステムを破壊する戦いではない。そうした「浮き」や「はみ出し」が起こることを未然に防ごうという動きでもない。私自身が「浮き」また「はみ出し」ながら、システムに押しつぶされない価値を確かめ、システム内に価値が反転する臍を見出すことである。安易に自由主義的な学校は、かえって自由が何なのか、その価値を曖昧にしてしまう愚かさがある。

私は、永遠の楽しみと表現の喜びにつながるバイパスへの狭き門を知っている。それをひそやかに指し示すことが出来ればと願っている。

2009/12/13

12月のライブ・インフォメーション

Salt & Uribossa Live at Café NZ
~ボサノヴァで温ったまろ~
日時 12月19日(土) PM 15:00~17:00
料金 1500円
ハーブクラブのパンを販売しています。(有料)

Salt & Uribossa Live at 風草木
 ~十二月の少年樹~
日時 12月20日(日) AM 11:00~12:30くらい? 
(ライブの後、軽食を囲みながら、雑談?)
料金: 500円 (子供さん 無料)
ライブの後、軽い食事や飲み物も御用意させていただきます。(無料)
(食べ物持ち寄り大歓迎です。)

アルコ・レコ発ライブとは全く別メニューでお届けするべく準備中。
聴きどころは、ニューアルバムに収録される予定の数曲や、今年亡くなられた方々への追悼メドレーなど。

2009/12/11

明日は廃校でリコーダー

NGOペシャワール会の代表で医師の中村哲氏が、次にように語っている。

「『アフガニスタンには教育がない』なんて言う。『子どもたちが、学校に行ってないんですってね』と。でも、あちらでは、家の手伝いをすることが職業教育、小さいときからコーランを暗唱して、毎週金曜日にモスクに行くことが道徳教育です、基本的なことはきちんとやっているわけで、あそこで微分・積分を教えてどうする(笑)。それなのに干ばつで、腹ぺこで逃げようかどうしようかというときに、突然、外国人が来て、『あんたたちがこんなにみじめなのは、教育がないせいよ』と鉛筆を配ったりして。ホントに嘘みたいなことが起きている。『教育が崩壊している』という日本がアフガン復興で教育に携わると聞いたときは、冗談じゃなかろうかと思いましたけど」【養老孟司氏との対談「先進国はアフガンという田舎が怖いのだより」】


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先進国の学校教育というシステムの無神経さが、(かなり無神経な人にも)多少はわかるコメントではないだろうか。

過疎地の廃校にアトリエを構える私は、明日もそこで月一回の講座「リコーダー・アンサンブルを楽しもう」を開講する。

過疎地の廃校という存在自体が、そこでの私の活動内容よりもずっと大きなメッセージを持っている。
「ふるさと元気村」という情けない名前。いつも言っているが、ここは「被災地」なのだ!!
こういう売りになる特徴のない過疎地が日本にはいっぱいあることを記憶せよ。

私は自然と寄り添って生きる当たり前の人の営みを陵辱するシステムはすべて憎んでいる。陵辱されても恥や痛みを感じない鈍感さを嫌悪し、そこに都市的なシステムをはめ込もうとする安直さには怒りを感じる。

ただ私は、人が人と何かを分かち合ったり、ともにひとつの価値を共有することは、美しく尊い姿だと思っている。

あらゆる「学校」が崩れ、すべての「教育」が腐っているわけじゃない。

斜に構えて批判するだけの輩は世の中に掃いて捨てるほどいる。私はそういう者にはなりたくない。辱められて黙ってはいられない。

たとえ、ささやかなものであっても、私は常に「つくる」人、「分かち合う」人、「遊ぶ」人、「楽しむ」人でいたいのだ。

2009/12/09

歌うたいのフェーズ④

「歌がうまい」というのはどういうことだろう。音程が正確であるというのは、うまい以前の最低条件であろう。しかし、腹式呼吸で滑舌よく朗々と歌われても、ただそれだけで人は感動しない。7オクターブの声が出るとか言われても何だかなあ・・・・という感じだ。

人が感動しない歌はうまい歌だろうか。「うまいだけのつまらない歌」という言い方は出来るかもしれない。

フレディ・マーキュリーは、ピチピチタイツに上半身裸で、スタンドマイクを振り回しながら、海老反って歌う。あの恰好、あの動きでないと歌えないとでもいうように・・・・。彼の場合は決してうまいだけの歌ではない。だから世界中の多くの人が熱狂した。でも、私的にはああいうのは何か違う。

マイケル・ジャクソンが死んで、久しぶりに「ウイ・アー・ザ・ワールド」の映像を観た。錚々たるメンバーがクインシー・ジョーンズの演出に従って(多分)、自分の割り当ての部分を歌う例のやつだ。さすがに一流の歌うたいばかり。皆、個性的だしうまいと言えば物凄くうまい。その中で私が一番印象に残ったのはボブ・ディランだった。

ボブ・ディランは、いわゆる歌がうまいタイプのミュージシャンではない。学校の教育音楽の中では、「ボブくん、ちょっとその歌い方は良くなくてよ」と叱られそうだ。しかし、その「ぶっきらぼう」な歌い方と独特の嗄れた声に、何とも惹かれるものがある。

レオン・ラッセルもそうだ。
レオン・ラッセルという名前だけで、顔や声を思い出せる人はあまりいないかも知れない。カーペンターズが歌った「ア・ソング・フォー・ユー」「マスカレード」「スーパースター」の作者と言えば、若干うなずく人が増えるだろう。

リチャード・カーペンターのアレンジはとっても洒落ている。レオン・ラッセルの原曲の良さを引き出しつつ、カレンの声を活かす完成度が高い出来映えである。しかし、カレンがどんなにうまく歌っても、原曲の圧倒的な「渋み」や「苦み」には全くかなわないのだ。

こんな風に自分の嗜好を分析してみると、私が引きつけられるのは、「歌のうまさ」ではない。かと言って、その声が特に好きというわけでもない。私が魅力を感じるのは、その人が本質的に持っている「自由」というよりは「奔放さ」という表現が近いかな・・・あるいは、「その人らしさ」を努力して保っていることだと思う。

そして、私自身は決してうまく歌いたいわけでも、歌うパフォーマンスを見せたいわけでもないんだなあと改めて気づいた。私は自分らしい自分の声で、歌いたいことを、歌いたいように、歌いたいときに、歌いたいだけなのだ。それが自分のあり方として一番気持ちいい。

歌うたいのフェーズ③

私も「どんな風に」「どんなことばで」表現すればいいのかを悩みつつ、私自身と身の回りの誰かの為だけに歌い続けてきた。商業ベースに乗らない、野心のない表現の純粋さに関してだけは、「壁」と距離を置いた「卵」的ではある。

試行錯誤の果てに今辿りついているのは、やはり、使い慣れた自分自身のことばで歌うしかないということだ。

そして、歌のことばは自分のことばであると同時に、聴き手である相手が飲み込めることばでなくてはならない。特にその歌を贈りたい相手、届けたい相手に、意味不明のひとりよがりの表現では始まらない。発信者よりも、受信者に近い表現の方が正しいのではないかと。

つまり、「私のことば」であると同時に、いやそれ以上に、「聴き手のことば」であるような詩でないと駄目だということ。「平易ではあっても凡庸ではない表現」と言ってもいい。「おはよう・ボンジュール・ハロー」以来、それをsimple&nobleというモットーとして掲げてきたが、ボサノヴァというスタイルに絞りこんでいく中で、ますますそうでありたいという想いが強くなっている。

そして、極めて個別で特殊な内容を平易なことばの中に美しく普遍化させたものだけが、聴き手のそれぞれの思い出の中でさらに特殊化される力を持つのではないかと想う。

音楽には力がある。ことばにも力がある。ふさわしい音楽を装ったことばは間違いなく美しい。

歌うたいのフェーズ②

専門作曲家や御用作曲家の手を離れて、庶民に歌が降りてきたのは、60年代の初め頃である。つまり、「与えられた歌」ではなく、「自分たちが歌いたい歌」を自ら歌うようになるのだ。

60年代は、アメリカのムーブメントを受けて、反戦、反管理のプロテストソングが流行する。当然、歌詞はメッセージ性が強く、付け焼き刃的な表現なので、当然楽曲の完成度は低い。もともと英語で歌う方自然なメロディーに音楽の訓練の殆ど無い素人に近い人たちがギター片手にぎこちなく歌い出すのだから無理もあるまい。

やがて、時代の変化とともに、歌のテーマは、政治や体制から離れ、私生活へと移行する。「抒情派フォーク」だの「四畳半フォーク」だの言われるものだ。吉田拓郎などは、一音符に一音節という従来の決まりを破り、ひとつの音符に複数の音節をあてる歌い方をするが、これは、今問題にしている「ことばとメロディの葛藤」から生まれた試みというよりは、日本語でボブ・ディラン風に歌ったらたまたまそうなったというものだろう。その他の歌い手たちは、音楽的にはこれといった目新しさはない。部分的にS&Gやカーペンターズやビートルズなどの影響はあっても、どこか小唄や演歌調なのだ。だから、素人が誰でもすぐ真似できるという良さもあった。

70年代半ばにはニューミュージックが誕生する。これはユーミンこと荒井由美の登場とともに使われはじめたことばである。プロテストソングでも、私生活フォークでもない、また商業ベースで大量生産される歌謡曲でもない、日本の新しいポップスという様な意味である。ニューミュージックは、自作自演のサウンドを重視する音楽であった。

80年代になると、ニューミュージックは少しもニューではなくなり、その多様化から洋楽に対して邦楽やJポップという呼ばれ方でくくられるようになった。

70~80年代に登場する人たちを、詳しく論じ始めると話が前に進まないので大きく割愛してポイントを絞りたい。

80年代以降の最大のヒットメーカーは、サザンオールスターズの桑田佳祐だが、彼はかなり初期の段階で「たかが歌詞じゃねえかこんなもん」という本を書いている。桑田の歌づくりの方法は意味よりもことばの音を大事しながら、英語も日本もごちゃ混ぜに韻をふんで歌を紡いでいくというものだ。日本語を解体することによって、何らかのメッセージを伝えるための詩、いわゆる読んで理解させることばではなく、「聞こえる音に何となく意味があればいい」というところからスタートしたのである。これは、コロンブスの卵みたいなものだが、桑田以前にこういう発想をした者はなかったのではないか。しかも桑田の作る歌詞の完成度は極めて高いものが少なくない。一見デタラメに感じるその歌詞が『非常に良くできているのである。しかも、日本語を英語のようなアクセントをつけて無理にビートに乗せてしまう。これも、今まで誰もやったことがない画期的な歌唱法の発明でもあったわけだ。

ものすごく粗っぽく、日本の軽音楽の中の自作自演系の歌の流れを追ってきたが、もう一つ、忘れてはならない存在がある。英語圏にも輸出されるようにもなった日本語のロックの草分けでもあり、ことばとメロディの葛藤に真正面から挑んだバンド「はっぴいえんど」である。日本語のロックにおける「はっぴいえんど」の存在価値と功績を決して過小評価してはいけない。

歌詞を担当した松本隆の発想は桑田とは逆である。彼は純粋に自分の詩的世界をテクニカルにリズムに乗せていくのである。松本は、日本語を一音一音節と捕らえずに英語的に子音と母音の組み合わせとして表現し、意味を持つことばのまとまりをあえてバラバラにしてでも、語感を尊重することによって、より詩の内容を聞き手に印象づけたのだ。また、日本語本来のアクセントやイントネーションに束縛されないメロディーと一体化させた。バンド解散後は、松本は作詞家として活躍し、多くのすぐれた歌謡曲を生み出すが、何といっても彼の最高の仕事は、「はっぴえんど」でのソングライターチームでもある大瀧詠一のコラボであろう。大瀧詠一名義の「ロングバケーション」は、日本のポップス史に残る極めて完成度の高い名盤である。

松本隆の詩と大瀧詠一の曲は、まさにこれしかないと思うような一体感が感じられて、何度も繰り返して聴いたのを想い出す。

歌うたいのフェーズ①

ボサノヴァを誕生させたのは、アントニオ・カルロス・ジョビンとジョアン・ジルベルトというふたつの巨大な才能である。

ジョアンは、自分の生活言語であるポルトガル語で歌うことにこだわった。自分のからだから出てくる「ことば」の自然さと繊細さを大切にした。一方ジョビンは、自分の曲は英語で歌われたとしても、その「本質」は損なわれることなく、かえってその普遍性が証明されると信じていた。

そして、皮肉にもボサノヴァの波をインターナショナルな規模にしたのは、当時ジョアンの妻であったアストラッドの英語による「イパネマの娘」の大ヒットだった。

歌うたいにとってのことばは、ある意味でメロディやリズムよりもやっかいで大切なものである。

リズムやメロディにいかにことばを乗せるかという葛藤は、歌入り音楽にとっては宿命的なものである。

最近「『唱歌』という奇跡・12の物語 讃美歌と近代化の間で」(安田寛)という本を読んだ。これによれば、アジア太平洋を席捲したキリスト教に基づく近代教育による強引な西洋化に讃美歌の強要があった。この讃美歌という音楽の押しつけが地域の伝統的な歌舞、詩歌をどれほど圧迫したかは計り知れぬ。私はこういうのが大嫌いなのだ!

安田氏によれば、「アジア太平洋海域諸民族の近代歌謡史には、讃美歌という太い一本の断層がくっきりと走っている」と言う。その中で唯一日本における唱歌の誕生はミラクルだというのだ。言わば在来種を駆逐する外来種であった讃美歌から、唱歌という新しい国産オリジナルを生み出したというわけだ。単に「音楽がどうのこうの」と言うレベルではない。それには、教育権をミッションに奪われることなく、近代教育制度を自前で確立できるかどうかがかかっていたわけだ。讃美歌に抗うための折衷策として、メロディは讃美歌を使い、歌詞は守ったのである。つまり、肉を切らせて骨を守ったと言うのだ。歌詞には万葉以来の自然や人事に関わる詩的映像世界を盛り込んだのである。

しかし、この時点でことばとメロディは完全にバラバラである。近代における日本の歌が、こんな風に出発しているのは、実に興味深い。

その後、日本人作曲歌による試みは、いずれも日本語のアクセントやイントネーションとリズムの切り方、メロディの流れを一致させようとする試みであったと言える。山田耕筰や中田義直などが残した歌曲には、例外なくその規則が貫かれている。

2009/12/08

Lembranca

「12月8日は何の日?」と聞かれて思い出すのは、日本人であれば、まず「真珠湾攻撃」であって欲しい。最近は「真珠湾は三重県にある」と思っている人もいるそうだ。驚きのあまり次の句を続ける気力が失せそうだが、そういう「知らない世代」を責めるより、「知っている世代」の歴史認識や伝え方を問い直すべきであろう。

日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6箇月に及ぶ大東亜戦争が勃発した。戦闘行動を開始を告げる暗号電報「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から打電されたのは1941年の今日12月8日である。まだ70年も経っていないのである。ペリー以来、911に至る「日米関係の茶番」のひとつの頂点がここにあるわけだ。

読売新聞の今日付の社説によると、かの「おそ松くん」の両親の結婚記念日も12月8日だと言う。話の出所は泉麻人氏の「シェ―の時代」(文春新書)。満州で終戦を迎えた引き揚げ経験を持つ赤塚氏が、安易にそのような設定をしたとは思えない。そう面白いことばかりではない現実の日常をカーニバル的な祝祭に、陰を陽に、ひっくり返すのが赤塚ワールドの魅力。家族をバラバラにする戦争の開戦日を愉快な大家族の物語のスタートに定めた赤塚のメッセージがあるのだと書いている。これは、相当な説得力があるし、赤塚ファンの私としては、「これでいいのだ!」と太鼓判を押したい。

私にとっての12月8日は、ジョン・レノンとアントニオ・カルロス・ジョビンというふたりの偉大なミュージシャンの命日でもある。

去年はボサノヴァ生誕50年という記念の年でもあった。そこで、何をもってボサノヴァ誕生と見なすかというと、ジョビンが作ってジョアンが歌った「想い溢れて」の発表から50年ということだ。この「想い溢れて」こそ、ボサノヴァ第1号なのである。たった2分足らずの非常に地味で短い曲の中に、ボサノヴァのエッセンスのすべてがあると言っても過言ではない。ボサノヴァが生まれて50年経つが、未だこの曲を遥かに凌ぐような作品は、地上のどこにもないと私は思う。ある意味これ以上発展しようがないほど完成されていたのが、ジョビンの曲であり、ジョアンの歌と演奏であった。

私も何か記念の曲を作れないかと思い、ボサノヴァ生誕50年のジョビンの命日に、「想い溢れて」とピッタリ同じ演奏時間である1分58秒の曲Lembranca158を作曲した。Lembrancaはポルトガル語で「追憶」の意。

最後にジョビンとジョンが残してくれたことばをひとつずつご紹介。

アントニオ・カルロス・ジョビンのことば

「神が、こうもあっけなくアマゾンで三百万の樹木を打ち倒させているのは、きっとどこか別の場所で、それらの樹木を再生させているからだろう。そこにはきっと、猿がいれば花もあり、きれいな水が流れているに違いない。僕はね、死んだら、そこへ行くんだ」

ジョン・レノンのことば

「ビートルズのメッセージがあるとすれば、泳ぎ方を学べということ。それだけ。そうして泳げるようになったら泳げばいい」

2009/12/07

復活の卵

人が紡ぐすべての物語は、「十字架と復活」というイエスの物語に飲み込まれていく。人が作ったいかなる「壁」も、唯一の「復活の卵」であるよみがえりのいのちの中へと吸収されるのである。
 
「復活の卵」はよみがえりの初穂であり、神の新創造の宣言と証である。

イエスの物語は、残された4つの福音書によって知られている。しかし、その福音書と言えども、イエスの物語のほんの一部でしかない。

「イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまいと私は思う」(ヨハネ21:25)とヨハネは書いている。
 
 私たちは、「語られざるイエス」「秘められたイエス」を世界と書物から読み取ることが出来る。

 人が心奮わせ涙を流すのは、実は知るも知らぬも「キリストの影」に対してなのである。クリスチャンはその祝福を豊かに享受し、その秘密を鮮やかに解き明かす責務があるのではないか。私はそう思っている。
 
 世を遠ざけ、世に怯え、世に媚びるのは、いずれもあるべき姿ではない。

2009/12/06

「卵」と「壁」再考

村上春樹氏がエルサレム賞受賞スピーチで提起した「卵と壁」の問題は、小説に限らず芸術の存在意義を問う優れたアレゴリーである。

芸術表現が、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を大切にすることだとしたら、その表現がシステムに乗っかっていくことによって個を圧迫する結果をもたらすとしたら、それは芸術の堕落であり敗北である。

例えば、音楽におけるヒットチャートや美術品のオークションなどという芸術を消費するシステムは、それぞれの表現に大いに影響を及ぼす。ベストセラー作家である村上氏自身の発信そのものの純度も、自らのことばによって問わねばならないことになるのではないか。

「卵」はエデンの東に産み落とされた。神という親を失った「卵」はその薄い殻に包まれたいのちを守ための「壁」を築いた。

「教会」という救いを守る筈の群れがシステムとして個を圧迫する壁となるのは哀しいことである。

2009/12/05

主人公復活ライブ

いつもお世話になっているPAの阿南氏が若い頃に所属していた伝説のバンド「主人公」の復活ライブがあった。メンバーがそろってステージ立つのは28年ぶりだと言う。当時のファンの女の子(今はオバサン)たちや、それぞれの家族や仲間が見守る中での1日限りの復活。前座は当時の彼らと同年代になった阿南氏の息子がつとめた。

10代の後半から20代の初めに作った曲をいい年になって「あえて」演ることには、様々な意味がある。単に過去を懐かしむ為の同窓会ではないだろう。過去を大事にしなければ、今日も明日もない。ある程度の年月を生きれば、時間の連続性と不可逆性をしみじみと感じるものだ。

とは言え、時間というのは相対的なもの。その長さや質は、その人自身の感性や生き方が決めるのだ。同じ時代を生き、音楽を続けてはいても、それぞれに見ているもの、求めているものは違う。それぞれの人生の選択があり、それぞれの現在がある。しかし、共有できるあの頃の感覚を呼び戻す音楽の力。

Y.B.M氏からの、もうひとつのお誘いをけってまで(実は、こちらにも後から合流したのだが・・・・)観に行った甲斐はあった。Uribossa氏は、私以上に彼らとはずっと親しい。28年前のリアルタイムの彼らを知っている分だけ、さらにいろんな思いで観ておられただろう。

Salt&Uribossaの100年イベントは、「半世紀の反省記」みたいなものだが、ノスタルジックにはしたくない。100年というのは、あくまでも洒落で、私的には右肩上がりの途中経過報告にしたい。

http://www.shujinkoh.net/ 【主人公復活プロジェクト】

2009/12/03

鳩が豆食ってポッポー

ロッキード事件では、政治家に流れたピーナッツ1個は確か100万円。今回、鳩が食ってた豆は、ママからもらったお小遣いだった。その額を聞いてびっくり!ナント月額1500万を毎月もらい続けていたのだと。母性愛に満ちた友愛精神の源がこんなところにあったとは。トホホなお話。子ども手当が聞いてあきれる。

Dr.Lukeは、仕送りモラトリアム生活の中で外人女に鼻の下をのばし挙げ句に、その扱いがわからず、死に至らしめたかの市橋容疑者と、国民を殺す「友愛」鳩宰相の類似性を鋭く指摘されているが、ほんにまあ、そのとおりやおへんか(・・・となぜか京都弁)

「ボケず」「チョケず」には語れないほど、実に情けない話である。というわけで、あまりにも情けないのでお笑いを一席。

これは、今から8年前に、「落語をやりたい」という少女(小5)のために私が書いた落語の台本のひとつ。このように、学校での私は、子どもたちの希望に可能な限り答えつつ、創造的遊びに興じているのである。落語をやってはいけないという校則はない。

実際に6年生を送る会で好評を得た演目である。「沈まぬ太陽」のことわり書きではないけれど、勿論、某首相を意識したものではない。ただし朝が苦手で遅刻常習犯(しかも、忘れ物が多い)のジュンキくん(小6で、私のクラス)と、見かけより頼りになる池なんとか先生(私)は実在の人物。演者であるマルヒロというのは、この子の祖父母が経営する食堂の屋号から拝借。筋向いに同じ屋号の園芸店まであるので、まさに演芸にはぴったり。そのマルヒロちゃん、自らやりたいと名乗りでるだけあって、初めてとは思えない名人芸。私も腹を抱えてゲラゲラ笑って見ていたのだった。

しかし、今読むとけっこう暗示的である。

マニュフェストも、友愛という理念も、どれだけお小遣いもらったかも、都合良く忘れちゃえる性格っていいな。


   
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               鳩が豆食ってポッポー


エー私、阿騎野屋丸廣(あきのやまるひろ)と申します。6年生の先輩たちの卒業のはなむけに落語を一席お届したいと思います。3月になり、気候があったこうなってくると、なんかしらん、頭の方もポーっとして忘れものが、多くなってまいります。今日はそんな物忘れのお話をひとつ。

【社長】ほんまにおまえは若いくせに物忘れが多て、どもならん。だいたい得意先と商 談すんのに時間に遅れる、名刺も忘れるとはどういうこっちゃ。ええか。今度失敗したら、くびやくび。

【マルヒロ】えらいこっちゃ、どないしょう。せやけど、こんだけ物忘れがひどかったら社長さんがおこらはんのも無理ないわなあ。なんぞええ知恵はないもんやろか。先輩のジュンキさんに聞いてみよ。なあなあ、ジュンキさん。

【ジュンキ】何か用?

【マルヒロ】物忘れ治すうまい方法はないでしょうか。

【ジュンキ】そうやなあ。ぼくは朝は苦手やけど物忘れはせえへんけどなあ。

【マルヒロ】なんか秘訣はあるんですか。

【ジュンキ】ぼくはようわからんから、あの、ほれ、池なんとか言う先生に相談してみたかどうやろ。あの人やったらなんぞええ方法を知ってはるんとちゃうか。

【マルヒロ】池なんとか先生って、そんな名前忘れてしまうような先生、だいじょうぶかな。まあ、ええわ。こんにちは。
    
【先生】物忘れを治す方法じゃね。

【マルヒロ】なんでわかるんですか。

【先生】時間の短縮じゃよ。

【マルヒロ】では、さっそくお願いします。

【先生】よかろう。鳩が豆食ってポッポー。

【マルヒロ】何ですか、それ。

【先生】おまじないじゃ。ハはハンカチはなかみ、トは時計、ガはガマグチつまり財布じゃ。マは万年筆ならびに筆記用具、メは名刺やメール。クはくし。テは手帳。ポッポーでもう一度洋服やかばんのポケットの決まった場所に決まったものが入っているかどうか確認する。これで完璧じゃ。

【マルヒロ】 なーるほど。鳩が豆食ってポッポーか。これはええことを教えてもろた。鳩が豆食ってポッポーとはうまいこと言うたもんや。あの先生、見かけより頼りになったなあ。これもジュンキさんのおかげや。ジュンキさんにもひとことお礼を言うとかなあかん。それから、あの先生にも・・・・。それにしても、あの先生、名前なんやったかなあ。まあ。ええわ。とにかく、明日から気分も新たに仕事できそうやな。

(朝起きて)ふあ~あ。あれ、呪文何やったけ。
 

2009/12/02

山崎豊子作品に想う

テレビでは「不毛地帯」、映画館では「沈まぬ太陽」と、山崎豊子作品が話題である。いずれもベストセラー小説の映画化であり、ノンフィクションに近いフィクションだということだ。彼女の小説手法にも文章にもあまり感心はしないが、内容はけっこう面白い。「白い巨塔」「華麗なる一族」に続き、「不毛地帯」も欠かさずチェックしている。

主人公である壱岐正と恩地元には共通点がある。いかなる苦境に立たされても己の信念を貫くその無骨で真摯な生き方である。その生き方ゆえに組織や家族との様々な葛藤を招くが、ここがまた共感を呼ぶところなのだろう。

彼らと同じように苦しい立場に追いやられる人は多いが、どんなに追いつめられても妥協しない人はそういない。どっこい、「私は妥協していない」とけっこう胸を張って言える。勿論、逆らってばかりいるわけではないが、肝心要の場面で、己の信念に恥じるような選択はしていない。その分、思いっきり辛い目にも会ってきた。でも、それは立派なこととではない。それ以外には道はなかったからだ。映画「沈まぬ太陽」の中で、「お父さんは波に逆らってばかりきたから」と言う息子に、「いや、波に乗っている奴の方が辛いのかも知れない」と恩地が語る場面があるが、全くその通りなのだ。

学校や教会というところは、近畿商事や国民航空に負けず劣らずめんどうな組織である。波に乗っている人たちは、私にはかわいそうにしか見えない。「己の身を守り、欲を満たし、名を上げる」というベクトルは、上昇ではなく脱落への助走なのだから。

この世においては、正義の道は必ず十字架に行き着く。しかし、キリストともに死ねば必ず復活が約束されている。信仰がない人たちにとっても、原則は同じなのである。

信仰のある人たちにとっては、文字通り。仕事の中にも、「死」にこそ「勝利」がある。この世の仕事を嫌う「自称献身者」たちには味わえない醍醐味がこの世の仕事の中にあるのですよ。残念!

いずれにしても、毛は生えていて欲しいし、太陽は燦々と輝いていて欲しいよね。

2009/12/01

音楽は自由にする

最近、坂本龍一の「音楽は自由にする」という本を読んだ。まるで「真理はあなたを自由にする」みたいなタイトルだ。これは、借りないわけにはいかない。(「買わないわけにはいかない」ではないのがちょっとだけさびしい)タイトルに惹かれ、めでたく今回の10冊にチョイスされたわけである。

坂本龍一は、昔から意識していた。私自身が「Complexion」というオールシンセサイザーのアルバムは、無名の私による有名な坂本龍一へのひとつの答えというか挑戦でもあった。

今や世界のサカモトとなった彼が、その風変わりで華やかな音楽経歴を、生い立ちから始まって、さまざまな人との出逢いのエピソードを絡めつつ、折々の作品への思いを時系列で語った本である。

いつか、会って話してみたくなった。
特に面白かった部分、大瀧詠一、細野晴臣、矢野顕子の面々に出会った驚きと、ポップ・ミュージックの魅力について書いている場所を抜粋してご紹介しよう。いろんなことに通じる真理があるように感じる。


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~同じ言葉を持つ人たち~ 「音楽は自由にする」坂本龍一(新潮社)より

大瀧さんともすぐに仲良くなり、福生にある大瀧さんのスタジオ、というのはお風呂場なんですが、そこでレコーディングをしたのが、75年から76年にかけてのことです。そこに、細野晴臣さんが現れた。それが細野さんとの初対面でした。このころにはもう、はっぴいえんどのことはぼくも知っていて、細野さんおソロ・あるバウも聴いていました。

細野さんと出会った時に感じたことは、山下くんの時とよく似ています。ぼくは細野さんの音楽を聴いて、「この人は当然、ぼくが昔から聞いて影響を受けてきた、ドビュッシーやストラヴィンスキーのような音楽を全部わかった上で、こういう音楽をやっているんだろう」と思っていたんです。影響と思われる要素が、随所に観られましたから。でも、実際に会って訊いてみたら、そんなものはほとんど知らないという。たとえば、ラヴェルだったら、ボレロなら聴いたことがあるけど、という程度。

ぼくがやったようなやり方で、系統立てて勉強することで音楽の知識や感覚を身につけていくのは、まあ簡単というか、わかりやすい。階段を登っていけばいいわけですから。でも、細野さんは、そういう勉強をしてきたわけでもないのに、ちゃんとその核心をわがものにしている。いったいどうなっているのか、わかりませんでした。耳がいいとしか言いようがないわけですけれど。

もう一人、同じような驚きを感じたのは矢野顕子さんです。彼女の音楽を聴いたときも、高度な理論を知った上でああいう音楽をやっているんだろうと思ったのに、訊いてみると、やっぱり理論なんて全然知らない。

つまり、ぼくが系統立ててつかんできた言語と、彼らが独学で得た言語というのは、ほとんど同じ言葉だったんです。勉強の仕方は違っていても。だから、ぼくらは出会ったときには、もう最初から、同じことばでしゃべることができた。これは、すごいぞと思いました。

そして、だんだん確信を持って感じるようになったのは、ポップ・ミュージックというのは、相当おもしろい音楽なんだということです。日本中から集めても500人いるかどうかというような聴衆を相手に実験室で白衣を着て作っているような音楽を聴かせる、それが当時ぼくが持っていた現代音楽のイメージでした。それよりも、もっとたくさんの聴衆とコミュニケーションしながら作っていける、こっちの音楽の方が良い。しかも、クラシックや現代音楽と比べて、レベルが低いわけではまったくない。むしろ、かなりレベルが高いんだと。ドビュッシーの弦楽四重奏はとてもすばらしい音楽だけど、あっちはすばらしくて、細野晴臣の音楽はそれに劣るのかというと、まったくそんなことはない。そんなすごい音楽を、ポップスというフィールドの中で作っているというのは、相当に面白いことなんだと、ぼくははっきりと感じるようになっていました。

2009/11/30

マ・カ・ナ

Makaniは、Salt&Uribossaのナンバーだが、マ・カ・ナは、私の旧い友人で、BBSにも味のある書き込みをしてくれていた硬派銀治郎くんのblogのタイトル。

主に、彼の専門である発達障害児の療育や相談と信仰を絡めての発信になると思うが、最近メキメキ腕を上げているというデジカメ写真も楽しみである。

興味のある方は下記アドレスへ

http://makana20091105.blogspot.com/ 

単語がわからんタンゴ

友人の箱屋八代目が企画に加わったクアトロ・ビエントスのタンゴを聴きに行った。6時9分に仕事を切り上げ、大和川沿いを突っ走って6時32分に「いかるがホール」到着。5分遅れの35分開演にギリギリ間に合い、たっぷり2時間音楽に浸る。

なかなかしっとりした演奏だが、私はスペイン語は全くわからないので、やや欲求不満。いくら日本語で解説があっても、まさにラテンな歌詞世界は、ちょっと宙に浮いた感じで、アルゼンチン酒場風に演出されたステージも、何やら太秦映画村風で、どこか滑稽さの漂うものに思えた。

ボサノヴァをポルトガル語で延々やり続けても、馴染みの無い人には同じような印象を与えるに違いない。

この道で感動を誘うには、圧倒的な実力がないと無理だ。そんな実力のある日本人などいるわけもなく、ボサノヴァでは小野リサが限界だ。

そもそも日本人が、母国語でないことばで、本当に繊細な表現が出来るのかという問いについては、私は否定的だ。かつては、自分のサウンドを表現するには英語でないと不可能だと思った時期もあった。しかし、様々な葛藤を経て、今は日本語での表現に落ち着いている。

発信側に問題はなくても、受信側の問題がある。だからこそ、共通のことばで伝えること、わかりやすさ、聞きやすさが大事なのだ。自分のことばであるより、相手のことばであることを大切にしないと何も伝わらない。

神のことばが人になられたのは、「伝える」ためである。だから私も、たとえ「アホ」と思われようと、わかりやすい日本語で歌い続けることにこだわっていたい。

それぞれの世

Dr.Luke曰く
「ヨハネ書簡を読めば明らかだが、『世を愛する者は神を愛していない』とあるとおり、世は神への愛と対立するモノ。この命題の対偶を取れば、『神を愛する者は世を愛していない』となる。よって自分のうちには神への愛があるだろうか?と問えばよいのだ。つまりそれぞれにとっての世とは、神の愛を無にするものであって、一律にこれは世のもの、あれは霊のものとカタログを作るものではない」

  
   †     †     †     †     †     †     †     †   


私も全くそのとおりだと思う。こういうカタログを作って他人に押しつけたがる人達は、本当につまらない人種だ。本当の問題は、世に触れることにあるのではなく、ちょっと世に触れたぐらいで、イエスへの思いが揺らぐほどイエスという御方を知らないことにあるのだ。世が魅力的なのではなく、イエスの魅力を全く知らないだけの話ではないか。実にくだらない。

私はイエスと出会うまで、この世の一切に辟易としていた。私が世に意味を見いだせるようになったのは、それがすべて「キリストの影」であるとわかったからだ。そのおかげで、私は生きる力を得て、食事も、散歩も、昼寝も、日常のあらゆることが楽しみに変わったわけだ。

「キリストにはかえられません」という賛美歌があるが、私は「当たり前やんけ!」としか思わない。なんでわざわざ「世の楽しみよ去れ、宝よ行け」と決意表明みたいに歌う必要があるのかわけがわからない。この世とキリストを同じ天秤にかける発想がそもそも貧困である。「団結がんばろう」みたいな賛美は、私の趣味ではない。

私はキリストの影を慕いつつ、日常の徒然を好きに歌っていたい。

2009/11/29

吉野での家庭集会

ムベさんがお住まいの吉野で家庭集会を持つ。

数年前から不定期で始まったこの吉野での小さな交わりは、ムベさんの30年以上にもわたる地道な証と祈りが結実したものである。

教会の有り様というのは、このように多様で自由であるべきで、行事予定や建物や形式に支配される必要は全くない。

2~3人が適当に集まって教会を宣言すればいいと言うのではないが、建物や団体がないと信仰が保証されないということはない。

カナン教会の教会堂は自前の建物ではない。実は賃貸契約もあと3年で終わるのだが、これがカナン教会にとっても間違いなくひとつの転機になるはずである。

どうなるかはまだわからないが、最近は建物の無駄を感じている。もちろん拠点としての良さもあるが、「私の動き」としてはけっこう足かせになっている部分もなくはない。

教会での実際の集まりよりも、インターネットを通して出来上がった繋がりの方が強く深いという逆転現象がおこっているのも、嬉しいような嬉しくないような妙な感じである。

そんなインターネットを通しての交わりのあり方については、おそらく常に個人への問いかけはあるはずだ。「情報のイイとこ取り」だけでは、信仰は健全には育たない。個々人が「主の前のひとり」として、もう少しきちんと己の有り様を問われ、十字架に恥じることのないまともな応答をすべきである。各地のリアルな交わりこそが核になるべきであるし、そのようにシフトしていくことだろう。

また、交通も通信も遥かに不便だったパウロの時代でさえ、もっともっと豊かな交流が盛んに行われていたのである。教団や教会という囲いの中に「いのち」を隔離し幽閉しようとするサタンの企てを打ち破って、実際にもっと動き、出会うことが必要だと感じている。

2009/11/28

アルコライブ!

アルコでのライブを終えて帰ってきた。このライブ後の気怠い充実感がいつもながら何ともいえない。反省点はいろいろあるが、とっても楽しいLiveだった。

実は昨日の夜は、頭痛と肩こりでメッチャクチャしんどくて、ほぼ何も出来ずにダウン。うどん旅行明けの仕事が、質、量ともにかなりキツくて、知らず知らず悪いストレスをため込んできたのだ。倒れるまで疲れていることに気づかないアホさ加減にあきれつつ、「仕事のせいじゃなくて遊びすぎやろ!」と自分にツッコミを入れつつ爆睡。

一夜明けて元気回復。ホントによく寝たので、今日はまずまずのコンディションで演奏にのぞめた。しっかり体調管理できない私だが、いつも神様の憐れみによって本番は何とかかたちになっている。

1部と2部はタイトルナンバー「風のメロジア」をのぞいて全部違う内容にした。アンコールでは新曲にパーカッションも加わって、さらに右肩上がりな姿を見てもらえたし、2部にはウクレレ名人の飛び入り演奏もあり、かなり盛りだくさんな内容になった。

今日はちょっと真面目すぎたので、来月のNZではもう少しふざけよう。

2009/11/25

末端

ニュースで、文科省関連の予算に関する仕分けの様子が報道されていた。

教員の雑務が多すぎることを問題視して、「文科省からの書類をもっと減らすことが、教員の人数を増やすより大事だ」ということを仕分け人のひとりである元校長の藤原氏が語っていた。それに対し文科省役人は軽くこう言い放った。「その努力はしている。末端にまで伝わっていないかも知れないが・・・」

私はこの「末端」ということばに反応した。その無神経な表現に強い憤りを覚えた。教育の最前線を「末端」と呼ぶ傲慢さに文科省の体質を見る。

私は彼が言う教育の「末端」にいるわけだが、正しくはそこを「教育現場」と言うのだ。

2009/11/24

憂哀

税収が少ないので、民主党がマニュフェストを文字通り実行するのはまず無理である。たとえ、資金が潤沢にあったとしても、「子ども手当」だの、「高速道路無料化」だの、人気取りのバラマキ効果などたかが知れている。そもそもいくら気前が良いふりをしても、もともとそれは国民の金ではないか。

鳩山さんは、学級費を使って買ったお菓子を子どもに配って、理念の浅はかさや指導力の欠如をごまかそうとする小学校の先生のようなものだ。どう考えても、学級費は「もっと別の意義のあること」に使うべきである。

よく教室に掲げてある歯の浮くような目標は、教室から一歩出れば全く役に立たないのが普通だが、鳩山さんの頭の中にあることは、もっと馬鹿馬鹿しい。口に出した瞬間にボロボロ崩れるほど脆弱で芯がない。世の中は教室よりも少しは複雑に出来ているはずだが、鳩山さんなら、小学校でも学級崩壊させそうだ。学歴があっても、ことば数が多くても、子どもの現実や背景に関心のない人には、子どもは絶対なつかない。

上から目線と言うより、どこを見ているのか怪しい目つきのお坊ちゃまの語る「友愛」なんて、いったい誰が本気で信じているのだろう。

2009/11/23

秋じまい祭

ふるさと元気村「秋じまい祭」に参加。

古くから続いてきた旧室生村田口地域の最大イベントである秋の収穫祭を「ふるさと元気村」で行うようになって3年。私も地元室生中学の吹奏楽部を呼んで来たり、クラフト仲間に声をかけて作品販売してもらったりしてきた。私の工房で喫茶店をやったこともあった。

すばらしい晴天にも恵まれ、いつも静かすぎる山里が大いに賑わう。前日までの旅行もあったので、今年は工房を訪れるお客さんの相手をするだけだったが、関係者とともに雰囲気を共有できたことは嬉しい。

館長の福田さんもスーツ姿で気合いが入っている。挨拶に行くと、「おお、来てくれたんか」と笑顔で迎えてくれた。本当なら、もっと手間暇かけて、いろんなことに参画しなければならないところだが、「行けるときだけ、やれることだけ」という協力のかたちを特別に認めていただいているのは、本当にありがたい。

私のやることなすこと殆どが元気村の規定にないことばかりで、責任者や関係各位の頭を悩ませてきたが、いつも何とか落ち着きどころを見つけることができている。今後はどうなるかわからないが、みなさんが規格外の私の存在やあり方を受け入れてくれる限り、私なりの協力はずっと続けようと思っている。

町村合併による採算重視や効率優先が合理的だという単純な発想で踏みにじられ、失われていくものは計り知れない。こうしたことに無関心になり鈍感になって、「仕方がない」ですませたくはない。

2009/11/22

讃岐うどん紀行

「おいしいうどんを食べたい!」この一念でついに本場讃岐へ。

11月22日は私たち夫婦にとっては22回目の結婚記念日である。10年目ぐらいからは、「記念に旅行にでも出かけたいね」と言いながら、3人の子どもをほったらかしにも出来ず、結局果たせないままにいた。

そんなわけで、今回は初の結婚記念旅行となった。22日は日曜日で23日の祝日と連休になる。ちょうど暦もいい感じで、教会のスケジュールも無理なく合わせることが出来た。(今年は連休絡みの日曜日は家庭での礼拝ということで休みにしている。)これは、実にうまいやり方だ。年中ろくに休みのない私にとっては、月に1度だけでも日曜がフリーになるのは非常にありがたい。何処へも行かずに家族とボーッと過ごしたり、買い物につきあったりということが、時には聖書を開くより大事なこともあるのだ。

さて今回の旅は、1年目のフレッシュカップルKoji & Mayumiと一緒ということで、実に愉快な珍道中であった。2人でまったりも良かったのだが、4人でワイワイはいっそう面白かった。「讃岐うどん」はKoji & Mayumiのカップル誕生に貢献した重要アイテムなのである。この辺りは、もしかしたら、Koji君が自分のブログで取り上げるかも知れないので、こちらでは遠慮しておこう。

行きは、明石海峡大橋をわたって淡路島を縦断、帰りは瀬戸大橋を通り岡山上陸。丸亀市の猪熊玄一郎美術館や倉敷市の大原美術館を見学。私の趣味に付き合ってもらった感じだが、周辺の丸亀城や倉敷美観地域も堪能し、「胃袋ツアー」とは言わせないバランスを辛うじて保つ。丸亀城では、私が長年の研究の末に編み出した「みんなが楽しく元気になる健康体操」を伝授。普及大使に任命したKojiくんが近々You Tubeにupするとかしないとか。

さらに不意の思いつきで通りがかった丸亀競艇にも初参戦。これが、予想外の盛り上がりだった。夜の競艇場は、私にとってはあまり馴染みの不思議な異空間なのでちょっと面白かった。もっと汚くて騒々しいものかと思っていたが、わりと落ち着いた感じだった。投票〆切前に金比羅ふねふねのメロディ―が流れていたのが間抜けな空気を醸していた。他の競艇場ではどんな曲が流れるのかなと興味が湧いた。

全食うどんでも良かったのだが、さすがにそれはあんまりかな・・・ということで、もうひとつの名物「骨付き鶏」を食す。「ひなどり」「おやどり」という露骨な名前のメニューだが、味の方はなかなかいける。それぞれに異なる食感が楽しめて、ギトギト・スパイシーな感じ。美味しかった。

帰りは、神戸で降りてハーバーランドで夕食。何となくパスタ屋に入ってしまい、うどんよりも何倍も高価で、何倍もまずいパスタを食べ、改めて日本の「うどん文化」のすばらしさ、特に「讃岐うどん」の偉大さを痛感。アメリカ資本のそのチェーン店は、コーヒーをいくらでもおかわりさせてくれること以外は、うどん屋にまさるところはひとつもなかった。恐るべし、讃岐のごんぶと暴れ龍うどん!

2009/11/20

よーい う どん

そもそも「遊び」には目的などなく、「芸術」には実用性もない。

私は「遊び人」の「芸術家」なので、行動に目的性が乏しく、その存在が大して何の役にも立たなくても仕方がない。

純粋な意味での学問だって同じ。前にも書いたが、「学ぶことは遊ぶこと」であり、遊びを極めれば芸術が生まれるのだ。

時々「数学なんか勉強したって世の中に出てから何の役に立つんだ?」などと言う奴がいる。あたかも数学以外の役に立つ知識と経験にあふれているかのような口ぶりだが、彼はたぶん数学が苦手なだけなのだ。数学は美しい。それで十分じゃないか。

「美しい」ものの中には、それ自体に追求する価値がある。「面白い」とか、「気持ちいい」とかいうことも同じ。

しかし、「説明」や「納得」というプロセスには、そのすべてが欠けている。そして、実用性の効率や儲け話には品格というものがない。

だから、私はやってもやらなくても「褒美」も「罰」もないどっちでもいいようなことこそ進んでやろう。おそろしく「無駄」で「面倒なこと」を周到に計画しよう。それが私のスタイルであり、拘りでもある。

勿論、自分の「面白さ」や「気持ちよさ」のために人を犠牲してはいけないのは当然だが、誰かや何かの為に自分を犠牲にして、「面白くないこと」や「気持ちの悪いこと」に耐え続けるはごめんだ。

取りあえず明日は、「おいしいうどん」を食べに香川県に行く。

2009/11/19

限定品 mottos ロゴ入り缶バッヂ

調子にのってアホ企画。

11月のアルコライブ、そして12月のNZライブでCDをお買い上げいただいた方に(限定50個のみ)Uribossa氏のデザインによる缶バッヂをドドーンとプレゼントしようという企画が決まった。

ブラジリアンカラーで、ギター2台をデザインしたmottosのロゴ入り。

何のバッヂかよくわからないその知名度の低さと洒落たデザインのギャップが格好いいぜ!

知らない人のために解説しよう。

Mottosとは、前作Life Is Beautufulを完全自主制作する際のオリジナルレーベル名として、命名したもの。私たちふたりの名字、イケモト+ウリモトの「モト」とふたりの使用するギターを重ねてロゴ化したもの。ただ音楽が好きなだけで、これという野心もなく、いつも遊んで満足しているだけの気楽な性分のふたりなので、「きちんと形にして、しっかり人様に届け、そして経済を活性化させよう」という決意を込めて、「行け、もっと!売り、もっと!」をモットーにしたのである。どこまで真面目でどこからふざけているのか当人でさえよくわかっていないが、ふたりともすごく気に入っていることが、この缶バッヂ制作からもうかがえる。

ちなみに、「遊」という漢字のもともとの意味は、「波間に漂う子どものこと」昔は「しんにょう」ではなく、「さんずい編」の漢字だった。「游」←こういう風に書いたのだ。波のritmoを聴き取って、いつまでも漂っていたい。寄せる年波ものともせずに、この遊び心で軽くサーフィンを楽しもう。

さて、誰がこの缶バッヂの無理矢理感の強いオマケを喜んでくれるかということだが、それ以前にCDが売れるかどうかがもっと問題だ。しかし、さらに問題なのは、まず私たちがCDに遜色なく演奏できるかどうかいうことである。

2009/11/18

Happy Birthdayな夜

旅の音楽家・丸山祐一郎とこやまはるこコンサートin銀河ステーションが無事終了。今回の企画は、広島大学の学園祭から、神戸のイベントを経由して、三重へ向かう旅の途中の丸山さんから、「奈良でその数日に間に何か出来ないか」という相談を受けてセッティグさせてもらったもの。

銀河ステーションは私がずっと関わってきた知的障害者の授産施設のコンサートホール。だからお客さんは、知的障害のあるなかまたちとスタッフ。

丸山さんたちのここでの演奏は3月に続いて2回目の公演になる。みんなもコンサートの雰囲気や丸山さんとはるちゃんの人柄もわかっているので、集合も早く、心はオープン。1曲目から手拍子、2曲からジャンプと超ハイテンション。ノリノリの1時間になった。

すーちゃんと私も2曲だけ飛び入り参加。Y.B.M氏もデイジュリドゥで丸山さんのビリンバウと絡んでムードは最高潮に。ダンスホールと化したホールにはすごい熱気とエネルギーが充満し、終わると汗びっしょり。

当初は16日の予定だったが、いろいろな事情で17日になった。17日は奇しくも私の誕生日なので、その巡り合わせの不思議を話していたところ、コンサートの中でサプライズのハッピーバースデーの歌やケーキやプレゼントがあった。本当にサプライズ。こういう展開になろうとはよもや思っていなかった。ものすごい元気をいただいた。人にはいろいろ励ましのメッセージを送りながらも、生まれてきたこと、生きていかねばならないことを時に重たく思う日もあるが、そういう考えは、当然のことながら、とんでもない思い違いなのだとしみじみ感じた。

そのハイテンションのまま、ハーブクラブで名物石窯料理のディナーをいただき、出演者とスタッフで打ち上げ。その流れで一緒に流星群を見ようという話にもなり、予定外ながら宿泊することになり、さらに盛り上がる。深夜まで歌い話し込んで、睡眠不足のまま、早朝の駅にすーちゃんを送る。そして出勤。そして、通常通りサラリと仕事。

今年は、例年にないほど多くの祝福メールを各方面からいただいて、改めていろいろな人たちに支えられて生かされ、守られていることに感謝した次第である。

私という者をつくり生かしてくださっている神様と、生み育ててくれた両親、誰よりもかわいがってくれた婆さん、妻と3人の子どもたち、そして、こんな私を祝福してくれる多くの友人たちにありがとう。

2009/11/17

合体技の妙味

総合格闘技のガチンコ対決が全盛であっても、プロレス独特の面白さは捨てがたい。古くは猪木が、そして桜庭が、昨今はミノワマンがプロレスの懐の深さを総合格闘技のリングで見せつけている。

そうそう、今日書きたいのはそーゆーことじゃなかった。プロレスの底知れぬ魅力のひとつである「タッグチームの強さの相乗効果」についてである。時にアンビリーバブルな合体技も繰り出す。

Salt & Uribossaもタッグチームとして、リングの内外でいろいろオモロイこと(ブログで少しずつ公表予定)に挑戦しようとしている。

ボサノヴァのリング内では、Beatlesリマスターアルバム発売を記念して、「Amor e paz」に続く共作曲を完成させた。単なるトリビュートソングではなく、来年のアースデーならSouthのためのテーマ曲でもある。タイトルは「Fragile(こわれもの)」。往年のプログレバンドYesのヒットアルバムにちなんだ。

井上陽水&奥田民生のナンバーとは、違ったテイストでBeatlesに対する親愛の情を表現した。共作ものに限らず、Salt & Uribossaでは、ひとりでは絶対出来ないことが出来てしまうのがいい。常に1+1>2なのである。

完成形になるまでけっこう手間取ったが、「こうなればいいな」と思っていたとおり、あるいはそれ以上になった。コーラスやリードギターはまだまだこれからだが、取りあえず現状の出来映えに納得。

「中高年の希望の星」(ぅぉお・・・最低のキャッチフレーズだ!)であるSalt & Uribossaも、あと数年でふたり合わせて合計100才になってしまう。そこで、エネルギー充満、元気100%のビッグプロジェクトも思案中。(まだほとんど白紙)

今日でまた1つカウントダウン。ますます右肩上がりに面白くなってきたぞ。

2009/11/16

石井順治氏のことば

「学び合う学び」を提唱する石井順治氏の授業ビジョンと哲学、その実践と、現場教師への的確なコンサルテーションには、佐藤学氏、秋田喜代美氏というふたりの東大教授が最大級の賛辞を惜しまない。

最近、石井氏の著書「ことばを味わい読み開く授業~子どもと教師の『学び合う学び』」(明石書店)を精読し、私も現場の一教員として、石井氏の子どもを見つめるまなざしのやさしさと感性のしなやかさに心を揺さぶられた。

著書の大半は、彼が見た若手教師の実践の記録である。たいていこのような記録が中心の教育書は私にとっては、実は退屈極まりないものである。仕事柄、仕方なくその手のものも目にはするが、いつもうんざりさせられる。簡単に言えば、課題をつかませ、問題を解決させるための有効な発問の流れ、わかりやすく整理された板書、予想されたとおりの児童の反応や活動が、読まなくても次が読める展開で、それらしく書かれているだけであって、どうにも「子ども劇団の臭い演技」っぽくて、汗臭かったり、土臭かったりする「私が出会ってきた子ども」の臭いが少しもしないからである。

しかし、石井氏のまなざしを通して語られる「学び合う学び」からは、生身の子どもたちの息づかいが聞こえてくる。しかも、それが彼自身の実践というのではなく、共同研究者や参観者という立場で取材されたものであるから、いっそう驚かされる。

著書の大半を占める授業記録に関する部分的な書き抜きには無理があるので、彼の哲学が感じられることばを選んでご紹介したい。教育関係者はもとより、学力低下問題や子どもの学びに興味関心のある方は是非読んでいただきたい良書である。以下、前記の著書より抜粋。

「何が学力を向上させるのか、そもそも学力とは何なのかということについては、ここで述べたいことではない。それよりも私は、学びに対する意欲がこれほどまでに低落していることのほうが心配なのだ。考えてもみてほしい。何十年もすれば今の子どもたちが日本の国を背負うのである。そのとき、人とつながれない、積極的に学ぶ意思のない大人になっていたら、この国はいったいどうなるのだろうか。子どもが未来への大きな可能性を抱いた存在であるという考えに変わりはないし、そうでなければならないと思うだけに、私たちはこの黄信号をこのまま放置することはできない。」(P18)

「一言で言えば、知識伝達型授業から脱却することである。もちろん、知識を伝えることがすべてよくないというわけではない。しかし、学ぶ意欲は、教えられる学びよりも、自分で発見する学びのほうがずっと高まるということを否定する人はいないだろう。だから、教師は、教えることを急がず、子どもの考えから学びを出発させ、子どもの多様な考えの交流によって学びを生み出す『学び合う学び』に転換していくことが必要なのである。 とは言っても、それはことばで言うほど簡単なことではない。何十人ものの子どもに一律に一つのことを教える大工場の大量生産システムのような知識伝達型授業は、一斉指導という方式によって、明治以来日本の教育を席巻してきたわけである。百年以上にも及ぶこの蓄積は、私たち日本の教師のからだに染みついている。だから、その転換には時間がかかるのである」(p21)

「学校は、多数の子どもが学ぶ場である。学ぶ基本は一人ひとりの子どもにある。学びは、学級として一つのものがあるのではなく、同じテキストで同じように学んでいても、一人ひとりの中に個別に存在するものである。このことについては、「一斉指導方式」によって十派一からげに教え込んできたこれまでの日本の教育のあり方は見直す必要がある。個が埋没するような学校教育では、これからの時代を生きる子どもを育てることはできない。しかし、それは、学力というものも、学びということも、すべて個別に、分析して見るということではない。学ぶ基本は個人に存在するけれど、それはまた他者とのかかわりを抜きにしてはありえないものなのである。生きるということは、個別に生きてはいるけれど、他者とのかかり、つながりを抜きにしてはありえないのと同じことである。個別の生き方が素敵な人ほど、他者とのつながりもまた素敵である。それは他者から学んでいるからである。人は、周りの人とともに生きることで、自らの生き方を豊かにしているのである。学校という所は、大勢の子どもが集う場なのだから、そこで触れ合う多くの仲間から、多くのことを学び、それぞれが豊かになっていけるようにしなければならない。それが、一人ひとりの学びを保証するということである」(P177)

「学ぶことにおいてもっとも大切な行為は『聴く』ことである。人一人で教えられることはしれている。豊かに学ぼうとすれば、他者から学び取るしかない。それには、他者のことばに耳を傾ける態度が不可欠である」(P180)

「子どもと子どもの間に聴き合うかかわりが生まれた学級は、子どもの声が温かい。表情がやわらかい。派手に主張する子どもが影を潜め、おだやかで声のテンションが低い。受け入れられているという安心感が、子どものすがたをそのようにするのだ。そして、そのような雰囲気が、つなぐこころを引き出す。『学び合う学び』でもっとも中心的なはたらきである『つなぎ』は、このような『聴き合うかかわり』によって生まれてくる」(P180)

「聴き合うかかわりは、聴き方、聴き相方を教えて出来るものではない。どれだけかたちを教えても、どれだけトレーニングを積んでも、それだけで聴ける子どもは育たない。『聴く』ということは、内面的な心のはたらきと、そこに存在する他者関係を築くための人間的なはたらきかけもしないで、聴ける子どもを育てることなどできはしない。そこで、私はもっとも原則的なことを述べたい。それは、子どものことを言う前に教師自身に子どもの声が聴けているかということである。これまでも私は、日本の教師はいかにも『発信型』であり、『受信』下手だと述べてきた。発問をし、説明をし、指示をし、というように、子どもに向かって発信することには一所懸命だが、子どもの内に生まれるものを受け止める『受信』は、『発信』に比べればいかにも希薄だ。それは、一斉指導方式で、大勢の子どもに一律に教えてきた日本の教育のあり方が染みついているからだと言える。これでは、仲間のことばに耳を傾け、聴き合い、つながり合って学べる子どもは育つはずがない。聴ける子どもを育てるには、何よりも先に、教師自身が『聴ける教師』になる必要がある」(P181)

「『学び合う学び』と言えども、授業の形態となると、学級全員による話し合いになっていることがほとんどである。・・・・それほど日本の学校には、一斉指導方式が染み付いている。・・・45分間始めから終わりまで学級全員でということになると、いろいろ不具合なことが出てくる。多くの教師がもっとも懸念しているのは、発言の偏りである。そこで陥るのは、なにとか子どもたちを発言させようと、発言を促す指導に偏ってしまう傾向である。そのことにより、子どもに発言を無理強いし、逆効果になってしまった事例を私はいくつも知っている。また、発言することだけが目的になり、言うことは言うが、仲間のことばに耳を傾けようとしない子どもになってしまった事例もかなり見られる。子どもたちは聴いてもらえるから話せるのである。要するに、話せる子どもにしたいのなら、話したい雰囲気をつくりたいのから、それより前に、『聴くこと』のできる教室にしなければならない。どんな考えでも、たとえ間違っていても、たとえことば足らずであっても、きちんと聴いてくれる、受け止めてくれるという信頼感があれば、子どもたちは話そうという気持ちを抱くのである。そのためには、教師がまず聴けなければならない」(P194~195)

「グループの学びには、いくつか原則のようなことがある。人数はあまり多くしないで、男女混合にすること、課題をはっきり示すこと、全員の考えを聴くこと、考えをひとつにまとめないことなどである。中でも、よい考え一つにしぼるような話し合いにしないことが重要である。それをすると、必ずだれかが饒舌になり、自分の考えを押し付けるようになる。そうではなく、どんな考えも、寄り添い合って聴くこと、そして、互いの考えを比べながら、それぞれが自分の考えを見つめることである。他者の考えを聴き知ることで、自分の考えを磨き発見していく。そういうグループの学びが望ましい」(P196)

「こうしたい、こうでなければならないという意識を払拭し、子どもの内から生まれるものから学びをつくろうとして、子どものことばに耳を傾けるようになって、私は驚嘆するような子どもの読みにいくつも出会うことになる。私は、かつて感じたことのない感動を何度も味わい、子どもとは、こちらが受けとめようとすれば、こんなにも豊かなものを生み出してくるのだとつくづく感じたのだった。そして、もう一つ、はっきりと認識したことがある。それは、子どもの読みは、決して一つにはならない、その多様な読みの交流こそが、文学を読み合う愉しさだということであった」(P199)

2009/11/15

ダビデの生涯と詩編 最終章へ

今年は月に1回の割合で、「ダビデの生涯と詩編」というシリーズをお話してきた。抜けたエピソードを補って来年も続けることも可能だが、12月で最終にしようと決めた。

ダビデの生涯はまさに波瀾万丈。彼が残した詩編は、今も世界中の多く人々の心を慰め、励まし続けている。なぜなら、ダビデにおこった出来事と喜怒哀楽は、時空を越えてイエスの地上での人としての体験と結びついているから・・・・

さらに、21世紀を生きる私たちは、ダビデの先行体験を、ダビデから1000年後のイエスを挟んで、さらに2000年後に追体験しているわけだ。物凄いスケールである。

私自身もメッセージを準備するにあたって、ゆっくりとサムエル記や詩編を読み直す機会を得て、新たな発見や感動もたくさんあった。

一番考えさせられたことは、イスラエル最高の指導者であったダビデの家庭生活についてである。彼の家族関係は決して円満とは言えず、妻たちとの強い絆もあまり感じられないし、子どもたちと気持ちが通じ合う場面もない。

長男アムノンが異母妹のタマルを辱め、タマルと母を同じくする三男アブシャロムがアムノンを殺し、ダビデに謀反を起こす。ダビデは全面対決を避けて、エルサレムを明け渡すが、アブシャロムはダビデのそばめと通じて辱めた挙げ句、この戦いでいのちを落とす。

不義の世にあって淡々と箱舟を造り、家族を守ったノアを思う。彼は自分の「家族だけ」しか救えなかったが、ちゃんと「家族を」救った。

私はダビデよりノアがいい。救いは「家」に来なければならない。それは、建物としての家とか、血縁とかではなく、ルツ記などの例を見ても、実質的な「家族」という意味でないだろうか?

2009/11/14

飽くなきギターサウンドの追求 Uribossa編

今回はUribossa氏が送ってくれたメール転載をお願いして、ギターサウンドに関する私とのメールのやりとりの一部を掲載させてもらうことにした。彼のギターサウンドへのこだわりの一部が垣間見える。


From Uribossa to Salt

クラシックギター界や、おそらくスティール弦ギターの世界も
残響が多い方がよしとされていると思います。

しかしボサノヴァに限っては、残響が長いと、次のコードに移る時に
前のコードの残響が邪魔になり、ひとつひとつのコードがぼやけてしまう
といった現象が起きます。
特にベース音があまり長いのは、曲全体のアクセントがなくなります。
もちろん左手を浮かしてカッティングすればいいのですが
そのタイミングがまた難しい。なんでもかんでもカッティングすると
これまた、チマチマした曲調になってしまうのです。
私の下手なフレーヴォなんかその典型ですね。

ジョアンは、実は驚異的な弾き方をしています。
長く鳴りすぎるベース音をカットする際、左手ではなく、右手の親
指で行っています。
一回弦をはじいてすぐにもう一回その指を弦に当てて、ミュートし
ているのです。
それを歌いながら、その歌もずらしながら、、、。

もちろん、僕らはジョアンじゃないので、そんな曲芸はしなくても
OK。

それから、ブラジルのジ・ジョルジョというメーカーのギターは残響が少ないのです。
http://sambatown.jp/digiorgio.htm
質が悪いからそうなったらしいのですが。
ジョアンをはじめ、ブラジル人がそのギターを使って弾いていたから
ボサノヴァギターの定義がそうなった、とも言えますね。
高価なギターは、和音を弾いても1音1音がハッキリ聞こえるけれど
ジョルジョのは「まとまって」聞こえる、この点も大きな特徴のよ うです。
だから、ジョルジョを使えば誰でも「そこそこのバチーダ」が弾けて、ボサノヴァっぽい演奏が出来てしまうらしいです。
でも音量には乏しいらしい。年月を経て枯れたもの以外は。

私としてはやはり音量は欲しいのです。
音量があれば、軽いタッチで弾くことが出来るから。
さぁ、音楽人生が終わる前に、これぞ!というギターに会えるでしょうか。



From Salt to Uribossa

ギターサウンドに関しての詳しい解説ありがとうございます。めっちゃよくわかります。

いいギターと出逢うことは本当に幸せなことですね。

ヤイリギターと田村ギター、いずれも個性があって、それぞれによって未熟ながら、
自分の弾き方も変わっているのに気づきます。

その楽器の持っている一番いい音を曲に合わせて出そうとしている自分がいます。
 
自分にはこの試行錯誤がとても楽しいし、「お目当てのギターを貯金して買う」とかではない醍醐味を味わっております。

今日は田村ギターを使いましたが、やわらかくて実に邪魔にならない音色です。とてもいい感じです。ヤイリだと音が立ちすぎる。響かずにカラッと音が立つ。そこが渋いのですが、リコーダーの伴奏向きではありません。


・・・・以上、アホ親父ふたりの、他の人にはどうでもいいようなやりとりでした。

卑弥呼もビックリ

邪馬台国がどこにあったのか?

新井白石や本居宣長などの国学者の論考に始まり、平成の世の今日に至っても、大いに盛り上がる話題だが、遷都1300年だの邪馬台国など、昔のこと以外に自慢の種がない奈良県人としては複雑な感じがする。例の新しい遺跡が発見された巻向は、カナン教会のすぐとなり。最寄り駅JR柳本のひとつ手前。まさに地元中の地元である。仕事で巻向小学校にも行ったことがあるし、知人も多い。

いずれにしても、あれだけの建物が実際そこに建てられていたことは事実で、それが卑弥呼の神殿かどうかは別として、それ自体が面白い。オリンピックの誘致みたいにハズレ都市が肩を落とすこともない。「邪馬台国じゃないその巨大勢力はいったい何だったんだ?」という別の興味が生まれる。

それにしても、あれだけ掘って、毎年毎年まだあちこちからいろんなものが出てくる奈良っていうのは実に面白いところだとしみじみ。

我々はみんな歴史の積み重ねの上に住んでいるわけで、歴史からもう少し有益な教訓を得る必要を感じる。昨日は天皇在位20年のイベントもあったようで、象徴天皇としてのあり方を真摯に追求してきたという挨拶と姿に、ちょっと痛々しいものを感じたりしたが、この国のさままざなかたち、国防のあり方、教育制度、これからの経済や福祉に、不安と怒りは尽きない。

奈良県も多少の誇りと知恵があるなら、アホみたいに「遷都1300年」なんてやってないで、もう少しイキな税金の使い方やこれからの奈良のあり方を考えて欲しいものである。

真贋定かではないのに、知らぬ間に「卑弥呼の里・桜井市」なんていう看板まで立っている。こんな子どもじみた地域エゴに血税を使う感覚には大いに違和感を覚えるこの頃である。

2009/11/12

忙しい人たちとの一問一答集

「忙しい」を連発する人を、私は基本的に信用しない。休まずに活動している時間が長いことを「忙しい」と言うのは何となくわかるが、その人がやりとげたことを見れば、なんのことはないわずかな時間と少しの努力で出来そうなことだという場合が多い。それをたいそうに「忙しい」と自己申告するのは、自分の無能と怠慢を報告しているようなものだ。

「時間がない」などということはない。時間は工夫して産み出すものだ。いろんな隙間の短い時間をつないだり、無駄を省いて作業の効率を上げるだけで、まだまだいろんなことが出来るものだ。

今やっていないことは、結局「やる気がなかった」ということ。例えば、昔あれほど好きだった音楽をやめてしまった仲間に対して思うこと。「その程度しか好きじゃなかったんだ・・・・」

「その気があったのに、○○のせいで出来なかった」という言い訳を重ねることは敗北である。たった一度きりの人生の大半を言い訳で固め、充実感のない忙しさに時間を奪われている姿には全く魅力を感じない。

私は充実感のない忙しさに耐えられるほど、鈍感にはなれないし、忍耐強くもない。退屈なおっさんにはなりたくない。私と真面目に付き合う人は、好き嫌いは別として、少なくとも何かの刺激を受け、「オモロイ」と感じるはず。

では、忙しい人たちとの一問一答集をどうぞ・・・

「Saltさんはマイペースですね」
>「当然だ。そう言うあなたは誰のペースで生きている?」

「Saltさんはやりたいことやってますね」
>「あなたは自分のやりたいことをなぜやらない?」

「Saltさんはよくそんな時間ありますね」
>「誰でも1日は24時間、あなたには間違いなく私より時間がありそうだ。使わないならその時間を私に譲ってくれ」

「Saltさんはいつも全力で生きてる感じがするな」
>「それは誤解だ。メッセージといくつかのこと以外は、ほとんど脱力して適当にやっている」
「Saltさんを小学校の先生にしておくのはもったいないです」
>「それは私を褒めているのではなく、小学校の先生を侮辱することば。小学校の先生は社会的地位や評価よりも遥かに高い職能が必要だと思っている。私なんぞは己の無能さを日々痛感しているというのが事実。これは立位体前屈みたいな謙遜じゃない」

「Saltさんだから言えること、出来ることですよ」
>「確かに人それぞれ、身の丈にふさわしいことというのはある。しかし、私だから言えること、出来ることがあるとするなら、あなたにも『私には言えないこと・出来ないこと』が言えたり出来たりすることがあるはずじゃないのか」

「Saltさんはどうして何でもそんなに自信に満ちて断言できるんですか?」
>「誰でもそれが正しかろうが、間違っていようが、『私はこう思う』ということを言う権利があると思う。自分の判断や好き嫌いを曖昧にする人とは安心してつきあえない。そういう人は、他人を思いやっているのではなく、自分が傷つくのを怖がっているだけなので、私ははっきりしない人間が好きではない。私は出来れば自分を嫌いになりたくないので、勇気を出して意見を表明しているだけのことで、別に自分だけが正しいと思っているわけでもなければ、自分のことばに自信を持っているわけでもない」

「Saltさんの自己満足なんじゃない?」
>「私は理想が高いので簡単に満足は出来ない。自己満足出来ることが最終目標だと言ってもいい。満ち足りて、感謝しても、理想に到達できたという意味での満足はない」

「Saltさんは家族ほったらかしでしょ」
>「そんなことはない。私はどちらかと言えば家庭的な人間だ。帰る港があるから、私は難破船じゃないのだと自分を励ましている。冒険はしても海賊のように人を襲うこともないし、有形無形のお土産はいつも家族のために準備している」

「Saltさんの奥さんが偉いですね」
>「・・・・その通りだ」

2009/11/11

ライブの打ち合わせ

28日(土)に2部制のライブをやることになった田原本のCafé Arcoへ打ち合わせに行く。

田原本は私の実家がある町。
この町で私は小学校5年の2学期から高校までのもっとも多感な時代を過ごした。
Café Arcoの近くを流れている寺川沿いを自転車で走って隣町の高校まで通っていたのは、ついこの間のことのよう。北から自転車通学する最長距離だった。

今も3週に2回くらいは母を訪ね、そのうちの何度かはUribossa氏と練習している。練習場所に実家を選んだのは、Uribossa邸と車で10分弱で往き来できるから。練習を口実に「来てやったぞ」と言わずに定期的に母と逢えるのはありがたい。

Uribossa氏の住む川西町は、田原本町と同じ磯城郡。「奈良を拠点に」と言いながら、Salt&Uribossaとしては、一番の膝元である磯城郡では演奏したことがなかった。

私が今回Café Arco 演りたかった最も大きな理由は、ここは「オーダーメイド家具Sign」の旧工房があった場所だからだ。

さらに、現オーナーは、昔から某NPOでいろいろお世話になった方でもある。いろんなイベントで音響の設備などをお借りしたご恩がある。

Y.B.M氏とのいろいろな記憶が詰まった場所で、きちんと現オーナーを祝福するためにも、今回のライブは避けては通れないものだ。

2009/11/09

学びは遊びで遊びは学び

私は高学年の学級担任になれば、それぞれの教科や領域の学習が、具体的に暮らしのどんな場面で役立つかということについて、ものすごく時間をかけて話す。そうすると多少、子どもたちの学びへのモチベーションが高まるからだ。

しかし、本来学問というものは、実生活に役に立つとか立たないなんてどうでもいいのだ。そうしたことを前提としての妥協ではあるが、子どもをその気にさせなければ、次の価値ある情報は届かないので、オリエンテーションには配慮する。

その上で、さらに数倍の時間とエネルギーを注いで、「数式の美しさ」や「ことばの不思議」など、学ぶ内容それ自体の魅力について、各単元の中で、力を込めて伝える。その中の多くはこぼれ落ち、流れて、消えてゆく。それでもいい。しかし、豊かさとはこうした無駄の蓄積のことなのだ。何より、私はそうしている方が楽しい。

つまらない先生のくだらない授業のせいで、子どもを「○○嫌い」にさせてはいけない。

最近読んだ河合隼雄氏の本に「日本の先生は、基礎基本を定着させようとして、○○嫌いを作っている」と書かれていた。ズバリ核心をついている。

「教える」ことは、知識の切り売りではない。「学ぶ」ことの動機が、学校に入るためや肩書きをもらうためであってはならない。

人は不思議に思うから追求し、興味があるから覚えてしまうのだ。「強いられること」「値踏みされること」は、誰であれ何であれ不愉快で苦痛だ。それは子どもも大人も同じ。

こういう制度の中では、敗者や落伍者が生まれるのは必然。かなりの数の子どもたちが、システム化された教育の中で、プライドをズタズタにされて学校に背を向ける。学びには敗者や落伍者などないはず。

落ちこぼれ、いじめ、不登校、中退者をこれだけ出しておきながら、学校における「学び」の本来的なあり方に対する見直しの議論はほとんどなされない。

先進国の学校が、産業革命以降、社会に必要な労働者にふさわしい人材(時間に遅れない・
正確に作業に従事する・雇用者に搾取されても気づかない)すなわち、「真面目な馬鹿」を大量生産するシステムとして機能してきたことを、私は中学生の時に見破っていた。私は馬鹿らしくなってこのレースから飛び出した。

高校1年のとき、「オートメーション」という学校批判のハードロックを歌った。「教科書どおりの生徒の大量生産は楽しいかい?」という内容だ。私は誰にとっても、都合の良い部品にはならないと誓った。

その後、高校中退で音楽を志すはずだったが、訳あって逆オフコースして教員になり、「学校」という万人が通過するシステムや、「学び」という人の一生の課題と向き合うことになった。これは決して愉快なことではないが、私の一生をかけての行である。

私にとっての教育の目標は、自立する精神を持った個人を育て、その上で協調し相互に補い合う力を培うことだ。そして、各自が細かい違いを味わい、創造的に人生を楽しむ術を知ることである。

○と×、「好き」か「嫌い」かのデジタル思考には、柔軟性も繊細さもない。「どちらでもない」という本来一番豊かなはずの幅広いグレーゾーンを存在しないものにすれば、不寛容で頑な感性しか育たない。

「なぜ」「どうして」をゆっくり考える時間を与えず、効率よく紙に書く「答え」を出すことばかり教える傾向には断じて抗いたい。立ち止まることを許さず、取りあえず動いてさえいればいいという誤魔化しの躍動感には、可能な限り物申す。

可能な限りというのは、哀しいかな、「不可能」な場面も少なくないからだ。

ただシステムの中で、ただ「うまく立ち回ること」を教えたくはない。勝者の定めた偏差値に振り回される劣等感を、エリートの優越感以上に嫌悪する。

「新しいもの」に触れるドキドキ感や「おもしろいこと」を追求するワクワク感があれば、学ぶことは全ての人にとって楽しいものであるはず。

その結果を誰かに値踏みされる余地を与えない喜びを持てば、煩わしいことから解き放たれるのではないか。

「よく学び、よく遊べ」ではない。「学び」と「遊び」に線を引くから、「学び」がつまらなくなる。「学びは遊び、遊びは学び」でよい。楽しく学んでいる人は、学びを遊び、豊かに遊んでいる人は、遊んで学んでいる。

2009/11/08

分かち合い

今日の礼拝はSaltによるメッセージなしの分かち合い。各自が平素のみことばによる養いと日常の中で受けた恵みを分かち合うかたちで礼拝する。

キリストの誕生を祝って東方からやってきた博士たちは、「黄金」「乳香」「没薬」を携えてきてそれを捧げた。「何かもらえる」と思って旅をしてきたのではなく、捧げ、拝するために参じたのだ。

そこには、しるしも不思議もなかった。普通の赤ん坊が厩に寝ていただけだ。

その何もないことこそしるしと不思議であることを彼らは知っていた。神の栄光のあり方を捨て、普通の庶民の子どものごとくお生まれになった方の中に、恵みとまことの実現をみたのである。

「黄金」「乳香」「没薬」は、それぞれに神の「栄光」「人格」「死」を象徴するものと言われている。クリスチャンは、ともに集まるときに、イエスに関する「栄光」「人格」「死」を証しなければならない。

博士は「手ぶら」で来なかった。彼らは準備したのである。もちろん、捧げものによって受け入れられるわけではなく、その質を競い合うためではない。

しかし、今日、異なる動機で参集する者が何と多いことだろう。

今年のクリスマスはどうしようかと皆で話し合いながら、世界ではじめのクリスマスを思っていた。

ちなみに20日(日)は休みにして、今年は23日(水)にクリスマス会をすることになった。夕方から場所を変えて夕食会。参加ご希望の方はどなたでも交わりに加わってもらってかまわないので早めにSaltまで連絡を。昨年のこの交わりが、Koji&Takoの結婚への滑走路となったのだ。

「いやあ、早いなあ」月日が経つよりもKojiのスピードに驚く!(「手がはやい」と書いて打ち直したけど、やはり括弧つきで表記します・・・)ハレルヤ!!

2009/11/07

至福の時間

11月、12月のライブに備えて、Uribossa氏とともにsound –labo「童」にこもって練習。午前中に「風のメロジア」全曲を曲順通りに演奏する。急にお客さんも来られたので、いい緊張感の中で練習できたし、来られた方々もそれぞれに満足して帰って行かれたようだった。

昼食を挟んで夜10時まで。これまで演奏してきたあらゆるレパートリー新曲など、あれやこれやと試しながら、歌い続け、弾き続け、休憩なしでほぼ9時間。午前の部とあわせると10時間。まさにミュージック・ハイ状態。

お互い忙しい中でひねり出した共有時間だけに、非常に贅沢な一日だった。音楽三昧は私にとっては至福の時間。

【ライブ案内】
11月28日(土)Salt&Uribossa 「風のメロジア・発売記念ライブ」
(第1部)18:00~18:45  (第2部)19:15~20:00
奈良県磯城郡田原本町阪手208-3 Café Arco(カフェアルコ)
0744-33-5899

2009/11/06

生糸

金曜日は、毎朝「おはボン」が流れる学校にいる。その学校で放課後、教頭先生の特別授業があった。教育実習生が最終日と言うことで特別に行われたもので、私も顔を出す。

繭を紡いで生糸を作るという授業。ビーカーに水を入れ、アルコールランプで熱し、繭を煮る。割り箸の先で繭を転がすと、ひっかかってくる糸がある。まさに「糸口」が見つかるわけだ。これを30cmの黒い板に巻き付けていくという作業。

綿を紡いだことはあるし、蚕に繭を作らせたことはあるが、生糸を紡ぐのは初めての経験だったので興味深かった。注意深く見つめないとほとんど見えないほど細い糸である。これが、切れることなく延々と黒い板に巻き付いていく。

回数をチェックして計算すると、軽く1kmを越えた。1匹の小さな蚕がつくる1つの繭からこれほどの長さの生糸がとれるとはビックリ。事前に実習生が予想した「運動場1周分ぐらい」という予想を大きく上回った。

シルクロードのターミナルでもあった奈良であり、生糸の生産が日本の産業の中心であった時代もある。裏側には哀しい歴史もあるが、今はちょっと置いておこう。

この単純な実験で思うことは、蚕というのは何とすごい虫なんだろうということ。小さな虫がどれほどの回数、その醜い身体をよじりながら、何のためにこれだけのものを作ったのだろうということだ。自然の神秘などという陳腐なことばで住まされない創造主の奥義がある。

カイコは天の虫であり、その糸は生きる糸である。その糸で作られた絹で、日本人は着物を作ってからだを覆って来たのだ。

レーヨンを「人絹」など呼ぶのは面白い。「人権」を揶揄する洒落ではないのだが、人造のものは、「それなり」ではなっても「別物」なのだ。

ユニクロ全盛の時代、生糸の美しさに感動した。

2009/11/05

Saltの反哲学的断章③ 反転する世界

ことばの空転。情緒の繊細さも、痛みのかけらもない鉄面皮な美辞麗句。

立ち止まり振り返ることを知らぬ目的地を見失った前進。

個人を顧みない錆び付いたシステムの謎の滑らかさ。

症状の改善など全く期待できない永遠の無自覚。

冷たく絶縁されるコミュニケーション・・・・

私には居場所がない。

何処にも安息の場所などないし、人の承認の中には、私の存在価値も生き甲斐もない。この世は私にふさわしい場所ではない。賞賛も批判も等しく無視するに限る。そして、そのような感覚こそ正確な評定であると信じる。

人を呪うことはすり替えに過ぎない。忌むべき堕天使に与えられた一時的な力を笑え。

キリストがこの世の為に死んだのでなければ、世界には何の価値も見いだせまい。キリストが確かに甦ったのでなければ、生きる意欲など何処からも出て来はしまい。

虚無は重量を持たない。それがずしりとこの身に重くのしかかるものであるなら、負けじと踏ん張ることも出来たろう。

軽すぎる。しかも、踏ん張る足場も見い出せない。となれば、堕ちていくのは摂理である。しかも、私が堕ちていくのは己自身の罪の重さによる。決して虚しい世界のせいではない。そのことを良く知っている。多くの人生の真摯な探求者が生きながらえる意味と本当の救いを見出すことなく、自ら命を絶つのは理解できる。

私も又、世界の軽さと己自身の罪の重さのゆえに深い闇へと沈んでいくのである。

しかし、驚くべきこと、感謝すべきことは、さらに闇の深いところで、キリストが私の堕ちてゆくからだを受け止めるべく先回りしておられるということ。

この身を受け止められた確かさ・・・・これほど力強い証はない。ここにのみ逃げ場があり、ここにこそやすらぎがある。

この虚無を見つめながら、しかもいきいき生きている人間こそ、「新しい創造」の中を生きている人である。

私が今生きているのは、まさにイエスの復活による。「私がイエスを信じる」からでさえない。「イエスの信仰」の中に、「イエスのいのち」の中に、私自身が取り込まれた結果に過ぎない。私には誇れるものは何もない。しかし、生き方には誇りがある。私が経験したこと、味わっていることは、極めて重要で価値のある情報だと思っている。

十字架を中心に反転する世界の真実が、この虚無の世界に散りばめられている。死の影に確かな復活の兆しが見え隠れしている。

まずはこの世界の嘘を見破り、とことん絶望すること。そして、イエスのことばを曇りのない心でそのまま受け取ることだ。

然るに、この世に媚び、すがり、自分の可能性に希望を見出すための福音は、最も恥ずべき嘘である。

2009/11/04

陽だまりの猫

昨日は各地で雪が降ったようだ。いつもは布団に入ると数分で眠りにつくのだが、昨夜は寒すぎてなかなか寝られず、敷毛布(電気毛布じゃない)を出した。私の住むところは、夏場は非常に涼しくて快適だが、冬場は朝夕の冷え込みが厳しい。

これから、この調子で寒くなるのかと思って覚悟を決めたが、今日は日差しもあって穏やかな日になったので少しホッとした。

今年は徘徊業なので、何処の学校へ行っても「ここ」と定まった居場所がない。勿論机があるにはあるが、電話のそばだったり、出入りの多い通路の横だったりで、どうも気が散って落ち着けない。これまでは自分専用の仕事場が与えられていただけにこの変化はキツイ。

水曜日は徘徊なしの空き日。月、火のまとめや木、金の準備に当てることになっている。そんな徘徊じゃない自校勤務の日の居場所として、図書室があることに気づいた。図書室は本がいっぱい。そして学校の中では唯一静けさのある場所。図書室の背中から陽があたる一画に陣取ってそこで仕事をすると能率は何倍もアップ。お昼に近づくと太陽も移動する。南に面した通級教室の空き時間にはそちらへ避難。これからはこのパターンでいこう。

秋冬の陽だまりの「明るさ」や「あたたかさ」は、心とからだに沁みてくる。陽の傾きに合わせて猫のように場所移動。水曜日は太陽のありがたさと猫の偉大さをしみじみ味わう日である。

2009/11/03

文化の日は掃除の日

やることがやたら多い私の部屋は、いつもあまり美しく整頓されているとは言い難い。

だいたい出したものを完全に片付けないままに次の作業にうつるから部屋が散らかるのである。そんなことは百も承知だが、そう簡単にはいかない。実際、何かやり始めると、そんな約束事はすっとんでしまう。

好奇心旺盛で面白いものを集めて来ては、ものを捨てられないタイプなので、わけのわからないもので溢れかえっている。大きな屋根裏部屋もあるのだが収まり切らず。

アトリエとスタジオと書斎がそれぞれあればもう少しすっきりするのだろうが、3人の子どもにもそれぞれに個室を与えているのでそういうわけにもいかず。

10月は特に忙しかったので、散らかり具合も限界に達したので覚悟を決めて、ひたすら部屋の掃除に取り組んだ。と言っても、片付けながら遊び、遊んでは片付けしているのでなかなか終わらない。結局散乱しているものは何処かに収まったものの、まだまだ綺麗になったとは言い難い。

職場のデスクや工房は仕方なく片付いているので、やれば出来ないことはないのだ。特に某研修団体の事務局長の仕事をやってからは、かなり細かい整理整頓が身についた。これには自分でもびっくり。追いつめられると何とかなるものだ。

さて、今日はこれくらいにして、年内にもう一度大掃除をしよう。

2009/11/02

人間関係のスタンス

そばにいても遠くに感じる人がいて、遠くにいても近くに感じる人がいる。

毎日会っていても全く気持ちが通じない人がいて、滅多に会わないのに瞬時に意気投合できる人がいる。

顔を見ただけで気分が悪くなる人がいて、名前を想い出すだけで元気が出てくる人がいる。

頻繁に合っていても記憶に残らない人がいて、数えるほどしか会ったことがなくても忘れられない人がいる。

「出逢い」がさらに新しい「出逢い」を生む。一度きりの関係もあれば、ずっと続く関係もある。もちろん、悲しい別れもあるが、私は来る者は拒まないし、去る者は決して追わない。ずっと続く関係は、努力なしに続いていくものだと思っている。

私は、神様の恵みによって、良き出逢いを与えられていると思う。所詮一人の人間が一生に経験することなどささやかなものではあるが、いろんな方との出逢いと人間関係の中で織りなされる図を見るのは楽しいものだ。

おそらく、すべての人に多くのチャンスが与えられていると思うが、気づかないまま通り過ぎたり、無理に追いかけたて失ったりしていることもあるだろう。

私が人間関係において大切にしたいポイントは以下の7項目。

①一定以上の共有できることばや体験があるということ
②それぞれが価値を認めるものを互いに理解しあえること
③干渉しすぎないこと
④依存しないこと
⑤高め合えること
⑥分かち合えること
⑦相手に要求しないこと

この7項目の過半数を満たしてくれる人は少ない。1項目も満たしてもらえない人は、どうでもいいので、ものすごくテキトーに付き合っている。

仕事や役割は別として、私は誰の「先生」でもなく「生徒」でもない。自分が楽しいと感じれば、多少の無理をしても引き受ける。でも、それはあくまでも「自分が楽しむ為」であって、それ以上の価値を自分では計算しないことにしている。

信仰がある人だろうが、ない人だろうが、男だろうが、女だろうが、障害のある人だろうが、外国人だろうが、年寄りだろうが、子どもだろうが、私のスタンスは変わらない。誰の為にも自分を犠牲にする気はないし、そういうのは偽善だと思っている。

私は誰にも媚びないし、「何か」の為に「誰か」との関係を利用することもしない。未来に備えて名刺を配ることはない。自分が良いと信じるものでも、絶対他人に押しつけたりはしない。ただ、静かに自分のよって立つところは明らかにし続けるだろう。

私の中では、良いものは明らかに良く、忌むべきものを好む姿は醜悪だ。面白くない奴とは長くは遊ばない。

立派な人にはなりたくないし、なれそうもない。

犠牲は十字架が100%であって、私はそれに何も加えることが出来ない。「復活の喜び」をただ喜ぶだけである。

2009/11/01

11月のお楽しみ

盛りだくさんの10月を終えて、秋も深まり11月。

11月は食べるものも美味しく、身体も頭も冴える季節。

4人の新任たちの研究授業も順番に行われ、私の指導の真価も問われる。勿論、私の指導なんぞ当人たちの成長の大した割合しか占めてはいないが、それでも自分なりに喜んだり、がっかりしたりという場面はあるはずだ。

教会のメッセージは、今年は分かち合いを挟んでほぼ隔週で行っているが、今日は「ひねくれ者のための聖書講座⑧・聖書を構造的に読む」というテーマで話した。emiさんが早速upしてくださっているので興味のある方はどうぞ。

来週8日はメッセージなしの分かち合い、15日は「ダビデの生涯と詩編⑪・ダビデとアブシャロム」を予定している。22日は休み。29日は吉野で集会を持つ予定。

元気村リコーダー講座は14日。さらに古典の名曲や新曲オリジナルをメニューに加え、いっそう充実させる予定。23日には「秋じまい祭」。今年は工房「童」としては特に何も予定していないが、当日は元気村にいるだろう。

28日には、「風のメロジア」発売後、Salt&Uribossaとしては初のレコ発ライブも待っている。ふたりの膝元でもある磯城郡田原本町「アルコ」での演奏だ。練習も3回予定。7日の土曜日は元気村で一日合宿。これも楽しみ。

そして、11月22日の結婚記念日(この日はいい夫婦の日)には、新婚夫妻ともに四国うどんツアーを予定。丸亀に宿泊予定だが、猪熊弦一郎美術館にも期待している。読者には四国在住の方もおられると思うが、もし、おいしいうどん情報はじめ、香川県のおすすめがあれば教えていただきたい。salt@kcn.jpまでヨロシク!

30日には多分、Uribossa氏と一緒にタンゴも聴きに行く。クアトロ・ビエントス(いかるがホール18:30~)

こうして月初めには、スケジュールを確認するのだが、既に今わかっているだけでも、けっこう盛りだくさんだなあ。

今回の伊勢・志摩岬めぐりの旅で、絵に関してもちょっとした創作意欲が湧いたので、久しぶりに何か描いてみようかなとも思っている。

2009/10/31

岬めぐり

ちょっと理由(わけ)があって海へ。

奈良は海がないので、波の音を聞くだけで嬉しくなる。私の歌には「風」や「波」や「光」が「土」(大地)が頻繁に出てくる。人というのは、そういう神様が無償で与えてくれる恵みに浴して生かされているのだ。

昔から、海岸線を走るのが好きで、地図の輪郭をなぞるように時々に走り回ったものだ。

今回は伊勢志摩のふたつの岬をめぐる。安乗崎燈台、大王崎燈台は、外から眺めるだけでなく、中に入って上まで上れる。「東大」にはなかなか入れないが、こちらの「燈台」は誰でも200円出せば入れるので行ってみよう。

陸地の端っこで、暗い海を照らして、航海の安全を守る燈台は格好いい。まさに人知れず輝く「世の光」である。

安乗崎燈台は、映画「喜びも悲しみも幾年月」のロケにも使われた燈台で、通常の円筒形ではなく、四角いそのデザインが面白い。大王崎燈台は、絵描きの町「波切」に突き出た地球の丸さを体感できる絶景ポイントにある。いずれも、ひなびた感じが何とも哀愁漂って旅心をくすぐってくれる。

私も燈台みたいに、風と波の音を聴きながら、端っこでまっすぐ立っていよう。

2009/10/30

北からのさわやかな風

北見の姉妹たちがブログを開始された。

たかちゃん  http://blog.goo.ne.jp/momiji1948

のりちゃん  http://blog.goo.ne.jp/senachan_2009

日常の何でもない発信の中にキラっと信仰が光る。これが大事。

勿論ネット上で証をすることだけがすべてではないが、自分の体験(受けた恵み)を言語化すること、また、誰かと分かち合うことはすばらしいことだ。

未だ受け身のみの方は、彼女たちに刺激されて、是非自らも情報の発信者となろう。

2009/10/28

飽くなきギターサウンドの探求

高価なギターだからいい音が鳴るわけじゃない。勿論高価なギターは材も良く、作りの精度も高い場合が多い。しかし、値段と音色は必ずしも比例しないし、同じギターでも弾き方や音づくりによって、実際ギターから出てくる音はずいぶん変わる。そこに面白みがあり、資金不足のSalt&Uribossaが入り込む余地が生まれる。

ギターは年月を経て、弾き手や環境によって変化していく。トップが杉材(シダー)のものは作られた時が最も良い音で、年を重ねるごとに響きは鈍くなるが、松材(スプルース)のものは数十年の年月を経て一番良い音になると言う。もともとギターの材にするために選ばれ、それを何十年も乾燥させたものが、ギターのかたちになって数十年。

しかし、ただ放っておけばいいというわけではなく、楽器として演奏されることでボディが振動し、長年の間にヤニなどの不純物が少しずつ抜けていくのである。こうして、名器はギター制作家だけではなく、演奏家との共同作業によって息が吹き込まれるのである。

ネックのかたちや厚みや木の質感などの触った感じ、音の立ち上がりや残響の長さといった音色の細かいニュアンス、低音と高音のバランス、楽器全体の重さ、全体的な弾きやすさや心地よさそしてデザインは、1本1本すべて違うということになる。

特にボサノヴァに適したギターは、本格的なクラシックギターのように、必ずしも音の響きが深いものである必要はない。響きすぎるよりは、音の立ち上がりが早く、残響は短めの「キレ」のあるもの方が良いのだ。だから、稀少材を使った総単板でないと駄目というようえわけではない。むしろ、渇ききった合板などが響く何とも言えない音色が、妙な味わいを醸し出したりするのである。

私が最近よく使っているのは、S.Yairiの矢入貞夫氏の手工品で1967年製のもの。これに剥き出しのピックアップをテープで貼り付けている。

そして、何より大切なことは、その楽器から産み出される音楽の質である。良い音でくだらない音楽を奏でることは一番情けない。まず作りたい音楽があって、それから楽器の品定めという順番が正しい。そして出会ったギターと遊びながら、自分の音を作っていく。

ただのギターコレクターとすぐれたミュージシャンは違う。そんなプライドをもって、ミュージシャンとしてのギター選びと音づくりにこだわりたい。自分にジャストフィットする1本と出会うまで、まだまだ飽くなき探求は続きそうだ。

2009/10/27

SAORIマルシェ

SAORIマルシェ2009に参加。ここ数年のあいだにいろんなかたちで物凄い数の方々と関わって来て、本当にいい出逢いをさせてもらったんだなあ・・・としみじみ。正直、私は演奏のこと以外はあんまり頭になかったのだが、改めて音楽以外、音楽以上の感動をたくさんいただいた気がする。

気がつけば、さをり織の関係者や八尾市の福祉施設の関係者、そして何より障害のあるなかまたちと顔なじみになって、みんなが笑顔で親しみをこめて声をかけてくれる。「ひまわり作業所」のみなさんとは2年ぶりの再会だったが、「ひまわりのうた」はもちろん、私のこともよく覚えていてくれて、リハーサルの時から、雰囲気はものすごく良かった。声の出にくい方も、ぴょんぴょん飛び跳ねたり、ことばの出にくい方も、声を出してメロディを追ってくださっていた。何より一人ひとりの歌う表情がとてもすばらしかった。

今日の為に準備したMomoちゃんのピアノアレンジも最高、そして、全体の進行や、音響も良かったので、かなり満足度の高いイベントとなった。

今日はどうせ切りっぱなしになるので、携帯を持たずに出かけたのだが、帰宅して携帯をチェックすると、Y.B.M氏から第2子誕生の知らせが入っていた。3560グラムの女の子!おめでとう!!

2009/10/26

図書館で考えた

最近はほとんど時間がないのでとんと回数が減ったが、図書館大好き人間の私は、しばしば桜井、天理、田原本、橿原、そして名張などの図書館に出没する。

昨日も閉館ギリギリの時間に滑り込んで10冊の本とCDを返却。あらたにCDを2枚借りた。

貸し出し手続きをしながら、私が図書館を好む理由を考えてみた。

まず、図書館は静かなのがいい。私はBGMを聴き流せない体質なので、気に入らない音がかかっているとかなり気が散り、気分が悪くなるのだ。そして、全く人の話を聞かなくてもいいし、喋らなくていい。私の仕事の大部分は人の話を聞いたり、意味のあることをきちんと喋ったりすることなので、コミュニケーションが完全に絶縁させる時間を保つことは、健康のために絶対いいのだ。

さらに、図書館はお金がかからない。もちろん交通費はかかるが、その方面についでのある時以外は絶対寄らないので、余計な経費は一切かかっていない。地球にもちょっとやさしい。正確に言えばお金がかからないというのは間違いで、図書館は私も税金というかたちで資金協力している。税金を使って建てられた施設は、ちゃんと利用してその内容をチェックしなければ。源泉徴収されている者としては、最大限利用して権利を行使しようと思うのだ。

ついでに本がある。当たり前だ。しかし、あんなたくさん本があるのに、私の借りたい本はないときが多い。それでも、ほとんど自分には興味のない分野の本があふれているのも悪くない。私はいつも一番読みたい本とともに、どうでもよさそうな大して読みたくない本を借りる。私の場合は公私ともにアウトプットが激しいので、本に限らず、常に一定以上のインプットは必要だ。現代は、本なんか一切読まなくても、グーグルで何でも検索できる世の中だが、本から得る情報はまた質が異なる気がする。私は本という媒体が好きなのだ。装幀や紙の質や色合い、フォントやレイアウトなど、本には細かい意匠が詰まっている。料理が栄養の固まりではないように、良い本は、単なる情報の固まりではない。情報を得たくなるように巧みに皿に盛りつけているのだ。

私は単純に読書を勧めはしない。「書を捨て町に出よう!」というタイプだ。さらに「読書なんて他人の頭でモノを考えてもらうことだ」とも言えなくもない。

それでもなお本を読むことによって得られるものは、失うものより遥かに多い。たくさん読むことより、良書を選んで深く読むことが大事だ。内容を記憶することより、その本をきっかけに自分で考えることが大事だ。情報をどのように束ね、繋ぎ、自分の中へ落とし込むか。そこに鍵がある。

そして、最も重要な本はバイブルである。聖書は世界中のあらゆる本にある情報にまさる情報である。図書館にも聖書は置いてあるが、本当は聖書の中に、世界中の図書館も世界さえもが収まってしまう。多くの良書を本当に読みこなす力があれば、聖書がそれらとは全く別次元のものであることは必ずわかる。「信じるか、信じないか」という崖っぷちに立つ程度までは行き着くことになっている。

2009/10/25

Next one is my best!

27日(火)は、イトーヨーカドーの「SAORIマルシェ」というイベントにOz-May名義で出演する。本来は平日の参加はあり得ないのだが、徘徊先が社会見学のため私は一日失業。(規定では、指導内容や旅費の関係で指導教官は同行しないことになっている)

最初に出演オファーが来て、念のためスケジュールを確認していると、見事にその日がバッチリ空いていた。そんなわけで、誰にも迷惑をかけず仕事を休める条件が整っている。それも土曜日の代休日にも私は他校で仕事をしていたので、年休ではなく振休扱いでの休暇。名目は疲労回復なのだが、私は全然疲れていないので、楽しく元気に演奏しようと思う。

リコーダー講座から生まれた音楽実験ユニットOz-Mayも、この半年の間にいろんなチャンスを与えてもらっている。これは、Momoちゃんも私も予想外のこと。

すーちゃんとのユニットSalt&Vinegarが先にあったが、お月見ライブの依頼が来たので、合体コラボTetraを正式に結成。(5月には、奈良県庁前でも3人での演奏もあったが、あの時はまだ今のようなかたちではなかった)

「こんなに面白くていいのかな」と思うくらい、「これでもか」とチャンスがやってくる。10月は3回のライブ。しかも全部違うかたち、違うプログラムでの演奏だ。ただその日に出演するだけでなく、その為に練習したり、曲を準備したりするモチベーションになるのがいい。

生きていることは、基本的に面白い。毎日が面白いので創作のネタは尽きない。あの事もこの事も音にならないかなと思う。技術を維持し高めるためには努力も必要。活動を続けるためには時間が必要。時間は工夫して産み出すもの。「忙しい」と「しんどい」は禁句。

ひたすら楽しく、さらに良いものを目指そう。Next one is my best !・・・と常に言えたらいいなあ。

とき 10月27日(火) 10:30~19:00
ところ アリオ八尾・イトーヨーカドー1Fレッドコート(近鉄大阪線八尾駅近く徒歩5分)
内容 音楽、さをり織体験、作品展示・販売 
Oz-Mayの出演は、13:00~ (40分程度)

音楽の力

土曜は出演者、日曜日は参加者として、ふたつのイベントと関わった。ふたつともしっかりしたテーマで熱意をもって運営されていた。いずれも音楽のみのイベントではないが、音楽がメイン。

土曜日のイベントでは、自分の現時点での力量と今後の可能性を再認識し、改めて「音楽の持っている限りない力」を感じた。

「音楽の力」が正しく共有されるためには4つの要素がある。

①楽曲がすぐれていること。
②演奏者が楽曲の良さを十分引き出して演奏すること。
③PAが楽曲と演奏にふさわしいセッティングで音を作ること。
④聴き手が期待と静けさをもって演奏される楽曲を受け止めてくれること。

この4つがすべてそろって最高に気持ちのいい時間が流れるということは、実はそれほど多くはない。

2009/10/23

明日、明後日のイベント案内

明日は名古屋で演奏する。名古屋を拠点に活躍するバンド「プライナス」の川名君が参画する「芸術・福祉・食育」をテーマにしたイベントへの出演。

名称  あいうえオノマトペ
テーマ 芸術・福祉・食育
とき  10月24日(土) 11:00~17:00
ところ 日本聖公会マタイ教会(名古屋市北区平安1-7-20)
費用  前売1500円 当日2000円(500円分の食券付)

一人での演奏は久しぶり。プライナスや彼らのなかまと会うのも楽しみだ。

http://onomatopee.jp/【あいうえオノマトペ広報サイト】
http://prinus.net/【プライナスオフィシャルサイト】

♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪   ♪ 

明後日は、仕事で「沢知恵(さわともえ)さんのピアノ弾き語りコンサート」が楽しみだ。以前、同イベントでの姜尚中氏の記念講演についてはご紹介したが、毎年ゲストの講演やパフォーマンスは非常に内容が濃い。

しかし、「ゲスト呼んでおしまい」ではなく、夜間中学が発信の主体となって、きちんとテーマをもって運営されているのがすばらしい。是非、夜間中学生による作文発表や詩の朗読を聴き、展示に触れていただきたい。

名称  てんりのやかんちゅうがく・第13回文化祭
テーマ  ~わかい人らにはつたえたい~せんそうはぜったいにいらんよ
とき  10月25日(日)13:30~16:00
ところ 天理市立丹波市小学校体育館
費用  入場無料 

いずれも、興味のある方はSaltまでご連絡を。24日は200名、25日は500名程度のキャパがあるので、いきなり参加もたぶん大丈夫。

http://www.comoesta.co.jp/【沢知恵オフィシャルサイト】
http://listen.jp/store/artist_1006086.htm【沢知恵ダウンロードサイト】

「おはよう・ボンジュール・ハロー」で始まる朝

金曜日の行き先は、私が講師時代に勤め始めた懐かしい学校。校長先生は元空手家で、全く管理する気のない管理職。常に子どもをおもしろがり、教育を楽しんでいる人。他にも馴染みの先生たちもたくさんいて、現場は大変なんだけど、その大変さのわりには、なぜかそんなに辛さを感じない不思議な学校。

実は、この学校では、毎朝Salt作の「おはよう・ボンジュール・ハロー」が流れる。子どもたちの明るいざわめきが混じって、校舎や運動場に音楽が響く。なんだかとってもいい感じ。「おはボン」をBGMに、「おはよう」の挨拶を交わす。自分が作ったとは思えないほど爽やかな曲に思える。

現在いろんなところで使ってもらっているこの「おはボン」CDは、最初に録音したの丸山祐一郎プロデュースのものではなく、4年前に再録音したMamu&Salt名義のものだが、さらに2テイクはレコーディングしたいと思っている。ひとつは、Salt&Uribossaのボサノヴァ・バージョンで・・・・これはUribossa氏とのユニット結成のきっかけになった記念のアレンジでもある。もうひとつは、子どもたちの歌声で・・・・笛吹きの野田さんがくれた「この曲は子どもたちの声で歌わさなあかん」というアドバイスは、そんな気持ちを後押ししている。

「おはボン」が出来て今年で9年になるが、本当にこの曲のおかげでいろんな出逢いがあり、数々の忘れられない思い出をもらった。

この曲を公に初披露した子どもたちのステージでは、ゲストで「ウルル」を迎えた。そう言えばあの日、助っ人で押尾コータローが参加していた。彼もその頃は全く無名だった。

私の場合は今後も有名になる予定も意欲もないが、この「おはボン」に関しては、もっと多くの人たちに届けたいと密かに願っている。作った当初はそんなに愛着もなかったが、最近改めて、この曲が紡いでくれたドラマの豊かさに感動している。常にNext OneこそNo1だと信じている私は、演歌歌手の十八番のように歌い続けるなんてことはないが、ずっと大事にしていきたい曲ではある。子どもたちの歌声で、NHKの「みんなのうた」に取り上げてもらいたい。

「おはボン」は出逢いの曲。私と見知らぬあなたとの間の合い言葉なのだ。

甦ったイエスが、最初に語られたことば、それが「おはよう」だ。そう。「おはよう」は復活のあいさつ。でも、あえてヘブル語のシャロームは使っていない。このあたりがSaltの塩加減。私はいわゆる聖歌、賛美歌は苦手なのだ。

2009/10/22

45分のドラマ

小学校では、頻度や程度の差はあっても、毎年、教科やテーマを決めて授業研究を行っている。代表の教師が授業を提供し、それについて全職員が感想を述べ合ったり、専門家の指導を受けたりするのである。

一般的には外部に非公開で校内だけで行われるが、市町村、都府県の教育委員会や文部科学省の指定を受けて、公開される場合もある。公開の規模が大きくなると、余計な雑務も増えるが、そこそこの予算がつき、学校の教育環境全体を嫌でも見直さざるを得ないので、カンフル剤的な刺激にはなる。

この「授業研究」の質が、実はその学校の「子どもたちの学びの質」と見事にリンクしている。もちろん、授業を作るのは各クラスの子どもたちと指導する担任教師だが、学校全体でレベルアップしていくということは事実としてある。

努力や探求がなくても、授業は時間割とともに流れてはいくが、気合いを入れ、魂をこめれば、授業の45分は驚くべきドラマを生む。優れた授業実践によって子どもは磨けば、教室は宝石箱のように輝くが、放っておけば瓦礫の山と化す。私自身も、子どもたちとともに学ぶ45分の中で大いに磨かれた気がする。

私の所属校の校内研修が変わりつつある。これは非常に画期的なことだと喜んでいる。私自身これまで相当退屈していた時間がけっこう面白いものになってきた。その方法を紹介したいと思う。

授業の参観者は、自分が担当する子ども2人だけを45分間集中して観察し続ける。その子が挙手して発表したことを記録するだけではなく、細かい表情の変化やつぶやきを、事実に基づいて時系列でメモしていく。その子がどんな様子だったのか、どんな気持ちだったのか、どこで学びが成立し、どこで途切れたのか。自分の考えをどんな風に伝え、友達の考えをどんな風に聴いたのか。どんな情報のやりもらいをし、すりあわせをして、何をつかみ、45分の中でどのように変容したのか。その事実を元に、参観者全員が必ず発言するというものだ。

こうすると、指導者の授業の上手下手という技術に関連したことが、議論の中心になることはなくなる。勿論、指導者の動きや発問、具体的な支援の方法についても述べられるが、あくまでも「子どもの学び」が中心に語られるので、たとえ失敗が明らかになっても、指導者が無駄に傷つけられるということがなくてすむ。

これまでの一般的な研究協議では、発言力のある人がその授業について一定の評価をしてしまうと、それと大きくはずれた意見は言いにくくなってしまうものだ。職員同士が互いの過去の経験や人間関係に気を使いながら発言するということが多い。そんなわけで、一言も発言しない人もいれば、何度も長く喋る人もいる。これは、どんな職場の会議でも同じだろう。

一般に教員というのは、それぞれにそこそこプライドも高く、まずまずの気遣いの出来る人たちなので、あからさまにどぎつい発言することはほとんどない。特に身内でやる研修会ではそうである。その代わり、失敗や問題点の原因を探求するとなると、不必要な遠慮やねぎらいで本質がぶれてしまうことが多い。

しかし、一人が子どもふたりについての45分を語り出すと、そこにあふれるのは、子どもについての事実である。話が途切れることはなく、自分以外の全ての発言が自分の気づけなかった細かい情報になるので、ものすごい情報の質と量になる。個人に向けられた教師のまなざしは、概ね善意とやさしさに支えられているので、同じ事実でも肯定的な表現で授業のドラマの細部が浮かびあがってくるのである。

良い授業を経験し、子どもの笑顔が輝くと、小学校に勤められて本当に良かったと思う。

少し前に、NHKが取り上げた「10歳の壁」という教育問題に触れた。もう少し前に村上春樹氏の「壁と卵」のメタファーについてもコメントした。

壁というのは、壁の両側にある「世界」を隔てるものである。両側に「世界」が無ければ壁の存在に意味はない。

壁の両側の「世界」は本来一続きであるべきものが何らかに理由によって隔てられているのか。それぞれの「世界」の異質さのゆえに、そこに壁という境界線を作らざるを得ないのか。

壁の向こう側に何があり、壁のこちら側に何があるのか。また、壁を構成する要素は何なのか。壁を構成するのは硬くて四角いブロックではなく、もろくて丸い卵ではないのかという問題にも、もう少し踏み込んで考える必要がある。

「10歳の壁」という場合、その壁は誰が何のために作り、その向こう側とこちら側に何があるのか。また壁の存在を語る大人は、壁のどちら側にいて、それをどう見ているのか。そういうことをこそ真摯に追求し、明らかにする必要があるのではないか。

最初にこのことを言い出した者は、いったい何人の10歳のどんな事実を取材したのだろう。10歳の事実に関しては、私は少なからぬ情報を持っている者として問いたい。

少なくとも、「10歳の壁」は、子どもが自らの行く手を塞ぐために、自ら積み上げた壁ではない。はじめからそんな壁はあると思う人にしかないのかも知れないし、簡単な回り道や抜け穴によって回避出来るかも知れない。

ある種の偏った価値観をもったおせっかいな連中が、やれ「ゆとりが必要だ」「学力が低下した」といってはから騒ぎしているだけだという気がしてならないのである。

2009/10/21

Saltの反哲学的断章② 信仰の双方向性

日本語の「信仰」ということばは、ギリシャ語「pistis(ピスティス)」の訳語である。

日本語の「信仰」ということばには、信じる対象が何かということより、信じる「私」の心の有り様の問題としてとらえられがちなニュアンスが含まれている。

岩波国語辞典によると、信仰とは、「神・仏など、ある神聖なものを(またはあるものを絶対視して)信じたっとぶこと。そのかたく信じる心。」と書かれている。

「鰯の頭も信心から」という表現もあるが、日本の信仰の世界では、信じる対象が何かということ以上に、大いなる力や、崇高なるものに対する畏敬の念をもってへりくだる姿勢が大事だとなるのである。

ところが、ギリシャ語の「pistis(ピスティス)」は、ずいぶんニュアンスが違う。「信仰」と訳されたことばの本来的な意味には、人が神に対して抱く一方的な思いだけではなく、人間に対する思いや態度も含まれているのだ。つまり「人から神へ」だけでなく、「神から人へ」という、双方向性のある表現なのである。

私は常々、メッセージの中でも、「宗教というのは、人から神への上向きのベクトルであり、聖書が語る信仰とは、神から人への下向きのベクトル、すなわち啓示と恩寵である」という言い方をしてきた。

さらに踏み込んで言えば、まず神からの啓示と恩寵があって、それに応答することによって成立する関係性が、信仰の醍醐味であると言える。

種は上から蒔かれるが、芽は上に向かって生えて、時間をかけて成長し、やがてその時が来れば実を結ぶのである。それは「徳」を積むことにはよらない。人の修行や信心の力ではない。それは種に秘められたいのちの力であり、そのいのちが育つために注がれる雨や光は、まさしく天の恩寵であるから。

聖書全体の各章、各節の整合を追求していくときに、どうにも腑に落ちない、よくわからない箇所というのがいくつもある。私はヘブル語やギリシャ語にそれほど通じているわけではないので、当初は、その道の専門家が苦心して訳されたものに公に意見するというのは、違うように思えたのだが、深く調べるほどに翻訳上の重大な問題点に気づき始めた。

個々の原語が持つ本来的な意味を考えれば、翻訳のプロセスで、翻訳者が自分の理解の及ばぬところを、取りあえず文章としての体裁を整えるために、恣意的解釈が施された箇所が何カ所もあることがわかってきた。そのことによって、結果として、こことば本来の真意を歪め、本質を覆い隠してしまっている。そのような箇所には、神のみこころではなく、翻訳者の貧困な神学が反映されている。

今回取り上げたこの「pistis(ピスティス)」もそのひとつである。この「信仰」ということばを狭義で理解していることが、日本のキリスト者の信仰を台無しにしているのだから、問題は重大である。つまり、信仰を「神中心ではなく人中心」にし、「上から下へを下から上」にし、「いのちの関係性ではなく教条と形式に縛っている」のである。その結果、神と人との唯一の仲介者である人としてイエスを差し置いて、恥知らずの仲介者が次から次へと登場することになるのだ。

ローマ3:22、ガラテヤ2:16,20、ピリピ3:9などの箇所は、本来の原語では、「ピスティス・クリストゥ(キリストの信仰)」である。ところが、「キリストを信じる信仰」や「キリストに対する信仰」という日本語訳をつけることで、人中心の神へ向かうベクトルへとその主意を著しく歪めてしまっている。

「信仰の創始者であり、完成者は人としてのイエス」であって、この神の御子イエスの人としての信仰によって、私たちははじめて神に近づくことができるのだと疑いの余地無くはっきり示されている。

イエスの信仰「pistis(ピスティス)」は、地上におけるイエスの完全な生涯、その「従順さ(ヒュパコエー)」として表現される。この「一人の従順によって、多くの人の不従順が赦される」とも書いてあるではないか。私に義が及ぶのは、「私の信仰」ではなく、「イエスの信仰」によるのだ。そのように信じることのみが「私の信仰の分」であるとわきまえるべきなのである。

パウロは「義とされる」という表現をよく使う。人を義とする主体は神であり、それは神のピスティス(真実)において、イエスのピスティス(忠実)により具現化される。その提示され完了した救いをただ受け取るのが私たちのピスティス(信仰)だと言う表現が正しい。

パウロが手紙の中で語る信仰「pistis(ピスティス)」とは、そのようなものである。もし、読み違いがあるなら、この断章の内容を踏まえてパウロの手紙を読み直せば、なるほどと納得がいくだろう。パウロの手紙を読んで、自分の信仰のいたらなさを責めることはなくなり、このようなイエスの偉大な信仰の結果を享受する者とされたことを感謝せずにはいられなくなるはずである。

2009/10/20

Saltの反哲学的断章① 違いがわかるということ

ある具体的な「もの」や「人」に関する情報は、確かにある「もの」や「人」の状態や特徴を説明している。それは表現された事実であり、すでに表現された時点で、内容は微妙に変質し、脚色されている。発信者の意図によって 割愛され、装飾されている。

例えば一つの「りんご」がある。何処で獲れたどんな品種なのか、赤いのか、青いのか、甘いのか、酸っぱいのか、その大きさは?重さは?

これらを細かく知ると、実際に「りんご」を見ていなくても、見た気分になれる。食べなくてもちょっと食べた気分になれる。かつて食べた別の「りんご」の記憶やその他の情報との比較で、その未知の「りんご」を想像する。

ある「人」についても同じ。実際にその「人」に会わなくても、その「人」の情報を通して「人」に会った気分になれる。一度や二度ばかり実際に会ってわずかに触れ合うよりは、その「人」の情報により多く触れた方が、むしろその「人」の本質に迫れるということもある。情報は真実も伝えれば、嘘もつく。

発信者の意図が受信者にそのまま受け止められることはまずない。発信者が歪めた事実は、受信者の思い込みや能力によってさらに歪められる。

一方で、情報はひとたび発信されたなら、カプセル化する。つまり事実を変質させたまま変質しないものになる。実際の「りんご」は腐るが、「りんご」の情報は腐らない。「りんご」のパンフレットは、不自然なぐらい美しく、いつも艶々した「りんご」を伝えているが、店頭の「りんご」は日に日にどんどん干からびていく。

本物の「人」は老い衰えて死んでいくが、「人」についての情報は無表情。リアルなものは時々刻々変化していく。

つまり、事実とは、不可逆な時間の中で変化していく、とらえどころの難しいものを言う。さらにその奥に真実という秘められた意味がある。「真実」とは、事実の断片を正しく整合させたときに、浮き上がるひとつの意味や価値のことである。

「真実」は、簡単には見えない。そして、事実の複雑さは、それを説明する情報を膨れあがらせる。

最近のメディアを通して発信される情報は、質はともかく、量が多すぎ、スピードが速すぎる。つまり、準備された感覚機能を麻痺させるほどの強い刺激が絶え間なく続いていくのである。こういう情報の洪水に日常的に晒されていると、知らないうちに、どうしようもなく鈍感になっていくしかない。

繊細な感覚を持つことが出来ず、物事の細かい段階や小さな違いがわきあらなくなり、良い物と悪い物を判断する正しい基準を持てなくなる。

気がつかないうちに、ただ単純に繰り返される刺激の強いものだけに反応するように条件付けられていくのである。

これを防ぐ為にはどうすればいいのだろうか。

ひとつは、バーチャルな情報の入力に制限をかける為に、何処かに意識的に防波堤を設けることだ。

もうひとつは、バーチャルな刺激を上回る、自然とのふれあいや人間関係によるリアルな体験を積むことである。

世の中には良い物と悪い物が、さまざまなレベルや有り様で混在している。だからこそ、この世界は素晴らしく、そして、面白い。

「本当に良いもの」を味わうには、時間をかけて観察し、違いを慎重に見極め、努力して獲得するからこそ、価値があるのだ。

情報を選択すること、事実そのものに出逢うこと、ともに大切なことだ。要するにバランスと見分ける力である。

この世から目障りな悪いものを消してしまえば、確かに良いものしか存在しなくなる。しかし、自分で選ばずに何を手にとっても良いものだとしたら、良いも悪いもなくなってしまう。

だからこそ、神はこの世にあえて醜悪な忌むべきものを蒔かれたのである。

単純に良いものを受け入れ、悪いものを拒むだけでなく、良いものを細かくかぎわけ、良いものどうしの中にある多様で微妙な違いを味わいたいものである。

そこに豊かさがあり、選別した事実のつながりの中に、時として見るべき真実を垣間見ることを許される。

2009/10/19

オラは信じちまっただ

既に報じられているように「帰って来たヨッパライ」「イムジン河」「あのすばらしい愛をもう一度」など、70年代に一世を風靡したフォーククルセダーズのメンバー加藤和彦氏が自殺。今日は葬儀が行われたようだ。ミュージシャンの自殺だけにかなりショックだったのと、様子がよくわからないので、すぐにコメントしなかったが、あれこれと、記憶が甦ってきた。

「帰って来たヨッパライ」の遊び心は、当時まだガキだった私にも十分伝わっていたし、最近も在日関連のフェスティバルでは、「イムジン河」を歌ったこともある。「イムジン河」の放送禁止に抗議してコードを逆につないで作られたという「悲しくてやりきれない」は隠れた名曲。

いろんな情報が出て来ているが、親しい仲間には「もうやりたいことがなくなった」「自分が思ったような音楽が作れなくなった」などと、似たような内容の手紙を書き送っていたという。

加藤氏くらいの功績があれば、この先何も作らなくても過去の名声に浮かんでいられたはずだが、残したことばを見ると、本気でいいものを作り続けたいと願っていたんだなと感じる。鬱もわずらっていたらしいが、その道の専門家でもあったかつての相棒、北山修氏(精神科医)も、彼の絶望を理解し、癒すことは出来なかったのだろう。

私にもし信仰がなければ、たとえ自殺しなくても、加藤氏の年齢まで生き延びることはなかったと思う。

ご冥福を祈りたい。



私は信仰をいただた分、あなたのためにも良い音楽を作ります。

2009/10/18

ハーベストタイム

収穫の秋。

カナン教会周辺の田んぼでは一斉に稲刈りが行われていた。眩しい光の中で、刈り取られた黄金色の稲穂が輝いていた。

メッセージのテーマも、ちょうど「刈り取り」のお話。前回は「ひねくれ者のための聖書講座」でヤコブの例に触れたが、今日は「ダビデの生涯と詩編」のシリーズから、バテシェバとの不倫後について。

人は蒔いた種の実を刈り取る。10月の2回のメッセージを準備しながら、私自身も改めて神の計画の深さと繊細さにおののき、また感謝した。

私たちは、自分の罪の結果を刈り取るだけでなく、私が蒔かなかった種の素晴らしい収穫を同時に得る。地に落ちた一粒の麦の収穫である。

10月のリコーダー講座を終えて

創作実験工房「童」において、10月のリコーダー講座を実施。

とにかく、「楽(らく)に楽しく」を心がけて進めて来たが、ピアノ伴奏のMomoちゃんを迎えて半年。9月には野田さん&赤星さんの登場もあって、そろそろバージョンアップしようと、これまでほとんど語らなかった技術に関することも少しレクチャーした。①音を鳴らすための息の量と圧力②くちびるのかたちとタンギング③演奏上の留意点など。ちょっと、それらしいユーロピアンな講座になった。

従来のオリジナルテキストに加え、ハイドンのセレナーデやバッハのメヌエットなどのクラックナンバーも取り入れてみたが、私も凄く新鮮で、改めてクラシックの名曲の素晴らしさを感じた。

このリコーダー講座、最初は様子を見ながら2~3回で終了するつもりだったが、好評のため既に10回を数え、これからもまだしばらくは続きそうな感じだ。

遠方から続けて来てくださる方の期待に応えられるように、さらに面白いものを準備しようと思う。