2009/11/30

それぞれの世

Dr.Luke曰く
「ヨハネ書簡を読めば明らかだが、『世を愛する者は神を愛していない』とあるとおり、世は神への愛と対立するモノ。この命題の対偶を取れば、『神を愛する者は世を愛していない』となる。よって自分のうちには神への愛があるだろうか?と問えばよいのだ。つまりそれぞれにとっての世とは、神の愛を無にするものであって、一律にこれは世のもの、あれは霊のものとカタログを作るものではない」

  
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私も全くそのとおりだと思う。こういうカタログを作って他人に押しつけたがる人達は、本当につまらない人種だ。本当の問題は、世に触れることにあるのではなく、ちょっと世に触れたぐらいで、イエスへの思いが揺らぐほどイエスという御方を知らないことにあるのだ。世が魅力的なのではなく、イエスの魅力を全く知らないだけの話ではないか。実にくだらない。

私はイエスと出会うまで、この世の一切に辟易としていた。私が世に意味を見いだせるようになったのは、それがすべて「キリストの影」であるとわかったからだ。そのおかげで、私は生きる力を得て、食事も、散歩も、昼寝も、日常のあらゆることが楽しみに変わったわけだ。

「キリストにはかえられません」という賛美歌があるが、私は「当たり前やんけ!」としか思わない。なんでわざわざ「世の楽しみよ去れ、宝よ行け」と決意表明みたいに歌う必要があるのかわけがわからない。この世とキリストを同じ天秤にかける発想がそもそも貧困である。「団結がんばろう」みたいな賛美は、私の趣味ではない。

私はキリストの影を慕いつつ、日常の徒然を好きに歌っていたい。

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