2009/12/31

良いお年を!

2009年は、私のファミリーにとっても楽しいことや辛いことがたくさんあった1年だった。
長男の浪人と妻の入院と手術は予定外だったが、それを埋め合わせるかのようなプレゼントもいくつかあった。妻と久しぶりに旅行に出かけたり、娘の体育大会や文化祭、そして、息子の野球の応援にも出来るだけ顔を出したりもした。

私の活動の中では「風のメロジア」の発売や月1回継続できたリコーダー講座は大きな出来事だった。新たな出逢いや挑戦もあり、創作の幅もさらに広がり、自分なりのボサノヴァスタイルも少しずつ見えてきた。

そして、冬と夏の2度にわたる北海道への旅は、非常にすばらしいものだった。屈斜路湖での洗礼式は、特に思い出深い。教会では大きなビジョンを掲げず、長年にわたって淡々と聖書そのものを語ってきたわけだが、ここ数年の全国の兄弟姉妹との交わりを通して、神の配剤による大きな絵を垣間見ることが許されている感じだ。

死ぬまで右肩上がりで生き抜く予定の私としても、まずまずよくやれたのではないかと思っている。

来年はあらゆる方面でもっともっと面白いことがいっぱい起こるはずである。神は間違いなく祝福にかわる新しい祝福をこれでもかと準備してくださっているからである。

そして、もちろん特別な出来事に期待する以上に、淡々とした日常をさらに楽しく充実させることが大切だと思っている。徘徊業もあと3ヶ月だが、日々を大切にキチンと締めくくりたい。

来春には上と下の子どもが進学したかと思えば、真ん中が受験生になる。子どもたちの活動や経験の範囲も広がり、手はかからなくなるが、ますますお金はかかりそうだ。子育ての道険し。かじられるスネを鍛えねば。

さまざまなかたちで私と私の家族に関わってくださった方々に、心からの感謝の意を表したい。

主イエスの御名によって、皆様に豊かな祝福がありますように。

良いお年を。

マイケル・ジャクソン オックスフォード大学での講演

オネシモさんのご紹介を受けて、マイケルジャクソンのオックスフォード大学におけるスピーチを聴いた。

強烈なビートの渦の中で躍動するマイケルとは違う繊細な一面が十分にうかがい知れる。

声の調子といい、内容といい、うまく表現することばが見つからないが、私にとっては、多くの人たちが絶賛するオバマの就任演説よりも遥か切実なものを感じ、本当のことが語られている印象を受けた。

父親との葛藤について語りながら、受け入れがたかった父親の人格が、その世代の南部の黒人が生きづらい状況がそのようにさせたのだと分析して許そうと思っていることや、毎週日曜日に「エホバの証人」の広告塔として布教に借り出される中で、自分以外の普通の子どもの日常の姿に触れて、自分の置かれている特別な状況を相対化して非常に辛かったことなど・・・マイケルの苦悩の核心の部分が赤裸々に語られていた。

自分が、なぜこれほどまでに、子どもの権利や幸せについてこだわるのかということにも熱を込めて語っていた。メディアが面白半分に伝えてきたマイケル・ジャクソンとは、全く違う事実をこのスピーチから知ることが出来る。
         
     
※     ※      ※      ※
 

以下は、マイケルのことばを一部ご紹介。

Tonight, I come before you less as an icon of pop (whatever that means anyway), and more as an icon of a generation, a generation that no longer knows what it means to be children.

今夜わたしは、ポップの聖像(この意味はともかく)としてでなく、同世代、つまりもう子どもではない世代の聖像として、ここに立っています。

All of us are products of our childhood. But I am the product of a lack of a childhood, an absence of that precious and wondrous age when we frolic playfully without a care in the world, basking in the adoration of parents and relatives, where our biggest concern is studying for that big spelling test come Monday morning.

私たちはみな、幼児期の産物です。子ども時代は、人格形成に大きく影響します。でも、わたしにはすばらしい子ども時代はありませんでした。両親や周りの大人からの愛情を一身に浴び、最大の心配事といえば月曜日の朝のスペリングテストしかないような、夢中になって遊べるはずの貴重な時期を過ごさずに来てしまいました。

http://www.allmichaeljackson.com/speeches/oxforduni01.html


an icon of pop (whatever that means anyway)と、All of us are products of our childhoodという表現が痛々しい。

2009/12/30

八木で飲む

わが青春の町「八木」で、高校時代の友人ふたりとささやかな忘年会。一人は鍼灸師で、もう一人は同業者である。皆それなりに年を重ねたが、こうして座を囲んでアルコールが入ると一気にタイムマシンが作動する。

同じ時代を同じ空間を共有して生きてきたなかまと語り合うのは単純に楽しい。仕事上の駆け引きやさまざま自主規制の中でことばを選んでいるのとは違う。

いつになく飲み、いつになくよく喋った。ふたりが私の話をけっこう面白がって聴いてくれたので、調子にのって普段あまり話さないようなことも話題にした。いいお酒だった。

2009/12/29

This is it

遅まきながら、マイケル・ジャクソンの「This is it」を観た。

スリラーの大ヒットしていた時期は、ほとんど音楽も聴かず、世捨て人のような日々を多くっていたので、マイケルの音楽にもダンスにもほとんど興味も持たずに過ごしてきた。

目にしてもビデオクリップ1本程度で、これだけまとまってマイケルの音楽と向き合うのは初めてのことだった。

ライブでも立つか座るかぐらいしか動きのない私にとっては、マイケル・ジャクソンの動きは驚異的だったし、その才能の豊かさとショーのスケールにも感心した。

マイケルのショーのねらいは、スタッフを前にして彼自身が語っていたように「観客に日常を忘れる体験を提供すること」だ。

今の私に与えられた条件では、それは求めても難しいだろうし、追求しようとも思わない。むしろ、私は「日常を見つめ直すきっかけになる演奏をしたい」と思っている。そんなことをしみじみと考えていた。

もちろん追悼作品だが、その実は「その死にあやかって儲けてやろう」という意図のマイケル礼賛Movie・・・

マイケルはあんなふうに賞賛されることではなく、もっと普通に愛されたかったんだと思う。スポットを浴びて輝いている瞬間にも、マイケルがどこか寂しげに見えたのは私だけだろうか。

2009/12/28

先日、紹介したフルート奏者「笛吹童子くん」のために曲を書いた。

ボサノヴァにしたので楽譜を書くのが面倒くさい。ボサノヴァは通常2拍子で表現するので、3拍子や4拍子よりもずっと書きづらい。あまり気がすすまないのだが、やはり音楽の保存や伝達の手段としては楽譜は非常に便利がいい。

クラシックベースの人なので、細かいところもキチンと書いておかないとニュアンスも伝わりにくい。コードもざっくりつけてみたが、まだまだ工夫の余地はありそうだ。フルートのために曲を書いたのは初めて。音色と音域などの楽器の特性を意識したが、そんなに幅広い音域をフルに使ったわけではなく、Salt流のインスト・ボッサにした。とりあえずは完成。

赤いフェアレディZに乗って爽やかにドライブする彼のイメージに合わせて、タイトルを「Z]とした。

明日さっそく音合わせをし、1月のリコーダー講座で披露してもらおうと思っている。

2009/12/27

腐った卵

「システムが自分を支えてくれる」というのは幻想だ。

良い学校、良い会社に入っても、自分が何者でもなければ、「人材」としての顔のない私をシステムに売る時の管理番号を得るだけのこと。

所詮、自分で笑う力の無い奴は、TVを消したら退屈でたまらくなるのと同じだ。

「富国強兵」や「殖産興業」などという目標が高らかに謳われていた頃と、行く先を失い、舵の折れた船のようになっている現在の日本の政治はどちらが正しいのだろう。

右肩上がりを続けた高度成長を遂げた時代や、皆が浮かれたバブルの頃の経済状態は幸せだったのだろうか。

教師が尊敬され、あらゆる指示が徹底していた戦前の学校と、教師が軽んじられ、いじめや不登校がある戦後の学校ではどちらが過ごしやすいだろう。

私は何をとっても、明らかに現在の方がマシだと思っている。

これまで安全だ、絶対だ、と思っていた価値がいかに当てにならないものであるかが、はっきりわかったのだから。

過去の目標や成長や秩序は、すべて偽物であり、現在の混沌こそが真実なのだから。

楽園と同時に神を失った人が、エデンの東に作り上げて来た都市という「システム」の壊れた核が露わにされるだろう。人間は「近代化」とともに人間性を失っていくのではない。人間性そのものが神から離れた時点で壊れていたのである。

「システム」のせいではない。「卵」はひびが入る前から腐っていたのだ。

2009/12/26

すべらない話

「すべらない話」というのが人気らしい。子どもがテレビをつけていたので、私も興味があってちょっとだけ見ていたが、すぐにアホらしくなって自室にこもった。誰にでもどこにでもあるような話題を、お笑い芸人が脚色して話しているだけじゃないか。それが松本流だというのはわかるがどうも感心しない。個人的には松本は笑いのツボを心得ていると思う。M1グランプリでも、審査員の松本のコメントが、漫才自体より面白い。

松本に限らず、伸助にしても、タケシにしてもそうだが、サブカルチャーの担い手が、ショービジネスの玉座にふんぞり返っているのは、絵としては非常に醜い。タケシなんかはフライデーで叩かれてなきゃつまらない。タケシのボケにうなづく構図が出来上がったところで予定調和的にボケたって、何が面白いのかと思うが。

M1にしてもそうだが、必死に笑わそうとする巨大な仕掛けばかりが気になって、悲しくなって腹を抱えては笑えない。

不安で退屈で、忘れたいことが多すぎて、真面目に考えるのが嫌で、笑いたくて待ちかまえている人を、その仕掛けに招き入れて笑わす。この遊園地っぽさというか、国民的な幼稚さに苛立つ。

別にDVDにはしないが、私の日常はもっと面白いので、ブラウン館の中の「すべらない話」は私の中ではすべっているのだ。

TVのお笑い番組なんか見てないで、すべらない日常をenjoyしよう。他人に笑わせてもらわないと笑えないなんて、はっきり言って情けないぜ。

2009/12/25

2009年の音楽活動を振り返って

アトリエSUYOクリスマス会の演奏を終えて、2009年の音楽活動はおしまい。
Uribossa氏のリクエストもあったので、振り返ってみよう。

今年は、リコーダー講座の伴奏者として手伝ってもらったMomoちゃんとOz-Mayというユニットを結成。まさかこれにオファーが来るとは・・・銀治郎氏規格の神戸の出張講座がものすごく楽しかった。イトーヨーカードーのイベントにも参加し、これはDVDにもなっている。

とにかく、Momoちゃんのおかげでリコーダー講座は、非常に充実したものになった。私の自作曲に加えて、クラシックや叙情歌、ジャズやポップスのスタンダードナンバーもやり始めますます楽しい。スペシャルは、野田さん&赤星さんの飛び入り参加、そして、笛吹童子参上である。いやあ、毎回ドラマ、ドラマ。

スーちゃんとのケーナ&ギターユニットSalt&VinegarとOz-Mayが合体してTetraを結成。これにも及びがかかり、ハーブクラブではお月見ライブに出演、さらに来年の出番まで決まっている。ところが、ここでにわかに問題が・・・ 実はTetraというネーミング。奈良では超有名なマリンバ奏者、松本真理子さんのユニット名とかぶり、「それはやめて!」とクレームあり。どうしょうかな?

私ひとりでの出番もちょこちょこ。これまでもUribossa氏が都合のつかないときは、ひとりで出かけていたし、S&U結成まではずっとひとりでやってたわけだし、出来なくはないのだが、どうもひとりはさびしく、もの足りない。ギャラが半分になっても、2倍以上楽しいユニットで演りたい。そういう甘えというか、引っ張られる気持ちがあり、「仕方ないからひとりで演るか・・」という感じだった。ところが、この秋、旅の音楽家丸山祐一郎氏が、最大限の賛辞をくださって、実はちょっとだけ励まされた。ひとりの弾き語りボッサで出せる味を出せるように精進しなきゃという気持ちになれたのだ。

さて、そして何と言っても今年は、S&Uにとっては記念すべき年になった。「風のメロジア」発売。そして、ニューアルバム「約束の場所へ」制作に向けてのプロジェクトも動き出した。次回作は確実に良くなる。そんな希望をもって一年を締めくくれるのは本当に幸せだ。

この死にたくなるような嫌気のさす世界で、何とか生きる気力を維持できるようにと、神さまは私に音楽を楽しむ力を与えてくださった。神さまにただただ感謝。

ライブは、みんなから「ありがとう」と言われ、おまけにギャラまで貰える夢のような時間である。企画してくださった方々、来てくださったお客さん、CDを買ってくださった皆さんに感謝。

 1.24     元気村 リコーダー講座 準備会
 2.08     宇陀市子ども会 ワークショップ in 元気村
 2.11     「風のメロジア」ミキシング&マスタリング
 2.15     「風のメロジア」勾玉ライブ S&U①
 2.11     リコーダー入門①
 2.26     「ほのぼのコンサート」やまぞえホール S&U②
 3.14     リコーダー入門②
 3.21     「愛それは歌うこと」文化センター / 泉座 NZ プロデュース
 3.22     豊田子ども会Live S&U③
 3.26     ジャケット撮影 山上公園
 3.27     丸山祐一郎&こやまはるこ Live プロデュース
 4.19     アースデーならsouth S&U④
 4.29     リコーダーアンサンブル① 
 5.03     つながるマーケット Salt&Vinegar
 5.30     リコーダーアンサンブル②
 6.13      リコーダーアンサンブル③
 6.20     キャンドルナイト 尼崎はまようちえん S&U⑤ 
 6.21     「風のメロジア」ミキシング・マスタリング MORG
 6.27     ブリコラージュ S&U⑥
 7.18     壮馬 ライブ at NZ プロデュース
 7.20     リコーダーアンサンブル④
 7.25     八尾養護学校 夏祭り S&U⑦
 8.08     学びと育ちの支援 Oz-Mayリコーダー講座 in神戸
 8.12~13  リコーダー合宿 リコーダーアンサンブル⑤⑥
 8.15     「風のメロジア」発売 Oz-May 長岳寺Live
 9.5~6    Koji&Mayumi 結婚式Oz-May mini Live
 9.12     リコーダーアンサンブル⑦
 9.22     元気村合宿 Tetra
10.03     Tetraハーブクラブ お月見Live
10.17     リコーダーアンサンブル⑧
10.24     Salt Live名古屋 あいうえオノマトペ 
10.27     Oz -May八尾イトーヨーカドー 「さをりマルシェ」
11.07     元気村合宿 Salt&Uribossa
11.14     リコーダーアンサンブル⑨
11.17     丸山祐一郎&こやまはるこ プロデュース 
11.28     田原本「カフェ・アルコ」 S&U⑧
12.12     リコーダーアンサンブル⑩
12.19     奈良市「カフェテラスNZ」ライブ S&U⑨
12.20     橿原市「風草木」ライブ S&U⑩
12.25     アトリエSUYO クリスマス会  Salt

2009/12/24

2009年のメッセージを終えて

昨日で2009年のメッセージをすべて話し終えた。

「ひねくれ者の聖書講座」を10本、「ダビデの生涯と詩編」を12本、昨日のクリスマス礼拝や特別なテーマのものや、他教会などでのメッセージを合わせても、今年は年間20本くらいのもので、これまでに比べるとずいぶん楽をさせてもらっている感じだ。多分2010年はこのペースで行って、少しずつ減らしていく予定だ。

それにしたところで、まとまった話をするのはそれほど簡単なことではない。何でもよけりゃテキトーにしゃべるが、聖書に忠実に、そして、自分自身に忠実に話さないといけないのだ。これは大変ですよ。私みたいないい加減な人間にとってはかなり難しいこと。

毎週、「もうあんまり話すことなどないよなあ」というのが本音。伝えたいことなんて別にない。「みんな好きにやればいいんだ」と本気でそう思っている。それでも、何か語るべきことがやってくる。まだ、もう少しどこかに必要はありそうだ。

私は教えの体系を整理してお伝えしようなんて思っていない。主がリアルな私を通して伝えようとしておられることを伝える義務は感じている。自分以上のことはわかるはずもないし気持ちものらない。また、自分以下の話にはあまり力がこもらない。

常に身の丈に合わせてしゃべるためには、しょんぼりしてたり、ゴロゴロしてたりは出来ない。逆にメッセージが嘘のないキチンといたものであるために、常に一定のテンションでシャンとしていられるようなもの。

私は放っておけば不節制で無茶ばかりしてしまうが、「自制」というのは聖霊の賜物。私のうちにおられる方が何とか守ってくださったとしか言いようがない。私の心身の程よい緊張と健康にもメッセージは役立っているようだ。

2009/12/23

クリスマス食事会

教会の「こまちたち」と一緒にクリスマスの食事会。CS教会の子どもたちも、立派なお嬢さんになり、そろそろ「こまち」の仲間入り。昔の職場で、女性の集まりをあつかましくも「こまち会」などと呼んでおられたのをほほえましく思い出す。

なぜ、こういう書き出しかと言うと、食事会の会場となったお店の名前が「こまち」だったのだ。母マリヤもガリラヤこまちだったはず。

さて、私の教会の「こまち」たち。実年齢は「おばさん」や「おばあさん」であっても、どこか女の子なキュートな部分のある方ばかりだと思っている。

繁殖するために雄を惹きつけるセクシーさではなく、いつまでも品のある艶っぽさを保っていることは大事なのだ。

勿論、男も同じ・・・

世のブ男衆は、イエスもその仲間に入れたいらしいが、「見とれるような姿や輝きもなく、慕うような見ばえもない」というイザヤの預言は、受難という要素が多分に含まれており、外見が見にくかったというわけじゃない。宗教画に見る金髪ロン毛のイエスとはずいぶんかけ離れてはいるだろうけど。

悩みのある人や子どもたちがすっと近づけるようなやさしさと同時に、まやかしを見通すようなある種の近づきがたさを兼ね備えておられたに違いないのだ。決して中性的ではなく、男らしかったのではないかと私は想像する。

おいしいものを食べながら、和やかな会話がはずむ。暗いご時世ではあるが、主にあって明るく来年の抱負を語りあった。

北海道のこまちたちも元気かな。ブログをはじめたふたりは超楽しそうだが。

全国あっち、こっちの「こまちたち」にメリークリスマス!!

2009/12/22

笛吹童子

「私のファンを自称する恋人」が時々出現する。

訂正。「私のファンを自称する変人」が時々出現する。

まず、私なんぞのファンであること自体が「変」なので、「変人」呼ばわりしても問題ない。そして、彼らは自分が「変」であることを喜んでいる節もある。さすが私のファンである。

今年もいろいろな人が現れたが、一番面白かったのは、赤いスポーツカーに乗った笛吹童子こと、K.Kくんである。

「笛吹」というのは、ホンマに笛吹なのだ。クラシックの基礎があるフルート奏者である。

「童子」というのは、私の弟というよりは、息子の年齢に近く、しかも俳優系の甘いマスクをしているからだ。そして、白馬の代わりに赤いスポーツカーに乗っている。

先日の風草木でのライブにもリハーサルの時間から来てくれたので、ニューアルバム収録予定の「大地のうた」に小鳥がさえずるイメージでフルートを入れてもらうことになった。

Uribossa氏と3人でゆっくり語ろうと思っていたが、「次の用事がある」と言って、さっと帰ってしまった。手袋を忘れて。

2009/12/21

徘徊停止

今日は徘徊指導最終日となった。明日は終業式。3学期までは自由に仕事を組める。週末からは充電期間に入り、仕事は最小限に抑える予定。

4人の新任教諭のうち、この1年の間に、1人が結婚、1人が妊娠出産。彼らにとっては大事な初年度であり、人生の節目でもある年だ。私はどれだけ丁寧に係われただろうか。

ささやかな自己満足といくつかの反省を胸に、第2ピリオド終了だ。

2009/12/20

右京さん、とにかく無事で良かった

冬の富士山は厳しい。その美しい姿とは裏腹に非常に危険な山なのだ。連続する峰がないため風が分散せず、想像を絶する強風が予期せぬ方向から吹き付けるようだ。片山右京さんが関わった今回の遭難でも、どうやらテントごと吹き飛ばされたらしい。

右京さんは、私とも関わりの深いハーブクラブのイベントにも協力していただいている。ハーブクラブのマスターから、「Saltさんとは絶対気が合うはずです」と紹介され、陽光の差し込むテーブルで談笑したのは2年前だっただろうか。

カフェテラスNZの真絹ちゃんへのサインも快く書いてくれて、お店のことについても興味をもって、熱心に質問してくれていたのを覚えている。その日はサイクリングのイベントだったのだが、「昨日九州の山を下りて来て今日は奈良で自転車に乗って、明日はカナダへ行く予定だ」と力強く語っていた。思っていたよりずっと小柄だったが、活力にあふれていた。

今回のインタビューを受けていたブラウン菅の中の右京さんは憔悴しきっっていた。なかまを見捨てるかたちで下山せざるを得なかったその心中を思うと胸がしめつけられる。亡くなったふたりの友人の遺族のコメントも右京さんを責めるようなものではなく、「好きな山で逝くことができ本望」というような主旨のものだっただけに、彼にとってはいっそう厳しいものだったかもしれない。

日常の暮らしを離れ、厳しい自然の中に身をおいて己の生を確認したいという渇望は誰にもあるものだ。しかし、時に自然は人に牙をむく。自然には人格があるわけではない。一定の法則に委ねられているだけだ。

「生きもの」としての人と、いのちを取り巻く環境としての自然というものを考えるとき、人と自然との関わり、そして、人の生き方を思う。

私は彼らのように「冒険」する人間ではない。自らのいのちを自然の中で限界に晒さなくても十分スリルやエクスタシーはある。

右京さんは、祈っただろうか。祈ったとすれば、それはどこの何者に対するどんな祈りだったのだろう。不謹慎かもしれないが、そういうことに興味が湧く。

2009/12/17

マイケル・ジャクソンの真実②

創作の方法についての質問を受けたとき、マイケルは「音楽やダンスは上から降りてくるんだ」と語った。そして、「上から降りてくる瞬間を見せろ」という無理難題にも、「僕はシャイなんだ」とためらいつつも、自分の曲を流してその場で即興のダンスを披露した。それにしても、この番組を制作したイギリスのジャーナリストは最高にウザかった。私なら即刻インタビューは打ち切るところだ。マイケルはいい奴だ。

それがいわゆるマイケルが言うところの「降りてくる瞬間」でなかったにせよ、カメラの前の即興ダンスは、驚くほど完成度の高いものだった。

「踊るときに考えることは最大のミスなんだ。感じることさ」と、まるで「燃えよ、ドラゴン」のブルース・リーみたいなことを言っている。これはアートに限らず、極めれば神髄はみな同じなのだ。要するに、自然体で大きな流れに身を委ね法則に乗ることだ。

音楽家の仕事は空中に蝶を創作することではない。飛んでいる蝶を捕らえるように曲を作るのだと思う。まだまだ未発見の新種が、その美しい羽をたたんで、どこかに潜んでいるのだ。

神は数え切れないほどの多種多様な蝶を創造された。音楽は、蝶よりも偉大な人類への贈り物だ。ゴムで作ったようなオモチャの虫なんか無視しよう。

私はマイケルが見つけなかった種類の蝶を集め始めた子どもなのだ。

2009/12/16

マイケル・ジャクソンの真実①

マイケルジャクソンのドキュメント番組、ご覧になった方はおられるだろうか。

長かったが、ついつい全部見てしまった。途中子どもを迎えに行ったもりしたが、その時間を惜しむほど惹きつけられた。

当初からマスコミが興味本位にかき立てているとおりが事実だとは思っていたわけではなかったが、よもやこのような真実が隠れているとは思わなかった。簡単に言うと、ダイアナの独占インタビューで名を売ったイギリスのジャーナリストが密着取材して制作されたTV番組「マイケル・ジャクソンの真実」は悪意に満ちた編集になっており、一連のマイケル裁判は事実無根であったという内容だ。

マイケルは、彼の無垢な純粋さやありあまる資産や世界的な名声を利用する醜悪な連中によって悩まされ続け、その結果、極度のストレスから薬物に依存していったのだった。

極めて繊細な感受性を持ちながら、幼い頃からその才能が認められたために、普通に成長できない環境の中で育ったマイケル。12才の頃、すでに毎月7200万の小切手をもらって、そのお小遣いの中からガムやキャンディ―を買っていたと言う。

そして今は、まるで駄菓子を買うように、アンティークショップで、あり得ないような金額の品物を値段も聞かずに次々に購入する。強いコンプレックスと人間不信からくるストレスが、そんな数々の奇行を生み、それをまたマスコミが面白がって取り上げ、興味本位に報道する。

ネバーランドという超豪華な引きこもり部屋を自分で用意して、利害関係がない子どもたちを招いては心を許していたマイケルだが、その子どもたちを通して魔物が侵入してくる。

ショービジネスという怪物に食いつぶされたキング・オブ・ポップスの生涯は、果たして幸せなものだったのだろうか。

私も「風のメロジア」が1億枚売れたら、人間性がおかしくなるかもなあ。

でも、100枚そこそこで停滞している現状を肯定する気は全然ないぞ。売りモットー、行けモットー。とりあえず、1000枚売ろう。ご協力よろしく。大事な人へのクリスマスプレゼントやお年玉にいかが?

2009/12/15

粋に生きたい そして 逝きたい

不毛地帯の主人公「壱岐正」に、多少の思い入れがある。不毛地帯は映像としては何の面白みもない地味なドラマだが、なかなか見応えがある。

義を重んじるが故に家族を泣かせ、家族を愛するが故に商社に勤め、国を憂うが故に望まぬ競争に巻き込まれ大事な友人を亡くす。そうこうするうち最愛の妻を失い、子どもたちも自分の願いとは大きくかけ離れた選択をしていく。見ていてかなり痛々しいものがある。

作者山崎豊子がなぜこの主人公を「壱岐正」と名付けたのか。私は全く知らないが、いろいろ考えてみるのも面白い。

「息」「逝」「粋」「活」「意気」「域」「行」「征」と、いろんな漢字が浮かぶ。

人生の節目、その折々に、「壱岐」は正しい選択をしたかに見える。しかし、それは必ずしも正しい選択ではなかった。「壱岐」の正しさは、ただ「壱岐」にとっての正義でしかない。そう、それぞれの正義が衝突することは不毛なのだ。

「壱岐正」
・・・こう考えてくると、なかなか味のあるネーミングである。これがルークやリチャードじゃあ台無しだ。もちろんソルトなんぞは論外である。漢字は深い!

しかし、正直下手すりゃ私も壱岐正。不毛地帯に没入していく頑なさと弱さ(強さ)を資質としては十二分に兼ね備えている。鍵は脱力すること。負けてやることだ。力んで勝ちに行ったらエライことになる。正しさをあまり主張しちゃダメだ。正論なんて所詮暴論である。ちょい悪や遊び半分がちょうどいい頃合いなのだと私は勝手に思っている。(勝手に思ってるだけで、全然正しくない)とにかく、信仰があってよかったと胸を撫で下ろしつつ、しみじみしながらドラマを楽しんでいる。




洒落で、Salt流の「生きる秘訣」を谷川俊太郎風にまとめてみた。




生きる


いきいき生きるということ

それは
生きものとして元気であるということ

楽しく生きているということ
昨日の償いでもなく
明日の備えでもなく
今を
楽しく生きているということ

それは
誰かに会いたくなるということ
どこかへ行ききたくなるということ

飯がうまいということ
女が美しく見えるということ
音楽があふれてくるということ

風が心地よいということ
昨日を振り返らないということ
明日の心配をしないということ


息があるということ


永遠につながる今を
生きているということ

2009/12/14

「浮き」と「はみ出し」

Y.B.M氏の写真専門学校時代の教え子である新進気鋭の写真家「梅佳代」さんのことがコメント欄で話題になり、Y.B.M氏自身がかつてのエピソードについて臨場感あふれる報告をしてくれている。彼女の傑出した才能を早い時期に見出したY.B.M氏は、特別な指導は何もせず、ただ認め励まし続けた。写真表現の授業で自分の写真が取り上げられず、「駄目なんだ」と思って泣きそうな気分のときに、最後の最後に、先生の最大級の賞賛とともに自分の写真が出てくるのである。写真家「梅佳代」誕生の貴重な裏話だ。

彼女は確かに普通の教室の中にいたら、「浮いてしまう子」「はみ出してしまう子」だったかも知れない。また、どのようなスタイルの学校であっても、そのような「浮き」や「はみ出し」はやむを得ないし、ある意味ではむしろ必要なのだ。その「浮き」や「はみ出し」でつぶれてしまう程度の感性なら、残る価値のないものなのかも知れない。「浮く」こと「はみ出す」ことで自分の相対的な位置を確認できるのである。

これまでの表現のかたちを変えていくほどの飛び抜けた感性の持ち主は、既製のシステムやフレームの中では、正当な評価を受けることはまずない。彼らの発信は、最大公約数的な価値観、つまり凡庸な感性のプラットフォームには落ち着かないからだ。

多くのアーチストは、この最大公約数的な価値観とどこかで折り合いをつけつつ、己の目指すべき処を探りながら、表現を磨いていくのである。残っていくべき人は、どんなキビシイ環境でも残っていくのだろう。

私が教育に関わるものとして、問題にしたいのは、そういう飛び抜けた才能はない「多くの普通の人たち」である。こうした人たちだって、他者に抜きんでて極めずとも、自分の伸びしろの範囲で自分なりの表現力を高めたり、表現それ自体を楽しんで、なかまと分かち合うことが出来るはずだ。自分の才能を開く前に、教育が表現者と聴衆を分離するのは違うと思っているのだ。誰だって、歌ったり、踊ったり、演じたり、描いたり、何かを作ったりすることは、それ自体が楽しい行為なのだ。

「表現」のかたちを方向づける感性が、認知や発達の個性とどのように関連しているのかは、まだまともに研究対象とされたこともない。既製のシステムやフレームに限界や退屈さを感じている人たちが障害者のアートを面白がっている程度の現状であるが、実はここに大きな秘密がある。

だから、私の戦いは学校というシステムを破壊する戦いではない。そうした「浮き」や「はみ出し」が起こることを未然に防ごうという動きでもない。私自身が「浮き」また「はみ出し」ながら、システムに押しつぶされない価値を確かめ、システム内に価値が反転する臍を見出すことである。安易に自由主義的な学校は、かえって自由が何なのか、その価値を曖昧にしてしまう愚かさがある。

私は、永遠の楽しみと表現の喜びにつながるバイパスへの狭き門を知っている。それをひそやかに指し示すことが出来ればと願っている。

2009/12/13

12月のライブ・インフォメーション

Salt & Uribossa Live at Café NZ
~ボサノヴァで温ったまろ~
日時 12月19日(土) PM 15:00~17:00
料金 1500円
ハーブクラブのパンを販売しています。(有料)

Salt & Uribossa Live at 風草木
 ~十二月の少年樹~
日時 12月20日(日) AM 11:00~12:30くらい? 
(ライブの後、軽食を囲みながら、雑談?)
料金: 500円 (子供さん 無料)
ライブの後、軽い食事や飲み物も御用意させていただきます。(無料)
(食べ物持ち寄り大歓迎です。)

アルコ・レコ発ライブとは全く別メニューでお届けするべく準備中。
聴きどころは、ニューアルバムに収録される予定の数曲や、今年亡くなられた方々への追悼メドレーなど。

2009/12/11

明日は廃校でリコーダー

NGOペシャワール会の代表で医師の中村哲氏が、次にように語っている。

「『アフガニスタンには教育がない』なんて言う。『子どもたちが、学校に行ってないんですってね』と。でも、あちらでは、家の手伝いをすることが職業教育、小さいときからコーランを暗唱して、毎週金曜日にモスクに行くことが道徳教育です、基本的なことはきちんとやっているわけで、あそこで微分・積分を教えてどうする(笑)。それなのに干ばつで、腹ぺこで逃げようかどうしようかというときに、突然、外国人が来て、『あんたたちがこんなにみじめなのは、教育がないせいよ』と鉛筆を配ったりして。ホントに嘘みたいなことが起きている。『教育が崩壊している』という日本がアフガン復興で教育に携わると聞いたときは、冗談じゃなかろうかと思いましたけど」【養老孟司氏との対談「先進国はアフガンという田舎が怖いのだより」】


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先進国の学校教育というシステムの無神経さが、(かなり無神経な人にも)多少はわかるコメントではないだろうか。

過疎地の廃校にアトリエを構える私は、明日もそこで月一回の講座「リコーダー・アンサンブルを楽しもう」を開講する。

過疎地の廃校という存在自体が、そこでの私の活動内容よりもずっと大きなメッセージを持っている。
「ふるさと元気村」という情けない名前。いつも言っているが、ここは「被災地」なのだ!!
こういう売りになる特徴のない過疎地が日本にはいっぱいあることを記憶せよ。

私は自然と寄り添って生きる当たり前の人の営みを陵辱するシステムはすべて憎んでいる。陵辱されても恥や痛みを感じない鈍感さを嫌悪し、そこに都市的なシステムをはめ込もうとする安直さには怒りを感じる。

ただ私は、人が人と何かを分かち合ったり、ともにひとつの価値を共有することは、美しく尊い姿だと思っている。

あらゆる「学校」が崩れ、すべての「教育」が腐っているわけじゃない。

斜に構えて批判するだけの輩は世の中に掃いて捨てるほどいる。私はそういう者にはなりたくない。辱められて黙ってはいられない。

たとえ、ささやかなものであっても、私は常に「つくる」人、「分かち合う」人、「遊ぶ」人、「楽しむ」人でいたいのだ。

2009/12/09

歌うたいのフェーズ④

「歌がうまい」というのはどういうことだろう。音程が正確であるというのは、うまい以前の最低条件であろう。しかし、腹式呼吸で滑舌よく朗々と歌われても、ただそれだけで人は感動しない。7オクターブの声が出るとか言われても何だかなあ・・・・という感じだ。

人が感動しない歌はうまい歌だろうか。「うまいだけのつまらない歌」という言い方は出来るかもしれない。

フレディ・マーキュリーは、ピチピチタイツに上半身裸で、スタンドマイクを振り回しながら、海老反って歌う。あの恰好、あの動きでないと歌えないとでもいうように・・・・。彼の場合は決してうまいだけの歌ではない。だから世界中の多くの人が熱狂した。でも、私的にはああいうのは何か違う。

マイケル・ジャクソンが死んで、久しぶりに「ウイ・アー・ザ・ワールド」の映像を観た。錚々たるメンバーがクインシー・ジョーンズの演出に従って(多分)、自分の割り当ての部分を歌う例のやつだ。さすがに一流の歌うたいばかり。皆、個性的だしうまいと言えば物凄くうまい。その中で私が一番印象に残ったのはボブ・ディランだった。

ボブ・ディランは、いわゆる歌がうまいタイプのミュージシャンではない。学校の教育音楽の中では、「ボブくん、ちょっとその歌い方は良くなくてよ」と叱られそうだ。しかし、その「ぶっきらぼう」な歌い方と独特の嗄れた声に、何とも惹かれるものがある。

レオン・ラッセルもそうだ。
レオン・ラッセルという名前だけで、顔や声を思い出せる人はあまりいないかも知れない。カーペンターズが歌った「ア・ソング・フォー・ユー」「マスカレード」「スーパースター」の作者と言えば、若干うなずく人が増えるだろう。

リチャード・カーペンターのアレンジはとっても洒落ている。レオン・ラッセルの原曲の良さを引き出しつつ、カレンの声を活かす完成度が高い出来映えである。しかし、カレンがどんなにうまく歌っても、原曲の圧倒的な「渋み」や「苦み」には全くかなわないのだ。

こんな風に自分の嗜好を分析してみると、私が引きつけられるのは、「歌のうまさ」ではない。かと言って、その声が特に好きというわけでもない。私が魅力を感じるのは、その人が本質的に持っている「自由」というよりは「奔放さ」という表現が近いかな・・・あるいは、「その人らしさ」を努力して保っていることだと思う。

そして、私自身は決してうまく歌いたいわけでも、歌うパフォーマンスを見せたいわけでもないんだなあと改めて気づいた。私は自分らしい自分の声で、歌いたいことを、歌いたいように、歌いたいときに、歌いたいだけなのだ。それが自分のあり方として一番気持ちいい。

歌うたいのフェーズ③

私も「どんな風に」「どんなことばで」表現すればいいのかを悩みつつ、私自身と身の回りの誰かの為だけに歌い続けてきた。商業ベースに乗らない、野心のない表現の純粋さに関してだけは、「壁」と距離を置いた「卵」的ではある。

試行錯誤の果てに今辿りついているのは、やはり、使い慣れた自分自身のことばで歌うしかないということだ。

そして、歌のことばは自分のことばであると同時に、聴き手である相手が飲み込めることばでなくてはならない。特にその歌を贈りたい相手、届けたい相手に、意味不明のひとりよがりの表現では始まらない。発信者よりも、受信者に近い表現の方が正しいのではないかと。

つまり、「私のことば」であると同時に、いやそれ以上に、「聴き手のことば」であるような詩でないと駄目だということ。「平易ではあっても凡庸ではない表現」と言ってもいい。「おはよう・ボンジュール・ハロー」以来、それをsimple&nobleというモットーとして掲げてきたが、ボサノヴァというスタイルに絞りこんでいく中で、ますますそうでありたいという想いが強くなっている。

そして、極めて個別で特殊な内容を平易なことばの中に美しく普遍化させたものだけが、聴き手のそれぞれの思い出の中でさらに特殊化される力を持つのではないかと想う。

音楽には力がある。ことばにも力がある。ふさわしい音楽を装ったことばは間違いなく美しい。

歌うたいのフェーズ②

専門作曲家や御用作曲家の手を離れて、庶民に歌が降りてきたのは、60年代の初め頃である。つまり、「与えられた歌」ではなく、「自分たちが歌いたい歌」を自ら歌うようになるのだ。

60年代は、アメリカのムーブメントを受けて、反戦、反管理のプロテストソングが流行する。当然、歌詞はメッセージ性が強く、付け焼き刃的な表現なので、当然楽曲の完成度は低い。もともと英語で歌う方自然なメロディーに音楽の訓練の殆ど無い素人に近い人たちがギター片手にぎこちなく歌い出すのだから無理もあるまい。

やがて、時代の変化とともに、歌のテーマは、政治や体制から離れ、私生活へと移行する。「抒情派フォーク」だの「四畳半フォーク」だの言われるものだ。吉田拓郎などは、一音符に一音節という従来の決まりを破り、ひとつの音符に複数の音節をあてる歌い方をするが、これは、今問題にしている「ことばとメロディの葛藤」から生まれた試みというよりは、日本語でボブ・ディラン風に歌ったらたまたまそうなったというものだろう。その他の歌い手たちは、音楽的にはこれといった目新しさはない。部分的にS&Gやカーペンターズやビートルズなどの影響はあっても、どこか小唄や演歌調なのだ。だから、素人が誰でもすぐ真似できるという良さもあった。

70年代半ばにはニューミュージックが誕生する。これはユーミンこと荒井由美の登場とともに使われはじめたことばである。プロテストソングでも、私生活フォークでもない、また商業ベースで大量生産される歌謡曲でもない、日本の新しいポップスという様な意味である。ニューミュージックは、自作自演のサウンドを重視する音楽であった。

80年代になると、ニューミュージックは少しもニューではなくなり、その多様化から洋楽に対して邦楽やJポップという呼ばれ方でくくられるようになった。

70~80年代に登場する人たちを、詳しく論じ始めると話が前に進まないので大きく割愛してポイントを絞りたい。

80年代以降の最大のヒットメーカーは、サザンオールスターズの桑田佳祐だが、彼はかなり初期の段階で「たかが歌詞じゃねえかこんなもん」という本を書いている。桑田の歌づくりの方法は意味よりもことばの音を大事しながら、英語も日本もごちゃ混ぜに韻をふんで歌を紡いでいくというものだ。日本語を解体することによって、何らかのメッセージを伝えるための詩、いわゆる読んで理解させることばではなく、「聞こえる音に何となく意味があればいい」というところからスタートしたのである。これは、コロンブスの卵みたいなものだが、桑田以前にこういう発想をした者はなかったのではないか。しかも桑田の作る歌詞の完成度は極めて高いものが少なくない。一見デタラメに感じるその歌詞が『非常に良くできているのである。しかも、日本語を英語のようなアクセントをつけて無理にビートに乗せてしまう。これも、今まで誰もやったことがない画期的な歌唱法の発明でもあったわけだ。

ものすごく粗っぽく、日本の軽音楽の中の自作自演系の歌の流れを追ってきたが、もう一つ、忘れてはならない存在がある。英語圏にも輸出されるようにもなった日本語のロックの草分けでもあり、ことばとメロディの葛藤に真正面から挑んだバンド「はっぴいえんど」である。日本語のロックにおける「はっぴいえんど」の存在価値と功績を決して過小評価してはいけない。

歌詞を担当した松本隆の発想は桑田とは逆である。彼は純粋に自分の詩的世界をテクニカルにリズムに乗せていくのである。松本は、日本語を一音一音節と捕らえずに英語的に子音と母音の組み合わせとして表現し、意味を持つことばのまとまりをあえてバラバラにしてでも、語感を尊重することによって、より詩の内容を聞き手に印象づけたのだ。また、日本語本来のアクセントやイントネーションに束縛されないメロディーと一体化させた。バンド解散後は、松本は作詞家として活躍し、多くのすぐれた歌謡曲を生み出すが、何といっても彼の最高の仕事は、「はっぴえんど」でのソングライターチームでもある大瀧詠一のコラボであろう。大瀧詠一名義の「ロングバケーション」は、日本のポップス史に残る極めて完成度の高い名盤である。

松本隆の詩と大瀧詠一の曲は、まさにこれしかないと思うような一体感が感じられて、何度も繰り返して聴いたのを想い出す。

歌うたいのフェーズ①

ボサノヴァを誕生させたのは、アントニオ・カルロス・ジョビンとジョアン・ジルベルトというふたつの巨大な才能である。

ジョアンは、自分の生活言語であるポルトガル語で歌うことにこだわった。自分のからだから出てくる「ことば」の自然さと繊細さを大切にした。一方ジョビンは、自分の曲は英語で歌われたとしても、その「本質」は損なわれることなく、かえってその普遍性が証明されると信じていた。

そして、皮肉にもボサノヴァの波をインターナショナルな規模にしたのは、当時ジョアンの妻であったアストラッドの英語による「イパネマの娘」の大ヒットだった。

歌うたいにとってのことばは、ある意味でメロディやリズムよりもやっかいで大切なものである。

リズムやメロディにいかにことばを乗せるかという葛藤は、歌入り音楽にとっては宿命的なものである。

最近「『唱歌』という奇跡・12の物語 讃美歌と近代化の間で」(安田寛)という本を読んだ。これによれば、アジア太平洋を席捲したキリスト教に基づく近代教育による強引な西洋化に讃美歌の強要があった。この讃美歌という音楽の押しつけが地域の伝統的な歌舞、詩歌をどれほど圧迫したかは計り知れぬ。私はこういうのが大嫌いなのだ!

安田氏によれば、「アジア太平洋海域諸民族の近代歌謡史には、讃美歌という太い一本の断層がくっきりと走っている」と言う。その中で唯一日本における唱歌の誕生はミラクルだというのだ。言わば在来種を駆逐する外来種であった讃美歌から、唱歌という新しい国産オリジナルを生み出したというわけだ。単に「音楽がどうのこうの」と言うレベルではない。それには、教育権をミッションに奪われることなく、近代教育制度を自前で確立できるかどうかがかかっていたわけだ。讃美歌に抗うための折衷策として、メロディは讃美歌を使い、歌詞は守ったのである。つまり、肉を切らせて骨を守ったと言うのだ。歌詞には万葉以来の自然や人事に関わる詩的映像世界を盛り込んだのである。

しかし、この時点でことばとメロディは完全にバラバラである。近代における日本の歌が、こんな風に出発しているのは、実に興味深い。

その後、日本人作曲歌による試みは、いずれも日本語のアクセントやイントネーションとリズムの切り方、メロディの流れを一致させようとする試みであったと言える。山田耕筰や中田義直などが残した歌曲には、例外なくその規則が貫かれている。

2009/12/08

Lembranca

「12月8日は何の日?」と聞かれて思い出すのは、日本人であれば、まず「真珠湾攻撃」であって欲しい。最近は「真珠湾は三重県にある」と思っている人もいるそうだ。驚きのあまり次の句を続ける気力が失せそうだが、そういう「知らない世代」を責めるより、「知っている世代」の歴史認識や伝え方を問い直すべきであろう。

日本軍がハワイ・オアフ島・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃し、3年6箇月に及ぶ大東亜戦争が勃発した。戦闘行動を開始を告げる暗号電報「ニイタカヤマノボレ1208」が船橋海軍無線電信所から打電されたのは1941年の今日12月8日である。まだ70年も経っていないのである。ペリー以来、911に至る「日米関係の茶番」のひとつの頂点がここにあるわけだ。

読売新聞の今日付の社説によると、かの「おそ松くん」の両親の結婚記念日も12月8日だと言う。話の出所は泉麻人氏の「シェ―の時代」(文春新書)。満州で終戦を迎えた引き揚げ経験を持つ赤塚氏が、安易にそのような設定をしたとは思えない。そう面白いことばかりではない現実の日常をカーニバル的な祝祭に、陰を陽に、ひっくり返すのが赤塚ワールドの魅力。家族をバラバラにする戦争の開戦日を愉快な大家族の物語のスタートに定めた赤塚のメッセージがあるのだと書いている。これは、相当な説得力があるし、赤塚ファンの私としては、「これでいいのだ!」と太鼓判を押したい。

私にとっての12月8日は、ジョン・レノンとアントニオ・カルロス・ジョビンというふたりの偉大なミュージシャンの命日でもある。

去年はボサノヴァ生誕50年という記念の年でもあった。そこで、何をもってボサノヴァ誕生と見なすかというと、ジョビンが作ってジョアンが歌った「想い溢れて」の発表から50年ということだ。この「想い溢れて」こそ、ボサノヴァ第1号なのである。たった2分足らずの非常に地味で短い曲の中に、ボサノヴァのエッセンスのすべてがあると言っても過言ではない。ボサノヴァが生まれて50年経つが、未だこの曲を遥かに凌ぐような作品は、地上のどこにもないと私は思う。ある意味これ以上発展しようがないほど完成されていたのが、ジョビンの曲であり、ジョアンの歌と演奏であった。

私も何か記念の曲を作れないかと思い、ボサノヴァ生誕50年のジョビンの命日に、「想い溢れて」とピッタリ同じ演奏時間である1分58秒の曲Lembranca158を作曲した。Lembrancaはポルトガル語で「追憶」の意。

最後にジョビンとジョンが残してくれたことばをひとつずつご紹介。

アントニオ・カルロス・ジョビンのことば

「神が、こうもあっけなくアマゾンで三百万の樹木を打ち倒させているのは、きっとどこか別の場所で、それらの樹木を再生させているからだろう。そこにはきっと、猿がいれば花もあり、きれいな水が流れているに違いない。僕はね、死んだら、そこへ行くんだ」

ジョン・レノンのことば

「ビートルズのメッセージがあるとすれば、泳ぎ方を学べということ。それだけ。そうして泳げるようになったら泳げばいい」

2009/12/07

復活の卵

人が紡ぐすべての物語は、「十字架と復活」というイエスの物語に飲み込まれていく。人が作ったいかなる「壁」も、唯一の「復活の卵」であるよみがえりのいのちの中へと吸収されるのである。
 
「復活の卵」はよみがえりの初穂であり、神の新創造の宣言と証である。

イエスの物語は、残された4つの福音書によって知られている。しかし、その福音書と言えども、イエスの物語のほんの一部でしかない。

「イエスが行われたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまいと私は思う」(ヨハネ21:25)とヨハネは書いている。
 
 私たちは、「語られざるイエス」「秘められたイエス」を世界と書物から読み取ることが出来る。

 人が心奮わせ涙を流すのは、実は知るも知らぬも「キリストの影」に対してなのである。クリスチャンはその祝福を豊かに享受し、その秘密を鮮やかに解き明かす責務があるのではないか。私はそう思っている。
 
 世を遠ざけ、世に怯え、世に媚びるのは、いずれもあるべき姿ではない。

2009/12/06

「卵」と「壁」再考

村上春樹氏がエルサレム賞受賞スピーチで提起した「卵と壁」の問題は、小説に限らず芸術の存在意義を問う優れたアレゴリーである。

芸術表現が、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を大切にすることだとしたら、その表現がシステムに乗っかっていくことによって個を圧迫する結果をもたらすとしたら、それは芸術の堕落であり敗北である。

例えば、音楽におけるヒットチャートや美術品のオークションなどという芸術を消費するシステムは、それぞれの表現に大いに影響を及ぼす。ベストセラー作家である村上氏自身の発信そのものの純度も、自らのことばによって問わねばならないことになるのではないか。

「卵」はエデンの東に産み落とされた。神という親を失った「卵」はその薄い殻に包まれたいのちを守ための「壁」を築いた。

「教会」という救いを守る筈の群れがシステムとして個を圧迫する壁となるのは哀しいことである。

2009/12/05

主人公復活ライブ

いつもお世話になっているPAの阿南氏が若い頃に所属していた伝説のバンド「主人公」の復活ライブがあった。メンバーがそろってステージ立つのは28年ぶりだと言う。当時のファンの女の子(今はオバサン)たちや、それぞれの家族や仲間が見守る中での1日限りの復活。前座は当時の彼らと同年代になった阿南氏の息子がつとめた。

10代の後半から20代の初めに作った曲をいい年になって「あえて」演ることには、様々な意味がある。単に過去を懐かしむ為の同窓会ではないだろう。過去を大事にしなければ、今日も明日もない。ある程度の年月を生きれば、時間の連続性と不可逆性をしみじみと感じるものだ。

とは言え、時間というのは相対的なもの。その長さや質は、その人自身の感性や生き方が決めるのだ。同じ時代を生き、音楽を続けてはいても、それぞれに見ているもの、求めているものは違う。それぞれの人生の選択があり、それぞれの現在がある。しかし、共有できるあの頃の感覚を呼び戻す音楽の力。

Y.B.M氏からの、もうひとつのお誘いをけってまで(実は、こちらにも後から合流したのだが・・・・)観に行った甲斐はあった。Uribossa氏は、私以上に彼らとはずっと親しい。28年前のリアルタイムの彼らを知っている分だけ、さらにいろんな思いで観ておられただろう。

Salt&Uribossaの100年イベントは、「半世紀の反省記」みたいなものだが、ノスタルジックにはしたくない。100年というのは、あくまでも洒落で、私的には右肩上がりの途中経過報告にしたい。

http://www.shujinkoh.net/ 【主人公復活プロジェクト】

2009/12/03

鳩が豆食ってポッポー

ロッキード事件では、政治家に流れたピーナッツ1個は確か100万円。今回、鳩が食ってた豆は、ママからもらったお小遣いだった。その額を聞いてびっくり!ナント月額1500万を毎月もらい続けていたのだと。母性愛に満ちた友愛精神の源がこんなところにあったとは。トホホなお話。子ども手当が聞いてあきれる。

Dr.Lukeは、仕送りモラトリアム生活の中で外人女に鼻の下をのばし挙げ句に、その扱いがわからず、死に至らしめたかの市橋容疑者と、国民を殺す「友愛」鳩宰相の類似性を鋭く指摘されているが、ほんにまあ、そのとおりやおへんか(・・・となぜか京都弁)

「ボケず」「チョケず」には語れないほど、実に情けない話である。というわけで、あまりにも情けないのでお笑いを一席。

これは、今から8年前に、「落語をやりたい」という少女(小5)のために私が書いた落語の台本のひとつ。このように、学校での私は、子どもたちの希望に可能な限り答えつつ、創造的遊びに興じているのである。落語をやってはいけないという校則はない。

実際に6年生を送る会で好評を得た演目である。「沈まぬ太陽」のことわり書きではないけれど、勿論、某首相を意識したものではない。ただし朝が苦手で遅刻常習犯(しかも、忘れ物が多い)のジュンキくん(小6で、私のクラス)と、見かけより頼りになる池なんとか先生(私)は実在の人物。演者であるマルヒロというのは、この子の祖父母が経営する食堂の屋号から拝借。筋向いに同じ屋号の園芸店まであるので、まさに演芸にはぴったり。そのマルヒロちゃん、自らやりたいと名乗りでるだけあって、初めてとは思えない名人芸。私も腹を抱えてゲラゲラ笑って見ていたのだった。

しかし、今読むとけっこう暗示的である。

マニュフェストも、友愛という理念も、どれだけお小遣いもらったかも、都合良く忘れちゃえる性格っていいな。


   
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               鳩が豆食ってポッポー


エー私、阿騎野屋丸廣(あきのやまるひろ)と申します。6年生の先輩たちの卒業のはなむけに落語を一席お届したいと思います。3月になり、気候があったこうなってくると、なんかしらん、頭の方もポーっとして忘れものが、多くなってまいります。今日はそんな物忘れのお話をひとつ。

【社長】ほんまにおまえは若いくせに物忘れが多て、どもならん。だいたい得意先と商 談すんのに時間に遅れる、名刺も忘れるとはどういうこっちゃ。ええか。今度失敗したら、くびやくび。

【マルヒロ】えらいこっちゃ、どないしょう。せやけど、こんだけ物忘れがひどかったら社長さんがおこらはんのも無理ないわなあ。なんぞええ知恵はないもんやろか。先輩のジュンキさんに聞いてみよ。なあなあ、ジュンキさん。

【ジュンキ】何か用?

【マルヒロ】物忘れ治すうまい方法はないでしょうか。

【ジュンキ】そうやなあ。ぼくは朝は苦手やけど物忘れはせえへんけどなあ。

【マルヒロ】なんか秘訣はあるんですか。

【ジュンキ】ぼくはようわからんから、あの、ほれ、池なんとか言う先生に相談してみたかどうやろ。あの人やったらなんぞええ方法を知ってはるんとちゃうか。

【マルヒロ】池なんとか先生って、そんな名前忘れてしまうような先生、だいじょうぶかな。まあ、ええわ。こんにちは。
    
【先生】物忘れを治す方法じゃね。

【マルヒロ】なんでわかるんですか。

【先生】時間の短縮じゃよ。

【マルヒロ】では、さっそくお願いします。

【先生】よかろう。鳩が豆食ってポッポー。

【マルヒロ】何ですか、それ。

【先生】おまじないじゃ。ハはハンカチはなかみ、トは時計、ガはガマグチつまり財布じゃ。マは万年筆ならびに筆記用具、メは名刺やメール。クはくし。テは手帳。ポッポーでもう一度洋服やかばんのポケットの決まった場所に決まったものが入っているかどうか確認する。これで完璧じゃ。

【マルヒロ】 なーるほど。鳩が豆食ってポッポーか。これはええことを教えてもろた。鳩が豆食ってポッポーとはうまいこと言うたもんや。あの先生、見かけより頼りになったなあ。これもジュンキさんのおかげや。ジュンキさんにもひとことお礼を言うとかなあかん。それから、あの先生にも・・・・。それにしても、あの先生、名前なんやったかなあ。まあ。ええわ。とにかく、明日から気分も新たに仕事できそうやな。

(朝起きて)ふあ~あ。あれ、呪文何やったけ。
 

2009/12/02

山崎豊子作品に想う

テレビでは「不毛地帯」、映画館では「沈まぬ太陽」と、山崎豊子作品が話題である。いずれもベストセラー小説の映画化であり、ノンフィクションに近いフィクションだということだ。彼女の小説手法にも文章にもあまり感心はしないが、内容はけっこう面白い。「白い巨塔」「華麗なる一族」に続き、「不毛地帯」も欠かさずチェックしている。

主人公である壱岐正と恩地元には共通点がある。いかなる苦境に立たされても己の信念を貫くその無骨で真摯な生き方である。その生き方ゆえに組織や家族との様々な葛藤を招くが、ここがまた共感を呼ぶところなのだろう。

彼らと同じように苦しい立場に追いやられる人は多いが、どんなに追いつめられても妥協しない人はそういない。どっこい、「私は妥協していない」とけっこう胸を張って言える。勿論、逆らってばかりいるわけではないが、肝心要の場面で、己の信念に恥じるような選択はしていない。その分、思いっきり辛い目にも会ってきた。でも、それは立派なこととではない。それ以外には道はなかったからだ。映画「沈まぬ太陽」の中で、「お父さんは波に逆らってばかりきたから」と言う息子に、「いや、波に乗っている奴の方が辛いのかも知れない」と恩地が語る場面があるが、全くその通りなのだ。

学校や教会というところは、近畿商事や国民航空に負けず劣らずめんどうな組織である。波に乗っている人たちは、私にはかわいそうにしか見えない。「己の身を守り、欲を満たし、名を上げる」というベクトルは、上昇ではなく脱落への助走なのだから。

この世においては、正義の道は必ず十字架に行き着く。しかし、キリストともに死ねば必ず復活が約束されている。信仰がない人たちにとっても、原則は同じなのである。

信仰のある人たちにとっては、文字通り。仕事の中にも、「死」にこそ「勝利」がある。この世の仕事を嫌う「自称献身者」たちには味わえない醍醐味がこの世の仕事の中にあるのですよ。残念!

いずれにしても、毛は生えていて欲しいし、太陽は燦々と輝いていて欲しいよね。

2009/12/01

音楽は自由にする

最近、坂本龍一の「音楽は自由にする」という本を読んだ。まるで「真理はあなたを自由にする」みたいなタイトルだ。これは、借りないわけにはいかない。(「買わないわけにはいかない」ではないのがちょっとだけさびしい)タイトルに惹かれ、めでたく今回の10冊にチョイスされたわけである。

坂本龍一は、昔から意識していた。私自身が「Complexion」というオールシンセサイザーのアルバムは、無名の私による有名な坂本龍一へのひとつの答えというか挑戦でもあった。

今や世界のサカモトとなった彼が、その風変わりで華やかな音楽経歴を、生い立ちから始まって、さまざまな人との出逢いのエピソードを絡めつつ、折々の作品への思いを時系列で語った本である。

いつか、会って話してみたくなった。
特に面白かった部分、大瀧詠一、細野晴臣、矢野顕子の面々に出会った驚きと、ポップ・ミュージックの魅力について書いている場所を抜粋してご紹介しよう。いろんなことに通じる真理があるように感じる。


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~同じ言葉を持つ人たち~ 「音楽は自由にする」坂本龍一(新潮社)より

大瀧さんともすぐに仲良くなり、福生にある大瀧さんのスタジオ、というのはお風呂場なんですが、そこでレコーディングをしたのが、75年から76年にかけてのことです。そこに、細野晴臣さんが現れた。それが細野さんとの初対面でした。このころにはもう、はっぴいえんどのことはぼくも知っていて、細野さんおソロ・あるバウも聴いていました。

細野さんと出会った時に感じたことは、山下くんの時とよく似ています。ぼくは細野さんの音楽を聴いて、「この人は当然、ぼくが昔から聞いて影響を受けてきた、ドビュッシーやストラヴィンスキーのような音楽を全部わかった上で、こういう音楽をやっているんだろう」と思っていたんです。影響と思われる要素が、随所に観られましたから。でも、実際に会って訊いてみたら、そんなものはほとんど知らないという。たとえば、ラヴェルだったら、ボレロなら聴いたことがあるけど、という程度。

ぼくがやったようなやり方で、系統立てて勉強することで音楽の知識や感覚を身につけていくのは、まあ簡単というか、わかりやすい。階段を登っていけばいいわけですから。でも、細野さんは、そういう勉強をしてきたわけでもないのに、ちゃんとその核心をわがものにしている。いったいどうなっているのか、わかりませんでした。耳がいいとしか言いようがないわけですけれど。

もう一人、同じような驚きを感じたのは矢野顕子さんです。彼女の音楽を聴いたときも、高度な理論を知った上でああいう音楽をやっているんだろうと思ったのに、訊いてみると、やっぱり理論なんて全然知らない。

つまり、ぼくが系統立ててつかんできた言語と、彼らが独学で得た言語というのは、ほとんど同じ言葉だったんです。勉強の仕方は違っていても。だから、ぼくらは出会ったときには、もう最初から、同じことばでしゃべることができた。これは、すごいぞと思いました。

そして、だんだん確信を持って感じるようになったのは、ポップ・ミュージックというのは、相当おもしろい音楽なんだということです。日本中から集めても500人いるかどうかというような聴衆を相手に実験室で白衣を着て作っているような音楽を聴かせる、それが当時ぼくが持っていた現代音楽のイメージでした。それよりも、もっとたくさんの聴衆とコミュニケーションしながら作っていける、こっちの音楽の方が良い。しかも、クラシックや現代音楽と比べて、レベルが低いわけではまったくない。むしろ、かなりレベルが高いんだと。ドビュッシーの弦楽四重奏はとてもすばらしい音楽だけど、あっちはすばらしくて、細野晴臣の音楽はそれに劣るのかというと、まったくそんなことはない。そんなすごい音楽を、ポップスというフィールドの中で作っているというのは、相当に面白いことなんだと、ぼくははっきりと感じるようになっていました。