2011/03/31

上機嫌でいこう



2010年度最後の日である。過ぎてきた時間をしずかに振り返ると、いろんなものが見えてくる。

物凄い時代のスピードとうんざりするほどの情報量。効率化によって生まれた膨大な無駄。そして、個々の我が儘な要求。人間は合理的な生き物ではなく、存在そのものの中に多くの矛楯を抱えて喘いでいる。

全てをありのまま受けとめた上で、まず優先順位をつける。そして、勇気をもって見過ごすことも大事だ。何もかも自分の納得のいくようなものになるわけがない。

自分に出来ることからひとつひとつ丁寧に片付けていくしかない。気づいた者が気づいたことを出来る範囲でやればいい。誰かを指さしても、制度やシステムを批判しても始まらない。涼しい顔して、涙や汗は人知れず流せばいい。

同じことを経験しても、見ているもの、感じることが、周囲の人とはあまりに違う私だが、「それこそが私が此処にあることの意味である」と受けとめるなら気にならないどころか、かえって愉快でさえある。

悪い時代だからこそ、あえていつも上機嫌でいよう。周囲に元気を与えるためには、まず自分が楽しむゆとりをもっていないと始まらない。

悲痛な顔でがんばる人なんて、誰もあまり見たくないはないだろう。


(写真は第1回アースデー・スタッフの記念写真)

hanon



カフェNZに招いたミュージシャンはみんなナイスガイばかりです。

Singer Tetsunariもホントにいい奴です。

昔、神戸の震災イベントがらみで、奈良市のぜいたく豆のギャラリーでグループ展をしたことがあります。私は絵を販売し、Testsunariは自作のギターを展示でいていました。寒い中、彼はギャラリーへの呼び込みばかりか、豆の宣伝まで、大きな声を出して長時間やってくれていたのが忘れられません。

そんな心意気で、各地でチャリティーコンサートを企画しているようです。 今年はTetsunari率いるゴスペルグループが2組も来てくれることになりました。そのうちの一組はハノン。オーナーの真絹ちゃんもお気に入りです。

そんなハートフルなゲストたちが結集するのも、アースデーならSouthの魅力だと言えます。 今回は実行委員長の強いリクエストがあって、来てもらうことになりました。

今年は出演希望者のキャンセルが出た関係で、100%私の「音もだち」になりました。

(写真は3年前NZライブのフライヤーで、今年のものではありません)

アンニョン・クレヨン



去年もアースデーならSouthですばらしいパフォーマンスを見せてくれた壮馬クンですが、今年は出来たてホヤホヤの新ユニットで登場してくれます。勿論、ジャンベのPoolyも一緒です。日韓の架け橋的コラボ。実に楽しみです。アンニョンは漢字で書くと安寧、「元気」や「Good」ってとこでしょうか?

その他の出演者と交渉がうまくいって、ステージのタイムスケジュールが組めたらお知らせします。出たい人や出ない人もあり、いろいろややこしいです。もうしばらくお待ちください。

諸般の事情により、第2回の実行委員会は中止となり、大事なことはメール連絡のみで本番突入します。「だいじょうぶか?」(影の声)今年はつっちゃんがいないし・・・・

でも、毎年何とかなってきたので今年も何とかなるはず・・・・

とにかく普段はチャージが必要な実力派のグループが、朝から夕方まで入れ替わり立ち替わり演奏してます。

いつ来てもずっと居ても入場無料ですから、是非遊びに来てください。

2011/03/29

お幸せに

花粉症の症状がひどくなってきたので、久しぶりに耳鼻科に行った。
待合室の隅にしょぼくれた姿で座っていた私に「先生」と明るい声をかけてくれたのはこの病院で働くN子。清潔感のある制服がよく似合う。

「実は、先生が来られないかなと思ってたんです。会えて良かったです。」
「結婚、おめでとう。岐阜へ行くんだって」
「はい」
「ちょっと、遠くなっちゃうね」
「仕事も明日までなので、すごいタイミングです」

彼女はパティシエを目指して修行していたが、腰を痛めてお菓子作りを離れ、現在の医療事務へ転職していた。

ちょうど7年前のこと。彼女が働いていたケーキ屋さんにそうとは知らずに立ち寄ったところ、今日と同じように声をかけてくれたことがあったのを思い出した。

「もう、お菓子は作らないの?」
「いえ、将来はカフェをしようかって話しているんです」
小学校のときと同じ、すごく綺麗な目をしている。
N子を選んだ男は幸せ者だ。
「それは、いいね」

「ちょっと、マリッジ・ブルーなんです。」と、N子は言った。
花嫁の思いや覚悟は、いつも花婿のそれとは違う。
新しい大きな一歩を踏み出す為に、これまでのことをあれこれ振り返っているのだろう。そう思うと、小学校時代も花嫁になる為の準備の期間だったのだ。
30歳を過ぎてこちらがドキッとするほどのレディになっても、私と話すときっと一瞬10歳に戻れるのかも知れない。周囲の同僚の目も気にせず、私のケータイ番号を確認して、両手で握手を求めてくれた。

町で教え子に会っても、先生風を吹かすのは嫌いだ。
だから、町で教え子を見かけても、ほとんどこちらからは声をかけることはない。
子どもが必要としないときに、先生は先生である必要はない。
「24時間教師は教師だ」なんて・・・私は全然思っていない。
でも、今日は本当に嬉しかった。

「お幸せに・・・」

2011/03/28

カフェテラスNZ 春のイベント


奈良市法蓮町にあるカフェテラスNZのプロデュースに関わらせていただいたことは、私にとってもかけがえのない大切な経験となった。

オーナーの真絹さんとは、彼女がスタッフとしてハーブクラブで出逢った。いつかハーブクラブのようなお店を持ちたいという夢を、彼女の努力と家族の支えが実現させた。自らもハンディキャップを持つ真絹さんが、誰もが自然にくつろげる空間を作り出そうとする姿に私は心を打たれた。

「毎月イベントが出来たら・・・」そんな願いを叶えてあげたいと思って手伝ってきた。「私がいなければ」ではなく、「私がいなくなっても」やっていけるようにサポートしてきた。真絹さんは能力はあるけれど、顔を合わせてのミュニケーションが苦手。初めの頃は新しいゲストを迎えることにもかなりの緊張があったが、今では私の仲介なしに出演交渉をして、年間の計画を立てるまでになった。MCも回を重ねるごとに上達した。その場の空気をよみ、冗談を交えたり周囲を気遣ったりしながら、見事な司会をしてくれる。

障害児教育が私の専門だが、小学校という職場では長くてもたった6年間しか子どもたちの成長を見届けることが出来ない。就学を終えた後の彼らの人生の方が遥かに長いのに、将来の自立や幸福感から逆算して、現在の支援を考える教師はほとんどいない。

私の場合も立場や力の限界から、出来ることより出来ないことの方がずっと多い。最初は、そんな職場では出来ない罪滅ぼしを、真絹さんとの関わりの中でしているような気がしていた。

でもそれはほんの数ヶ月の間のことだった。回を重ねるごとに、私は、真絹さんとご家族、そして、カフェに集まる人たちとの関わりを単純に楽しめるようになった。

NZに出演してくれた仲間のミュージシャンたちや、ライブに来てくれた友人たちは、みんな同じような感覚を共有してくれたと思う。

人はどこからでも始められる。いくらでも成長できる。

すでに大人である真絹さんの短時間での変容は私の期待や予想よりも遥かに著しいものがあった。逆に、学校がもう少しまともな支援をしていれば、真絹さんの才能はもっと早い時期に開花し、さらに多様な可能性の扉を開けたかも知れない。学校というのは、実に思い上がった勘違いの空間である。学校に適応出来ないくらいで少しも負い目など感じる必要はないのだ。真絹さんとの出逢いが、学校にいる子どもたちとの出逢い方まで少し変えてくれたような気がする。

今や私はほとんど無用の存在となり、ご家族の恩情で持ち上げていただいているにすぎない。これは私が心から望んでいた結果なので本当に満足している。

4月のイベントは、朗読のプロフェッショナル泉座。彼女たちの公演もあちらこちらでいっぱい企画させてもらった。

日本語の美しい響きを堪能したい。

2011/03/27

第6回アースデーならSouthに参加しよう!



4月の恒例行事になったアースデーならSouthも今年で6回目。

毎年全国各地で出逢ったいろんな仲間が協力してくれて、ステージの評判はかなりいい。

いろんな企画やジョイントで、私自身も楽しませてもらっている。

京都在住のクロマチックハーモニカの世界チャンピオン、あらいなおこさんとのコラボもあった。長野在住の民族楽器奏者、丸山祐一郎さんがノリノリのジャンベで参加してくれたこともあった。あるときは、参加者全員での合唱もした。この年はコーラスグループはちみつに、フォルクローレのチャスキー、ゴスペルのEOS、そして、3人だった頃のプライナスもいる。

昨年は、初代「おはボン」の録音エンジニアであった森さんを偲んで、多くのミュージシャンが「おはボン」を演奏してくれた。

本当は音楽関係のプロデュースのみの約束が、酒井ひとみ嬢とともにボケ役の司会までやることになり、こちらも何とかこなして来た。

今年はS&UもパーカッションのItaminyoをお迎えしてトリオで演奏する予定。実行委員長伊藤満氏のリクエストに応え、シンガーTestunari率いるゴスペルグループと、3年連続で壮馬も新しいユニット名で登場する。国際森林年にになんで、森や植物のことを考えるレクチャーやワークショップも準備中。


と き 4月24日(日)10:00~16:00
ところ 橿原文化館前特設野外ステージ

2011/03/25

3月のリコーダー講座



いつも前日にならないと案内しないので、前もって知っている人以外には殆ど効果はないけれど、たまに思い出して来てくれる人もいるので取りあえず。3月のリコーダー講座は明日です。

工房「童」から出て、ぬく森の郷に場所を移して1年。その総集編的な内容になる予定。

と き 3月26日(土)pm2:00~
ところ 室生ぬく森の郷 学びの部屋
参加費 1500円
持ち物 リコーダーなくてもOK(貸し出しあり)

http://www.city.uda.nara.jp/nukumorinosato/index.html 【ぬく森の郷】

Little by little and bit by bit



通知票と一緒に一人ひとりの為に私が選んだひとことを書いた紙を渡した。事前に机の上に広げておくと、「これって、一人ひとりに賞状にみたいにして渡すの?」と周りに集まってきた子どもたちが、誰にどのことばが当たるのか話し合っていた。

「いいところをさらに伸ばそう」という角度からことばもあれば、「弱いところを強くしよう」という見方からのことばもある。平仮名もあれば、漢字の四字熟語もあり、俚諺、名言とさまざまである。

本当はもっといい紙に写真を貼り付けてと思っていたのだが、昨日は学校の施錠が早くて十分な時間がなかったのであきらめかけていた。でも、せっかく写真を用意してことばも選んでおいたので、口で言うだけじゃなくて書いて渡してやろうと思い、直前になってからササッと書き上げ、写真は写真で別に配ることにした。

「もっといいものくれないの?」という反応ではなく、ことばのプレゼントに一定の興味を示してくれたので、一年間でかなり大事な力をつけてくれたんだなあと思った。自分へことばも、数人の友だちへのことばもずばり的中させた子もいた。なかなか鋭い。

ACのCMが言うような魔法のことばなんてない。ことばには自分で受肉させる必要がある。それはポポポポ~ンなんて簡単にはいかない。これからの彼らのあゆみの指標として、ぴったりのことばを贈ったつもりではある。いつもそのことばを反芻して大事に出来るとしたら、それは通知票以上に大事かも知れない。

2011/03/23

SAKURA




小学校の担任にとって、クラスの子どもは期限付きではあるが、本当に自分の子どもみたいなものだ。

私は別に子ども好きなわけでも、特に仕事熱心というわけでもないが、ものすごく真面目に子どもたちの幸せを願っている。

子どもたちも、私も、1年という時間の経過とひとつの区切りを感じながら、桜の木の下で春の風をあびていた。

今年の桜はことのほか美しい。

2011/03/21

KIZUNA


http://kizuna311.com/ 【KIZUNA】

http://saltcanaan.exblog.jp/  【Salt of The earth】


「Tsunamiよりも、Kizunaという日本語を世界の共通言語にしたい。」という主旨で俳優の渡辺謙氏や脚本家の小山薫堂氏がエンターテーメントの立場から発信されている。

横の絆は大切である。しかし、それ以上に重要なのは主権者である御方との縦の絆である。横の絆についてKIZUNAのサイトを。縦の絆についてはSaltのメッセージブログを。

この時期、地震に絡めて何事かを語ることは少しためられわれたが、それ以外のテーマは考えれなかった。「神の主権と人権」のメッセージをお聴きいただきたい。

この地球と私たちのいのちの主権者はいったい誰でどのような御方なのか。この大きな犠牲をともなった天災を機にひとりでも多くの方が、そのことに心を向けることが出来るようにと願っている。

そして、もちろん、人として当たり前のことを心から祈る。

現場で活躍する医師や看護師、自衛官、消防隊員、警察官の方々がその職責を立派に果たされますように。

被災地の方々が少しでも快適に過ごされますように。必要な物資が届きますように。

震災報道のあれこれ


誰の目にも見えるはずの「思いやり」予算は、アメリカ人には全く見えていないようだ。いくら顔色をうかがって丁寧にあいさつしたところで「ポポポポーン」とお手軽に友だちなんかにはなれない。こっちが「ごめんね」と繰り返しても、相手は簡単に「ごめんね」とは言わない。海の向こうでは、米英仏がリビアに攻撃のニュース。

ACジャパンのCMを見ていると、日本人のお人好しな幼児性が見える。苦情が来たら、別に悪いことをしたわけでもないのに即座にお詫びを発表。エィ~シィ~という音だけ消して同じものを流し続ける対応。反省しているのかいないのかさえ今ひとつよくわからない。

しかし、こういうものが最大公約数的な価値として尊重される土壌があるからこそ、大混乱の中でも秩序を保てるのかも知れない。「我先に!」と強奪するような国民と比べてみれば日本も悪くはない。

「安心しろ」と言っては不安を煽るエラい人たち。「想定外」という何とも便利なことば。「記憶にごさいません」以来の大ヒットである。十分想定内だったことを、まずは「原発ありき」で想定外へ放りだしたことに対する侘びもないままに、とにかく「想定外」を連呼する。

そんな中、放射能に被爆覚悟で現場の作業にあたる東京電力職員や自衛官、警察官、消防士たち。


一方では、いたずらに不安を煽るメディアもある。朝日新聞出版発行のAERAである。風評被害を助長するとして苦情があり、同社も早速謝罪したようだが、マスコミのこうした無神経がもたらす影響は大きい。

2011/03/20

4月のメッセージ



今日は地震に関わって「神の主権と人権」というテーマでお話しました。遠くからのお客さまもあり、良い交わりを持つことが出来ました。

信仰の立場から話すのは難しい部分もありますが、今問われているのは、「まことの主権者はどなたで、それはどのような御方か」ということに尽きると思います。

信仰のある者は、「揺り動かされない御国」(ヘブル12:28)とは何であるのかを明らかにする必要があると感じます。被災情報よりも神のことばに注目しましょう。

10日 エペソ人への手紙第4章

17日 ひねくれ者のための聖書講座25(テーマは未定)

2011/03/19

ACはもうエエし・・・

AC(旧公共広告機構)のCMに苦情が殺到しているそうだ。

民間企業が震災の影響で自粛する中、ACのCMが大量に放送されているのは、ただ穴埋め的な役割を果たしているだけなのだが、そのくどさのゆえに、とんだとばっちりを受けているというのが現実だ。

同法人は、テレビ、ラジオ、新聞社などの約1200社の企業の協力で成り立っていて、CMはその会費で、マナーやモラル向上などといった社会啓発的なCMを年間13本制作している。国や自治体の管理下にないにもかかわらず「そんなCMを流すのに税金を使うなら、少しでも被災地に回せ」という勘違いの抗議があったり、中には「今から刃物を持って押しかけるぞ」という脅迫電話もかかってきたりするという。

でも抗議したくなる気持ちはわかる。元タイガースの赤星選手や仁科亜季子までいやな奴に見えてくる。否定しようもないわかりきった話を上から目線で連呼されると、誰でもうっとおしい。

しかし、この「うっとおしさ」は非常に馴染みのあるものだと感じた。テーマの凡庸さといい、聴き手に無理にすりよったような表現といい、学校の先生のお説教の類と非常に良く似ている。

必要なのは、くどい啓発ではなく、放っておいても真似したくなるような格好よさだと思う。先生という存在が子どもや親にとって、もう少し恰好いいものでないといけない。

今年の私の自己採点はかなり低い。

2011/03/17

6年間


いろいろあった6年生だが、いよいよ明日卒業。会場準備をしていると、3年前の卒業生が、高校合格の吉報を次々に知らせに来た。背丈もでかくなって、それなりに敬語も使ったりしているが、中身はまだまだ幼なさが残る。私は彼らを3年生で担任したので、あれから6年も経つ。

明日も左のスクリーンには6年生の卒業証書をもらうリアル映像が映され、右側のスクリーンには1年生の4月の姿が映るという演出になっている。6年の年月は軽くない。

私はこの6年でどれだけ成長しただろうか。現任校の初年度には学級における音楽療法で指定研究をやることになり、ふとしたかことから関わったNPOに協力して中越ボランティアに参加した。

2年目には被災地へ行って目立つことをするより校内でボランティアでもしようと「与えられた仕事は何でもやります」宣言をすると最不人気ポストをあてがわれ、それがきっかけで市の人権教育研究会の事務局長になった。任期を終えようやく「普通」に戻れると思っていたら、昨年は拠点校指導員として4人に新任教諭の教育係を命じられた。そして、今年は6年ぶりの担任復帰。

考えてみれば、今やっていることの多くは、この6年間も担任から離れていればこそ実現出来たことばかりだ。アースデーの企画であったり、様々な講演やライブのオファーだったり、カフェNZのプロデュースもそうだ。今年は継続だから何とかクリア出来ているだけで、ずっと担任が続いていれば「元気村」なんて見向きもしなかっただろうし、「リコーダー講座」もやろうとも思わなかったはずだ。

ちょっとした人助けのつもりが、自分を助けることにもつながったわけだ。おかげで仕事は大変だったが、ずいぶん楽しませてもらった。

2011/03/16

思い出の一枚

学校現場にいて、担任教師が子どもを被写体として見るなどいうことはまずない。とにかく毎日それどころじゃない。単純な記録以外の意味合いのある写真なんて撮っている暇などないのだ。しかし、今年はあえて「掟破り」で可能な限り目の前の子どもたちを撮った。

何のため?明確な答えはない。勿論ブログや学級通信に載せるためではない。強いて言うなら、子どもと私の関係性を客観的に見つめようというねらいはあった。そして、自分が何を選んでどんな瞬間にシャッターを切るのかには興味があったのだと思う。実際に撮ったものを見直してみると、私が面白がって撮っているものには一定の傾向があり、切り捨ててあえて見ようともしないもさえも見えてくる。これは非常に大きな発見だった。被写体である子どもたちに感謝の気持ちをお返しするイベントとして、今日は「思い出の一枚」と題してスライドショーをした。

26人一人ひとりのベストショットを大画面に映し出して一年間を振り返った。まんべんなく一年間のイベントや様々な活動場面、そして何気ない日常を織り交ぜつつセレクトした。準備は面倒臭かったが、子どもたちに大いにウケたの苦労した甲斐があった。

2011/03/14

文明のメルトダウン

キリストがローマの時代に登場したには非常に重要なことである。
法律、政治、経済、人の営みにおける飽和点がすでにローマにあった。
しかし、そこには化石燃料の大量消費はなかった。
船はあっても飛行機はなく、馬車はあっても自動車はなかった。
オートメーションの工場も流れ作業もなく、化学兵器も核もなかった。
ケータイ、パソコン、原子力の時代を、大きな波が飲み込んでいく。
人の在り方、生き方を問うことは、ただ生きることよりも大事なのだ。

下記URLは、電気屋さんのご紹介による原発の話題。
原発と関わって来られた方の告白だけに信憑性は高い。一読の価値在り。

http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html#page20

心のキャンドル



100年後        Salt&Uribossa

100年後の世界がどうなるかなんて
想像も出来ないけど
今よりずっとよくなってるなんて思えない とても

空気も水も汚れ果て 
緑の森もなくなって
人の心も もっとすさんでしまうのかな

だから 今 少しでも ささやかでも
心のキャンドルに火をつけよう

100年後の世界に私はいない
だから どうでもよくはないだろう
今より 少しでも 明るい未来を残したい
子どもたちに

だから 今 少しでも ささやかでも
心のキャンドルに火をつけよう



2000年の年賀状に「これからの100年もよろしく」と書いた。これから100年はとうてい生きることが出来ないけれど、自分のいない100年後や、この世界から姿を消した私の存在について考えることも悪くないと思った。

歌詞を作る場合は、出来るだけ平易な日本語を使う。でも、私なりにいろんな意味を込めている。ある人たちにとっては意味が伝わらなくても、特定の人や別の人たちにはわかるメッセージを込めていたりする。

この歌はキャンドルナイトの為に作ったのだが、きっかけは家具作家Y.B.M氏との会話の中にあった。「僕は100年後にも愛される家具を作いたいんです」という彼のことばから曲のイメージが広がった。私は家具は作らないが、この曲は私からY.B.M氏への答えでもある。

また、「心のキャンドル」には、マタイ25章1~13節の「花婿を迎える10人の娘のたとえ」のイメージも重ねている。

イザヤ書42章には「彼(イエス)はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす」という表現もある。「くすぶる燈心」は信仰を意味する。

いずれにせよ、ことばは聴き手の語彙や感性や経験に支配される。その枠いっぱいに広がる可能性のある表現を選ぼうとするのは、私が仕事で小学生を相手にしているからだろう。自分の成長に合わせて一緒に育っていくような歌はいい歌だと思う。そして、互いの共有部分の大きい歌が愛唱歌となっていくのだ。

私の作る歌は愛唱歌の類ではなく、どちらかといえばカスタムメイドに近い。届けたい相手の心にしっかり届けばそれでいい。

2011/03/13

100年後




今日のバンド・フェスティバルで「100年後」という曲を歌った。地震を受けて曲目を変更したのだ。この曲はもともとはキャンドル・ナイトのために作った曲。普通、人は自分が生きる舞台として世界を考えるものだ。しかし、子孫や他者の視点に立って世界を見つめ直し、地球環境や未来に対して謙虚になろうよというテーマである。

津波ひとつやってくれば、地境もなくなり不動産も流れていく。誰にも文句は言えない。それは天災だからだ。ところが原発の場合はそうではない。いろいろ言いたいことがあるはずだ。それは人災だからだ。

100年後を考えて今を選ぶという人はあまりいない。でも自分が存在しない町の住みやすさを考えることが、何かを変えていくだろう。揺れがおさまり、波が引いた大地に立って、100年先を考えることが出来たなら、災いは災いには終わらない。

「神はわれらの避け所。また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海の中に移ろうとも。たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても」(詩編46:1~3)

「大水のとどろきまさり、海の力強い波にもまさって、いと高きところにいます主は、力強くあられます。あなたのあかしは、まことに確かです。聖なることがあなたの家にはふさわしいのです。主よ。いつまでも。」(詩編93編5節)

天災の天には、主の主権が働いている。そこに望みがある。

川西町バンド・フェスティバル



ハワイアン、ロカビリー、フュージョン、JPOP、キーボードユニットそしてボサノヴァと、ジャンルも年齢も幅広い出演者だったが、どう見てもS&Uはちょっと浮いていた。

ホールの備品はしっかりしているし、スタッフもよく動いておられるが、何かが足りない。お客さんも悲しいくらいまばら。地震による自粛ムードも影響しているらしい。

どういう人がどんな風に集まって、どんな感じで運営されているのか興味があって参加した。地元でのつながりを大事にしておられる相方Uribossa氏がこれまでに紡いでこられた人間関係の上にのっからせてもらった感じだった。それにしても、室生の田舎だけでなく、こういう町おこし的なイベントって難しいんだなあとしみじみ思う。

6月には私の地元である宇陀市の音楽祭に出演してもらうが、多分こちらははじめての試みなので、そんなにうまくはいかないだろう。

町に文化を根付かせるのは難しいのだ。失敗しても、うまくいかなくても、こうした小さな事を積み重ねるしかない。マスコミによる宣伝を使った一過性の祭りでは何も変わらない。

写真は1000万円のスタインウエイのピアノ。単純に有名人を呼ぶとかではなく、こういうイベントは企画自体はとても良いと思う。

今回のCDの売り上げはすべて地震の義援金とした。金額はわずかだが、とりあえず「全額」というのがS&Uの心意気である。

2011/03/12

バンドフェスティバル・リハーサル




地震のニュースを気にしつつ、バンドフェスティバルのリハーサルのため、川西町のコスモスホールへ。奈良盆地のど真ん中では津波の心配はない。こんな状況でのん気に歌など歌っているのは何か悪いことでもしているかのような気分になりながら、たった15分の出演の為に前日に30分以上かけてサウンドチェック。しかし、そのわりにはモニターも聴こえづらく、ギターも生音マイクどりを断念。急きょ外付けピックアップを使用することになった。

せめて、地震を意識した曲目に変更し、CDの売り上げは義援金にすることにした。

Salt&Uribossaの出演は、2時半頃の予定。

写真は一緒に出演予定の若者バンドのリハーサル風景。

2011/03/11

大地震


アースデーならsouthの第1回実行委員会があった。今年でいよいよ6年目。毎年最小限スタッフによる最小限の準備で、一応それなりのかたちになってしまうことにびっくりしている。メインスタッフはみな肩の力は抜けているがやることはやるという人たちばかりなので、これまで毎年楽しくやってこれた。別に何年続けようと約束したわけではないが、多分これからも続いていくだろうし、私も辞める理由がないので協力すると思う。今年はつっちゃんが御自身の主催イベントと重なって参加できないのがさびしい。

「俺が」「俺が」とやたら張り切る人がいないのも、この集まりのいいところ。とは言え、仕事も年度末の一番忙しいこの時期に、来年度のことを計画して準備を進めるのはかなりのエネルギーがいる。

7時開始の会議に間に合うように、ササッと仕事を切り上げて職場を出たので、地震の被害がまさかこれほどとは思っていなかった。帰宅してニュースを見て驚いた。どのチャンネルに切り替えても、まるでハリウッド映画の特撮のような映像が次々と映し出されている。神戸や中越のときの生々しい記憶が甦る。被害が最小限におさまることを祈るばかりである。

「ガラスの地球を救え」とか、「地球にやさしい」とかいう表現には、常に違和感を感じている私だが、こうした天災がおこると、ガラスのように弱いのは地球ではなく人間の文明で、人間は地球にやさしくしてもらってこそ快適に生きていられるのだと思い知らされる。

2011/03/10

立場と文脈


仕事から帰宅すると、リビングではジャケットが緑色だった頃のルパン3世の録画が再生中だった。懐かしいなあと思いながら、観ることもなく観ていると、音に敏感な私は、不自然な無音状態に反応。「おっと、ルパンが問題発言したな!」と言うと、「何て言ってたんやろ?」と話題になった。心ない不適切なことばをあえて使う必要はないが、この種のことば狩りがアニメにまで及んでいるのはひたすら不愉快である。そのことばがよいとか、よくないとかいう以前に、そのことばがいかなる文脈の中で、どんなニュアンスで語られているかを無視して、ただ消させてしまう力は、そのよくないことば以上に暴力的で、ある種の憎しみや敵意に満ちている。

話は変わるが、米国務省のケビン・メア前日本部長が「沖縄ケンミンはゆすりの名人」などと問題発言。さすがに今回は米政府がメア氏を更迭し公式に謝罪した。これを日本政府は評価し、「米国の対応は適切だった」(菅直人首相)とし、早期の幕引きに応じる見込みである。やれやれ。「ゆすりの名人」ということばだけが報道されているが、問題はこのことばがどこでどんな風に語られたかである。これは米大学生を相手にして国務省内で行った正式な講義の中での発言であり、フリートークにおける戯言ではない。

さらに重要なのは、この部分。

『私は日本国憲法9条を変える必要はないと思っている。憲法9条が変わるとは思えない。日本の憲法が変わると日本は米軍を必要としなくなってしまうので、米国にとってはよくない。もし日本の憲法が変わると、米国は国益を増進するために日本の土地を使うことができなくなってしまう。日本政府が現在払っている高額の米軍駐留経費負担(おもいやり予算)は米国に利益をもたらしている。米国は日本で非常に得な取り引きをしている。』

アメリカの対応が迅速なのは、反省の度合いが深いからではなく、それがアメリカの本音に極めて近いから、メア氏個人の見解としてきちんと打ち消さないとまずいからである。

大半のメディアの報道も、ゆすり部分のことばだけ強調し、沖縄県民が怒っているという話にすり替えているが、そんなレベルの話ではない。

金丸時代に始まった思いやり予算についても、今や、良く知らない国民の方が多いだろう。菅さんも、「今回の無礼な発言で、思いやり予算は、米兵ではなく、日本の子どもにこそつけるべきだと目が覚めました」とでも言えばよい。

一方では、3.1独立宣言集会に参加した民主党の土肥隆一衆院議員が竹島の領有権問題に言及されていたが共同宣言文に署名した問題で引責辞任。これもまたみっともない話である。国を代表する立場から言えば、まだメア氏の愛国心に分がある。

一足先にとっとと辞めてしまった前原外務大臣もそうだ。「外務大臣だから、外国人とは仲がいいのだ!」とでも言って開き直るぐらいの気概がなければ、中国やロシアを相手に交渉など出来るはずがない。

日本の大臣や議員は、いったい誰の利益を代表して発言し行動しているのかと情けなくなる。

ルパンは暴言を吐いてもいい立場だが、議員や大臣はそうではない。謝罪のことばも、反省のない文脈の中で語られているものを鵜呑みにしてはならない。

私も立場をわきまえて発言しなければならないので、ことばにはかなり気を使っているつもりだが、受け手の乱心にまでは配慮は及ばない。悪しからず。

女子も変なんです



掃除の時間が終わって間もなく5時間目が始まる。「先生見といてや!」って、いったい何をしてるんだろう?


実は彼女たちは手に雑巾を持っている。おそらく掃除が楽しくなるように、独自のルールを決めて遊びながらやっていたのだろう。

1年間、私にしては珍しく口やかましく躾けてもなお、お行儀の悪い女子たち。でも、すごくかわいいです。

2011/03/08

教卓で遊ぶなと言う気はしない



「教卓」というのは、世界一マヌケな家具だと思うので教室の角に追いやっている。それをいいことに、遊び道具にしてしまった子たちがいる。

最初はテープカッターの傾斜を利用して位置エネルギーを作りだしてビー玉を転がしていたが、発展バージョンは、教卓の高さを利用して周りに段ボールで溝が作られていた。4年生にしてはまずますの知恵である。

どちらかと言えばやめて欲しいが、意地になってやめさせるほどでもないギリギリの境界線を奴らはいつも責めてくる。そんな連中との駆け引きは疲れるが、けっこう面白い。

もしかしたら、これまでで最も創造的な教卓の使い方かも知れない。

2011/03/05

10年ぶりの音もだち



今日はカイピリーニャでのライブ。心身ともにお疲れ気味だったが、ライブで吹っ飛んだ。良き仲間、良きお店、良きお客さんのおかげで、楽しい時間をすごさせてもらった。

毎回神さまは私を驚かせてくださるのだが、今回のサプライズは高校時代のバンドのメンバーが夫婦で現れたことだ。彼の結婚式から10年。その間、全く会っていなかった。

一緒に音楽をやっていたのは30年前。お互いに心の時計を巻き戻しつつ、懐かしく談笑した。音楽でつながっていた仲間にはやはり特別な感情がある。濃密な音楽を組み込んだ時間と空間の共有体験は、かけがえのないものだ。今でもあの頃のことを鮮明に覚えている。

今日のライブも、とても大切な記憶として新たに私の中に刻み込むことが出来た。

ワッフルな気分



http://blog.goo.ne.jp/hakigiyowaera  【ワッフルな気分】

電気屋さんの奥様のブログのご紹介です。やはり女性のブログは我々オジサンのそれとは違う趣きでななかないいものですね。

ワッフルな気分とは、どんな気分なのでしょう。私は何度か戸隠のご自宅でワッフルの朝食をいただいたので、その気分がちょっとだけわかります。(写真の蜜をつけました!)

ご主人のブログ削除が開設のきっかけだったそうですから。「ワッフルな気分」が誕生するために「電気屋のブログ」は一時期消えたのですね。

電気屋さんの復活ブログが待たれるところです。

2011/03/04

春の雪


私の仕事の報酬は子どもの成長と笑顔である。

笑顔と言っても、一時的に喜ばせるのではなく、未来の笑顔のために、ある時は泣かせたり、また怒らせたりすることもある。機嫌をとって調子の良いことばかり言ってはいられない。

成長と言っても、単に背丈が伸びることや知識が増えることだかではく、生きる力をつけることである。からだも心も好き嫌いや飽食は健やかな成長を損なう。大事なのは節度とバランスだ。

苦境にあっても涼しい笑顔を保てるような強い心を持つ人間に成長して欲しい。

いい日ばかりではないし、楽しい出来事ばかりではない。今日は辛い一日だった。

しかし、最低な時こそ成長の節目であり、悲しみをじっと見据える瞳にこそ本当のやさしさが宿ると信じていいる。

2011/03/03

菅ニング

私の同い年の脳科学者、茂木健一郎氏が、キレる頭でキレていることが話題になっている。TVで見る穏やかな印象とは違うということで、そのギャップに注目が集まっている。yahoo知恵袋も笑えるが、Twitterもオモロイなあ。

私もたかがカンニングごときで、何が偽計業務妨害なのかと思っていた。クソガキの愚行に対しては、それにふさわしく大人はもっとオトナとして対応すべきだ。

「拝啓京都大学の自由な学風にはいつも尊敬の念を抱いてきました。今回の受験生に対する貴学の対応は、その伝統を踏みにじるものと考えます。特定できた段階で、警察への被害届けをただちに取り下げるべきであると考えます。これからも自由な学風を保ってくださいますよう。脳科学者 茂木健一郎」(茂木健一郎Twitterより引用)

「逮捕だとさ。ナチス。世界の笑い者。」「クズ新聞、クズテレビ、クズ大学、これで満足したか?」「クズ朝日新聞が、逮捕されたとオレの携帯にニュース速報を送った。ジャーナリストは、日本にいないね。アタマの中に、本当に誰かいるのか? お前らが、日本を沈ませている。オレは、本当に日本のことを愛して行動する。」(茂木健一郎Twitterより引用)

「クズ新聞、クズテレビ、クズ大学。オレは、お前たちと仕事をする時は、誠心誠意やるよ。とにかく、ベストを尽くす。一緒に仕事をする仲間は、心から愛する。身体を捧げる。しかしな、組織として、お前たちが終わっていることについては、一ミリとも譲らないぞ。」(茂木健一郎Twitterより引用)

Saltの高校時代はかなり過激だったので、たかが紙切れの答案で人間を序列化するシステムには大いに反発した。白紙で答案を出したり、くだらない問題にはケチをつけたりもした。

マークシートによるコンピューター処理が始まった時代でもあり、「私の答案はコンピューターにかけるな!」とだけ書いて提出したこともある。

私なりに筋を通して教員を論破し、あきれ果てさせて卒業した。そういう類のちょっとは骨のあるオモロイ奴なのかとちょっと期待しただけに、この予備校生の「合格したかった」「反省している」という発言には大いに失望した。

また、それ以上に馬鹿馬鹿しいのは京大の対応やマスコミの空騒ぎである。これに関しては茂木氏と同感だ。

八百長やカンニングはいつの時代にも完全になくなりはしない。

もっと気になるのは、民主党政権の八百長と菅ニングだ。

2011/03/01

カンニングもネットで

ネットをつかったカンニングが話題になっているが、彼は本当にこんな大きなリスクを負ってでも合格したかったのだろうか。もしかしたら、入試そのものを笑うつもりなんじゃない。秘密のメールではなくてyahoo知恵袋に投稿したのだから、遅かれ早かれ誰の仕業か明らかになろうことは予想できたはず。あのYou Tubeに投稿にした自衛官のごとく、何かを暴こうとしたのかも知れぬ。

インターネットの急激な普及は国を揺るがし革命さえ起こす。中東諸国で起こっていることもネットなしにはありえなかっただろう。

情報は垂れ流され人々は節度や品位を失う。匿名性は人を止めどなく残虐で凶暴にしてしまう。裏側が反転して表となり、あらゆる話はメビウスの輪のように終点を失う。素顔を隠すために饒舌になる人々の親身に聴く人のいない身の上話は虚しい。

私もネットでブログなるものを始めて様々な情報発信をさせてもらっているが、大してこの媒体に依存しているわけでも、信頼しているわけではない。あくまでも遊び半分だ。

電気屋さんのブログが消えてしまった。これは、撤退ではなく事故だというメールを御本人からいただいた。私も数少ない「お気に入り」が消えてしまってさびしい。

ケータイとPCがなくなれば、不便だがもうちょっと気の効いた世の中になることは間違いない。しかし、あいにくこれからはますます便利になり、カンニングさえ、さらに巧みにごまかせるようになるだろう。