2009/12/06

「卵」と「壁」再考

村上春樹氏がエルサレム賞受賞スピーチで提起した「卵と壁」の問題は、小説に限らず芸術の存在意義を問う優れたアレゴリーである。

芸術表現が、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を大切にすることだとしたら、その表現がシステムに乗っかっていくことによって個を圧迫する結果をもたらすとしたら、それは芸術の堕落であり敗北である。

例えば、音楽におけるヒットチャートや美術品のオークションなどという芸術を消費するシステムは、それぞれの表現に大いに影響を及ぼす。ベストセラー作家である村上氏自身の発信そのものの純度も、自らのことばによって問わねばならないことになるのではないか。

「卵」はエデンの東に産み落とされた。神という親を失った「卵」はその薄い殻に包まれたいのちを守ための「壁」を築いた。

「教会」という救いを守る筈の群れがシステムとして個を圧迫する壁となるのは哀しいことである。

8 件のコメント:

  1. 完全な教会は天に築かれているのでしょうか?
    …不完全で個を圧迫しかねない部分は、当然含むもの、として考えなければならないのか…

    「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。」と書かれているけど、内なるキリストとの関係こそが薄い殻に包まれたいのちを守るものと思う。

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  2. 硬派銀じ郎 さんのコメント... もっともでございます。
    そうとしか思えないほど、教会と名のつくものには、まるで末法思想のように、形だけが残り、中身は空っぽにかんじることが、あまりにも多いと思います。

    以前、アメリカのHさんが教会の分裂時か、牧師の解任、移動時でしたか、
    「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」

    という箇所を引用され、聖書にはこう書いてあるのにといぶかっていらっしゃいましたが、
    名前が、仮にイエスキリストの教会で、あったとしても
    その建物は、只の箱であり、
    その中身も人の集まりにすぎないことも残念ながら、多く見受けられます。

    祈りの最後に、「主の御名によって祈ります」とつけることもよく似た事で、実際は、これで私の祈りは終わりです。と言うことの代わりにはとても便利な習慣になっています。
    すみません。文句や愚痴になりつつありますが。

    誠のイエスは、迷わなかった99匹を置いてでも、迷った1匹を探しに行かれる方、
    100匹いて50匹迷ったならわかりますが、
    100匹いて99匹迷わない場所や道なら普通に、考えたらなら、引率に問題があったわけではなく、その1匹に問題があったと、考えるもの、それをあえて、迷わない99匹を置いて、、、。

    話がずれてしまいましたが、
    完全な教会ですか?

    良く言う話に
    「もし、完全な教会があったなら、けっしてあなたはその教会に行ってはいくな!」


    「あなたがダメにするから」

    冗談ですが、事実でもあります。
    もし、私がその教会に参加したなら、完全な教会では無くなることは間違いありませんから。

    完全な教会は、この世にありますが、見える形でもないと思います。
    それが、人のあつまりであれ、建築物であれ、形が有るものは、サタンは簡単に壊すことが出来ます。
    彼は、ワンパターンですが、人をだます事にはまさに「天賦の才能」があります。

    死んだ者をそれ以上どうする事も出来ません。
    恐れ、痛み、脅し、金、誘惑、権威
    死の棘は死んだ者には利きません。
    イエスは一度死なれ、よみがえられました。
    イエスと共に死んだ者なら同じ事が起こります。

    人生のハンドルをイエスに持ってもらってからの人生は、
    とても、スリリングですが、非常に楽しいです。
    ここで、こちらに?いく?

    クリスチャンになってから、私がやって成功したことはありませんが、神の声に聞き入れて、失敗したことは、一度もありません。
    当たり前ですが、、、。
    問題は、話を良く聞かない自分や、
    聞いても噛まずに飲み込むこの性格、
    調子のいいときは、自分でハンドルを切りたがる
    「大丈夫、だいじょぶ、ここはまかせてチョー」
    で、後で確認、またやられたな。
    また、やっちまいました。

    おかしいのは死んだはずの自分を掘り起こしに行く自分もいるのかと?
    長くなりすみません。
    とにかく壁と卵でしたっけ?
    イエスとは、個人的なつき合いですので、
    一度も、「今回はすまないが、他に助けないといけない者が大勢いるので、少し我慢してくれ」
    だの
    「今は、しばらく待って時を伺って助けにくるから」
    って事が無いですね。
    さすが、名前が「救い主」とも、あるだけあります。
    頼りになるどころか、それしか頼りにならない。はい

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  3. 「もし、完全な教会があったなら、けっしてあなたはその教会に行ってはいくな!」

    は、間違いで
    「もし、完全な教会があったなら、けっしてあなたはその教会にいくな!」

    「あなたが、それをダメにするから」
    が正しいでした。失礼しました。

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  4. みことばによれば、新しいエルサレム(完全な教会)は、天から下ってくるのです。(黙示録21;1~2)

    遠い国に放蕩息子が出来たことは、父の財産を湯水のごとく使い果たすだけであり、彼を受け入れ飾るのは父です。

    この世のエルサレムは、地理的(イスラエルの首都)にも霊的(キリスト教会)も、グロテスクな化け物になっていて、とても夫のために飾られた花嫁ではない。

    エクレシアは、そのいずれても別に備えられつつあるのでしょう。その準備が出来ている者が上から降りてくる恩寵に包み込まれるかたちで主にまみえるのではないかという期待はあります。

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  5. あ、この前喋りましたね、このネタで。

    神の話からはずれるかもしれませんが、世の芸術は皆、産み落とされた瞬間に「壁」の側に廻るのだと勝手に思っています。赤子が、産み落とされた瞬間から肺呼吸に変わるように。でも、「壁」は、産み落とされた「卵」の集積なら、「卵」の「卵性」の痕跡を持っていて、人はそれをなぞって、心に新たな卵をはぐくむ・・・みたいな。

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  6. そう言えば、いろいろ喋りましたね。

    「壁」は当然物理的なものではないわけで、だから、空間的にはあり得ないことが起こり得ます。

    幾重にも折り重なった異次元の複数の壁に同時に組み込まれているとでも言いましょうか・・・

    大事なことは、「意識」の問題です。自分は「どこにいる」「何」の卵なのか、あるいは、自分を取り巻く壁、組み込まれている壁に、立ち向かい、あるいは抜け出すことが出来るのか。

    救いへの手がかりは、「オレはこんなところに組みこまれたかねや!」という切実な叫びだと考えています。

    厳密は意味では、いかなる「壁」にも俗さない「卵」は存在しないのかも知れませんし、一口に「壁」と言ってもいろいろ性質があるのだと思います。

    村上氏の「壁に抗う卵の味方みたいな正義」は、私は好きではありません。

    ピンクフロイドのその名も「ザ・ウオール」という作品がありますが、これは多分ロジャー・ウオーターズ主導時代のコンセプトアルバムでした。擬似的なアレゴリーで村上氏より先にかたちにしていたわけです。

    70年代のイギリスやヨーロッパのプログレは、なかなかレベルが高いんですよ。

    また、このあたりはゆっくり。

    もし、時間が許せば、12日の元気村リコーダー講座においでください。

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  7. Salt さんのコメント... 感謝いたします。
    みことばによれば、新しいエルサレム(完全な教会)は、天から下ってくるのです。(黙示録21;1~2)

    誠にその通りです。ありがとうございます。
    整えていただけることは、実に美しく、また幸いです。

    ありがとうございます。

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  8. 結婚式の主人公は花嫁(完全な教会=エクレシア)ですからね。

    どんなふうになるのか楽しみです。

    現実はかなり絶望的ですが、みことばの真実を信じます。

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