そもそも「遊び」には目的などなく、「芸術」には実用性もない。
私は「遊び人」の「芸術家」なので、行動に目的性が乏しく、その存在が大して何の役にも立たなくても仕方がない。
純粋な意味での学問だって同じ。前にも書いたが、「学ぶことは遊ぶこと」であり、遊びを極めれば芸術が生まれるのだ。
時々「数学なんか勉強したって世の中に出てから何の役に立つんだ?」などと言う奴がいる。あたかも数学以外の役に立つ知識と経験にあふれているかのような口ぶりだが、彼はたぶん数学が苦手なだけなのだ。数学は美しい。それで十分じゃないか。
「美しい」ものの中には、それ自体に追求する価値がある。「面白い」とか、「気持ちいい」とかいうことも同じ。
しかし、「説明」や「納得」というプロセスには、そのすべてが欠けている。そして、実用性の効率や儲け話には品格というものがない。
だから、私はやってもやらなくても「褒美」も「罰」もないどっちでもいいようなことこそ進んでやろう。おそろしく「無駄」で「面倒なこと」を周到に計画しよう。それが私のスタイルであり、拘りでもある。
勿論、自分の「面白さ」や「気持ちよさ」のために人を犠牲してはいけないのは当然だが、誰かや何かの為に自分を犠牲にして、「面白くないこと」や「気持ちの悪いこと」に耐え続けるはごめんだ。
取りあえず明日は、「おいしいうどん」を食べに香川県に行く。
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