2009/12/31

マイケル・ジャクソン オックスフォード大学での講演

オネシモさんのご紹介を受けて、マイケルジャクソンのオックスフォード大学におけるスピーチを聴いた。

強烈なビートの渦の中で躍動するマイケルとは違う繊細な一面が十分にうかがい知れる。

声の調子といい、内容といい、うまく表現することばが見つからないが、私にとっては、多くの人たちが絶賛するオバマの就任演説よりも遥か切実なものを感じ、本当のことが語られている印象を受けた。

父親との葛藤について語りながら、受け入れがたかった父親の人格が、その世代の南部の黒人が生きづらい状況がそのようにさせたのだと分析して許そうと思っていることや、毎週日曜日に「エホバの証人」の広告塔として布教に借り出される中で、自分以外の普通の子どもの日常の姿に触れて、自分の置かれている特別な状況を相対化して非常に辛かったことなど・・・マイケルの苦悩の核心の部分が赤裸々に語られていた。

自分が、なぜこれほどまでに、子どもの権利や幸せについてこだわるのかということにも熱を込めて語っていた。メディアが面白半分に伝えてきたマイケル・ジャクソンとは、全く違う事実をこのスピーチから知ることが出来る。
         
     
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以下は、マイケルのことばを一部ご紹介。

Tonight, I come before you less as an icon of pop (whatever that means anyway), and more as an icon of a generation, a generation that no longer knows what it means to be children.

今夜わたしは、ポップの聖像(この意味はともかく)としてでなく、同世代、つまりもう子どもではない世代の聖像として、ここに立っています。

All of us are products of our childhood. But I am the product of a lack of a childhood, an absence of that precious and wondrous age when we frolic playfully without a care in the world, basking in the adoration of parents and relatives, where our biggest concern is studying for that big spelling test come Monday morning.

私たちはみな、幼児期の産物です。子ども時代は、人格形成に大きく影響します。でも、わたしにはすばらしい子ども時代はありませんでした。両親や周りの大人からの愛情を一身に浴び、最大の心配事といえば月曜日の朝のスペリングテストしかないような、夢中になって遊べるはずの貴重な時期を過ごさずに来てしまいました。

http://www.allmichaeljackson.com/speeches/oxforduni01.html


an icon of pop (whatever that means anyway)と、All of us are products of our childhoodという表現が痛々しい。

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