2010/12/27

冬眠宣言


2010年のラストウイーク。

昨日は八木でUribossa氏とふたりの打ち上げ。静かに酒を酌み交わした。その中で、来年は美術関連の企画展でもやって、そのオープニングかエンディングで演奏しようかという話も出た。何かテーマを決めて作品を製作するのは面白いかも・・・・・。

今日は金融機関をまわり、あれこれと用事を済ませ、さらに年末年始のお買い物。

そろそろやるべきことも尽きて来たので、しばらく冬眠します。

2010/12/25

雪の中の来客



異様に寒いと思っていたら、明け方に雪が降った。

雪景色は美しい。出勤しなくてよいので、よけい綺麗に見える。

午後からY.B.M氏が訪ねて来てくれた。来月15日に開かれる銀じ郎氏主催の写真茶話会in神戸に使う私の写真を選ぶためだ。

Y.B.M氏は奈良盆地を挟んで反対側の山裾に住んでいるが、室生の雪を見て驚いていた。

受講者である神戸の先生たちと共有できる情報が多いと思われる写真を数点ピックアップされた。彼が選んだ写真を見て「なるほど」と思った。

「写真を撮る」という行為を通して、自分の子どもへのまなざしを感じることが出来た。写真には私が思っていた以上にいろんなものが写る。目に見えるものしか写らないはずなのに、目に見えない情報が伝わる。これは凄い発見だった。それは写真の外側にあるものなのだ。写真は面白い。

写真は、娘が作った雪だるまとケーキ

「ノルウェイの森」にノラないウェイ


映画「ノルウェイの森」を観た。

村上春樹による原作は、売り上げ累計1000万部という驚異的ベストセラーである。

カフカ賞やエルサレム賞を受賞し、次はノーベル文学賞をとの呼び声も高い人気作家の代表作を、ベトナム系フランス人監督トラン・アン・ユンが映画化した。

主人公ワタナベは青森出身の今風俳優松山ケンイチが、心病むヒロイン直子は国際的女優となった菊池凛子が、奔放な緑はモデルの水原季子が演じている。「なるほどね」というキャスティング。

たまたまだが、菊池凛子の「バベル」も観たし、松山ケンイチの「デスノート」も観たし、水原季子の出た「情熱大陸」も観たので、予備知識も少しあった。

以下は、Saltの感想。(別に客観的評価というわけではない)

全体の雰囲気はそれほど特別悪くはない。しかし、何か違和感は残る。その違和感を分析してみる。

小説を映画にする場合、どうしてもディテールはカットせざるを得ないが、原作を知らなければどうしても意味がわからないことだってある。なぜ準ヒロインの緑がワタナベを信頼するようになるのかはほとんど映画の情報だけでは見えてこない。

また、先輩の永沢や療養所で直子と生活をともにするレイコの人間性がほとんど描かれていないので、下手すると、ただのキザ兄さんとエロおばさんの域を出ないキャラに堕ちてしまう。要するに登場人物のキャラクター設定が安直すぎて漫画っぽいのだ。

台詞回しも、原作に忠実にしゃべっているのだが、あんな不自然な会話はないよなあ・・・という気がする。あくまでも、原作は活字だから、それなりに読み手が咀嚼して、何気に読めちゃうだけだ。それをそのままシナリオにして棒読みでは、あまりにストレートすぎる。

まあ、細部まで忠実に描かれていたとしても、それでどうということもないが。

元々プロットは単純で、あだち充の「タッチ」の南ちゃんは、実は死んじゃった和也がスキ!みたいな話だ。残った達也とハッピイエンドじゃない分、ちょっとだけややこしくなるだけ。

村上自身の分身であるワタナベという主人公の経験が、実際の作者の喪失体験とどれだけ重なっているかは知らない。

心の病んだ恋人がいたのか、よく恋人に手や口で慰めてもらったのか、友人知人が何人も自殺したのか、そんなことは別に知りたくもないが、精神病患者のルポとしても、ポルノ小説としても、どこか半端な感じする。

もし、作者にいずれの経験もないとしたら、映像にすると、イメージが固定される分、いっそう印象が半端なものになるのは納得できる。自分の悲しみにリアルさを出すために、周りの人間に排気ガスを吸わせたり、手首を切らせたり、首をつらせたりしているだけだとしたら、まあ、最低な奴だなと思うわけ。元々、小説なんて個室の妄想だけど。

直子がワタナベに対して最も精神的なつながりを求めているときに、○○しゃぶらせて、「なかなかうまいね」などと言える無神経さを、私はこの小説と映画の核に観る。いくら「してあげる」と彼女が提案したのだとしても、それは違うだろうと私は強く思うのだ。

じゃあ、なぜこの無神経で半端な物語が、かくもウケるかという話だが、それは時代感覚と実にフィットしているからだと思う。

私はそれを「カラオケ・エコー効果」であると読む。音程がはずれてようが、リズムが狂っていようが、とにかくカラオケ・エコーはそれをごまかす。多少上手けりゃ、かなり上手く聴こえる。

村上小説は、そのエコーがいい具合にかかるカラオケルームみたいなもの。生活感の漂わないサブカルチャーの小道具による演出が時代にフィットしている。だからウケる。

夏目漱石のこころの先生の喪失感と、ワタナベのそれと比べてみれば、その死や苦悩はずっと薄っぺらな気がする。

軽くて記号的な喪失感だからこそ、何となく共有できて、より多くの人たちが自分の中途半端なわがままにもエコーをかけて、安っぽい部屋で何となく綺麗な反響を楽しめる。

そして、一番肝腎のポイントだが、小説の雰囲気も映画の雰囲気も、私の「ノルウェイの森」のイメージとは全く違う。

ジョン・レノンの感想が聴きたい。ポールやリンゴは生きているから、もしこの映画を観たら、また原作を読んだらどう言うだろう。

とにかく、タイトルが「鎮守の森」だと村上小説は成り立たない。

2010/12/24

振り返り(信仰編)


最後になったが、私の仕事をはじめ音楽その他のあらゆる活動のベースであるところの信仰に関する振り返り。

2010年に配信されたメッセージ

約束の地カナン(全11回)

1.10 ヨシュアの登場
2.14 ラハブの信仰
3.21 ヨルダン川をわたる
4.25 主の軍の将
5.30 エリコの戦い
6.20 アイの戦い
7.25 日は動かず太陽はとどまる
8.22 約束の地の相続
10.17 逃れの町
11.06 祭司のつとめ
12.12 私と私の家は主に仕える

ひねくれ者のための聖書講座(vol.11~21)

1.24 愛の寛容と不寛容
2.21 はじめにことばありき(その1)
3.07 贖いの文脈
4.11 イエスの相対性と絶対性
5.09 神のまなざしと人のまなざし
6.13 聖書における結婚と奥義
7.04 メタモルフォーゼ
8.08 聖書から見た自然の不自然
9.05 はじめにことばあり(その2)
10.03 コンプレックス
11.28 自殺について

その他

3.14 分かち合いより ショートメッセージ
10.31 ルカ15章(ろばの子キリスト教会にて)
12.19 クリスマスメッセージ

メッセージは、ほぼ月2回のペースで肩を壊さずに登板できた。これなら、そう厳しくはない。自分にとっても非常にいい。

昨年は何と言っても、北海道の兄弟姉妹との交わりがスペシャルトピックだったが、今年はemiさんの昇天があり、深い喪失感に沈む中、戸隠の電気屋さんや横浜のゆばるさんとのお付き合いが始まった。これは私にとって大きな慰めになり励ましになった。また、大阪の姉妹たちも何度も教会やライブにも来てくださった。

30年来の友である銀じ郎さんや、桑名のKojiくん&Mayumiちゃん、そして神戸のmeekさんファミリーとの交わりもさらに深まった。

そして、かのDr.Lukeとのつながりから吉祥寺デビューも果たし、全国に「奈良のSalt」の悪名もとどろいた。

滋賀の「ろばの子キリスト教会」へ出向いての出張メッセージと交わりは本当に楽しかった。これからはオファーがあれば、こういう仕事もどんどんやっていきたい。

そうそう、今年はブライダルの司式もやってみた。これも意外に面白いし、やり甲斐もある。

2年後には、今借りている建物の契約も切れるので、「天理の集まり」は終わりにする可能性も高い。まだ何とも言えないが導きに委ねるだけ。私は集まりを大きくしようと思っていないし、いつまでも続けて誰かに継いでもらおうと考えたこともない。

とりあえず、主のみこころであれば、明日生きていて語るべきことがあれば語るだけ。なければいつでも沈黙して幕を引く予定。
  

2010/12/23

振り返り(音楽活動編)


仕事に続いて、音楽活動を振り返ってみる。


まず、2010年のライブ

2.13 ボサノバレンタイン Salt&Uribossa①  田原本町 カフェアルコ
2.27 Prune at Café NZ Prune① 奈良市 カフェNZ
4.18 earth day ならsouth Salt&Uribossa② 橿原文化会館前広場
5.29 ひと味チャウダーヂ Salt&Uribossa③  大阪 かいぴりーにゃ
6.19 蛍と出会う夜 Prune③ 奈良市ハーブクラブ
6.26 風草木 Live Salt&Uribossa④  橿原市 風草木
7.31 真夏の夜のボサノヴァ Salt&Uribossa⑤ 田原本町 カフェアルコ
8.01 チャイルド・サマーフェスタ Prune④ 天理市 丹波市幼稚園
8.15 平和の鐘を鳴らそう Salt怒りの鉄弦ライブ 天理市長岳寺
8.28 Salt & Vinegar スカイフロアー・ライブ 大阪市某所
10.11 Prune Live 2010 秋  Prune⑤  豊中市 菜食カフェ&織り工房リジョイス  
12.11 冬めくボサノヴァ Salt&Uribossa⑥  田原本町 カフェアルコ

今年は、メインのSalt&Uribossaの活動に加え、今年はPruneでのオファーもかなりあった。すーちゃんとのユニットで1回とソロも1回。ソロでは久しぶりにスチール弦のマーチンを弾いた。


しかし、さすがに学級担任になった今年は、平日のオファーは全部断った。ちょうどいいインターバルで次の予定は入るのでそこそこ準備も出来るし、良い目標にもなり、刺激にもなる。

大したことは出来てはいないが、自慢は一度も同じ演目では演奏していないこと。

来年はどんなペースになるかはわからないが、すでに6本は出演が決まっている。さらにグレードアップしたいなあ。

上記のライブ活動に加え、毎月のリコーダー講座も休みなく12回。4月以降はぬく森の郷に拠点を移して続けている。Momoちゃんのいない回もあったが、その分、レクチャーにポイントを置いたり、そのポイントと結びつけた楽曲を準備したりして乗り切った。

そして、リコーダー講座のための曲や、ニューアルバムのための曲を数曲書いた。緩やかではあるが、まだまだ右肩上がりは続いているという自負はある。





振り返り(仕事編)


ちょっとした仕事の振り返りを・・・・

現場の仕事にどれだけのエネルギーを注ぐ価値があるのかを自問自答しつつ、常に「行き過ぎ」「やり過ぎ」がないようにセーブしている。

「目の前の子どもの為」を思って先走っても、誰にもありがたがられないことも多い。それが現実というもの。ここで怒っても焦っても仕方がない。「憂い」から「優しさ」が育つ。

しかし、いろんなことが見えていて手をこまねいているようでは、私が関わっている意味がないではないか。

とは言え、システム上の問題や物理的な限界から、私が関われる範囲はきわめて限られている。ピンポイントで効率の良いアプローチを計算する。

そこで、私が自らに課しているのは、「ニーズがあったときに、ニーズ以上の答えを出すこと」である。その為には心と力に「十分なゆとり」が必要だ。

正直、久々の担任復帰でそういう「十分なゆとり」はなかった。満足のいくような結果が出せたわけではない。

ただ「子どもと触れ合う感覚」は戻って来た。そんな感覚が戻ってくるにしたがって、やたら子どもたちが引っ付いてくるようになった。そういうことが好きなタイプではない。うっとおしいが、ことばではない五感で通じ合えた瞬間には、独特の醍醐味はある。そういう子どもは牙をむいて逆らったり、狡い隠し事はしなくなる。

子どもの成長のためには、細かい条件や注文をつけずに、自分を丸ごと受け止めてくれるような存在が必要なのだ。

別に切羽詰ったり悩んだりはしないが、まだまだこの程度の「ささやかなゆとり」と「対応力」では情けない。さまざまなニーズに対して、「思っていた以上の」また「思いもよらぬ」答えを出せるように、元気と勇気をたくわえる冬休みにしたい。

2010/12/19

クリスマスっていったい?


クリスマスメッセージとして、全然クリスマスっぽくないメッセージをした。今の私自身に妥協のない話になったと思う。周囲と妥協しているように見られても別に気にしないが、自分に妥協するのはけっこう難しい。自分の中で燃えるように熱くなることば以外は語っても虚しい。そういう点では言いたいことだけ言えたという満足はある。クリスマスの空騒ぎを尻目に、ずっと抱えてきた違和感の塊を今日はすっきり摘出できた気がする。

これでカナン教会を通して発信する2010年のメッセージをすべて語り終えた。ヨシュア記をテキストにしたシリーズ「約束の地カナン」はおしまい。新シリーズは全く白紙。語りたいことも語るべきことも自分の中に、今はない。

2010/12/18

浩の会


もう何回目になるだろう。何度となく彼女たちの語りの会を企画してきた。

毎回、彼女たちの朗読を聞かせていただくと、あついものがこみ上げてくる。

日本語の美しい響きや本来そのことばが持っていた力を感じさせてくれる。

朗読劇団泉座の座長泉浩子さんと、副座長福原浩代さんのふたり会が「浩の会」である。

演目ごとに衣装を替え、役柄ごとに声色を変えて、そのまま物語を伝える。

今回のメインの演目だった浅田次郎の「ラブレター」は知的な障害のあるお客さんには少し理解は難しかったと思うが、ことばの調子や抑揚から感情の機微が伝わっていると思えた。

店長真絹さんのMCも会を重ねる毎に流暢になり、周囲に配慮した臨機応変なものに変わって来た。毎回、これが楽しみでお手伝いしているようなものだ。

年4回のカフェNZのイベントも終了。カフェも明日から冬休み。2010年も少しずつ暮れてゆく。

2010/12/14

Saltの「アホ」リズムな箴言⑩


(46)もし真理というものがどこかにあるとしたら、それは特別な少数の人間だけが理解できるようなことではなく、誰でもわかるようなものでないといけない。

(47)私だけしか知らないことばなんて、ことばとして存在出来ない。私だけがこっそり味わっている楽しみがあるとしたら、それは夢や妄想の類いである。私の知っていることや味わっていることを、誰も知らず、またこの先誰にも伝えることが出来ないとしたら、そんな知識や体験に何の意味があるだろう。

(48)歓びは分かち合うことの中にあり、価値は共有することの中にこそ生まれる。独り占めするのは、何も持っていないよりさらに貧しい。

(49)子どもに何かを伝えるときには、子どもがわかる子どものことばで話す必要がある。それゆえに、神は人の姿をとられたのだ。イエスは私たちに理解できる神のことばである。

(50)私たちが思い浮かべることが出来る範囲のものは、具体的にかたちになる可能性がある。しかし、かの約束の住まいには、私たちの想像力の限界を超えたものが備えられると約束されている。

2010/12/12

約束の場所へ

「ヨシュア記」をテキストにした2010年のシリーズ「約束の地カナン」を本日終了した。「約束の場所へ」というのは、いろんな意味で向こう数年間の私のテーマでもある。

私が話した内容は、「ヨシュア記」という大河のわずかな滴りにすぎない。興味のある方は御自身で聖書をひもとき、本当に私が語ったようなことが書いてあるのかどうかを詳細に吟味していただきたい。

私のメッセージにはそうするだけの価値は十分にある。それは聖書のことばを少しも薄めず、他のものを混ぜずに語っているからだ。

聖書からのメッセージを語り終えるとものすごく疲れる。決して悪い疲れではない。しかし、全然楽なことではない。

みだりの神の名を語ることは許されず、神のことばを借りて好き勝手な身の上話や自己主張をすれば己を滅ぼすことになる。こんなリスクを誰が好きこのんで負うものか。

私は別にクリスチャンになりたかったわけではなく、教会に行きたかったこともなく、牧師なんてこの世のクズだと思っていたのに、なぜか「似たようなこと」をやるはめになった。

聖書を読む限り、自分から立候補した預言者はいない。神が一方的な主権で導かれたことにのみ、拠り所がある。神が責任をとってくださる。

取りあえず、内側から突き動かすものがある限り語り続けなければならない。来年以降のことはまだわからない。明日のことは明日が考えるだろう。

とりあえず、ホッと一息。

内遊外歓


内憂外患のニュースばかりだが、私は遊び心をもって、周囲に歓びを伝えよう。
あれこれ分析したってどうせ当たりもせず、何においても「私だけが特別」ということはない。(イザヤ47:8,10)オツムが弱い無責任な連中が騒いで、今日の味わいが薄まるだけ。
バビロン滅亡の預言。現代のバビロンも同じ運命を辿るだろう。それさえわかっていればいい。
それよりも神の恵みを数えよう。光である御方を見つめ続けよう。どんな闇の中でも主の光は輝いている。(ミカ7:8)

「冬めくボサノヴァ」

「冬めくボサノヴァ」が無事終了。 田原本は、私が少年期を過ごした町。そこで演奏できることは単純に嬉しい。

今日は、ちょっとアンプのセッティングを変えてみたのだが、いくつか発見があった。まずまず音の抜けは良かった。モニターなしで手持ちのアンプ2台だけであれだけ出せば合格とせねば。

しかし、今使っているギターには限界があるなと感じた。ギターの本体でボリューム操作が出来ないのはどうもまずい。ピックアップの特性とエフェクターの相性も最初に思っていたほどはよくないようだ。

選曲と演奏はそう悪くなかった。私としては今年最後のライブをまずまず楽しむことが出来た。

忙しい中、来てくださった皆さん、どうもありがとうございました。

2010/12/10

裏付けと裏技と裏話


「師走に走らず」などと恰好をつけてみたものの、それは「追い立てられても急がないぞ」という私の意地にすぎず、実際にはやるべきことの物量や厄介さがハンパではなく、最近は柄にもなく仕事漬けになってしまっていた。これは「半分は遊び」というような本来のバランスではないぞ。ヤバイ。

土曜日のライブ、日曜日のメッセージも、絶対に付け焼き刃では出来ない。平素の「裏付け」が必要なので、いつになく総力をフル稼働して辛うじて対応した。

メッセージは水曜日の夜中に準備して、土曜日に日曜日の心配をしなくてすむように調整。今日は一応仕事ではあるが、「裏技」を使って五時間目から出張。「おくりびと」の原作である納棺夫日記の著者、青木新門氏の講演を聴きに行った。場所は、明日ライブを行うカフェ・アルコのすぐ横のホールである。

無理をしてでも聴いてみたいと思わせる「何か」をあの映画には感じていた。単純に感動したからではないある種のおさまりの悪さが私の心に残っていた。

青木氏は、主演した本木雅弘の熱意や人柄を誉め、作品の完成度を評価し、成功を祝福するも、映画は原作とは別物であることを強調された。具体的な「裏話」をあれこれ聞いてなるほどと思った。

青木氏は、送られてきたシナリオを読んで10箇条に及ぶ内容の変更を要求したが、プロデューサーは全く耳を貸さなかったと言う。

「親を思ったり、家族を思ったり、人間の死の尊厳について描かれているのは伝わってきて、それなりにすばらしいとは思う。しかし、あれは私の原作とは違う。最後がヒューマニズム、人間中心主義で終わっている。私が強調した宗教とか永遠が描かれていない」というのが、青木氏の感想だ。

結果として、タイトルの変更と映画には自分の名前を出さないようにと要求する。

なかなか私好みのひねくれぶりではないか。

講演の中で、御自身の人生の転機となった経験を著書を朗読するかたちで紹介されたところは、非常に力があった。

青木新門「納棺夫日記」より

久しぶりに、湯灌・納棺の仕事が入った。今日の家は、行き先の略図を手渡された時は気づかなかったのだが、玄関の前まで来てはっと思った。

東京から富山へ戻り最初につき合っていた恋人の家であった。 10年経っていた。瞳の澄んだ娘だった。 コンサートや美術展など一緒によく行った。 父がうるさいからと午後10時には、この家まで度々送ってきたものだった。別れ際に車の中でキスしようとすると、父に会ってくれたら、と言って拒絶した。それからも父に会ってくれと何回か誘われたが、結局会う事なく終わってしまった。 しかし、醜い別れ方ではなかった。

横浜へ嫁いだと風の便りに聞いていた。来ていないかもしれないと思い、意を決して入っていった。本人は見当たらなかった。ほっとして、湯灌を始めた。もう相当の数をこなし、誰が見てもプロと思うほど手際よくなっていた。しかし汗だけは、最初の時と同様に、死体に向かって作業を始めた途端に出てくる。額の汗が落ちそうになつたので、白衣の袖で額を拭こうとした時、いつの問に座っていたのか、額を拭いてくれる女がいた。澄んだ大きな目一杯に涙を溜めた彼女であつた。作業が終わるまで横に座って、私の額の汗を拭いていた。

退去するとき、彼女の弟らしい喪主が両手をついて丁寧に礼を言った。その後ろに立ったままの彼女の目が、何かいっぱい語りかけているように思えてならなかった。 車に乗ってからも、涙を溜めた驚きの目が脳裏から離れなかった。あれだけ父に会ってくれと懇願した彼女である。きっと父を愛していたのであろうし、愛されていたのだろう。その父の死の悲しみの中で、その遺体を湯灌する私を見た驚きは、察するに余りある。しかしその驚きや涙の奥に、何かがあった。

私の横に寄り添うように座つて汗を拭き続けた行為も普通の次元の行為ではない。彼女の夫も親族もみんな見ている中での行為である。軽蔑や哀れみや同情など微塵もない。男と女の関係をも超えた、何かを感じた。

私の全存在がありのまま認められたように思えた。そう思うとうれしくなった。この仕事をこのまま続けていけそうな気がした。

2010/12/07

師走に走らず

内憂外患の日々、何ひとつ明るい兆しが見えないご時世である。
子どもたちの未来を思うと暗澹たる気分になる。

やっかいな仕事や煩わしい雑務は山のようにあるが、それなりの味わいもなくはない。
私はどん底や逆境でも気に病まない。暗闇にこそ主の光は眩しい。

師走であるが、私はトボトボ歩いていこう。
私は人とは違うレースを楽しむだけ。

言い訳はしない。
師走には走らず、焦らず。

あくまでマイペース。

とは言え、あれこれと振り返る必要に迫られる時期でもある。
結果より動機がどうであったかを問いつつも、結果もシビアに検証したい。

2010/12/04

桂浜と俺の空


「龍馬伝」の録画をやっと見終わった。

クライマックスの暗殺シーンで選挙速報のテロップが・・・

それにしても無粋なことをするものだ。さすが天下の公共放送!

福山龍馬が実際の龍馬とどの程度似ているかはわからないけれど、私には歴史上の龍馬より「俺の空」の安田一平と重なって見えた。

つまり漫画であるが、漫画としては楽しめたということ。

まあ、こんなシンプルなことしか考えていない人が、こんなシンプルな手順で、しかもたった独りで薩長同盟や大政奉還などを成し遂げたはずもないが、残された資料を乱暴につなぎ合わせて、面白く脚色したらあんな風になってしまったのだろう。

最近は、あまりにも志の低い政治家が多すぎるので、幕末維新の志士たちがものすご~く立派に見えたりもするが、同時代に生きていたら、そうでもなかったかも知れないなあと思ったりもした。

たかだか数人の人間がよほど頑張ったところで、歴史なんて動きはしない。金も暴力も陰謀も、長い時間と世界の多様性の中で薄められていくものだ。

英雄を待望する気持ちはわかるが、こういう期待がヒトラーを登場させる。ヒトラーは独裁者ではなく、我々自身の中のヒトラーが御輿をかついでコンプレックッスと野心に凝り固まった馬鹿に自分たちの運命を託しただけのこと。

誰であれ人の頭はそんなに賢くはなく、人ひとりの力はものすごく小さい。世界に君臨するには人の一生は短すぎる。

その為に神はことばを混乱させ、寿命を定められたのだから・・・・

私はくだらない陰謀論など信じないし、その類のものがあったとしてもあまねくその力が世界の隅々にまで及ぶことなどあり得ない。

「みんなが笑うて暮らせる世の中にはならんぜよ」「また世の中は少数の人間の思うとおりにもならんぜよ」
というのが私が思うところのこの世の中の定めである。

こうした法則を理解しない人たちの愚かな期待が反キリストを登場させる土壌を作るのだろう。

2010/12/02

カルシウムが足らんぜよ


骨のある奴が少なくなった。

人の前や人の上に立つものが、日和見の嘘つきでは困る。

きちんと自分のことばで語り、最後まで自分の責任で行動できる奴はおらんのか。

2010/11/30

Tango Argentino


会田桃子さんのTango Argentinoのライブを聴きに行った。友人の箱屋の大将から案内をいただいたのだが、その日の仕事がどこまで伸びるかわからないので、行けるとも行けないとも返事をしないままだったが、放課後のケース会議があっさり早めに終わり、事務処理もチャッチャとやっつけて開演時間に間に合わせた。

実は箱屋の大将の同級生北村くんが、このユニットでバンドネオンを弾いているのだが、彼のバンドネオンと会田さんのバイオリンが織りなすアンサンブルが絶妙で聴き応えがある。

ちなみにNHK龍馬伝の高杉晋作が死ぬ場面でバックに流れていたバンドネオンは北村くんの演奏によるらしい。(箱屋情報)

さらに、北村くんの実家は今夜ライブがあったドラムヤカタのすぐ傍だという話。 もうひとつおまけに今日は北村くんの誕生日だということで、サプライズでお祝いもあって、こじんまりしていたが、アットホームないい雰囲気だった。

明日からは懇談というせわしい予定だが、行って良かった。

2010/11/29

ホームレスごっこ


教室横のベランダに段ボールハウスが出現。実は研究授業のときもそのままあった。

当然、参観者から「何をやらせているんだ?!」というツッコミもあるだろうと予想していたが、誰からの小言もないどころか、指導に来てくれた先生からは、「あれはいいですね。教室の一画にゴザやじゅうたんを敷いただけで、いじめがなくなるという研究もあります」などと言うありがたいことばもいただいた。

実は、数日前に段ボール箱で作った空気砲の中に入り込んで、穴から顔を出して「ホームレスごっこ」をしていた子どもたちに、ホームレスのおっちゃんたちの段ボールハウスの奥深さを教えてやったところ、「僕らもホームレスやりたい!」という展開になってしまったのだ。

最初は教室のすみっこで遊んでいたのだが、邪魔になるので撤収させようとして、「ホームレスごっこというのなら、外でやらないと・・・・」と言うと、「わかった」とベランダに移動したわけだ。

彼らは段ボールハウスの中で給食を食べさせて欲しいと私に交渉してきているが、今は保留中。

2010/11/28

研究授業を終えて




6年ぶりの研究授業を終えて、ちょっとホッとしている。とは言え、そんな時間も1日6時間あるうちの1時間にすぎず、これからも毎日毎日授業は続いていく。

当日は、参観する先生方がそれぞれに2人で4人の子どもを観察し、顔やからだの表情とその変化を追いかけ、その子の学びがどの場面で深まったのか、また途切れてしまったのかを個々に記録する。また、教師や子どもの発言のすべては全体の授業記録となり、その2種類の記録による事実を元にした授業検証を行う。

「何となく」の印象や、教師の指導力に関する互いに気を使いながらの話ではなく、「子どもがその時どうであったか」が中心に語られるので、非常に協議の質は高まる。

私も授業提供者として、非常に充実した時間を過ごさせてもらった。
とりわけ、一番心配だった発達障害を抱えている子たちが、周囲の子どもたちの支えによってねばり強い学びの姿を見せていた。私が感じていた以上のことが、複数の先生から詳細にわたって報告され、高い評価を受けていたのが非常に良かった。

いよいよ2学期も残すところ一ヶ月。

2010/11/25

三島事件から40年


今から40年前の今日、すなわち1970年11月25日、作家三島由紀夫こと平岡公威が、自衛隊の市ヶ谷駐屯地にて隊員に向かってクーデターを呼びかける演説をした後に、楯の会メンバーとともに割腹自殺を決行。当時小学生だった私には、その時はさっぱり意味などわからなかったが、三島の割腹自殺のニュース映像は、万博の太陽の塔とともに、強烈なインパクトを残した。このふたつのアイコンは、私が考える日本の戦後民主主義の矛盾を象徴するものだ。

三島は死の直前に「私の中の25年」という文章を新聞に掲載した。その中にある一文は現代の日本の姿を予見したものとして、ここ数年何度も取り上げられている。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」 

確かに民主党政権になってからの日本は、まさにこの三島の憂いと絶望に満ちたことばのとおりだ。
三島は単純な天皇崇拝者ではない。また、自衛隊員の中に行動を共にする者がでることは絶対にないことも知っていた。従って、三島事件は、政治的な決断でも思想的行動でもなく、空虚な自分の文学の美意識に殉じた演劇的な死であったと私は思う。


1984年に発刊されたフライデーの創刊号に掲載された三島由紀夫の生首の写真は、これまでに私が読んだすべての三島作品よりもリアルに、「人が地上に残しうるもの」を曝していた。

イエローカーペット&レッドカーペット



上は天理市庁舎前、通勤中の信号待ちに車の窓越しから。

下は先日紹介した伊那食品工業の敷地にて。



2010/11/24

ヤドカリ少年



何だかんだ言って、仕事の現場で束縛される時間は長く、ベラボーなエネルギーを奪われている。楽しいが、決して楽ではない毎日だ。

公立学校にいる以上、子どもを縛りたくないもので縛らざるを得ず、私自身も縛られている。縛られていても自由でいられる私とは違い、子どもはその不自由感を露わにする。こんなややこしいことは子どもに説明しようがない。

子どもたちは、私に会いたくて学校に来るわけではない。私の演奏やメッセージが聴きたくてそばにいるわけではない。これは前に立っていて一番しんどいことだ。

静かに話を聴いてじっくり考える訓練もまだ十分にはされていない。ただじっと座っていることさえ難しい子もいる。

授業は本当に難しい。ライブよりもメッセージよりも、これまで引き受けてきたどんな相談や講演よりも難しい。

たとえ私のことを信頼していても、それでも毎度ちゃんと話を聞いているわけではないし、こちらの予想や期待通りに反応してくれるわけではない。

大事な話をしているときに全く話を聞いていなかったり、ずっと言い聞かせてきたことを簡単に忘れて正反対の選択をされたりすると、本当に情けなくなる。

子どもは一人ひとり性質や能力も違う。親の考え方や環境によって多種多様の生育歴を経て今日の姿がある。そうした背景を無視して現在の有り様を冷たく判定することは出来ない。

それにしても、彼はなぜゴミ箱にはまってしまったのだろう。いくら考えてもわからないが、とにかく抜いてやるのにずいぶん苦労した。これまで周囲の子たちは、「○○が××なことをしている」と言いつけにくるだけだったが、最近は面白がって「これ、オモロイから写真撮ろうよ」と言うようになった。

2010/11/23

ブリューゲル版画展in京都


昨日の「11.22(いい夫婦)」の日は結婚記念日だったのだが、お互い仕事に疲れてまともにことばを交わすことが出来なかったので、午後から京都へ出かけることにした。ブリューゲルの版画展を観に行ったのだ。妻はブリューゲルの版画に興味を持っていたし、私もボッシュやブリューゲルの気持ち悪い系の作品は昔から好きだった。

私としては純粋に作品で気持ち悪くなりたかったのだが、絵画の世界を味わう前に満員の人に酔って気持ち悪くなってしまった。とにかく大勢の人でびっくりした。あれだけの人が美術に関心があるのは悪いことではないが、とうてい絵を味わう空気ではなかった。人気のある作品の周辺は、まさにブリューゲルの作品の中のような密度だったので、絵に登場する巨大な魚の腹を切り裂かれて飛び出るように会場を後にした。

400年前のネーデルランドも現代の日本も、人間の本質は全く変わっていないわけだ。

ゆっくり出かけたので、絵を観た後は他は何処へも出来ず、目の前にある京都タワーにでも上るかということになって、おそらく20数年ぶりに京都タワーに上った。○○と煙は高いところが好きなのだ。

京都タワーは、古都にあまり似つかわしくない滑稽な佇まいだが、幼い頃から見慣れているせいか、それほどヒドいとは思わない。まさに60年代の産物で、そういう時代の香りを残している。デザイン上のコンセプトは、京都市内の町家の瓦葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたものだそうだ。

2010/11/22

ライブ感覚

学校の教室というのは、日々ライブ感覚だが、音楽の場合と全く違うのは教室の主役は子どもだということ。パフォーマーとして有能であることは小学校の教師にとってあまり重要な要素ではない。

今日は5時限目に、研究主任が自分の空き時間を利用して、金曜日の研究授業につながる国語の学習を見に来てくれた。

子どもたちは、月曜日か、火曜日か、午前か、午後か、前日に家庭で何があったか、休み時間に何があったか、朝食に何を食べてきたのか・・・・等、ちょっとしたことで様子が全く違ったりする。

とにかく、こちらが思ったようにはいかないことが多いのだが、それが面白い。いずれにしても、子どもたちが研究授業当日に見せる姿が、取りあえずここまでの私の通知票みたいなものだ。

ボサ・ノヴァのライブも近づいて来た。You Tubeでのライブ・インフォメーションをどうぞ。

http://www.youtube.com/watch?v=R-CBnhwOlc0

2010/11/21

侘びダーヂ・寂びダーヂ


Salt&Uribossaはボサ・ノヴァを中心としたブラジル音楽をベースにはしているが、日本語の持つ美しさや、「侘び」「寂び」といったメンタリティーをとても大事にしている。

これは私と出会う前からUribossa氏自身も追求して来たものであり、そうした感性が響き合って今日の活動に至っている。

Uribossa氏は、ジョアンのギター奏法や発声を継承しながらも、日本人としての古風な感覚を根っこに持っているので、そのスタイルは決して「ブラジルかぶれ」の借り物ではない。それは彼の人となりや生き方の細部にも現れている。

現在、Uribossa氏によるSalt&Uribossaの公式HPを制作中であるが、暫定的に御自身のブログでもライブに関するインフォメーション等を行っている。

最新記事はニューアルバムに収録予定の待望の新曲の歌詞。

アルコのライブのフライヤーも私のブログのものと食事のメニューに若干の変更があるので、ご来場予定の方は、チェックよろしく!

http://wabisabidade.blog.eonet.jp/bossa/2010/11/

寒天を売る観点


ちょっと訳ありの社会見学に行って来た。

「伊那食品工業」は、国内シェア80%を誇る伊那の山の中の寒天の会社である。創業以来、連続して増益増収を続けている奇跡の企業。不景気な昨今の日本にあってこれだけの規模の企業が途切れることなく右肩上がりを続けているのは、ほとんど考えられないことなので、あのトヨタをはじめ、多くの企業がその創業者である塚越氏の経営理念に注目しているそうだ。

しかし、この大躍進は決して利益を追求した結果ではなく、創業以来、社員ひとりひとりの幸せを求めた自然な結果だと言うからさらにびっくり。創業者塚越氏のことばによれば、「利益は健康なからだから出て来るウンチだ」とのこと、「50年間たった一人の社員のリストラもしていない」というのが本当だとすると、外向きのキレイごとではなく、これはなかなかあなどれない本気の姿勢だと感じる。社内には21世紀の100年カレンダーをあちこちに貼り、目先のことではなくずっと先を見通すようにと、徹底している。

健康ブームで寒天に注目が集まったときも、経営規模が拡大することを「あえて」しなかったと言う。企業にとって最大のビジネスチャンスを軽く受け流したことにもちゃんと理由があるのだ。一時のブームにのって無理に設備投資をすれば、ブームが去ったときに必ずそのツケがまわってくる。その時傷つくのは社員であり、会社もダメージが大きい。「責任を持ってキチンと商品を届けられるような身の丈にあった商売が大事だ」とキッパリ言い切る塚越氏。

あくまでも会社はみんなの幸せにあるとし、「凡事継続」「年功序列」「終身雇用」というイマドキの経営理念とはかけ離れたことばを恥ずかしげもなく謳いあげている。
伊那食品工業は、「寒天」というこの世に別に無くてもよさそうなマイナーなものを扱いながら、アメリカ型の能力主義や効率主義で組織をボロボロにしてきた日本の会社経営を一から考え直させる怪物企業なのだ。

このような、地元の方々にとっても誇りであるような素晴らしい会社を一代で築き上げた塚越氏の理念を支えるのは何なのだろうと不思議に思ったが、それは、なんと昔はどこの小学校にでもその像があった二宮尊徳の生き方に原点があった。

「遠きをはかる者は富み 近くをはかる者は貧す。」「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」という尊徳のことばが、会社経営のすみずみにまで浸透していたのだ。損得よりも尊徳優先というわけだ。

半日かけてゆっくり見学させてもらったが、会社の敷地の中に、植物園のような自然を生かした庭園や美術館、レストランやショップがある。確かに謳い文句のとおりに、どこをとっても、効率よりも快適さを優先し、それなりの「癒しの空間」を作っている。社員のマナーもサービスもよく、施設もすみずみまでキレイでホスピタリティーかなり高い。

伊那食品工業に古き良き日本人の姿を見た。

2010/11/20

戦国感冒朝刊

尖閣問題の映像流出を巡って様々な議論が巻き起こったが、「こんな映像がYouTubeで流れた!」とバンバン報道するのはどうなんだ?

「秘密」にしても「正義」にしても、ことばの定義自体がそもそもいい加減なものだとつくづく思う。

とは言え、「自衛隊は暴力装置」という表現は確かにいただけない。

しかし、「自衛隊が暴力とは無関係」だとすれば、戦車や戦闘機はいったい何をするものなのだ?

自衛隊という組織にも、自衛隊の装備にも「消防車や火を消す」「扇風機は風を送る」というわかりやすさがないから困ったものだ。本当は誰でもわかっているのに、わかっていることを口に出せない馬鹿馬鹿しさにたえかねているのだ。

官房長官も「軍隊」とは言いにくいから、「暴力装置」と言い換えたわけだが、それが「隊員のプライドを傷つけた」からどうのこうの・・・と首相がわけのわからないことを言っている。

法務大臣は国会をナメきった発言のせいで、国民にナメられているし、そうこうしている間に、ロシアと中国に国家の主権をないがしろにされている。

2010/11/16

リンゴ飴



高学年のいきいきタイム(クラブ活動のような枠)で「スーパーサイエンス・コース」を担当している。

毎回、ネタさがしに苦労するが、今回はリンゴ飴にトライ。

テキ屋でのバイト経験もある同僚の指導により、限られた時間と予算と設備の中で何とか完成。

私は毎回、天才科学者に扮し、白衣を着て参加している。「ひとことサイエンス」のコーナーでは毎回、サイエンスにまつわる蘊蓄を語ることになっている。

リンゴの側から見た種の話をした。動けない植物は、いかにおいしそうな実をつけて種を分散して運搬するかというストーリーを3分程度にまとめた。子どもたちはグツグツ言い出した鍋を気にしながらも、興味深く聴いてくれていた。

これも私の種まき。

朝、教室に行くと「先生、リンゴ飴ちょうだい。」と書いてあった。他のコースの子どもたちが、羨ましいなと思ってみていたのだろう。

まあ、「砂糖眩し」はいかがなものかとは思うが、「本来のおいしさ」をそのまま伝えるべきではある。

2010/11/15

オンステージ








             




最近、Uribossa氏の友人が撮影してくれた夏のライブ画像をいただいた。

あの暑かった夏はどこへ行ってしまったのだろう。

              

被写体になるのは好きじゃなかった。

でも、最近は写真を撮るのも写るのも、けっこう楽しい。何でだろう?

            
 
      

 明日の夜は練習。
 
 本番もいいけど、練習が楽しい。
                               
 音楽そのものが楽しい。









2010/11/12

バックステージ




たった3曲、わずか数分間の演奏だが、子どもたちにとっては貴重な体験だったと思う。やりたい楽器にさわれなかった子、1ヶ月必死に練習しても、まだまだ完全には演奏出来ない子、それぞれの子どもの背景やドラマがある。

そうしたバックステージが充実しているかどうかも、おそらく客席に伝わるものだと思う。

膨大なエネルギーを注いだが、私は音楽専科ではなく、学級担任なので、混乱を避けるために音楽的なアドバイスは一切しなかった。

私が伝えたのは、ただ「演奏前の静けさを作る」ということ。「友達の音を聴き、全体の音に調和する自分の音を聴き、音楽を楽しむ」ということ。

会場である市民会館から徒歩で学校にもどる足取りは軽かった。

教室に戻ってから、全員にひとことずつ感想を語らせた。どの子も笑顔で満足していた。私もその子どもたちの表情を見て、これでいいと思った。

2010/11/11

仙谷より千石の米を守れ

日ごとに国益を損なうスッカラ菅氏だが、「TPP平成の開国」などという戯言は、歴史も経済にも暗く、外交能力もなしという証拠である。

「仙谷より千石の米を守れ」と言いたい。農業を馬鹿にした国は滅びるしかない。

尖閣問題に関しても、10日の衆院予算委員会で「歴史に堪える対応」だったと現状認識の甘すぎる答弁をしたようだ。

YouTubeさせた海保職員は、失職覚悟で彼が信じる国益を追求した点で、私服を肥やすために職にしがみつく政治家よりはずっと偉い。

「自分がやりました」と認めた点でも、「私は知らなかった」「秘書のせいだ」とシラをきる政治家より遥かに立派。

故意に衝突してきた中国人船長を超法規的に釈放して、中国で英雄にしてしまった。今度は、海保職員を処分して、日本で英雄を作ろうとしている。

冬めくボサノヴァ



磯城郡田原本町「カフェ・アルコ」にての冬のライブのご案内。

「真夏のボサ・ノヴァ」の頃のあの暑さはどこへやら。今朝は各地がこの秋の最低気温を記録した模様。

今回も超多忙なスケジュールの隙間をぬって、秘密の特訓を繰り返し(別に秘密でも特訓でもないけどけっこうマメに練習はしてます)果敢に新しいネタにもチャレンジ。

冬はお鍋かボサ・ノヴァか。

ボサノ・ヴァは、夏には涼しく、冬には温かい、世界で一番こころとからだにやさしい音楽です。

2010/11/10

Saltの「アホ」リズムな箴言⑨


(41)遊びは無計画で非効率で不可解であることが多いが、その膨大な無駄の中にこそ新たな発見と大いなる飛躍がある。

(42)遊びは、時間的、空間的、精神的「ゆとり」の中でこそ生まれる。この3つのうちどれが欠けてもいい遊びは出来ない。人は追いつめられた状態では遊べない。

(43)図星をつかれると怒り出す。哀しみを突き抜けると笑い出す。

(44)偶然を主張する必然について、無意味を強調する意味について、もう少し考えてみても悪くない。

(45)最短距離で目的地に着くことが最善のプロセスではないことが多い。

2010/11/09

同じ目の高さで


上から目線で話しても、子どもの心には届かない。こちらから何かを伝える前に聞いてあげないといけないことがいっぱいある。

ムカついても、「ことば」で伝えることが出来る子どもは簡単にキレない。そんな「ことば」を育てるために良い教師は徹底的に聞き役になる。

2010/11/06

今日のリコーダー講座から


やたらゆっくりはっきり丁寧に話す戦場カメラマンが人気を集めている。私も最近何度かテレビで見かけて、ついついその「軽妙」というのとは程遠いトークに引き込まれてしまった。そして、今の時代だからこそ、ここまでウケるんだなと思った。

今日は月に1回のリコーダー講座である。

リコーダー講座では、意識的にワルツの練習曲をたくさん取り上げている。ミディアムテンポのワルツが音楽療法的に高い鎮静効果があると考えられているからだ。

私は、軍楽的な士気高揚に用いられた偶数拍子ではないことにその一因があると思っているのだが、それは言ってみれば、カウンター的な癒し効果である。

戦場カメラマン渡部氏がここまでウケているのも、こうした背景とのコントラストがあってのことだ。つまり、茶の間を席捲するワイドショーやバラエティ番組のテンポの速さ、テンションの高さと、無駄な情報量の多さと、質の低さに比べて、その真逆をいっているところに癒し効果が生まれているのだと思う。つまり秘密は、彼のトークのテンポの遅さ、テンションの低さ、情報量の少なさと、質の高さにある。

さらに、今日の講座では、トピックのひとつとして、「クリシェ」を取り上げた。これはフランス語で「決まり文句」「常套句」を意味することばであって、本来はあまり良い意味ではない。

音楽でクリシェという場合、「同じコードが続くときに装飾的に加えられる慣用的なライン。半音あるいは全音の動きをあえて作る作・編曲上の技法」を指すが、これがその名前のとおり、いかに頻繁に使われているかを実際の楽曲を取り上げて説明した。

本当の意味での個性というのは、突飛で新奇なものではなく、普遍的な「型」や「法則」をはずしたものではあり得ないのではないかと伝えた。同一のコード展開の上に巧みに重ねられたメロディの美しさを確認できたと思う。

先の渡部氏も、日本人らしい礼儀正しさが、戦場カメラマンとしての非日常性と重なっているところに魅力があるのだと思う。ウケをねらわないその人らしさが一番いい感じなのだ。これは音楽も同じだ。

裏ビデオ流出

海上保安庁が撮影したとみられる例の衝突事故映像がYouTubeに流出。民主党政権にダメージを与えるための内部告発であるとされている。

「仙石」「左派」を揶揄するsengoku38というハンドルネームも怪しげだ。

インターネット社会では、一部の人間が情報を独占することは不可能である。裏が表に出て来て、表が裏返る。

「一目瞭然」と前原氏が息巻いていたビデオだが、中国側は捏造だと一蹴。

「どんな証拠を見せても見たいようにしか見ないのだ」ということが、全くわかっていない人たちの管理していたはずの「隠し球」がポロっともれてこの有様。みっともないことこの上ない。

さあこの後、どんな風に中国と向き合うのか。

日を追うごとに国益を損なうスッカラ菅さんは、東アジア構想については前任のルーピーポッポちゃんよりもいっそう見識が乏しいと言われているだけに、一国民としては心配でならない。

2010/11/03

Saltの「アホ」リズムな箴言⑧




(36)子どもにとって遊びとは、まさに子どもが子どもの今を生きる最も貴重な時間である。

(37)意味のなさそうなことを、本当に意味があるのかないのか、それを確かめることが大事だ。ないとしたら、どんな意味がなかったのか、そのくだらなさを実感することこそ貴重な体験なのだ。遊びの中にはそうした要素が含まれている。

(38)大人になると、日常の大半が意味のありそうなことで埋め尽くされ、意味のなさそうなことが入り込む隙間がほとんどなくなってしまう。子どもが、子どもの今を生きるということは、その意味のなさそうな時間を大人に勝手な色づけをされずに体験することだ。

(39)子ども時代から、意味のありそうなことばかりで埋め尽くされた子どもはあまりにも不幸だ。そういう不幸だった子どもが真面目な先生になって不幸を拡大する。

(40)遊びのモチベーションを作るのは、未知なるものへの好奇心と期待である。傲慢と諦観からは遊びは生まれない。

2010/11/02

よく遊び、よく遊べ


子どもたちを見ていると、「もっと遊べ」「もっと楽しめ」と思う。私の目には「少しも」「さっぱり」「まだまだ」「全然」遊び足りていない。あんまり遊んでいないから、何をやらせても鈍くさすぎる奴が多すぎる。

要するに経験不足なのだ。そのくせゲームには詳しい。物事を短絡的に考え、諦めるのがやたらはやく、恐ろしくわがまま。幼い子どもに刃物を持たせるのが危険だと知っているなら、10歳未満も子どもにゲームなんかさせちゃだめだ。ゲームは遊びではない。

そんな中、私のクラスにはほとんど遊ぶことしか考えていない男の子が若干名いて、こいつらがなかなかいい。もっとも、世話はやけるし、いつもトラブルは起こすし、真面目が取り柄の先生はあんまり受け持ちたくないタイプの子たちだと思う。こいつらのおかげでかなりの時間と体力を失うことになるが、こいつらがいないとずいぶん味気ないクラスになるだろう。

とにかく彼らはいつどの場面をとっても、とてつもなくくだらないことをしていて、あまり誉める要素がない。これがいい。「遊び」というのは、何かをねらいにしたものじゃないからだ。誉められるような遊びなんてほぼ遊びじゃない。

生活科などという最低な教科がやっていることは、目もあてられないような内容ばかり。まともに遊んだことのない輩がどつまらん役人になって、「遊びとは何か」を考え出す。それを言われたまんまに現場でとっとと実践しているようではどうしょうもない。

生活科の悪口を具体的に書くと差し障りもあるかと思うので、(すでにかなり差し障りがあるが・・・・・)退職した幼稚園の某園長が私に話してくれたエピソードをご紹介しよう。

昔、保育の研究をしてかなりの成果があがっていると信じていた。そんなある日、子どもたちが言われたとおりに「お店ごっこ」をしていきいきと遊ぶ姿を目を細めて見ていたと言う。子どもたちも明るい声を響かせなかよく楽しくやっている。職員たちもよくここまでがんばってくれたと園長として満足だったそうだ。ところが、お片付けを終えた頃、遊びをリードしていたひとりの子どものが園長に近づいてきて、開口一番こう言ったと言う。「園長先生。もう、遊んでいい?」

これで、この園長は「目が覚めた」と言っていた。「言われたとおりのお店ごっこ」は、5歳児であっても「あそび」とは感じないのだ。それを楽しく遊んでいると見なしていた自分は子どもの何を見てきたのだろうと謙虚に反省なさったわけだ。まあ、これで目が覚める人はいいが、ずっと寝ぼけたままの人も多いというのもおわかりいただけようか。

私が「人生の半分は遊び」と言っているのは、かなり真剣なのだ。ただ漫画を読むとかゲームをするなんてことは遊びの範疇には入らない。他人のプログラムにのっかって消費に貢献しているだけだ。もちろんその行為自体は否定しない。仕事ではないから遊びというのは、ほとんど遊びの本質ではない。

遊び以外の領域においても、言われたことをそのとおりにやって誉められるくだらなさと言うのは、何と言おうか、私の価値観ではほぼ0点である。ちゃんと遊んでないから、遊び自体も遊び以外もともにおもしろくないのだ。

言われたことを言われたとおりにやらないと怒りだしたり、機嫌を損ねたりする教師が多い。「先生は今そんなことは指示しなかったでしょ!」と言うわけだ。これではストライクゾーンが狭すぎる。先生に遊ばしてもらっても、それは遊びじゃない。先生の目を盗んで楽しめれば、これはちょっと遊びっぽい。

私はその子が投げる一番いい玉をストライクとする。全然違う。こちらが予想しない反応をすると、やたら面白がって計画を柔軟に変更する。こういう「遊び」の心が良い結果を生むのだ。

目先の小さな予定調和の中で生きている人たちとは一生かけて話し合っても意見が合うことなどない。そういう人たちに限って、「話し合えば通じ合う」などと思っていたりするからやっかいだ。

意味のなさそうなことを、本当に意味があるかないか確かめたい。ないとしたら、どんな意味がなかったのか、そういうことを試してみる時間が必要だ。遊びの中には、そういうことが自然に含まれている。大人になれば、意味のあることが連続するので、意味のなさそうなことの入りこむ隙間がほとんどない。

2010/11/01

甲賀の飛び出し坊やは忍者風


上柘植インターから、東近江に向かう道中、 脇道のススキの陰の「飛び出し坊や」が目に入った。

「さすが甲賀の町、飛び出し坊やも忍者風だな~」と妻と話していると、本当に忍者の「飛び出し坊や」があった。あまりにもグッドタイミングなので笑ってしまった。しかも、これから飛び出すのではなく、渡りきった様子なのが、「やるな~忍者」って感じだ。

でも、忍者のコスチュームより、普通の子どもが忍者風の方がいい。このあたりのセンスは大事だ。

こんな風に「ろばの子」へ向かう途上は道中も、いつものように「遊び半分」の実に楽しいものだった。 目的地に着くまで目をつぶって突き進む感じはどうにも好きじゃない。プロセスも含めてすべてを味わいたい。

ちなみに滋賀県や京都府には、この「飛び出し坊や」の数はやたら多い。「坊や」ではなく「女の子」の人形もあった。



「飛び出し坊や」とは・・・・

主に児童への交通安全の呼びかけやドライバーへの注意喚起のために、通学路などに設置されている看板のことである。横断旗の入れ物を兼ねるものもある。正式な名称は存在せず、飛び出し人形・飛び出し小僧・飛び出し君・飛び出し注意君などとも呼ばれている。


2010/10/31

主がお入り用なのです!

「お招きがあれば2~3人以上のキリストの御名に集う交わりであれば何処でも参上しますので気軽にご連絡ください」と広報したところ、早速オファーをくださったのは、滋賀県東近江市にある「ろばの子キリスト教会」

「ろばの子キリスト教会」と聞いて、何だか楽しい気分で出かけた。まさに聖書にあるとおり、「主がお入り用なのです」と私を招いてくださったようだ。

そこには、いろんな経験を越えてこられた兄弟姉妹たちが、本当に純粋な信仰で集っておられた。メッセージが終わってからも、食事をしながら楽しい交わりが続く。

主は各地にこうした群れを「直接」養っておられるのだと改めて確認することが出来た。主が私にこうした出逢いを与えてくださっている事実を通して励まされる方もきっとおられると思う。

誰も組織したり扇動したりしなくても、主がつなぎ、主が結ばれる。人手によらずにいのちは育っていくのだ。

今後も主が必要とされるところなら、何処へでも出向いて行こう。

2010/10/30

学びのたより

11月が始まった。

いよいよニューアルバムの録音に着手する。しかし、一方で今月は研究授業を公開しなければならずその準備もある。今日はそっちの話。

①拠点校指導員をしていて「どう授業を組み立てるべきか」を他人に教えていた者が、さてどんな授業を展開するのか。

②人権教育研究会の事務局長をしていてさまざまな啓発活動を企画してきた者が、平素の学級経営や授業の中にどんな風にそうしたポイントを押さえているのか。

③特別支援教育にのコーディーナーターをして外部でも講演などをしていた者が、支援の必要な子がいっぱいいるクラスで具体的にどんな配慮をし手立てをこうじるか。

参観者は意地悪な方々ではないが、おそらくいろいろな興味をもって見てくれるはずだ。

6年ぶりに学級担任を持って半年を過ぎた。4年生ともなると15年ぶりで、「こんなに幼かったかなあ」と困惑する日々を過ごしている。毎日仕事帰りの余力は殆どゼロに近く、そんな中でやりくりしてきた。

教員生活も25年を過ぎてから、授業づくりについて根本的な見直しを迫られているのだ。 それなりに今まで通りの無難な授業をするのでは「研究」にはならない。

①一斉指導型のわかりやすい授業ではなく、教師を中継点とせず、子どもどうしが直接つながり合いお互いから学び合う授業。

②「わかること」「できること」を積み上げていく授業ではなく、「わからない」「できない」から始まる授業。

③全体として流れまとまってしまう授業ではなく、どの子の学びも途切れたり、逃げたりしないような授業。

他の人があまり試みないようないろいろな実験をやってきたが、この3つの課題は全くクリア出来ていない。

授業というライブはボサ・ノヴァより難しい。

同業者の仲間たちからのリクエストもあって、「発達障害の子が学級集団の質を問う」ことに関連する資料を当たってみたのだが、直接そういうものはない。発達障害の子どもたちのことに関しては、まわりの健常(そんなもんあんのか?)とされる子どもたちとの関係性に言及したものはほとんどない。すべてはその子の障害克服のためのあれこれのものだ。

しかし、直接特別支援のことは出て来ないが、先のことばをくれた岩谷氏も推奨するJunさんこと石井順二氏の学びのたよりは秀逸である。

暇なときに、ちょっとずつアーカイブを読まれるといいと思う。

http://www2.yecc.gr.jp/~manabukai/manabinotayori/tayori-1.htm 

2010/10/29

「風のメロジア」CDジャーナルに登場

Salt&Uribossaの 「風のメロジア」がCDジャーナル11月号に登場。 松山晋也というライターの「よろしく哀愁」というコーナー(P118)で、今月のよろしくCDの1枚として紹介されている。

「中途半端にメディアで紹介されるのも何だかなあ」という感じで、SaltもUribossaも掲載誌を買おうともしない無関心さだったのだが、書店で立ち読みしようと3軒回ったが、在庫がなかったので意地になってネットで注文した。



「奈良在住の男性2人によるボサ・ノヴァ・ユニット。音作りは典型的なジョアンジルベルトスタイルだが、軽やかなボサ・ノヴァ・ギターに乗る歌詞は、日本語のリズム、音節をしっかり主張し、節回しにも、時に70年代フォーク的ニュアンスが感じられたりする。カッコつけない、背伸びしない、抹茶味のボサ。ユニーク、そして誠実。」(松山晋也)


「風のメロジア」 日本語によるオリジナル・ボサ・ノヴァ全12曲 定価 2000円

試聴 http://www.youtube.com/watch?v=pr6E6xQ6KbE

http://www.youtube.com/watch?v=X2eoNErmAM0&feature=related

2010/10/28

子どもの眼



子どもはいろんなものを見ている。その眼に写っているのは、いったいどんな世界だろう?

大人は子どもたちに、「ほら、これをみてごらん」と言えるものをどれだけ作って来ただろう?

子どもだった頃の私は、ずいぶん早くから、「あんな大人にはなりたくない」と思う連中が、このうんざりするような世界を作ったのだと気づいていた。

そんな私もやがて大人の仲間入りをし、自らもこの腐り果てた世界の共犯者であることを自覚するに至った。そして、気がつけば眼の前に立ちはだかった壁のレンガひとつとして子どもと関わる仕事についている。

しかし、私はせめて自らのからだを抜きはずして、その隙間から「この壁を突き抜けた世界があること」を見せてやりたい。背丈の足りない子どもの足台になってやろう。

この世界は既に終わっているが、それでおしまいではない。

どんな時も希望を失ってはいけないと・・・・・

2010/10/26

Saltの「アホ」リズムな箴言⑦


(31)人は自分の信じたい情報を選びとるしかない。それは多くの場合、自分にとって都合の良い情報であることが多い。同じ嘘なら少しはマシな嘘をつきたいし、同じ見るならちょっとでもいい夢を見たい。誰だってそう願う。すべての事柄について、100%の真実をつきつけられたら、私たちはそれに耐えられないに違いない。いずれにせよ、人は何を信じたかによって自分に値をつける。

(32)自殺は意気地なしの行為である。のみならず卑怯だ。何が意気地なしでどこが卑怯かと言うと、自殺は、己の自意識過剰によって現実が裏付けられなくなった時に、その高ぶった自意識を守るために現実を消去する取引だからだ。親や子どもや友人といったあらゆる関係性を一方的に暴力的に断ちきる行為だからだ。

(33)正義を追求することが必ず大いに報われ、人からの間違いのない評価や豊かな暮らしにつながるのであれば、正義を追求するという目的は、賞賛や冨を得るための手段になってしまう危険性があり、正義はその時点で本質を手放してしまう。

(34)言霊なんてない。人のことばはいつも後付けのもの。通り過ぎる本質を追いかけても永遠に追いつかぬ鬼。

(35)文章にとって最も大切なことは品格である。次に大事なのは光を感じさせる影を描くことだ。

2010/10/25

~するのは誰の為?



昔は「世の為、人の為」という建前がそれなりに立派に見えた。今はそんな建前よりも、生々しい本音を語ることが当たり前で、それが恥ではなくなってきた 。時代の流れとは言え、そうした風潮はあまり好ましくない。

そして、本当に「世の為、人の為」は建前で「自分の為」は本音なんだろうかと問いたくなるのだ。

そもそも、神は人を複雑な関係性の中で共存させながら祝福することを目的としてこの世界を創造されたのであって、ある個人の為の単独の幸せなど存在しないと言ってもいい。

子どもに勉強することを勧めるときも、「勉強するのは自分のため」と言うのが当たり前になった。「~するのは、自分のため」を全面に押し出すと、「俺のことなんだから、ほっといてくれ」という理屈を肯定するしかない。

緒方洪庵の敵塾は、「世の為、人の為」の学問を教えた。私はその精神が好きだ。知恵は他人の幸せのために使うべきだ。

「私の利益」を勘定に入れずに何か打ち込んでいるときが、結果として私が一番得をしていたのだと後から気づかされることが多い。恵まれたのは誰かとともに分かち合うためであって、そのことによって自身もさらに潤うのである。

桐生市の小学生6年生の女の子がいじめを理由に自殺した。こういうニュースを聞かされる度に本当にやりきれない気持になる。ご遺族や関係者の慰めを願いつつ、あえて言うが、「人は自分の幸せのために生きているんだ」と教えられた子どもは簡単に人を死に追いやり、また自らも命を絶つ。実は自分の為だけに生きているほどしんどいことはないのだ。

誰かを傷つけることは自分を傷つけることなんだ。誰かを誹謗中傷することは自分を蔑むことなんだという関係性の理を知っていれば、世の中はもう少しだけやさしくなる。

自分ひとりで生きている人なんかいない。みんな誰かを支え、また支えられている。力のある人が無い人を支えているだけじゃない。その逆だっていっぱいある。

ただ生きているだけで、誰かの役に立ち得るのだと知っていれば、人は不幸にも耐えられる。試練や困難を乗り越えることができる。家族や恋人や友人の為に、同じ境遇にある人の為にもう少しだけ、明日一日をがんばれる。

幸せは独り占め出来ない。「人はひとりでいるのはよくない」これが神のプラン。神御自身のすべてを分かち合うために人は作られたのだから、神と離れた私の祝福も、隣人とは無関係の喜びも存在しないのだ。

写真は秋の遠足で撮影した浄化センターのエアレーションタンク。この中では日夜、微生物が汚水を分解しているのだが、彼らは世の為人の為にエコしているわけでなく、自分の幸せを追求しているわけでもない。ただ自分のいのちのプログラムを生きているだけである。一方、人間の集団の自浄能力は今日きわめて低い。ヒトとしてのいのちのプログラムを顧みず、人と人との関係性を無視することによって、社会に下水を垂れ流している状態である。

2010/10/24

カナン教会の年末の予定

10/31  家庭礼拝 Saltは滋賀県の教会で奉仕します。
11/ 7   メッセージ(約束の地カナン⑪)
11/14  分かち合い
11/21  家庭礼拝
11/28  メッセージ(ひねくれ者のための聖書講座21)
12/ 5  分かち合い
12/12  メッセージ(約束の地カナン⑫)
12/19  クリスマスベント
12/26  家庭礼拝

来年度の予定は未定です。希望があればSaltは各地に出向きます。
ご連絡は、@kcn.jp まで(@の前にsaltを付けてください)

2010/10/23

もうひとつの原点


大雨による奄美地方の災害の傷跡も癒えない中、あの中越地震から6年目を迎える。

Y.B.M氏のコーディネートによって、丸山祐一郎氏らとともに現地で数回のコンサートを行った。

この写真は震源地である川口町の被災青年たちが、ボランティアと自衛隊の為に催したコンサート。 被災地で行われる慰安のためのコンサートとは逆のパターンだ。

最初はぎこちなかった自衛隊の隊員たちも、時間とともに打ち解け、最後にはボランティア・スタッフも、被災地の青年も、参加したミュージシャンも、みんな肩を組んで「上を向いて歩こう」を歌った。あの夜を私は忘れないだろう。

ギターと歌という素朴なかたちが表現できるもの、共有できるものの可能性と音楽の素晴らしさを感じた。何もかも失っても、祈ることと歌うことは出来る。

災害は、人にとって本当に必要なものは何なのか?そんな「暮らしの原点」を見つめさせられる。

演奏が終わってから、このライブを企画してくれた被災青年のグループの女性スタッフに「ご自宅の被害状況はどうですか?」と聞いてみた。

すると、彼女は笑顔でこう答えた。
「屋根がなくなったので青空がキレイです。お風呂も露天風呂になりました」

2010/10/20

腸、気持ちワルイ


教室の掃除をしていると、何だか怪しげな臭いがした。臭いを辿っていくとベランダの片隅に置いてあるバケツに埋もれたビンにたどり着いた。

ビンの中には生き物の内臓らしきものが詰められていた。数日前にクラスのやんちゃ坊主ふたりが、亀の腸の話をしていたのでピーンと来た。やはりそのふたりが河原で死んでいた亀を砕いてその内臓を抜き取ってビン詰めしたものであることが判明。

彼らはすっかり隠したことさえ忘れていたのだ。

実は、この少年たちが死んだ亀から内蔵を取り出している現場をクラスメイトの母親が目撃。その方にしてみればまさか元から死んでいた亀とは知らず、甲羅を砕いている少年の姿を間に合わなかった浦島太郎のような気分で見ておられたというわけだ。

その方から「娘のクラスメイトにあんな残虐なことをする子たちがいるなんて。いのちを大切にするということから考えてもいかがなものか・・・・」という丁寧なお便りまでいただいていた。

しかし、こういうタイプの子どもがクラスに複数いることは、私にとっては面白くてたまらない。いちいち相手をするのは大変だが、私の想定外のことをやらかしてくれるのがいい。

どうやら、亀の甲羅の中がどうなっているのかどうしても知りたかったらしい。

「オレらだって、生きてたらそんなことせえへんって・・・」という証言は信用できるので、先ほどの心優しいお母さんには、彼らの名誉のために、亀はすでに死んでいたのだということをお伝えした。

それにしてもなあ。腸、気持ち悪かった。

2010/10/18

Saltの「アホ」リズムな箴言 その⑥


26神の全能は、私たちがどうしても忘れられないでいる辛い過去を忘れさせてくださり、御自身も忘れてくださるだろう。

27不特定多数の目に見えない相手に向かって深い愛を語る人は、たいてい家族に恨まれていたり、親しい友人と仲違いしたままだったりする。

28一度車に乗って長いトンネルの中を走り始めたら、停まることも曲がることも引き返すことも出来ない。

29人は騙す者であり、騙される者であり、そして騙されていたい者である。つまるところ、真偽のほどはわからないのだ。何につけ、万人を納得させる証明は難しい。

30全てをわかろうとすると人は混乱する。何とか自分のわかる筋書きにしようとすると、これが本当だという嘘が生まれる。