2009/11/15

ダビデの生涯と詩編 最終章へ

今年は月に1回の割合で、「ダビデの生涯と詩編」というシリーズをお話してきた。抜けたエピソードを補って来年も続けることも可能だが、12月で最終にしようと決めた。

ダビデの生涯はまさに波瀾万丈。彼が残した詩編は、今も世界中の多く人々の心を慰め、励まし続けている。なぜなら、ダビデにおこった出来事と喜怒哀楽は、時空を越えてイエスの地上での人としての体験と結びついているから・・・・

さらに、21世紀を生きる私たちは、ダビデの先行体験を、ダビデから1000年後のイエスを挟んで、さらに2000年後に追体験しているわけだ。物凄いスケールである。

私自身もメッセージを準備するにあたって、ゆっくりとサムエル記や詩編を読み直す機会を得て、新たな発見や感動もたくさんあった。

一番考えさせられたことは、イスラエル最高の指導者であったダビデの家庭生活についてである。彼の家族関係は決して円満とは言えず、妻たちとの強い絆もあまり感じられないし、子どもたちと気持ちが通じ合う場面もない。

長男アムノンが異母妹のタマルを辱め、タマルと母を同じくする三男アブシャロムがアムノンを殺し、ダビデに謀反を起こす。ダビデは全面対決を避けて、エルサレムを明け渡すが、アブシャロムはダビデのそばめと通じて辱めた挙げ句、この戦いでいのちを落とす。

不義の世にあって淡々と箱舟を造り、家族を守ったノアを思う。彼は自分の「家族だけ」しか救えなかったが、ちゃんと「家族を」救った。

私はダビデよりノアがいい。救いは「家」に来なければならない。それは、建物としての家とか、血縁とかではなく、ルツ記などの例を見ても、実質的な「家族」という意味でないだろうか?

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