2010/04/30

鳩レベル

「戦後日本はマッカーサーと昭和天皇のツーショット写真から始まる」と美術家の森村泰昌は語っており、マッカーサーと昭和天皇に二役に扮して、自分の生家をバックにセルフポートレイトをとっているが、私の認識は森村の肯定的なノスタルジーとはかけ離れている。

http://www.morimura-ya.com/gallery/
http://syabi.com/contents/exhibition/index-4.html

日米の同盟関係は、陵辱された男にしがみつくようなもので腹立たしくてならないが、関係が切れないのなら、せめて援助交際レベルに精神的に優位に立ちたいものである。残念ながら、わが国の鳩様は、国内問題も外交問題もきちんと相対化する力がなさそうである。

沖縄の基地問題に関して、ようやく口を開いた鳩様のおことばにただ唖然。

「友愛」ではどうにもならない。私の心は「憂哀」だ。

死んだ魚のような彼の虚ろな目を見ていると、その視線の先には庶民の暮らしなどはまるでなさそうだ。

以下は、遡ること約2週間前のワシントンポスト原文の一部とその和訳だが、「その評価は大きく外れてはいないよなあ・・・」と改めて痛感。

しかし、それ以上にアメリカの上から目線にはムカツクのだが。


By far the biggest loser of the extravaganza was the hapless and (in the opinion of some Obama administration officials) increasingly loopy Japanese Prime Minister Yukio Hatoyama. He reportedly requested but got no bilat.

なんといっても、この首脳外交レースショーで最低最悪の敗者は、哀れにして、さらに(複数の米政府 当局者の言葉を借りれば)「ますます頭がイカれてきた」日本の首相、鳩山由紀夫だった。公式会談の要請を米国に蹴られた、あの男だ。

The only consolation prize was that he got an "unofficial" meeting during Monday night's working dinner. Maybe somewhere between the main course and dessert?

それでも、月曜夜のワーキングディナーでの 大統領との「非公式会談」をねじ込めたのは残念賞だったと言ってよい。メインディッシュとデザートの合間あたりでやったのだろうか。

A rich man's son, Hatoyama has impressed Obama administration officials with his unreliability on a major issue dividing Japan and the United States: the future of a Marine Corps air station in Okinawa. Hatoyama promised Obama twice that he'd solve the issue. According to a long-standing agreement with Japan, the Futenma air base is supposed to be moved to an isolated part of Okinawa. (It now sits in the middle of a city of more than 80,000.)

この金持ちの息子がいかにいい加減な男か、沖縄の海兵隊基地の問題という大きな懸案を抱える オバマ政権の関係者の間では、とうに共通認識となっている。鳩山はオバマ大統領に対して、2度、問題の解決を約束している。過去、長年の日米協議によって、普天間空軍基地は沖縄県内の人里離れた場所への移設が決定済みだった(この基地は現在、8万人以上が暮らす人口密集地のど真ん中にある)

But Hatoyama's party, the Democratic Party of Japan, said it wanted to reexamine the agreement and to propose a different plan. It is supposed to do that by May. So far, nothing has come in over the transom. Uh, Yukio, you're supposed to be an ally, remember? Saved you countless billions with that expensive U.S. nuclear umbrella? Still buy Toyotas and such?

それが、この鳩山の党が、もう決まった計画を見直したいと言い出したのだ。5月までに決着させるそうだが、この掟破りの成果は今のところ何もない。ユキオ?おたくの国は我が国の同盟国だったはずでは?核の傘に何億かかるか分かってますか? なのに我々にはトヨタを買えと?

2010/04/28

猿レベル

京都大学などの国際研究グループは、西アフリカのギニアで野生のチンパンジーの数十頭の群れを30年余りにわたって観察している。この群れでは、これまでに3頭の幼いチンパンジーが死んだことが確認されているが、母親は2歳半の子の死がいをミイラの状態になるまで27日以上背負って運び続け、ハエを追い払ったり、毛づくろいをしたりしていた。また、同じ母親のチンパンジーは、1歳の子が死んだ際は死がいを68日間肌身離さず運び続け、同じ群れの別の母親も2歳半の子が死んだ際、19日間、同じ行動をとっていたという記録もある。この群れでは文化的な伝統として、幼い子どもが死んだときに固有の行動をしているとみられる。

「愛情深い」あるいは「宗教的な」猿の群れのお話。

京都大学霊長類研究所は、「ヒトが死を悼み、弔うようになった起源が読み取れるのではないか」また「非常にまれで、しかも死を特別に扱うような行動」とコメントしていたが、これを聞いて不謹慎かも知れないがちょっと笑ってしまった。

これは「猿が人間のような感情を持って行動した」のではなく、「人間の弔いに関わる宗教心が猿レベルだ」ということである。

「牧師の言ってることは変だと思うが、出てしまうと葬式が心配だ」という年寄りは、各地の教会にいっぱいいるはずだ。まさに猿の発想である。

進化論もまた、己を猿レベルに貶める仮説である。「猿でいいのなら、猿でいろよ」というのが、神の答えだろう。

「無実の猿よりは、贖われる罪人であることを選んだ方が利口だぜ」というのが、私が伝えるメッセージジのアウトラインだ。

2010/04/27

家庭訪問初日

6年ぶりの担任としての家庭訪問はタイヘンだった。

「さあ出かけるぞ!」と昇降口に行けば、キンキンに入れておいたタイヤの前輪から空気が抜けている。のっけからトホホの出来事だが、気を取り直し、代わりのミニサイクルにまたがって出発した。ところが久しぶりの担任なので、知っている家はわずか2軒だけ。

「家はわからん」「時間は遅れる」「頭は痛い」と三重苦。

次が何軒目であろうが、迎える方はそうではない。一期一会の気合いが緩むと相手に失礼になる。

何とか最後のお宅を後にしたときには、軽い目眩が・・・

ふと新任の頃を思い出した。次の家がわからなくて、見上げた空も今日と同じように青かった。つくづく私は教員になどむいていないなあとしみじみ思う。人と会うこと、聴いたり話したりすることは、心身の活力を激しく消耗させる。私なんぞが、よく25年もこんなショーバイやってこれたものだ。

ひとつ大きく違うのは、あの頃オバサンに見えた母親たちが、お姉さんに見えること・・・

光陰矢のごとし。

2010/04/24

カナン教会5月の予定

予定は未定ながら、おおよその見通しは以下のとおり。

2 家庭礼拝(天理での礼拝はなし)
9 メッセージ ひねくれ者のための聖書講座⑮ 
16 分かち合い 聖餐式
23吉野での家庭集会
30 メッセージ 「エリコの戦い」(約束の地カナン⑤)

現在の月2回の割合でのメッセージは、まずまず無理ないペースで、私の健康にも良い。

毎回メッセージを終えると、「もう話すことなんか別にないや」と思うが、不思議と次回までには語るべきことが整えられる。

明日は、約束の地カナンのシリーズ第4回だ。「主の軍の将」というテーマで話すが、信仰における自己チューの問題にも触れることになるだろう。

ちょっときいてな

今年度は、Saltファミリーにとっても大きな節目である。

妻も職場が聾学校に変わった。教会に聾唖者の兄弟姉妹は来られなくなったが、身につけた手話が生かされている。下の息子は私たち夫婦が出逢った母校に行くことになり、ずっと夢だった高校野球ではなく、バスケットボールに転向した。長男は妹と一緒に再度受験する気配だが、さて、どんな展開になるのだろうか・・・・

主のなさることは深く、そして無駄がない。

私も4年2組の担任となって、新任のような気分で原点回帰。毎日疲れるが、実に面白い。

先日は参観日の国語の時間にLaugh&Peaceの「ちょっときいてな」をかけた。音読の工夫をさせようというねらいだが、親たちはちょっと固まっていた。

http://www.youtube.com/watch?v=285m8cJ2Qu8 【ちょっときいてな】

昨日は理科の時間に白衣を着て登場しただけで大いに盛り上がった。サイエンスの眼を持って予断や偏見を持たない思考パタンを身につけさせたいという願いをこめてのコスプレ。

いよいよ来週は家庭訪問。金曜日に自転車をチェック。タイヤにはキンキンに空気を入れておいた。

さて、「ぬく森の郷」に場所を移しての「新・リコーダー講座」が始まった。こちらも気分新たにとってもいい感じ。村おこしやその他のもろもろのことを考えずにすむので、荷はずいぶん軽くなり、純粋に音楽に向き合えそうだ。

来月はレギュラー参加者の銀じ郎さんの希望で、ちょっとインターバル短めだが、5月8日(土)の午後2時から、場所は「ぬく森の郷」学びの部屋にて。

2010/04/23

教会に「行く」「行かない」

教会に「行く」「行かない」の議論はそもそも不毛だ。

キリストを信じているなら、教会とは私なのだから。

私が神にとっては、「いばらの中のゆりの花」なのだ。

集まったところが、「ゆりの花束」ならいいけれど、パチンコ屋の開店の花輪みたいな造花だということもある。

造花は枯れないが香りもしない。

生きた植物なら、根をおろしてさえいれば、いのちはめぐる。

だから、行くべきところがなければ、行かない方がずっと正しい。「どこかへ行く」という発想ではなく、キリストが私を集まりの起点にされると信じて時を待つ、あるいはアクションを起こすというのが正しい。

聖書は、「何でもいいからとにかく集まれ」とは言っていない。「集まることをやめたりするな」とは言っている。それは「集まりの質を保って集まりを保持せよ」という意味だ。

教会に「行く」にしても「行かない」にしても、その先に「礼拝」があるかどうかの方がずっと重要である。

ただ「行く」ことにも「行かない」ことにもそれ自体意味はない。

「長年教会に行き続けたけど礼拝したことがなかった」というほとんど意味のわからないようなことが実際にはあまりにも多い。

聖日礼拝を守るべきかどうかも、虚しい話題である。

日曜礼拝の参加者が礼拝しているとは限らない。大声で賛美歌を歌っている人が賛美しているとは限らない。断食祈祷している人が祈っているとは限らない。

私はキリストを経由して返ってくる手応えをくれるような兄弟姉妹との交わり以外は信用していない。私たちの交わりは、「御父ならびに御子イエス・キリストとの交わり」だと書いてある。

キリスト教用語を羅列するだけの馴れ合いなんて、特に交わりとは呼ばない。礼拝とは集まることでも歌うことでも祈ることでもない。

どんな教会でも、同じ聖書を使い、たいてい似たような祈りをし、大して変わらぬ歌を歌っている。そんなことは同じ信仰の証ではない。

十字架を経ていないものは全て偽物であり、よみがえりとともにないものにはいのちがない。

2010/04/20

「おはボン」は原点

5周年目のアースデーでは、キンキ雑楽団が、壮馬が、Prinusが、それぞれに「おはよう・ボンジュール・ハロー」を演奏してくれた。今回Salt&Uribossaはビギンのリズムで演奏した。エンディングでは全員での合唱。6時間にわたる舞台にひとつの流れが出来て、演出としても成功だったと思う。

「おはボン」は、アースデーでは、いつも陰で動いてくれているY.B.M氏やつっちゃんたちと私を結ぶ曲でもあり、カフェテラスNZのイメージソングでもある。そして何よりSalt&Uribossa結成のきっかけとなったのもこの曲だ。

いろんな活動をしている市民団体のメンバーたちが、それぞれに出会いを紡いでくれたらという願いをこめて、第1回のアースデーでも歌っており、その時はクロマチック・ハーモニカのあらいなおこさんが吹いてくれたのを思い出す。

どうしても今回、「おはボン」を取り上げたかったもうひとつの理由は、最初にこの曲を録音してくれた森卓也さんの追悼のためである。彼もまたこの春に癌で急逝したのだ。

2日あけて今日は参観日。ギターを教科書に持ち替えて教壇に立つ。持っているのはギターだろうが、教科書だろうが、聖書だろうが、いつも私は変わらない。

世界に向かって語りかけることばは、復活の「おはよう」しかない。

2010/04/19

アースデー打ち上げ茶話会

若いミュージシャンたちが、自分の人生を賭けて真摯に音楽と向き合う姿を見るのは何とも嬉しいものだ。しかし、好きな音楽で簡単に家族を養っていけるほど、世の中そう甘くはない。しかし、それが難しいからといって、簡単に諦めたり方向転換をする必要がどこにあるのだろうか。

壮馬とプライナスのふたりが、熱く語っているのを見て、ちょっと心がふるえた。彼らの姿は決して愚かではない。はっきり言って、今の日本の音楽シーンで彼らよりもすぐれたミュージシャンがそれほど多く存在するとは到底思えない。それは、単なる贔屓ではなくほぼ正当な評価だと思う。

客観的に見ても商品価値の高い彼らが、人から商品イメージを押しつけられることには強い違和感を感じている。それが何とも面白い。

彼らも自分の本当のレベルを知っている。成功するとかしないとか、食えるとか食えないとかじゃなく、そんなことでやりたいこと、やるべきことが左右されてはいけないと彼らは本気で考えている。自分たちの選択について、妥協の上で安逸をむさぼっている連中に忠告されるようなことではないと心の中で叫んでいる。それは実に正しい。

川名君は言った。「もう競争するのはやめた。大事なのは心といのち。自分を裏切らない生き方であれば、それは音楽でなくてもいいんだ」と。それは、「何としても音楽を続けたい。いつかは成功するんだ」という薄っぺらな夢を見ている者のことばではない。

別れ際に、壮馬とプライナスは各々の音源を交換して再会を約束していた。とっても美しい光景だった。「人の演奏を聴いても感動することなんかあまりない」と言っていた壮馬の方から自分のCDを差し出し。マミちゃんがそれに応えた。

後ろで見ていた私は、Uribossa氏と顔を見合わせて「俺たちも右肩上がりでいかないとね・・・」と決意を新たにした。

2010/04/16

5周年

このクソ忙しい時期に、毎年恒例になった土日連続のビッグイベントのお知らせ。

「カフェテラスNZ」も「アースデーならsouth」も、ともに5周年を迎える。

いずれも何となくお手伝いをしてきたが、気がついたら相当なエネルギーを注いでいた。「頼まれると嫌とは言えない」というところも無くはないが、「期待されると期待以上をかたちにしたい」し、何より楽しいから続いている。

あと何年やれるかはわからないが、やめる理由の方が続ける理由よりも納得できそうなら、きっと自然に始まったように自然に終わっていくのだろう。「ふるさと元気村」撤退みたいに、突然思いがけずに終わりが来るかも知れない。

☆Prinus LIVE at カフェテラス NZ
~NZ5周年記念~
プライナスとは、ちょうどよいところ、バランス・調和・全体を表しています。
名古屋を中心に活躍する本格的J-POPバンド。
翌日のアースデイならSouthにも出演します。
日時:4月17日(土)15:30~場所:カフェテラスNZ(奈良市法蓮町1330-1
TEL・ FAX:0742 - 42 - 7115)チャージ:1500円(ドリンク代別)

☆アースデイならSouth2010~たのしみながら考えよう、環境のこと~
日時:4月18日(日)10:00~16:00
場所:橿原文化会館前広場(近鉄・大和八木駅下車すぐ)

内容
◎ステージ
10:00 オープニング
10:05 アクティブサポートwhat’s up?(ヒップ・ホップ)
10:20 はちみつ(コーラス)
10:50 キンキ雑楽団
11:20 楽団ひとり(大道芸)
11:50 石橋愛史 (ハワイアン)
12:10 Salt&Uribossa (ボサノヴァ)
13:00 アクティブサポートwhat’s up? (ヒップ・ホップ)
13:15 壮馬(ギター弾き語り& ジャンベ)
14:15 吉村恵美子(歌謡)
14:45 prinus(ポップス・ユニット)
15:45 エンディング「おはよう・ボンジュール・ハロー」(出演者全員)

◎リサイクルマーケット自転車、衣服のリサイクル、苔玉、手作りカバン、ステイショナリーなど
◎飲食バザーシュハスコ、無農薬梅干、サーターアンタギー・沖縄物産、郷土伝承・サナブリ餅など
◎子どもの遊びコーナー
◎一箱古本市
◎環境のみどりのハンカチ(本部企画)
※24日の「アースデイ2010 in なら」につなぐ共同企画

2010/04/14

「冥福を祈る」を常用すればいい

先日来られた宣教師のご婦人に「Saltさんはどれぐらいの漢字が読み書き出来るか」と尋ねられ、「そうですね、きちんと読み書き出来るのは2500文字くらいでしょうか・・・」と適当に答えた。今日のニュースによると、常用漢字が少し増えたらしい。これで常用漢字は2136文字になった。とすれば、いくら何でも2500くらいなら何とかなるだろう。三鷹市の市長が「鹿や熊が常用漢字になったのに鷹がはずされるのは合点がいかない」と話していたのが面白かった。

「あの字をはずそう」「この字を入れよう」というようなことは、文化審議会国語分科会の漢字小委員会というところが決めるらしいが、おせっかいなことだ。

「常に用いる」って何だ?

この「常用」は「携帯」と似た響きがあって何となく信用出来ない。

「携帯電話」を略すなら正しくは、「携帯」でなく「電話」だろう。「携帯」するなら「傘」の方が歴史がある。でも、「携帯傘」を「携帯」とは言わないだろう。私の母は、携帯をほとんど携帯しない。持つのが重いのだそうだ。母の携帯はリビングのテーブルの同じ場所にいつも置いてある。そして時々孫とメールをやりとりして満足しているのだから、そんなものを「携帯」と呼ぶのは奇妙に思える。

まあ、そんなことはどっちでもいい。母の使い方もそうした道具の呼び名でも、みんなが呼ぶように呼ばなければ、感覚を共有できないではないか。だから、私も電話に出たり返信したりが面倒臭いときは数日にわたってあえて携帯しないこともあるが、「時々ケータイ」とか「気まぐれ電話」とは言わずに、世間の例にならって「ケータイ」と呼んでいる。

表現やことばについてこだわるというのは、本質的にそういうことではないのだ。

教会が「エクレシア」であることは知っている。「エクレシア」はもちろん「教える会」ではない。でも、カナンエクレシアではお菓子屋さんみたいではないか?別にカナン教会でいい。そんなところでこだわりを見せてもしゃあないのだ。

違いをわかっていることは大切だ。しかし、それを抱き込みつつ、きちんと分別していることが大人の態度である。

若者のことばの乱れが・・・言葉の使い方が・・・・どうのこうの、本当の意味はかくかくしかじかと、蘊蓄をたれる人は何処の世界にもいる。しかし、ことばなんか所詮は記号なのだ。どっちが正しい記号かというようなことは愚かな議論だ。大事なことは、「なぜ本質が別の記号にスライドしたか、そのズレが本質の捉え方にどんな変化をもたらすのか」ということだけ。

「冥福を祈る」という言葉がある。リクエストがあったので、面倒くさいけど、「・・んなこたあ、どっちでもいい」ということを言うために無駄な蘊蓄をたれてみる。

冥福とは厳密に言えば、冥土における幸せのこと。冥土とは死者が亡くなってから49日間さまよう場所のこと。仏の道においては、生前の行いを裁かれ、次の世界を決める場所であるとされる。大乗仏教である浄土真宗十派では死んだ瞬間に即得往生で仏の仲間入りをするので、他宗の様に冥土の旅そのものが存在しないので、その最中の幸福を祈るということはそもそも意味が無い。

「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」というわけだ。「真宗なおもて冥福を祈らず、いわんやキリスト信仰をや」ということなのだろうが、「仏教用語じゃないのか」という指摘の中でも、このように教義は分裂しているわけだ。

「普通の感覚」だとこの辺りでどうでもよくなってくるはず。

だから、普通の「死後の幸福」という程度の意味で使っているのなら、クリスチャンが「冥福を祈ります」と言っても別にかまわないと思う。クリスチャンが「多分信じていないだろうな」という人の死に際して使うふさわしいことばが他には見当たらないでしょう。

死んだ者はいくら祈っても甦らない。人が死んだら誰であれ、死を悼むのが常識。時として歪んだ信仰は人を無神経で不謹慎にする。

私は食前にとってつけた祈りはあえてしないが、給食の前には子どもと一緒に「合掌」する。別にパンやおかずを拝んでいるわけではない。

「冥福を祈ります」は、亡くなったときの、良くはないけど、悪くはない決まり文句だと思う。キリスト教の手垢にまみれた表現よりはよほど自然なことばだと思う。

それよりも、唯物論者こそ、自分たちの持論にふさわしい弔いや慰めのことばを考えればいいと思う。「死んだら終わり。死後の世界(霊界)も輪廻転生もありえない」と信じる人は、代わりにどういう言葉を使うのかを聴いてみたい。

2010/04/12

2匹の魚と5つのパン

やらなければならないことが山ほどあるが、どこから手をつけようかと思案する。思案するうちに喫緊の課題が迫り、取りあえずはそこから・・・という繰り返し。あまり良いリズムではない。

今年は2月から飲み始めた漢方薬のおかげで花粉症のダメージは軽いが、大切な友人知人の死や子どものダブル受験に加え、仕事の役割や元気村撤収などの環境の変化もあり、春先の体調は最悪。

昨日も教会にはたくさんのゲストをお迎えしたのだが、肩こりと頭痛がひどくて、きちんとメッセージが出来たのか、まともな受け答えが出来たのかかなり不安が残る。

しかし、こうした様々な制限があることは幸いだ。時間も、能力も、意欲も、健康も、すべてに満たされ、豊かに溢れていることなんてまずない。私たちがどういう状態であろうと、ただ主にあるからこそ、私たちの手持ちの力である2匹の魚や5つのパンが役に立つ。

2匹が1匹でも、5つが3つでも問題ではない。私たちがそれを喜んで主に差し出し、主がそれを裂いて祝福してくださるかどうかが鍵なのだ。

追記
(昨日来てくださったみなさん、右目を腫らし、口は半開き、肌つやが悪く、無愛想なSaltですみませんでした。本当はいろんな点でもうちょっとだけマシなんです。)

2010/04/10

折りしも、オネシモ

昔コロサイの町にピレモンという人がいた。彼はオネシモという奴隷を所有していた。詳細は明らかにされていないが、オネシモは主人であるピレモンに何らかの借りのある状態で逃亡する。その後、オネシモはパウロと出逢い信仰を持つ。パウロはこのオネシモをピレモンに送り返し、主にあって兄弟として迎えるように促す。(ピレモンへの手紙)

長男の大学受験の件ではいろいろと励ましのコメントをいただいたりした。

はからずも父としての情を醸すような文章を書いてしまったが、実はその後の展開の中で、大いに教えられることがあった。

主の不思議なお取り扱いの中で、私は「父」として「教師」として、根本的に駄目出しをいただいた感じを持っている。それは、とても苦く甘い経験だった。

親子は主人と奴隷ではない。そんなことは当たり前だ。しかし、子どもが親に対して妙な「負い目」を感じているようであれば、何かが違っている。

私は何があろうが、子どもが「健やかな状態」でいられるように育てて来たつもりだったが、いくつかのダメージは彼から「健やかさ」を奪ってしまった。


私は彼を「主にある兄弟として」(ピレモン16)迎えなければならない。けれども、私は心の何処かで課題を先送りしていた気がするし、そういう感覚は正直あまりなかった。

彼の問題は何であれ最終的に私が責任を持ち解決してやる覚悟でいたし、それが正しいと思っていた。だが、どう考えても私には初めからその力がない。

「父」として「教師」としての私が、無能感、無力感、自己嫌悪に襲われる。

「彼は私の心そのもの」(ピレモン12)と言えるような子どもであって欲しいという願いと現状との大きなギャップ。

しかし、ピレモンは、「パウロの助けによって」オネシモを永遠に取り戻す。

「彼(オネシモ)がしばらくの間あなた(ピレモン)から離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう」(ピレモン15)

このみことばは私を深く慰めた。まさに「折りしも、オネシモ」という感じ・・・

アブラハムは約束の子イサクを捧げて再び取り戻す。

「彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです」(ヘブル11:19)

このみことばは、かつて恋人であった女を妻として取り戻す時にも私を支えたことばでもある。

私はきっと息子を取り戻すだろう。それは受験や進路がどうしたとかいうレベルのことではない。

信仰とは・・・
礼拝とは・・・

理屈や概念ではない。それは、「今、生きること」であり、「今、選ぶこと」であり、「今、委ねること」だ。あらゆる場面で主を主とすることは、キリスト教の牧師の説教のように簡単ではない。

2010/04/09

すぐ手の届くところにある真理を拒む心理

人は抽象的で複雑な議論を好む。

深い葛藤や苦悩も意外にけっこう居心地が良かったりする。

それは最も敵の得意とする領域でもある。

かつては、私も風車に立ち向かうドン・キホーテの如く、敵の何たるかも知り得ぬ状態で自力でねじ伏せようなどとも考えたが、そういう発想自体が敵の思う壺。

答えはいつもあまりに簡単。この簡単な結論に一筋に思いを向けるのが難しいだけなのだ。

つまり「聖書にこう書いてある」と宣言すること。これに尽きる。

しかし、人が心からこれを宣言するには、私たちのプライドは高すぎ、少しは物を知っている。

だから殆どの人たちがたった10日ばかりの道を40年もさまよって、結局「約束の場所」に至らないといったことが今日も同じように起こるのである。

2010/04/07

4年2組始まる

4年2組の担任の先生として1年のスタートをきった。

それにしてもよくこれだけ次から次からやることがあるなあとびっくり。

いっさい工夫せず、ほとんど努力しなくても、ただ雑にこなすだけでも十分面倒くさい。

もともと学校にいること自体がそんなに好きではないので、全然やる気はないのだが、これだけ面倒くさいことをやりながら、何の工夫もせず、いたずらに時を過ごすことにはもっと耐えられないので、結局いつもあれこれ仕掛けをしてしまう。これはもう性分なので仕方がない。

さて、26人の子どもたちと対面。目の前に子どもが出て来ると、やはりエンジンがかかる。どいつも、こいつも、みんななかなかかわいいじゃないか。休んだ子にもその日のうちに教科書を届けてやろうと家庭訪問。

学年だよりの各担任からのコメント欄には、「楽せず、楽しく」とひとこと。「楽」を覚えたら、「楽しみ」なんかなくなる。子どもに楽させてはいかん。教師も楽しようと思ったらいかん。

今日はこんな話をした。
「アルファベットは26文字。26文字の組み合わせですべてのことを言い表せる。これってすごいことです。逆に一文字欠けても言えないことがある。26人いるということはそういうことだよ。」

子どもたちは、ふーんという顔をして聴いていた。

さて、彼らと一緒にどんなドラマをえがくことになるのだろう・・・・

2010/04/04

ワラシはワタシ

さて、ふるさと元気村を出た創作実験工房「童」だが、私は別に荷物の置き場に困るくらいで、よく考えてみれば創作実験工房「童」というのは、ふるさと元気村2番教室の名前というよりは、私自身のことなのだ。

工房名をつける時は、ずいぶん悩んだが、「童」と書いてワラシと読ませた。昔風、田舎風の子どもの呼び方である。呼び方だけでなく、子どもは昔のように育たないと田舎っぽい環境で育たないと駄目だと思っている。子どもは緑や水や風のない町でまともに育つはずがない。

「童」という字は「里の上に立つ」と書く。それが気にいったのだ。さらに「童」という字は土の上に音が重なっている。まさにsound of earthではないか。しかも、私は3人の子持ちで男の子も女の子もおり、おまけに小学校の教員である。このネーミングは今でも最高だと思っている。

私が生きている限り、創作実験工房「童」はつづく。

というわけで、今月のリコーダー講座は、場所を室生ぬく森の里・学びの部屋に移して実施することにした。

4月24日(土)10:00~12:00

http://www.city.uda.nara.jp/nukumorinosato/index.html【室生ぬく森の郷】

しおどき

今日は、SiGNの写真茶話会に行く予定だったが、引っ越し先のない工房の片付けに追われた。

一枚一枚絵をはずしながら、一枚一枚を同じ絵をかけていたときのことを思い出した。

キリスト教徒にとってはおよそどっちでもよさそうな「村おこし」に関わったのには、私なりのちょっとしたこだわりがあった。

どこの村や町に行っても、その集落に住む人を無視して、ひたすら「教え」や「文化」を押しつけてきた世界宗教としてのキリスト教に対して、私は強い反発を持ち続けているからだ。この世に厚顔無恥のおせっかいほどウザったいものはない。それをわが主の名と権威をもって人殺しまでやるのだから、赦されようはずがない。

アメリカの星条旗信仰を批判して教会を追われたから根にもって恨んでいるわけではない。ただ、イエスはそういうやり方は決して好まれないという確信があるのだ。そうした熱心は正しい知識によるものではない。

室生での村おこしにおいて私が自分に課したテーマは、「何もない村にある価値を相対化すること」そして、「参加者にアートを通して体感してもらうこと」だった。私は「価値を相対化出来る力」や、「自然のうつろいを味わいアートを楽しむ心」は福音の種を育てる土壌だと思うからだ。

集団の中に溶けこもうとしても、やはり私は溶け残る異物であったという証明を得たことは、当然の結末と言えばそれまでなのだが、みんないい人ばかりなので、気持ちは多少複雑である。

片付けの合間に食堂でうどんを食べていると、「またたっぷり時間が出来たら、戻ってきてください。待ってますから」と館長の奥さんが声をかけてくれた。

関係者の方々は、私が出て行ってほっとしておられるだろうし、反面、まさか出て行くとは思っていなかっただろうと想像する。彼らが組織として私に出した提案は、「妥協」を迫ると言うよりは、「交換条件」という程度のもので、普通の人ならまずOKしている程度のことだったからだ。

しかし、この提案は、私にとっては潮時、まさに「塩時」を教えるものとなった。ちょうどこの話に前後して4月からは6年ぶりに学級担任に復帰することが決まった。どんなに時間をうまく使っても、管理運営上の規則を守れそうにはない。

工房運営に関しては、やはり自分の力量不足を痛感した。「忙しい」「しんどい」は言い訳にならない。複数の人をみんなに気持ちよく動いてもらうのは難しいし、経済をまわすのも大変だ。でも、もう少しうまくやれば不可能ではなかった。まだまだ何処かに甘さがある。いつかまたどこかで何かを始めるとしたら、その時の良い準備になった。

2010/04/03

さらば「ふるさと元気村」

2007年、私は「ふるさと元気村」の常設アーチストとしての招きを受け、創作実験工房「童」を立ち上げた。そこで数々のワークショップを企画・主催してきた。

現役の勤め人が、さびれていく地域のために貢献できることは何かないだろうか。そんな小市民としての正義感に燃えて立ち上がったのである。アートと癒しと村おこし、けっこう面白いテーマである。

「ふるさと元気村」は廃校になった田口小学校を文化芸術活動体験交流施設として再生させたものだ。

私の生業は「世間が狭い」などとしばしば揶揄される学校の先生だが、私には誰にもそんなことを言わせない幅拾い分野の友人たちがいる。しかも、それぞれの道の達人も少なくない。こうした出逢いを、ただ私が面白がっているだけではもったいないと思ったからだ。

アトリエは、最初から自己実現の為の制作の場所ではなく、何でも出来る実験工房としてスタートさせ、私が教えるのではなく、それぞれの道のプロに来てもらって、間口が広く奧の深いワークショップを体験してもらうことにした。私はコーディネーターに徹し、講座の時は、私も生徒としてお金を払って参加するスタイルをとった。

他の工房は、それぞれに「陶芸」や「竹細工」や「一閑張り」や「切り絵」をしておられるのに対し、私のやっていること、やろうとしていることは、初めからまるで性格が違う。
他の人は大体、毎日来られて工房を開けているのに、私は月に数回しか来ない。

月に2回の講座も1日にまとめて、午前と午後にしている。この講座の質と成功にかかっているわけだ。しかし、雪の多い冬場は期待するほどの参加者が見込めない。せっかくの企画にも少人数の参加者では申し訳ないので、2009年からは苦肉の策として、自らが講師となってリコーダー講座を始めた。これは参加者が少なくても自分が講師なら気を使わなくてすむという極めて後ろ向きな理由で始めたのだが、これがウケた。伴奏者としてmomoちゃんが来てくれてからはますます面白くなり、神戸でも出張講座が開かれた。これなら、まだまだ続けられそうだ。そう思って、この春からも契約を更新しようと思っていた。

ところが、皮肉にも元気村全体の活動も活発になり、また宇陀市の管理が強化されることで、講座の日以外は閉じられている私の工房のあり方について、いろいろな意見も出るようになった。やはり、組織が妙に機能し始めるといのちの働きを損なうのである。

館長さんや、工房を取りまとめる代表者の方は、私が音楽室を自由に使えるようにして、元気村に残れる道を考えて、新しい提案をしてくださってはいたが、何回かに渡る話し合いの中で、彼らの善意とともに、一番根本的なところで「私がそこにいることの意味や価値」がほとんど伝わっていないことを感じることとなった。それで、互いの違和感が限界に達する前に、工房をたたんで元気村を出ることに決めたのである。

初めから自分の居場所や自分のやり甲斐を求めて始めたわけではないので、寂しさはほとんどないが、「そんなもんなんだなあ・・・」と思う。私がここにいて活動していることを励みにしてくださっていた方々には少し申し訳なく思う。

この3年足らずの間に、本当にいろんなところから、いろんな方が来てくださって、実に楽しかった。かなり濃密な想い出が出来た。改めてスタッフや協力者の皆さんに感謝したい。

「こけ玉づくり」や「ビオトープ」や「寄せ植え」など、子どもから大人まで幅広く取り組める内容で、植物の魅力を再発見させてくれた「植物屋・風草木」のJunpei君。

「流木アート」や「ダッチオーブン料理」でアウトドア魂を見せててくれた理想工房Craftのつっちゃん。

私をもうならせた圧巻の「デジカメ連続講座」で自分自身写真熱に再び火をつけてしまうことになったSiGNのY.B.M氏。

「アロマの香り」で工房を別の空間に変えてしまった「CalmDays」のイソカイさん。

たくさんのスタッフを引き連れて、「さをり織り」を明るく楽しく指導してくれた「アトリエSUYO」のすーちゃん。

私の企画展「44eyes」のために特別に額を制作し、「青空工房」でたくさんの仲間を呼んでくれた「wood Craft空sora」の松永さん。

素敵な宿を提供して、いつも仲間をもてなし、私を励ましてくれた「栗の木の家」の竹本さん。

旅の音楽家丸山さん、笛吹きの野田さん&赤星さん、そして相方のUribossa氏と姪っ子のMomoちゃん。そして、陰で支え応援してくれた妻と子どもたちに感謝している。

2010/04/01

走り寄る愛

互いに肉体という弱さや制限を負いながら「イエスを共有している」ということの価値、この時空にあって永遠の今を生きていることの素晴らしさを思う。

主が与えてくださる出逢いとそのタイミングはいつも人知を遥かに越えている。交わりは、確かに主よってつながれている。

ヨナの頭上には「とうごま」が、ザアカイの足元には「いちじく桑」が備えられる。そして、アナニヤやパウロに、コルネリオはペテロに会いに行く。

しかし、クリスチャンは「宣教」とか「伝道」のために生きているわけではない。「生きることがキリスト」であるから、死ぬことも益なのだ。キリストではない事業を目的にするといのちを失う。教団や教会という組織による囲い込みの無意味と無力を笑おう。

この世における成功にも失敗にもそれ自体には意味はあまりない。「今どこにいて何を見ているか」大切なのはそれだけだ。

もし主を正しく主とするなら、私たちは祝福から逃れることなど出来ない。私たちが自らの重さで何処まで堕ちてもさらに主は低いところで受け止めてくださる。闇が深ければ深いほど光はその輝きを増す。

今日は走り寄る父の愛を感じ、胸いっぱいで過ごすことが出来た。準備されるのは、ぴったりの服、ぴったりの指輪。ぴったりの靴。