
奈良市法蓮町にあるカフェテラスNZのプロデュースに関わらせていただいたことは、私にとってもかけがえのない大切な経験となった。
オーナーの真絹さんとは、彼女がスタッフとしてハーブクラブで出逢った。いつかハーブクラブのようなお店を持ちたいという夢を、彼女の努力と家族の支えが実現させた。自らもハンディキャップを持つ真絹さんが、誰もが自然にくつろげる空間を作り出そうとする姿に私は心を打たれた。
「毎月イベントが出来たら・・・」そんな願いを叶えてあげたいと思って手伝ってきた。「私がいなければ」ではなく、「私がいなくなっても」やっていけるようにサポートしてきた。真絹さんは能力はあるけれど、顔を合わせてのミュニケーションが苦手。初めの頃は新しいゲストを迎えることにもかなりの緊張があったが、今では私の仲介なしに出演交渉をして、年間の計画を立てるまでになった。MCも回を重ねるごとに上達した。その場の空気をよみ、冗談を交えたり周囲を気遣ったりしながら、見事な司会をしてくれる。
障害児教育が私の専門だが、小学校という職場では長くてもたった6年間しか子どもたちの成長を見届けることが出来ない。就学を終えた後の彼らの人生の方が遥かに長いのに、将来の自立や幸福感から逆算して、現在の支援を考える教師はほとんどいない。
私の場合も立場や力の限界から、出来ることより出来ないことの方がずっと多い。最初は、そんな職場では出来ない罪滅ぼしを、真絹さんとの関わりの中でしているような気がしていた。
でもそれはほんの数ヶ月の間のことだった。回を重ねるごとに、私は、真絹さんとご家族、そして、カフェに集まる人たちとの関わりを単純に楽しめるようになった。
NZに出演してくれた仲間のミュージシャンたちや、ライブに来てくれた友人たちは、みんな同じような感覚を共有してくれたと思う。
人はどこからでも始められる。いくらでも成長できる。
すでに大人である真絹さんの短時間での変容は私の期待や予想よりも遥かに著しいものがあった。逆に、学校がもう少しまともな支援をしていれば、真絹さんの才能はもっと早い時期に開花し、さらに多様な可能性の扉を開けたかも知れない。学校というのは、実に思い上がった勘違いの空間である。学校に適応出来ないくらいで少しも負い目など感じる必要はないのだ。真絹さんとの出逢いが、学校にいる子どもたちとの出逢い方まで少し変えてくれたような気がする。
今や私はほとんど無用の存在となり、ご家族の恩情で持ち上げていただいているにすぎない。これは私が心から望んでいた結果なので本当に満足している。
4月のイベントは、朗読のプロフェッショナル泉座。彼女たちの公演もあちらこちらでいっぱい企画させてもらった。
日本語の美しい響きを堪能したい。