2009/12/01

音楽は自由にする

最近、坂本龍一の「音楽は自由にする」という本を読んだ。まるで「真理はあなたを自由にする」みたいなタイトルだ。これは、借りないわけにはいかない。(「買わないわけにはいかない」ではないのがちょっとだけさびしい)タイトルに惹かれ、めでたく今回の10冊にチョイスされたわけである。

坂本龍一は、昔から意識していた。私自身が「Complexion」というオールシンセサイザーのアルバムは、無名の私による有名な坂本龍一へのひとつの答えというか挑戦でもあった。

今や世界のサカモトとなった彼が、その風変わりで華やかな音楽経歴を、生い立ちから始まって、さまざまな人との出逢いのエピソードを絡めつつ、折々の作品への思いを時系列で語った本である。

いつか、会って話してみたくなった。
特に面白かった部分、大瀧詠一、細野晴臣、矢野顕子の面々に出会った驚きと、ポップ・ミュージックの魅力について書いている場所を抜粋してご紹介しよう。いろんなことに通じる真理があるように感じる。


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~同じ言葉を持つ人たち~ 「音楽は自由にする」坂本龍一(新潮社)より

大瀧さんともすぐに仲良くなり、福生にある大瀧さんのスタジオ、というのはお風呂場なんですが、そこでレコーディングをしたのが、75年から76年にかけてのことです。そこに、細野晴臣さんが現れた。それが細野さんとの初対面でした。このころにはもう、はっぴいえんどのことはぼくも知っていて、細野さんおソロ・あるバウも聴いていました。

細野さんと出会った時に感じたことは、山下くんの時とよく似ています。ぼくは細野さんの音楽を聴いて、「この人は当然、ぼくが昔から聞いて影響を受けてきた、ドビュッシーやストラヴィンスキーのような音楽を全部わかった上で、こういう音楽をやっているんだろう」と思っていたんです。影響と思われる要素が、随所に観られましたから。でも、実際に会って訊いてみたら、そんなものはほとんど知らないという。たとえば、ラヴェルだったら、ボレロなら聴いたことがあるけど、という程度。

ぼくがやったようなやり方で、系統立てて勉強することで音楽の知識や感覚を身につけていくのは、まあ簡単というか、わかりやすい。階段を登っていけばいいわけですから。でも、細野さんは、そういう勉強をしてきたわけでもないのに、ちゃんとその核心をわがものにしている。いったいどうなっているのか、わかりませんでした。耳がいいとしか言いようがないわけですけれど。

もう一人、同じような驚きを感じたのは矢野顕子さんです。彼女の音楽を聴いたときも、高度な理論を知った上でああいう音楽をやっているんだろうと思ったのに、訊いてみると、やっぱり理論なんて全然知らない。

つまり、ぼくが系統立ててつかんできた言語と、彼らが独学で得た言語というのは、ほとんど同じ言葉だったんです。勉強の仕方は違っていても。だから、ぼくらは出会ったときには、もう最初から、同じことばでしゃべることができた。これは、すごいぞと思いました。

そして、だんだん確信を持って感じるようになったのは、ポップ・ミュージックというのは、相当おもしろい音楽なんだということです。日本中から集めても500人いるかどうかというような聴衆を相手に実験室で白衣を着て作っているような音楽を聴かせる、それが当時ぼくが持っていた現代音楽のイメージでした。それよりも、もっとたくさんの聴衆とコミュニケーションしながら作っていける、こっちの音楽の方が良い。しかも、クラシックや現代音楽と比べて、レベルが低いわけではまったくない。むしろ、かなりレベルが高いんだと。ドビュッシーの弦楽四重奏はとてもすばらしい音楽だけど、あっちはすばらしくて、細野晴臣の音楽はそれに劣るのかというと、まったくそんなことはない。そんなすごい音楽を、ポップスというフィールドの中で作っているというのは、相当に面白いことなんだと、ぼくははっきりと感じるようになっていました。

2 件のコメント:

  1. 面白いですね。同じ言語を共有し得ること。学び方はいろいろですが、私たちのたどり着く言語はあの方。ここで神学とか教義とかが入るとややこしくなるわけですが。

    クリスチャンと称しても人生いろいろ。ふるいわけの時代を感じているところです。

    ちなみに私も音楽を学び出しましたが、今ところ頭だけでして、手がなかなか動きません。

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  2. そうですね。すぐに同じことばで話し始められる感覚、これがいのちの交わりの醍醐味ですね。

    神学や教義は、まさに音楽的には不協和音です。

    ともに「音楽」を、そして「あの方」を楽しみましょう。

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