2009/12/08

Lembranca

「12月8日は何の日?」と聞かれて思い出すのは、日本人であれば、まず「真珠湾攻撃」であって欲しい。最近は「真珠湾は三重県にある」と思っている人もいるそうだ。驚きのあまり次の句を続ける気力が失せそうだが、そういう「知らない世代」を責めるより、「知っている世代」の歴史認識や伝え方を問い直すべきであろう。

日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6箇月に及ぶ大東亜戦争が勃発した。戦闘行動を開始を告げる暗号電報「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から打電されたのは1941年の今日12月8日である。まだ70年も経っていないのである。ペリー以来、911に至る「日米関係の茶番」のひとつの頂点がここにあるわけだ。

読売新聞の今日付の社説によると、かの「おそ松くん」の両親の結婚記念日も12月8日だと言う。話の出所は泉麻人氏の「シェ―の時代」(文春新書)。満州で終戦を迎えた引き揚げ経験を持つ赤塚氏が、安易にそのような設定をしたとは思えない。そう面白いことばかりではない現実の日常をカーニバル的な祝祭に、陰を陽に、ひっくり返すのが赤塚ワールドの魅力。家族をバラバラにする戦争の開戦日を愉快な大家族の物語のスタートに定めた赤塚のメッセージがあるのだと書いている。これは、相当な説得力があるし、赤塚ファンの私としては、「これでいいのだ!」と太鼓判を押したい。

私にとっての12月8日は、ジョン・レノンとアントニオ・カルロス・ジョビンというふたりの偉大なミュージシャンの命日でもある。

去年はボサノヴァ生誕50年という記念の年でもあった。そこで、何をもってボサノヴァ誕生と見なすかというと、ジョビンが作ってジョアンが歌った「想い溢れて」の発表から50年ということだ。この「想い溢れて」こそ、ボサノヴァ第1号なのである。たった2分足らずの非常に地味で短い曲の中に、ボサノヴァのエッセンスのすべてがあると言っても過言ではない。ボサノヴァが生まれて50年経つが、未だこの曲を遥かに凌ぐような作品は、地上のどこにもないと私は思う。ある意味これ以上発展しようがないほど完成されていたのが、ジョビンの曲であり、ジョアンの歌と演奏であった。

私も何か記念の曲を作れないかと思い、ボサノヴァ生誕50年のジョビンの命日に、「想い溢れて」とピッタリ同じ演奏時間である1分58秒の曲Lembranca158を作曲した。Lembrancaはポルトガル語で「追憶」の意。

最後にジョビンとジョンが残してくれたことばをひとつずつご紹介。

アントニオ・カルロス・ジョビンのことば

「神が、こうもあっけなくアマゾンで三百万の樹木を打ち倒させているのは、きっとどこか別の場所で、それらの樹木を再生させているからだろう。そこにはきっと、猿がいれば花もあり、きれいな水が流れているに違いない。僕はね、死んだら、そこへ行くんだ」

ジョン・レノンのことば

「ビートルズのメッセージがあるとすれば、泳ぎ方を学べということ。それだけ。そうして泳げるようになったら泳げばいい」

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