2011/05/27

seasoned with salt から seasoned with saltへ

今度は匿名でもコメントできなくなったので、6月を待たずに引越しします。
自分の車のエンジンがかからず、家にも入れない感じです。

http://lastsalt.exblog.jp/ (seasond with salt)

2011/05/26

引越し



電気屋さんのブログ消失や、コメント欄の不具合など、いろいろあってBloggerのサービスにはちょっとイラっときていたのですが、今日は管理人の私を匿名扱いにされたことで、5月いっぱいでのブログの引越しを決めました。準備が整い次第、お知らせします。




明日から、いやもうほとんど朝ですね。30分ほど時間を無駄にしました、ブログは大事にしたいですが、余計な時間や労力を注ぎたくはないので、そそくさと引越します。



明日と野外活動の引率です。天候が心配ですが、雨には雨の味わいもあるでしょう。




楽しんできます。

2011/05/25

イーネ!


もちろんボサノヴァが一番ピッタリくるわけだが、クレイジー・ケン・バンドなんかもけっこう好きだったりもする。

イーネ!つながりで、今日は稲の話題。

今年はベランダに50個を超えるバケツを並べ稲を育てている。

1年毎に、こんなにもわかりやすい実りがあるのは凄いなあと改めて思う。

いろいろとイラつく様なネタも尽きないが、稲の生長を見ながら、いつもイーネ!と上機嫌でいたい。

2011/05/23

Watashi wa Denki



アースデーならSouth 2011でのSalt & Uribossa with Itaminhoのパフォーマンスの一部が、You TubeにUpされました。すごく暇なときに、ご覧ください。きっと誰にでも耳なじみのあるあの曲ですが、タイトルはWatashi wa Denkiとしました。奈良には津波は来ないけど、あの日は、とにかくもの凄い風でした。

http://www.youtube.com/watch?v=Qb_8Pywte1s

2011/05/21

写真のない写真集

去年撮りためた写真とじっくり向き合うこととなり、嫌でもいろいろと考えた。デジタルカメラの便利さと不便さを深く心に刻む1日となった。

人は何を「記録」し、何を残したいのか、また、それを時々振り返ったり、共有したりしようとするのか。恣意的な「記録」は、変質した「記憶」に変換される。

カメラには、そんなセコイ装置としての一面がある。

ファインダーによって切り取られた時空は、ある意味で死んでいる。3次元から2次元へと次元を落としてまで撮り手の意思を反映させるためだ。それゆえ、写真は決して「真を写したもの」ではない。

つまり、その時空の切り方や変換の妙が問われる。写真の情報として、被写体に関する事実とともに撮り手の精神が読み取れるようなものこそ、写真としての独立した価値を持つものであろう。

素人がコンデジで撮った日常の写真ではあるが、私がそのとき何を見出し何を感じたかが、ある程度正確に写っている。

私にはまだ写真として独立した価値を持つものは撮れない。ただ、私の記憶を再生するきっかけとしては、極めて有用であると言える。

Y.B.Mさん、以上が私が昨日考えたことの約半分です。

2011/05/20

神の仕業


与謝野馨経済財政担当相は、20日の閣議後会見で、東京電力の福島原発事故について、「神様の仕業としか説明できない」と述べた。同原発の津波対策に関しても「人間としては最高の知恵を働かせたと思っている」と語り、東電に事故の賠償責任を負わせるのは不当だとの考えを重ねて強調した。

与謝野さんは、先月、自己評価が最悪のレベル7になった際にも「原発は電力供給の為に必要」と断言し、事故の評価にかかわらず今後も原子力発電を推進していくと語っている。自民党政権時代に通産相として原発を推進してきた責任を問われても、「謝罪する気はない」と言ってのけた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110520-00000050-jij-pol




カルフォルニア州で福音派ラジオ局「ファミリー・ラジオ」を運営するハロルド・キャンピングという爺さんによると、明日5月21日、キリストの再臨があるそうだ。

米東部標準時間で午後6時から、世界の各地で今まで見られなかったほどの大地震が起こり、キリストは再臨し、聖徒の霊は墓場から蘇える。

世界で約3%の真のキリスト教徒のみが、キリストとともに天に昇るというラプチャー(携挙)が起こる。取り残された者は、10月21日の地球滅亡まで地上で苦しむということになっている。

全米に1200の広告板「聖書が保証する」を立ててきた。中には、妻子をおいてツワーに参加した人や、退職金をはたいて広告用ポスターを作った人もいるそうな。ニューヨーク・デイリー・ニュースによると、ロバート・フィッツパトリックさんもその一人である。フィッツパトリックさんは、退職金から14万ドル(約1440万円)をはたき、「大地震!審判の日:5月21日」というポスターを作り、ニューヨーク市内の地下鉄やバス停に掲示しているのだとか・・・

どうでもいいけど、彼らのこれから先のことを心配してあげたい。

http://www.newsmag-jp.com/archives/8269

いずれも神様の仕業だろうか?

神の「存在」についても「救済」についても、人は何でも好き勝手に語ることが出来る。間違ったことを言っても、急に天からの罰がくだるわけではない。

与謝野さんは決して「学校の成績的」には頭の悪い人ではない。しかし、言っていることは馬鹿としか思えない。

ハロルドが手に持っている聖書には私の聖書とちがうことが特別なことが書かれているわけでもない。しかし、普通に読み間違っている。

人は同じ現象を見ても同じように感じるわけではないし、同じ聖書を読んでもその反応は同じではない。

私は与謝野さんとは違う意味で津波も事故も神の仕業だと思う。また、ハロルドよりも切にキリストの再臨を待ち望んでいる。

人は自分が見たいようにものを見、信じたいように信じるだけだ。私も自分の見立てと信仰を裁かれるだけのこと。与謝野さん、ハロルドさん、覚悟はよろしいかな?

2011/05/19

スイッチ



ある日の放課後、どういう風にスイッチが入ったのか、突然ふたりの女の子が、「ベランダをそうじする」と言って掃き始めた。バケツ稲の準備で土が散乱していたのでかなり汚れていたのだが、彼女たちのおかげでずいぶん綺麗になった。別に私にほめてもらおうというわけではない。逆に遅くなって、「早く帰りなさい」と叱られたくらいだ。晴れ晴れした笑顔でふたりは帰って行った。

良いことは「ただそれが良いことだから」という理由だけで追及できる価値であることを、小学生の彼女たちはちゃんと知っているのだ。そこには大人のようなせこい駆け引きなんかない。

良いことに向かう自分を他者の瞳に映そうと意識し始めると、善は純度を失う。これはカントの哲学の大きなテーマだ。

善と悪は対立する同じ強さの概念ではない。悪は善と同じように、「ただそれが悪いことだから」という理由では追及できない。悪には、それが良いことであるかのような見せかけや嘘が必ずある。

聖書が語るように、悪魔は堕天使であって「腐った善」すなわち「偽りの父」なのだ。彼に追従する者は恥を見ることになる。

私たちがある行動に向かうとき、どのような動機で自分のからだにスイッチを入れるかはけっこう重要なのである。

2011/05/17

被災地からのレス



先月、仙台の方の紹介だということで、東京の牧師さんから、「最近自分が本当にみことばも神もよく知らないでメセージをしていることに気付いて、改めてみことばの奉仕をしていることに対して恐れおののく気持ちになった」という主旨のメールをいただいた。

教会を離れた方や教会に行けない方、行きたくない方からのレスは多いが、大きな教会の牧師さんから謙虚なお便りを頂いたことはなかった。又、それが仙台で被災された方からの紹介ということを知らされ、さら驚いた。

そして今日、原発事故による放射能汚染に苦しむ福島からのコメントがあった。

初めまして。小学生男子2人の母です。福島市に住んでおります。私達はもうどのくらい被曝したんだろう…と考えると、無邪気に笑う子供たちに本当に申し訳なく思います。大人の責任として。私はクリスチャン初心者?で教会に行っていません。お聞きしたいのですが、神様にお委ねすることと自分の努力や知識で行動することは対立することなんでしょうか。例えばまず神様に祈りや感謝があり、その上で現実的に動くことは御心にかなうのでしょうか。この場での質問をお許しください。それでは失礼します。



非常に本質的な的を射た質問だ。私は「人の努力も神から切り離されて独立あるいは、対立するものではなく、すべてが神の範疇にあると捉えることが神に委ねるということではないかと思っている。人の知識や感覚ではなく、みことばが祈りや感謝を正しく方向づけてくれるのではないか・・・」という意味のことを、コメント欄に書き込んだ。

語る責任の重さを改めて感じている。

2011/05/15

SaltもSaft


スポーツ大好きなSaltだが、それよりもさらに音楽や美術が好きだったため、学生時代はスポーツに打ち込むことはなかった。

スポーツは何でも好きだが、特に格闘技と球技が好き。見るなら格闘技、やるなら球技という感じ。今日は職場のなかまとともにソフトボールの大会に出た。

最年少は23歳、最年長は62歳というチーム。40以上が過半数を占める。他のチームより明らかに年齢層が高い。他のチームはユニホームをばっちりキメているが、我々は100均のTシャツにマジックで背番号を書いて毎年参加している。これで強けりゃ格好いいんだが・・・・

思うようにからだが動かなくても、ただからだを動かすことは楽しい。「けがをしない」が目標だったので、余裕でクリアできた。しかも、今日はチームが待望の1勝。

やっぱ、からだ動かさないとなあ。

写真は、感動を呼んだ北京五輪の女子ソフトボールチームだが、すごい試合を見るより、ドンくさい試合でも自分がからだを動かした方がおもしろい。

2011/05/14

のどがかわいた


指導要領の改定によって教科書がかなり分厚くなり、内容も刷新された。国語の読み物でウーリー・オルレブの「のどがかわいた」という作品に取り組んだ。

登場人物が4人出て来るが、次のページをめくれば、そのうちふたりは消えてしまう。主人公と友人はほとんどことばもかわさす、これといった事件もおこらないまま、物語は淡々と流れていく。メインのシーンでも約1時間ガリラヤ湖でただ立って空想しているだけというお話。ほとんどあらすじを書き様がない不思議なドラマである。全く性格のちがうふたりが「水を飲む」という行為の中に、お互いのかわきを感じ取り共感するのだが、このかわきを象徴する背景は日本の小学5年生には読み取り様がない。教える先生達だって、ユダヤ人のことなどろくに知るまい。

というわけで、内容はかなり難しい。わかったつもりになって教え、わかったつもりになって学ぶことは出来るが、この作品を本当に理解するのは易しいことではない。数ある児童文学の中から、誰がどういう意図でこの作品を教科書に採用したのか、また採用されるに至ったのかは興味がある。

写真は、この作品の舞台でもあるガリラヤ湖。私が2001年に撮影したもの。

1931年、ポーランドのワルシャワの裕福な医者の家に生まれたウーリー・オルレブ。幼いころは、自分の出自がユダヤ人であることを知らずに育った。第二次世界大戦がはじまり、町がドイツ軍に占領されると、ワルシャワの学校に通っていたウーリーは担任の先生から「君はユダヤ人だからもう学校に来てはいけない」と言われた。そのうえ、ポーランドの士官だった父親はロシア戦線に送られ、その後、ロシアで捕虜になった。母親とウーリーと弟の三人はゲットーで暮らすことになったが、ウーリーが11歳の時、母親はドイツ軍に殺害された。(著書:ぼくと弟のホロコースト「砂のゲーム」より)

2011/05/12

雨あがる



月末に予定されている野外活動のハイキングコースを歩いて来た。歩き始めは小雨が降っていたが30分も歩くと雨があがった。創立記念日なのにお仕事はちょっと辛いが、森の緑や田植えを終えた水田が美しい。

写真は都祁山口神社。20年以上前に山口神社の祭礼の映像を撮るために取材に来たことがある。当時勤務していた都祁小学校が県の音楽研究会の会場校となったためだ。それにしても懐かしいなあ。

2011/05/11

自然エネルギー義援金


アースデーならsouthでのCDの売り上げの中から10000円を、東日本大震災、自然エネルギー義援金とさせていただきます。

今日の夕方、実行委員長の伊藤満氏が職場まで取りに来てくれました。伊藤氏は14日から青森の児童施設に別口の義援金を届けるそうです。

残りはUribossa氏が赤十字社に送ってくれます。

みなさん、ご協力ありがとうございました。


http://www.isep.or.jp/tunagari-project.html 【環境エネルギー政策研究所HP】

2011/05/10

鉢かつぎ姫


今年は校庭の片隅に田んぼを作り、ベランダではバケツで稲を育てる。一人ひとつ色とりどりのバケツを持って土を入れに行ったのだが、黄色いバケツが気に入った私のクラスの姫たちが頭にかぶっている。「そんなものをかぶってはいけないよ」と注意すべきなんだろうが、「鉢かつぎ姫(正しくは、鉢かづき姫)」という御伽草子を思い出して面白くなってきた。まあ、いいか。女の子が楽しいと世界は明るい。

2011/05/07

土下座




ろくなニュースがないが、最近見た中で最低のものは、福島のおばはん(あえて「おばちゃん」と書かない)が、土下座する東電社長を罵っていたもの。気持ちはわからないでもないが、「ちょっと違うやろ・・・」と思う。

土下座する東電社長も相当覚悟を決めたのだろうが、被災者の怒りのことばも芝居がかっている。TV局のデイレクターが台本書いたのか?

それにしても集団土下座しても、全く誠意が伝わらなかったらしいので、よほど「かたちだけの土下座」だったのだろう。 まあ、かけひきの土下座だから見透かされるだろう。

焼き肉チェーン店の社長も逆ギレ会見から、一転して土下座、あまりの名演技に戸惑ってしまう。この若社長タムケンみたいにバラエティーでも活躍できたでしょうに。

謝ることと悔い改めは全く違うよなあと思う。

自分が得するために神に謝っただけのキリスト教徒がかたちだけの偽物なのもよくわかる。

土下座ストラップが40万個も売れているとか。な~んだ、土下座は最近の流行だったのか。でも、このストラップ、本質的に十字架ペンダントと似ている。










福島県民としての責任とか、日本国民の責任というのがあると思う。原発をつくることを容認してきたのは、この「私」でもあるわけだ。

学校に苦情を含めて意見をくださる保護者は基本的に大歓迎だが、子どもが事件を起こしたとき、「どうしてこうなるまで気がつかなかったんですか?」なんて言うのも聴く。学校の責任は当然ある。しかし、「あんた、親やろ」と言ってやりたい。

突然、空から放射能が降ってきたのではない。無理矢理いやがる口を開けてユッケをねじ込まれたわけじゃない。私やあなたがそれを「許して」「選んだ」のだという側面があることを絶対忘れてはいけない。

あなたが使った電気は核燃料であり、あなたが食ったユッケは牛なんだ。

2011/05/06

黄色



黄色は「太陽の色」であり、幸福感や運気を呼ぶ色だとされている。色彩心理学的にも「希望」や「欲求」を表わすとされる。

日本でも人気の高いゴッホも黄色を好んで多様した画家として知られている。ゴッホの黄色には彼の強い情念を感じる。私があんな風に黄色を使うことはないだろう。黄色を使わないどころか、ここのところは、絵を描くことも殆どなくなった。今年は久々に子どもに図工を指導するので、もしかしたら、手すさび程度にまた何か描き始めるかも知れない。

1980年代は日本でも黄色ブームがおこった。黄色のパッケージのカロリーメイトがヒット商品となり、電話帳をイエローページとネーミングし、表紙も黄色に変わった。ファッション界でもひまわりブームがおこった。当時の日本の世相や日本人の心理状態を反映しているのだろうか。

子どもが選ぶ色と心理状態には興味があるが、単純に類型化して、説明を加えるのは好まない。

それにしても、改めて日本人の色感の豊かさに驚く。色の捉え方そのものが自然体験と結びついている。

油絵の具の表記で慣れきってしまったカドミウムイエローとか、クロムイエローなんて、実にどうしょうもない呼び名である。

http://www.i-kaigo.com/yellow-beauty/yellow-yellow.html#19

2011/05/05

やまぶきいろ


幼稚園の頃は、絵を描く時間がすごく楽しみだったのを思い出す。

小学校に入り、平仮名が読めるようになり、「やまぶきいろ」という色の名前を覚えた。「きいろ」ならわかるけど、その前についている「やまぶ」って何だろうと思っていた。「やまぶ」の正体がわからず、とて不思議だったが、深く追求するほど気にしていたわけではなかった。

3年生くらいになって、それが「やまぶき」という花の色らしいと知ったが、実際の花とは結びつかなかったし、それを見てみたいとも思わなかった。

6年生で歴史を学んで太田道灌の「山吹伝説」【やまぶき色の太文字参照】について読み、「やまぶき」の花をたまたま図鑑で見かけた。「なんだ、これか」と思った。

中学生になって英語が始まった。 やまぶきはGolden YellowとかBright Yellowと言うんだと知って、やまぶき色とは違う色のように感じた。

高校で油絵を始めてから、アングロサクソンと日本人の色感が違うことに気付いた。それがコダックのフジのフィルムの色の差になるのだと知ったのもその頃だ。

30過ぎて自分の家を持ち、庭にやまぶきを植えた。毎年、GWにゴールデンに咲き誇るこの花がとても好きだ。

知ること、感じること、味わうことは、少しずつ折り重なってひとつの確かなものになっていく。


太田道灌は扇谷上杉家の家宰でした。ある日の事、道灌は鷹狩りにでかけて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきたのです。そしてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。 その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】という歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。 驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。

http://homepage3.nifty.com/youzantei/mitisirube/yamabukidensetu.html

2011/05/04

鍍金がはげるゴールデン


GWはひたすら脱力しているつもりだったが、国内外でいろんなことが起こったのでそういう気分にもなれず、あれこれと日頃調べられないディテイルを少しばかり追求してみた。

まず、4月29日、東京大学大学院教授の小佐古敏荘氏が内閣官房参与を辞任する意向を表明した。私はこのニュースを仕事の疲れなどもありスルーしていた。しかし後から調べてみると、けっこう大変なことを提起してくれている。小佐古氏は、3月16日に原子力災害の収束に向けた問題に関して、菅直人首相を補佐するために内閣官房参与に任命された人物。チェルノブイリ原発事故の研究家としても国際的に認知されている原子力分野で日本を代表する学者である。菅さんはこの小佐古氏のことは全く面識もなく、空本議員の紹介で任命したと伝えられている。

小佐古氏が配布した文書から怒りが伝わってくる。  (以下青い太文字は引用)

この1ケ月半、様々な「提言」をしてまいりましたが、その中でも、とりわけ思いますのは、 「原子力災害対策も他の災害対策と同様に、原子力災害対策に関連する法律や原子力防災指針、原子力防災マニュアルにその手順、対策が定められており、それに則って進めるのが基本だ」ということです。

しかしながら、今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は、そのことを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い、事態収束を遅らせているように見えます。

とりわけ原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な指導・助言の中核をなすべき組織ですが、法に基づく手順遂行、放射線防護の基本に基づく判断に随分欠けた所があるよう見受けました。例えば、住民の放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、これから被曝すると予測されるもの)は、緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)によりなされるべきものでありますが、それが法令等に定められている手順どおりに運用されていない。法令、指針等には放射能放出の線源項の決定が困難であることを前提にした定めがあるが、この手順はとられず、その計算結果は使用できる環境下にありながらきちんと活用されなかった。また、公衆の被ばくの状沢もSPEEDIにより迅速に評価できるようになっているが、その結果も迅速に公表されていない。

初期のプリュ-ムのサブマージョンに基づく甲状腺の被ばくによる等価線量、とりわけ小児の甲状腺の等価線量については、その数値を、 20、 30km圏の近傍のみならず、福島県全域、茨城県、栃木県、群馬県、他の関東、東北の全域にわたって、隠さず迅速に公開すべきである。さらに、文部科学省所管の日本原子力研究開発機構によるWSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福井県、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきである。


そして、国外では昨日触れたビン・ラディンのニュース。

あれこれニュースを見てみたが、イラン・ラジオのHPはけっこういい。

【ビン・ラディンは数年前に殺されていた】
http://japanese.irib.ir/index.php?option=com_content&view=article&id=18057:2011-05-03-09-55-39&catid=17:2010-09-21-04-36-53&Itemid=116

ここでは、アメリカのダンコフ元上院議員候補が、プレスTVのインタビューで、「多くのジャーナリストや政治専門家は、ビンラディンが既に数年前に殺害されていたと考えている」ダンコフ氏は、「ビンラディンは、かつてCIAの一員であり、アメリカ政府は彼を、旧ソ連軍との戦闘に利用していた」と語ったことがサラッと書かれている。

また、パキスタンのブット元首相が2007年のインタビューで「ビン・ラディンが死んだ」と発言していたことにも改めて触れている。(この後、ブットは暗殺されるがテロの声明は出ず)

http://japanese.irib.ir/」 【イラン・ラジオ】

2011/05/03

真相は水の中



ビン・ラディンが殺された(らしい)。

もし、殺されたとされる人物が御本人であれば、生かしておいていろいろとお尋ねせねばならぬこともあったはずだ。 何一つ証拠がなく始まった「テロとの戦い」の重要な証拠をそそくさともみ消す。これが私たちの同盟国の常套手段である。

語られてまずいことがあったからあわてて殺したのか、すべてはアメリカ政府の筋書きどおりを演じただけなので、何一つ聴く必要がないのか、普通に考えればそのどちらかである。

フセインの息子を死後11日間も放置した米政府が、今回はテロリスト側に配慮して水葬。政府高官は「イスラムの伝統に沿って土葬で行う」と述べていたが一転水葬になった。「引き取り手がいないからだ」と説明した。つまり、死体を公式に確認させずに海に処分したのだ。

かつてレーガン政権の強硬姿勢はソ連の危機感を高めすぎて、冷戦のもう一方の主役の自己崩壊を早めた。これによって、永久に終わらないはずの公共事業も頭打ち。

しかし戦争とその危機感のもたらす需要は、アメリカ経済の至福とアメリカのエリートたちの私腹のために不可欠なので、冷戦がなくなると、反イスラム原理主義の対テロ政策によるホットな戦争を思いついたというわけだ。これが、ブッシュからオバマへと受け継がれた。

「911陰謀論」についてここで詳細を語る気はないが、それは「論」ではないことだけは明言しておきたい。

私たちがニュースとして聞かされているものの大部分は、決して真実ではない。

たとえば、ビン・ラディンの遺体とされる写真を、きちんと検証もせずに多くのマスコミが報道したが、これは合成であることが明らかにされている。しかも、この写真は2001年にすでに報道されていたもの。さて、ビン・ラディンはいつ死んだのかな?

さらに2010年の1月にはFBIが捏造したビン・ラディンの写真をめぐって素材(ネタ)にされたスペインの議員が怒っているという記事が16日のスペイン紙エル・ムンドに掲載されている。

http://www.afpbb.com/article/politics/2683644/5168088
【ビン・ラディンWANTED画像の素材となったオジサンに関する記事】

まあ、FBIが正式に刑事告訴もせずに、懸賞金をかけた画像に、赤の他人のものを使わざるを得ないのは、ビン・ラディンがすでに存在しないことを知っていたからかも知れない。

かねてから様々な病気や死亡説があったように、米軍の関係病院でずっと以前に死んでいた可能性も否めない。

要するに、生きていた方が都合の良いときには死んでいても生かされ、今、死んだほうが都合がよくなれば、死んでいても、もう一度殺される。それが彼らのルール。

世界中のお人好しは、こういうお粗末な茶番をたくさん信じこまされているのである。

真相は水の中。しかし、簡単に水に流してはいけない。

見ずに何を信じるべきか。

2011/04/30

5月のメッセージについて



今日で4月も終わり。忙しさに追われて心を亡くしているわけではないけれど、既に1年の3分の1が終わってしまったのかと思うと、ちょっと驚いてしまう。

5月のカナン教会におけるメッセージ予定は以下のとおり。

8日 エペソ人への手紙第5章
29日 ひねくれ者のための聖書講座 27

キリスト教という設定の中には、上の写真の子どもたちのような「自然さ」が失われるのはなぜだろう?
それは、どこかに「嘘」があり、「無理」をしているからだと思う。
それが「本物」なら、初めて出逢っても楽しむことや味わうことができるはず。
真理はいつも子どもやお年寄りのそばにだってある。
私はキリスト教徒ではない。宗教の話ではなく、神の子どもとしての特権と永遠のいのちについて、聖書に書いてあるとおりに「ありのまま」を話したいだけだ。
5月の青空みたいに、キッパリとした心でいたい。

2011/04/28

家庭訪問はたいてい自転車で行く。目的地に着くこと以上に目的地に至るまでの情報が大切だ。通学路の道順やそこで触れるもの、仲良しの友達の家への距離感などを知るためには車の移動ではわからない。

各御家庭にも貴重な時間をせっかく行かせてもらうのだから、いい時間、いい機会にしたいと思っている。教師が家にやって来るなんて迷惑だと思っている保護者もいるだろうから、せめて「そうでもないよな」と感じてもらえるようにはしたい。

現在25軒終了。のべ23時間強。移動時間もあるが、規定の2倍は時間を使っているわけだ。ゆったり予定を組んで大正解だった。

昔は家庭の希望など伺いもせず、学校側が勝手に予定を組んでプリントを配布し、どうしても都合の悪い保護者は申し訳なさそうに連絡するという時代もあった。それが良いのか、悪いのか。ちなみに、私は家庭の実情に合わせて、最大限融通するのが当然だと思っている。

教師や学校の権威はどうしようもなく失墜しているが、それは期待の裏返しと捉えて、一つひとつ丁寧に実質で応えていくしかない。

初日はものすごく暑くて、2日目は風が強かった。3日目には雨が降った。3日目の後半のことだ。雨は本降りになって「これは困ったなあ」と思っていると、道を挟んで反対側の道路脇に赤い車がスッーと停車した。中から子どもが降りてきて、「これ、いる?」と傘を差し出している。去年担任したK君だ。「ありがとう。いいよ、いいよ」と私が言うと、運転席の窓からお母さんが顔を出して、「こんなのしかなくてごめんなさい。百均の傘なので、遠慮しないで使ってください」と勧めてくださった。百均という言葉で気が楽になり、ご厚意に甘えることにした。

からだは濡れたけど、心はちょっとあったかくなって、ペダルも軽やかに次の家に向かった。


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1440962399【家庭訪問についてyohoo知恵袋】

2011/04/27

カエルの子はオタマジャクシ



娘もこんなフライヤー作ってイベントやってるようです。お近くの方はどうぞ。

2011/04/25

昨日はアースデー



今年のファイナルをつとめてくれたのは、壮馬の新ユニット「あんにょんクレヨン」

なぜか子どもたちが周りに集まって、まるで演出したようなステージになった。

確かにふたりは歌のお兄さんお姉さん風に見えなくもないが、子どもたちには彼らのもっている何かが伝わったのだと思う。

2011/04/23

明日はアースデー



この時期、誰に出逢ってもバタバタしていて余裕がなさそう。私も例にもれず忙しい。年中こんな感じではあるが、4月は特にタイヘンだ。昨日は歓送迎会で、今日は「リコーダー講座」で、明日は「アースデー」、あさってからは「家庭訪問」。相変わらず多忙だが、一つひとつを楽しめずに流れていくのは困るので、ところどころにゆる~い時間を無理に設けて調整している。どんなに忙しくしていてもあまりバタバタ感を感じさせたくない。スケジュールが詰まっていても、いかにも暇そうな感じがいい。実際は、その時現場へ行けばよいだけではなく、それぞれの準備があるのでけっこう大変だが、同時にいろんなことを考えたりするのは苦手ではない。でも、そろそろ単純なお休み日がないと・・・

取りあえず明日は晴れるゾ。

~明日のメニュー~

ワンノートメドレー
Sonho
Jazz de Sanpo
風のメロジア
かめさん
perdicao
100年後
janela
Fragile
Born on the earth
約束の場所へ

http://sound1.web.fc2.com/ 【明日PAを担当してくれるSOUND1 ken-MATSUO氏のHP】

ACよりRC


黒澤の「夢」といい、RCの「サマータイムブルース」といい、はっきり言うべきことを言うカッコよさには惹かれるが、カッコよさを目指せばみっともない結果になるので、私はどこまでも「私らしく」発信しようと思う。

「軽薄なジャーナリズムに 乗るくらいなら、私はあの発電所の中で眠りたい」
「卑怯者には守れない、別に守って欲しくねえ」
と清志郎は歌っている。

さすが、清志郎は稀少なロックン・ローラーだ。斎藤和義より断然いい。

http//www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=DnDTwqXFYlc#at=111
【RC SUCCESSION 1989.01.01. 2/3 軽薄なジャーナリスト/サマータイム・ブルース】


最近のSalt&Uribossa作品には、「喪失感」をテーマにしたものがけっこうある。

明日も演奏するSonhoもそんな1曲だ。Sonhoは「夢」という意味のポルトガル語。明るい未来のイメージももなく、Dreams come trueな歌でもない。明日に備えて練習をしているとき、ひとつの映画の場面を思い出した。黒澤明の「夢」という映画のワンシーンである。

この映画は当時かなり酷評されたが、原発騒動の後、8つのショートストーリーの中のひとつが予言的内容であったことが注目されている。

黒澤は、原発に対して明確に反対を立場を示していた。この映画が製作された1990年に刊行されたロッキング・オンの渋谷陽一のインタビューで、「(原発を)作った場合にさ、人間では制御できない性質を持ってるわけでしょ? それを作るっていうのが、そもそも僕は間違いだと思う」と明言している。


映画の中でも、登場人物(原発関係者)に、

「あの赤いのが…プルトニューム239。
あれを吸い込むと、2000万分の1グラムでも癌になる。
黄色いのはストロンチューム90、あれが身体の中に入ると、骨髄¬にたまり白血病になる。
紫色のが、セシュウム137。生殖腺に集まり、遺伝子が突然変異¬を起こす。つまりどんな子どもが生まれるかわからない。
しかし全く、人間は阿呆だ。放射能は目に見えないから危険だと言¬って、放射性物質の着色技術を開発したってどうにもならない。知¬らずに殺されるか、知って殺されるか、それだけだ。死に神に名刺貰ったってどうしようもない…」

「原発は、安全だ! 危険なのは操作のミスで、原発そのものに危険はない。絶対ミスを犯さないから問題はない、とぬかしたヤツラは、許せない!」

・・・・などと語らせている。

http://www.youtube.com/watch?v=mTg3D1PoyUE&feature=related 【黒澤明「夢」より~Mount Fuji In Red~」


http://www.youtube.com/watch?v=csxiVc99QQY&feature=related【黒澤明「夢」&桑田桂祐「ありがとう」】

2011/04/16

カフェテラスNZ6周年

カフェテラスNZは、今年の4月23日で6周年を迎える。 これまでの出来事が脳裏をめぐる。 NZのプロデュースは、私の遊びと仕事をつなぐ大事なポイントでもある。 昨年から年4回のシーズンごとのイベントになったが、それまでは毎月イベントを組んでいた。 ホントによくやってきたものだと今更ながら思う。 今年の春のゲストは朗読劇団「泉座」。 ちょっと肌寒かったが前半は楽しくテラス席で、後半はしっとり室内で朗読に聴き入った。 40分にも及ぶ向田邦子の作品は、昭和の日本人の家族の心の機微をしっとり描いたもの。こうした古き良き家族のかたちが失われていくような気がする。

You TubeでCM

アースデーならSouth タイムテーブル

オープニング ジャンベ・トリオ Pooly&Y.B.M&Salt

10:00 橿原市長挨拶(橿原市の後援をいただいております)

10:15 楽団ひとり(大道芸系こだわりのエンターテーメント)

10:45 団体紹介(参加ブースの代表による店舗や活動の紹介)

11:00 Salt & Uribossa with Itaminho(ボサノヴァ)

11:50 ユアサさんの木の話(Y.B.M氏によるショート・スピーチ)

12:15 ぴちぴちぴーち(美女系キーボードユニット)

12:50 福本俊介(ソロギター)

13:10 キンキ雑楽団(Sueちゃん率いるバリアフリー・ミュージック)

13:50 hanon(Singer Tesunariプロデュースのゴスペルグループ①)

14:20 Sora(Singer Tesunariプロデュースのゴスペルグループ②)

15:00 あんにょんクレヨン(壮馬くんの新ユニットpoolyのジャンベも聴ける)

15:50 エンディング(参加者全員で歌います)

遅ればせながら、アースデーならSouthのCMを始めました。

http://www.youtube.com/watch?v=TGuvsC24ZCY

2011/04/15

後ろ姿


新学期早々けが人が2人。1人は手、1人は脚。

手を骨折した彼は休み時間は外に出られず、教室に残ってひとり読書。仕方ないけどかわいそうだ。

「左手でよかったなあ・・・」と言いかけてストップ。左利きの彼にとっては利き腕の骨折なので、かなり致命的な怪我なのだ。それでも、がんばってギブスをした左手で絵も描き、習字も書き、給食も食べている。骨折しなくても時間がかかる彼なので、さらに時間がかかる。がんばれ!私は手伝わないけど、ちゃんと見ているぞ。

脚をけがした方の子どもがお休みだったので家を訪ねたがお留守だった。連絡はすでに届けてあるのでまあいいかと思ったが、やっぱり気になったので母親のケータイに連絡した。やはり縫った脚に痛みがあるようだ。来週からは普通に登校すると聞いて一安心。

けがをしてしまったことは仕方がない。でも、その後をどう過ごすか、周りがどうフォローしてあげるかは大事だ。

26人、それぞれの新学期スタート。黒板を背にした定位置のカメラからだと見えないものもある。

2011/04/12

いよいよアースデー


土曜日は、パーカッションのItaminho氏をお迎えして終日練習。理屈抜きに楽しい時間。こんな時だからこそ気持ちよく音を出したいと思う。昨年は発電機に問題があって少しノイズがのってしまう場面があり今年はそういうトラブルを避けるためにいろいろ手をうっているのだが、野外でのイベントだけに当日の天候も含めて心配はいろいろある。実行委員会はたったの1回。そのただ1回の実行委員会は奇しくも3月11日。後はメールと電話のやりとりですべて進めてきた。チラシには、ちゃんと復興支援の文字を入れることが出来たが、原発についての統一的な見解を持つには至らなかったので、主張がある場合は各ブースで自己責任で行うことと決まった。

2011/04/09

はじまる



新学期がはじまって3日。某教育研究グループなどでは「黄金の3日間」などと呼んで尊んでいる。『どんな学級の子供でも、最初の3日間は騒がずに先生の言うことを聞く。それは言わば、どんな先生かを子供が査定する期間であり、この3日間で、これから1年間通用する約束事やルールをはっきりと伝える。これを怠ると学級は崩壊する恐れがある・・・』というわけだ。

まあ、わからないでもないが、最初の3日間でちょっと下手こいたくらいで崩壊するのなら、一年間うまくいってるように見えたって、そんなクラスは大したことない。管理上手な人は確かにいる。しかし、学級経営というのは、そういう管理のノウハウでこなすものではない。

子どもを疑ってかかってはいけない。騙されても信じてあげないと。だから、私の場合は、「まあ、そのうち、ボチボチいっしょに考えていこうや」で十分だ。子どもがちょっと騒いだくらいで何かが揺らぐような土台の上にはろくな建物は建たない。兎にも角にも、子どもがゆったり出来ないようでは、毎日が楽しくないではないか。

最近はますます大人が幼稚になり、子どもが大人びてきた。誰もが「上品に楽しむこと」を忘れている気がする。嫌な時代である。だから、毎日を笑顔で、上機嫌ですごしたい。10歳前後の子どもたちにはキラキラした時間を過ごさせてあげたい。

システム化された教育技術など、少なくとも私には不要だ。今年は、「出来ましたか?」「わかりましたか?」ではなく、「もっとやりたいですか?」「楽しいですか?」という問を大切にしたい。

初日から子どもたちは、隙間の時間を上手に使って、クラスに関係なく楽しく遊んでいた。「いいなあ」と思った。「すみません。お楽しみ中、恐縮ですが、荷物運ぶの手伝ってくれる?」と声をかけると、「うん、いいよ」と全員が仕事をしてくれた。

何の仕掛けも法則もクソもあるかい。そこにはかわいい子どもたちがいるだけだよ。

2011/04/08

花詩織



昨日ご紹介した「花詩織」の画像があったので貼り付けた。「花詩織」はいたち川とアザミどおりが交差する角にある不思議な花屋さん。お店の前からは立山連峰が見える。この店の前から立山連峰にかかる美しい虹を見た記憶が、風のメロジアに収録した「虹」のイメージの元になっている。

オーナーの牧野さんは、ロシアでも個展を開かれるほどのフラワー・アーチスト。寛容で、繊細で、そして鋭い感性の持ち主だ。

その牧野さんが奈良に来られたとき、なぜか私の詩集を気に入り、友人たちにプレゼントしたいと言って10冊も買ってくださった。さらに御礼にと贈られてきた薔薇の花があまりにも綺麗だったので、これはどうしても富山へ行かないと思い花詩織を訪ねたのだった。その時に出逢ったのが名古屋のプライナスである。

それからというもの富山を訪ねる度に何度となくお世話になっている。中越へボランティアに行ったときも、この「花詩織」で最後のチャリティーライブをしてから、現地に入らせてもらった。仕事の出張で富山入りしたときも、彼女が出入りする学校を紹介していただいた。

また、行きたいなあ。富山。

牧野さん、元気ですか?でも、さすがにこのブログは読んでないよね。PCいじるような人じゃないもんな。

2011/04/07

花束



この時期、さまざまな出逢いや別れがあって、花束は見事にそんな場面を演出する。

富山に行ったときはいつもお世話になっていた「花詩織」の牧野さんのことばを思い出す。

「花束をもらって嬉しくない人はいない。どんなすばらしい音楽や絵画でも好き嫌いはあるけど、花が嫌いな人はいない」

子どもたちが手渡した花束が、適当なことばが見つからないぎこちない瞬間を和やかにしてくれた離任式。

「さよなら」「ありがとう」なんて、ことばにするとあまりにも安っぽい。

2011/04/05

プレゼント



二階堂幼稚園から思いがけないプレゼントをいただいた。今年の卒園記念品のCDだそうだ。その中に5年前に幼稚園の創立50周年の際に依頼されて作った「明日にむかって」という曲がピアノとフルートの演奏で収録されていた。今でも大事にしてもらっているのがとても嬉しい。

丹波市幼稚園でも、卒園式の歌として作曲した「チャイルド・チェーン」をずっと歌っていただいているし、山の辺小学校でもずっと「おはよう・ボンジュールハロー」を毎朝かけてくれている。ドイツの音楽大学でピアノを教えていたという新しい音楽専科の先生もこの曲を気に入ってくださって、楽譜が欲しいという連絡があった。

改めて数えてみれば、担任を離れている5年間に8つの校園所でコンサートをしている。さらに市役所でロビー・コンサートをし、市民大学の講座としても演奏させてもらった。長岳寺での平和コンサートも5回を数えるし、自分の職場近くで、しかもしばしば教育委員会にまでバックアップしてもらって楽しめるなんて、冗談みたいに恵まれた話だ。

去年からは担任に復帰したので、平日のコンサートも講演もご容赦願ったのだが、断らなければならないほど、次々とオファーをいただけるのは何ともありがたいことだ思っている。

2011/04/04

てんでんこ


教育の力は大きい。

大事なことをきちんと伝えるとその教訓がいざというとき身を守る。逆に、くだらないことを教えて愚かな管理をすると取り返しがつかないことになる。

「津波てんでんこ」の伝承どおり、教師の指示を待たず、自己判断で高台に逃げた子どもたちはみな助かった。その一方で、危急の際にも点呼をとって多くの子どもたちを死なせた学校もある。愚かな管理をかばう声もあるが、学校という場所には、この種の優先順位の錯誤がうんざりするほどたくさんある。また、今回の明暗を分けたのは、家庭や地域の教育力の差であろう。

子どもたちには、自分の心で感じて、自分の頭で考え、自己責任で判断して行動できるように教育しないと駄目だ。

http://www.rsy-nagoya.com/wisdom/tiiki/tiiki26.html

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/281397.html

2011/04/03

礎石



幼少期を彦根城や和歌山城のそばで過ごしたせいか、城にはけっこう興味がある。 世界初の木造高層建築にして、信長の天下統一のランドマーク的な存在だった安土城。 「もし現存していたら・・・」と思う人は多いだろう。しかし、あっけなく焼失したがゆえによけいイメージはふくらむ。 いずれにしても、今は礎石しか残っていない。

これは、信仰の世界にも共通する。 たとえ誰かの建てた建物が焼けても、信仰の礎石であるキリストが残る。これは恵みである。人の業が無様に残り続けることを思うとぞっとする。

2011/04/02

ちょい旅



いよいよ新学年度がスタートして、あらゆることがいっせいに動き始めた。

このまま突っ走るモードに入る前に、もう一回脳みそを整理しようと何となく琵琶湖を見に行った。信楽経由で行くとけっこう早いのだ。今回は何も決めずにインターネットで直前にホテルだけ予約してダーッと行ったのだが、このホテルがなかなか良くってものすごくリラックス出来た。仕事を終えて帰宅し7時半に出発するという無茶をやってみたが、全然疲れもなく、ほどよく日常を離れられて実にいい感じだった。

翌日もいいお天気。近江八幡周辺を散策、この地にゆかりのある近江兄弟社の創立者ヴォーリスの足跡も辿り、安土城址にのぼる。信長が水郷で船遊びを楽しんだという西の湖周辺の風景が印象的であった。確かにこのあたりが信長の時代には戦略的要地であり、その他にも信長を満足させる要素がいろいろあったのだろうと思う。

信長がどの程度の福音を聴いたのか。そもそもフロイスら宣教師にちょっとでも信仰があったのかどうかも含め興味はつきない。一方ヴォーリスという人物も興味深い。琵琶湖をガリラヤ湖に見立て、近江八幡に理想郷を建設しようとしたと言うが、どの程度遊び心でどの程度本気だったのだろう。宣教師として教団から送られて来た人ではなく、ただの英語の先生だったと言うから面白い。

時代を超えて、人は主権者である神に対してどのように対峙したかでその生き方が決まる。さまざまな思惑で人は他者に、また世界に働きかける。ある人は大事をなし、ある人は小事をなす。いつまでも残る価値とは、決して人の目にそれほど大事とは映らないはずである。イエスのたとえを見ても、恵みの管理者が問われるのは、事の大小ではなく主人への忠実である。

2011/03/31

上機嫌でいこう



2010年度最後の日である。過ぎてきた時間をしずかに振り返ると、いろんなものが見えてくる。

物凄い時代のスピードとうんざりするほどの情報量。効率化によって生まれた膨大な無駄。そして、個々の我が儘な要求。人間は合理的な生き物ではなく、存在そのものの中に多くの矛楯を抱えて喘いでいる。

全てをありのまま受けとめた上で、まず優先順位をつける。そして、勇気をもって見過ごすことも大事だ。何もかも自分の納得のいくようなものになるわけがない。

自分に出来ることからひとつひとつ丁寧に片付けていくしかない。気づいた者が気づいたことを出来る範囲でやればいい。誰かを指さしても、制度やシステムを批判しても始まらない。涼しい顔して、涙や汗は人知れず流せばいい。

同じことを経験しても、見ているもの、感じることが、周囲の人とはあまりに違う私だが、「それこそが私が此処にあることの意味である」と受けとめるなら気にならないどころか、かえって愉快でさえある。

悪い時代だからこそ、あえていつも上機嫌でいよう。周囲に元気を与えるためには、まず自分が楽しむゆとりをもっていないと始まらない。

悲痛な顔でがんばる人なんて、誰もあまり見たくないはないだろう。


(写真は第1回アースデー・スタッフの記念写真)

hanon



カフェNZに招いたミュージシャンはみんなナイスガイばかりです。

Singer Tetsunariもホントにいい奴です。

昔、神戸の震災イベントがらみで、奈良市のぜいたく豆のギャラリーでグループ展をしたことがあります。私は絵を販売し、Testsunariは自作のギターを展示でいていました。寒い中、彼はギャラリーへの呼び込みばかりか、豆の宣伝まで、大きな声を出して長時間やってくれていたのが忘れられません。

そんな心意気で、各地でチャリティーコンサートを企画しているようです。 今年はTetsunari率いるゴスペルグループが2組も来てくれることになりました。そのうちの一組はハノン。オーナーの真絹ちゃんもお気に入りです。

そんなハートフルなゲストたちが結集するのも、アースデーならSouthの魅力だと言えます。 今回は実行委員長の強いリクエストがあって、来てもらうことになりました。

今年は出演希望者のキャンセルが出た関係で、100%私の「音もだち」になりました。

(写真は3年前NZライブのフライヤーで、今年のものではありません)

アンニョン・クレヨン



去年もアースデーならSouthですばらしいパフォーマンスを見せてくれた壮馬クンですが、今年は出来たてホヤホヤの新ユニットで登場してくれます。勿論、ジャンベのPoolyも一緒です。日韓の架け橋的コラボ。実に楽しみです。アンニョンは漢字で書くと安寧、「元気」や「Good」ってとこでしょうか?

その他の出演者と交渉がうまくいって、ステージのタイムスケジュールが組めたらお知らせします。出たい人や出ない人もあり、いろいろややこしいです。もうしばらくお待ちください。

諸般の事情により、第2回の実行委員会は中止となり、大事なことはメール連絡のみで本番突入します。「だいじょうぶか?」(影の声)今年はつっちゃんがいないし・・・・

でも、毎年何とかなってきたので今年も何とかなるはず・・・・

とにかく普段はチャージが必要な実力派のグループが、朝から夕方まで入れ替わり立ち替わり演奏してます。

いつ来てもずっと居ても入場無料ですから、是非遊びに来てください。

2011/03/29

お幸せに

花粉症の症状がひどくなってきたので、久しぶりに耳鼻科に行った。
待合室の隅にしょぼくれた姿で座っていた私に「先生」と明るい声をかけてくれたのはこの病院で働くN子。清潔感のある制服がよく似合う。

「実は、先生が来られないかなと思ってたんです。会えて良かったです。」
「結婚、おめでとう。岐阜へ行くんだって」
「はい」
「ちょっと、遠くなっちゃうね」
「仕事も明日までなので、すごいタイミングです」

彼女はパティシエを目指して修行していたが、腰を痛めてお菓子作りを離れ、現在の医療事務へ転職していた。

ちょうど7年前のこと。彼女が働いていたケーキ屋さんにそうとは知らずに立ち寄ったところ、今日と同じように声をかけてくれたことがあったのを思い出した。

「もう、お菓子は作らないの?」
「いえ、将来はカフェをしようかって話しているんです」
小学校のときと同じ、すごく綺麗な目をしている。
N子を選んだ男は幸せ者だ。
「それは、いいね」

「ちょっと、マリッジ・ブルーなんです。」と、N子は言った。
花嫁の思いや覚悟は、いつも花婿のそれとは違う。
新しい大きな一歩を踏み出す為に、これまでのことをあれこれ振り返っているのだろう。そう思うと、小学校時代も花嫁になる為の準備の期間だったのだ。
30歳を過ぎてこちらがドキッとするほどのレディになっても、私と話すときっと一瞬10歳に戻れるのかも知れない。周囲の同僚の目も気にせず、私のケータイ番号を確認して、両手で握手を求めてくれた。

町で教え子に会っても、先生風を吹かすのは嫌いだ。
だから、町で教え子を見かけても、ほとんどこちらからは声をかけることはない。
子どもが必要としないときに、先生は先生である必要はない。
「24時間教師は教師だ」なんて・・・私は全然思っていない。
でも、今日は本当に嬉しかった。

「お幸せに・・・」

2011/03/28

カフェテラスNZ 春のイベント


奈良市法蓮町にあるカフェテラスNZのプロデュースに関わらせていただいたことは、私にとってもかけがえのない大切な経験となった。

オーナーの真絹さんとは、彼女がスタッフとしてハーブクラブで出逢った。いつかハーブクラブのようなお店を持ちたいという夢を、彼女の努力と家族の支えが実現させた。自らもハンディキャップを持つ真絹さんが、誰もが自然にくつろげる空間を作り出そうとする姿に私は心を打たれた。

「毎月イベントが出来たら・・・」そんな願いを叶えてあげたいと思って手伝ってきた。「私がいなければ」ではなく、「私がいなくなっても」やっていけるようにサポートしてきた。真絹さんは能力はあるけれど、顔を合わせてのミュニケーションが苦手。初めの頃は新しいゲストを迎えることにもかなりの緊張があったが、今では私の仲介なしに出演交渉をして、年間の計画を立てるまでになった。MCも回を重ねるごとに上達した。その場の空気をよみ、冗談を交えたり周囲を気遣ったりしながら、見事な司会をしてくれる。

障害児教育が私の専門だが、小学校という職場では長くてもたった6年間しか子どもたちの成長を見届けることが出来ない。就学を終えた後の彼らの人生の方が遥かに長いのに、将来の自立や幸福感から逆算して、現在の支援を考える教師はほとんどいない。

私の場合も立場や力の限界から、出来ることより出来ないことの方がずっと多い。最初は、そんな職場では出来ない罪滅ぼしを、真絹さんとの関わりの中でしているような気がしていた。

でもそれはほんの数ヶ月の間のことだった。回を重ねるごとに、私は、真絹さんとご家族、そして、カフェに集まる人たちとの関わりを単純に楽しめるようになった。

NZに出演してくれた仲間のミュージシャンたちや、ライブに来てくれた友人たちは、みんな同じような感覚を共有してくれたと思う。

人はどこからでも始められる。いくらでも成長できる。

すでに大人である真絹さんの短時間での変容は私の期待や予想よりも遥かに著しいものがあった。逆に、学校がもう少しまともな支援をしていれば、真絹さんの才能はもっと早い時期に開花し、さらに多様な可能性の扉を開けたかも知れない。学校というのは、実に思い上がった勘違いの空間である。学校に適応出来ないくらいで少しも負い目など感じる必要はないのだ。真絹さんとの出逢いが、学校にいる子どもたちとの出逢い方まで少し変えてくれたような気がする。

今や私はほとんど無用の存在となり、ご家族の恩情で持ち上げていただいているにすぎない。これは私が心から望んでいた結果なので本当に満足している。

4月のイベントは、朗読のプロフェッショナル泉座。彼女たちの公演もあちらこちらでいっぱい企画させてもらった。

日本語の美しい響きを堪能したい。

2011/03/27

第6回アースデーならSouthに参加しよう!



4月の恒例行事になったアースデーならSouthも今年で6回目。

毎年全国各地で出逢ったいろんな仲間が協力してくれて、ステージの評判はかなりいい。

いろんな企画やジョイントで、私自身も楽しませてもらっている。

京都在住のクロマチックハーモニカの世界チャンピオン、あらいなおこさんとのコラボもあった。長野在住の民族楽器奏者、丸山祐一郎さんがノリノリのジャンベで参加してくれたこともあった。あるときは、参加者全員での合唱もした。この年はコーラスグループはちみつに、フォルクローレのチャスキー、ゴスペルのEOS、そして、3人だった頃のプライナスもいる。

昨年は、初代「おはボン」の録音エンジニアであった森さんを偲んで、多くのミュージシャンが「おはボン」を演奏してくれた。

本当は音楽関係のプロデュースのみの約束が、酒井ひとみ嬢とともにボケ役の司会までやることになり、こちらも何とかこなして来た。

今年はS&UもパーカッションのItaminyoをお迎えしてトリオで演奏する予定。実行委員長伊藤満氏のリクエストに応え、シンガーTestunari率いるゴスペルグループと、3年連続で壮馬も新しいユニット名で登場する。国際森林年にになんで、森や植物のことを考えるレクチャーやワークショップも準備中。


と き 4月24日(日)10:00~16:00
ところ 橿原文化館前特設野外ステージ

2011/03/25

3月のリコーダー講座



いつも前日にならないと案内しないので、前もって知っている人以外には殆ど効果はないけれど、たまに思い出して来てくれる人もいるので取りあえず。3月のリコーダー講座は明日です。

工房「童」から出て、ぬく森の郷に場所を移して1年。その総集編的な内容になる予定。

と き 3月26日(土)pm2:00~
ところ 室生ぬく森の郷 学びの部屋
参加費 1500円
持ち物 リコーダーなくてもOK(貸し出しあり)

http://www.city.uda.nara.jp/nukumorinosato/index.html 【ぬく森の郷】

Little by little and bit by bit



通知票と一緒に一人ひとりの為に私が選んだひとことを書いた紙を渡した。事前に机の上に広げておくと、「これって、一人ひとりに賞状にみたいにして渡すの?」と周りに集まってきた子どもたちが、誰にどのことばが当たるのか話し合っていた。

「いいところをさらに伸ばそう」という角度からことばもあれば、「弱いところを強くしよう」という見方からのことばもある。平仮名もあれば、漢字の四字熟語もあり、俚諺、名言とさまざまである。

本当はもっといい紙に写真を貼り付けてと思っていたのだが、昨日は学校の施錠が早くて十分な時間がなかったのであきらめかけていた。でも、せっかく写真を用意してことばも選んでおいたので、口で言うだけじゃなくて書いて渡してやろうと思い、直前になってからササッと書き上げ、写真は写真で別に配ることにした。

「もっといいものくれないの?」という反応ではなく、ことばのプレゼントに一定の興味を示してくれたので、一年間でかなり大事な力をつけてくれたんだなあと思った。自分へことばも、数人の友だちへのことばもずばり的中させた子もいた。なかなか鋭い。

ACのCMが言うような魔法のことばなんてない。ことばには自分で受肉させる必要がある。それはポポポポ~ンなんて簡単にはいかない。これからの彼らのあゆみの指標として、ぴったりのことばを贈ったつもりではある。いつもそのことばを反芻して大事に出来るとしたら、それは通知票以上に大事かも知れない。

2011/03/23

SAKURA




小学校の担任にとって、クラスの子どもは期限付きではあるが、本当に自分の子どもみたいなものだ。

私は別に子ども好きなわけでも、特に仕事熱心というわけでもないが、ものすごく真面目に子どもたちの幸せを願っている。

子どもたちも、私も、1年という時間の経過とひとつの区切りを感じながら、桜の木の下で春の風をあびていた。

今年の桜はことのほか美しい。

2011/03/21

KIZUNA


http://kizuna311.com/ 【KIZUNA】

http://saltcanaan.exblog.jp/  【Salt of The earth】


「Tsunamiよりも、Kizunaという日本語を世界の共通言語にしたい。」という主旨で俳優の渡辺謙氏や脚本家の小山薫堂氏がエンターテーメントの立場から発信されている。

横の絆は大切である。しかし、それ以上に重要なのは主権者である御方との縦の絆である。横の絆についてKIZUNAのサイトを。縦の絆についてはSaltのメッセージブログを。

この時期、地震に絡めて何事かを語ることは少しためられわれたが、それ以外のテーマは考えれなかった。「神の主権と人権」のメッセージをお聴きいただきたい。

この地球と私たちのいのちの主権者はいったい誰でどのような御方なのか。この大きな犠牲をともなった天災を機にひとりでも多くの方が、そのことに心を向けることが出来るようにと願っている。

そして、もちろん、人として当たり前のことを心から祈る。

現場で活躍する医師や看護師、自衛官、消防隊員、警察官の方々がその職責を立派に果たされますように。

被災地の方々が少しでも快適に過ごされますように。必要な物資が届きますように。

震災報道のあれこれ


誰の目にも見えるはずの「思いやり」予算は、アメリカ人には全く見えていないようだ。いくら顔色をうかがって丁寧にあいさつしたところで「ポポポポーン」とお手軽に友だちなんかにはなれない。こっちが「ごめんね」と繰り返しても、相手は簡単に「ごめんね」とは言わない。海の向こうでは、米英仏がリビアに攻撃のニュース。

ACジャパンのCMを見ていると、日本人のお人好しな幼児性が見える。苦情が来たら、別に悪いことをしたわけでもないのに即座にお詫びを発表。エィ~シィ~という音だけ消して同じものを流し続ける対応。反省しているのかいないのかさえ今ひとつよくわからない。

しかし、こういうものが最大公約数的な価値として尊重される土壌があるからこそ、大混乱の中でも秩序を保てるのかも知れない。「我先に!」と強奪するような国民と比べてみれば日本も悪くはない。

「安心しろ」と言っては不安を煽るエラい人たち。「想定外」という何とも便利なことば。「記憶にごさいません」以来の大ヒットである。十分想定内だったことを、まずは「原発ありき」で想定外へ放りだしたことに対する侘びもないままに、とにかく「想定外」を連呼する。

そんな中、放射能に被爆覚悟で現場の作業にあたる東京電力職員や自衛官、警察官、消防士たち。


一方では、いたずらに不安を煽るメディアもある。朝日新聞出版発行のAERAである。風評被害を助長するとして苦情があり、同社も早速謝罪したようだが、マスコミのこうした無神経がもたらす影響は大きい。