2009/10/22

少し前に、NHKが取り上げた「10歳の壁」という教育問題に触れた。もう少し前に村上春樹氏の「壁と卵」のメタファーについてもコメントした。

壁というのは、壁の両側にある「世界」を隔てるものである。両側に「世界」が無ければ壁の存在に意味はない。

壁の両側の「世界」は本来一続きであるべきものが何らかに理由によって隔てられているのか。それぞれの「世界」の異質さのゆえに、そこに壁という境界線を作らざるを得ないのか。

壁の向こう側に何があり、壁のこちら側に何があるのか。また、壁を構成する要素は何なのか。壁を構成するのは硬くて四角いブロックではなく、もろくて丸い卵ではないのかという問題にも、もう少し踏み込んで考える必要がある。

「10歳の壁」という場合、その壁は誰が何のために作り、その向こう側とこちら側に何があるのか。また壁の存在を語る大人は、壁のどちら側にいて、それをどう見ているのか。そういうことをこそ真摯に追求し、明らかにする必要があるのではないか。

最初にこのことを言い出した者は、いったい何人の10歳のどんな事実を取材したのだろう。10歳の事実に関しては、私は少なからぬ情報を持っている者として問いたい。

少なくとも、「10歳の壁」は、子どもが自らの行く手を塞ぐために、自ら積み上げた壁ではない。はじめからそんな壁はあると思う人にしかないのかも知れないし、簡単な回り道や抜け穴によって回避出来るかも知れない。

ある種の偏った価値観をもったおせっかいな連中が、やれ「ゆとりが必要だ」「学力が低下した」といってはから騒ぎしているだけだという気がしてならないのである。

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