2011/05/27

seasoned with salt から seasoned with saltへ

今度は匿名でもコメントできなくなったので、6月を待たずに引越しします。
自分の車のエンジンがかからず、家にも入れない感じです。

http://lastsalt.exblog.jp/ (seasond with salt)

2011/05/26

引越し



電気屋さんのブログ消失や、コメント欄の不具合など、いろいろあってBloggerのサービスにはちょっとイラっときていたのですが、今日は管理人の私を匿名扱いにされたことで、5月いっぱいでのブログの引越しを決めました。準備が整い次第、お知らせします。




明日から、いやもうほとんど朝ですね。30分ほど時間を無駄にしました、ブログは大事にしたいですが、余計な時間や労力を注ぎたくはないので、そそくさと引越します。



明日と野外活動の引率です。天候が心配ですが、雨には雨の味わいもあるでしょう。




楽しんできます。

2011/05/25

イーネ!


もちろんボサノヴァが一番ピッタリくるわけだが、クレイジー・ケン・バンドなんかもけっこう好きだったりもする。

イーネ!つながりで、今日は稲の話題。

今年はベランダに50個を超えるバケツを並べ稲を育てている。

1年毎に、こんなにもわかりやすい実りがあるのは凄いなあと改めて思う。

いろいろとイラつく様なネタも尽きないが、稲の生長を見ながら、いつもイーネ!と上機嫌でいたい。

2011/05/23

Watashi wa Denki



アースデーならSouth 2011でのSalt & Uribossa with Itaminhoのパフォーマンスの一部が、You TubeにUpされました。すごく暇なときに、ご覧ください。きっと誰にでも耳なじみのあるあの曲ですが、タイトルはWatashi wa Denkiとしました。奈良には津波は来ないけど、あの日は、とにかくもの凄い風でした。

http://www.youtube.com/watch?v=Qb_8Pywte1s

2011/05/21

写真のない写真集

去年撮りためた写真とじっくり向き合うこととなり、嫌でもいろいろと考えた。デジタルカメラの便利さと不便さを深く心に刻む1日となった。

人は何を「記録」し、何を残したいのか、また、それを時々振り返ったり、共有したりしようとするのか。恣意的な「記録」は、変質した「記憶」に変換される。

カメラには、そんなセコイ装置としての一面がある。

ファインダーによって切り取られた時空は、ある意味で死んでいる。3次元から2次元へと次元を落としてまで撮り手の意思を反映させるためだ。それゆえ、写真は決して「真を写したもの」ではない。

つまり、その時空の切り方や変換の妙が問われる。写真の情報として、被写体に関する事実とともに撮り手の精神が読み取れるようなものこそ、写真としての独立した価値を持つものであろう。

素人がコンデジで撮った日常の写真ではあるが、私がそのとき何を見出し何を感じたかが、ある程度正確に写っている。

私にはまだ写真として独立した価値を持つものは撮れない。ただ、私の記憶を再生するきっかけとしては、極めて有用であると言える。

Y.B.Mさん、以上が私が昨日考えたことの約半分です。

2011/05/20

神の仕業


与謝野馨経済財政担当相は、20日の閣議後会見で、東京電力の福島原発事故について、「神様の仕業としか説明できない」と述べた。同原発の津波対策に関しても「人間としては最高の知恵を働かせたと思っている」と語り、東電に事故の賠償責任を負わせるのは不当だとの考えを重ねて強調した。

与謝野さんは、先月、自己評価が最悪のレベル7になった際にも「原発は電力供給の為に必要」と断言し、事故の評価にかかわらず今後も原子力発電を推進していくと語っている。自民党政権時代に通産相として原発を推進してきた責任を問われても、「謝罪する気はない」と言ってのけた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110520-00000050-jij-pol




カルフォルニア州で福音派ラジオ局「ファミリー・ラジオ」を運営するハロルド・キャンピングという爺さんによると、明日5月21日、キリストの再臨があるそうだ。

米東部標準時間で午後6時から、世界の各地で今まで見られなかったほどの大地震が起こり、キリストは再臨し、聖徒の霊は墓場から蘇える。

世界で約3%の真のキリスト教徒のみが、キリストとともに天に昇るというラプチャー(携挙)が起こる。取り残された者は、10月21日の地球滅亡まで地上で苦しむということになっている。

全米に1200の広告板「聖書が保証する」を立ててきた。中には、妻子をおいてツワーに参加した人や、退職金をはたいて広告用ポスターを作った人もいるそうな。ニューヨーク・デイリー・ニュースによると、ロバート・フィッツパトリックさんもその一人である。フィッツパトリックさんは、退職金から14万ドル(約1440万円)をはたき、「大地震!審判の日:5月21日」というポスターを作り、ニューヨーク市内の地下鉄やバス停に掲示しているのだとか・・・

どうでもいいけど、彼らのこれから先のことを心配してあげたい。

http://www.newsmag-jp.com/archives/8269

いずれも神様の仕業だろうか?

神の「存在」についても「救済」についても、人は何でも好き勝手に語ることが出来る。間違ったことを言っても、急に天からの罰がくだるわけではない。

与謝野さんは決して「学校の成績的」には頭の悪い人ではない。しかし、言っていることは馬鹿としか思えない。

ハロルドが手に持っている聖書には私の聖書とちがうことが特別なことが書かれているわけでもない。しかし、普通に読み間違っている。

人は同じ現象を見ても同じように感じるわけではないし、同じ聖書を読んでもその反応は同じではない。

私は与謝野さんとは違う意味で津波も事故も神の仕業だと思う。また、ハロルドよりも切にキリストの再臨を待ち望んでいる。

人は自分が見たいようにものを見、信じたいように信じるだけだ。私も自分の見立てと信仰を裁かれるだけのこと。与謝野さん、ハロルドさん、覚悟はよろしいかな?

2011/05/19

スイッチ



ある日の放課後、どういう風にスイッチが入ったのか、突然ふたりの女の子が、「ベランダをそうじする」と言って掃き始めた。バケツ稲の準備で土が散乱していたのでかなり汚れていたのだが、彼女たちのおかげでずいぶん綺麗になった。別に私にほめてもらおうというわけではない。逆に遅くなって、「早く帰りなさい」と叱られたくらいだ。晴れ晴れした笑顔でふたりは帰って行った。

良いことは「ただそれが良いことだから」という理由だけで追及できる価値であることを、小学生の彼女たちはちゃんと知っているのだ。そこには大人のようなせこい駆け引きなんかない。

良いことに向かう自分を他者の瞳に映そうと意識し始めると、善は純度を失う。これはカントの哲学の大きなテーマだ。

善と悪は対立する同じ強さの概念ではない。悪は善と同じように、「ただそれが悪いことだから」という理由では追及できない。悪には、それが良いことであるかのような見せかけや嘘が必ずある。

聖書が語るように、悪魔は堕天使であって「腐った善」すなわち「偽りの父」なのだ。彼に追従する者は恥を見ることになる。

私たちがある行動に向かうとき、どのような動機で自分のからだにスイッチを入れるかはけっこう重要なのである。

2011/05/17

被災地からのレス



先月、仙台の方の紹介だということで、東京の牧師さんから、「最近自分が本当にみことばも神もよく知らないでメセージをしていることに気付いて、改めてみことばの奉仕をしていることに対して恐れおののく気持ちになった」という主旨のメールをいただいた。

教会を離れた方や教会に行けない方、行きたくない方からのレスは多いが、大きな教会の牧師さんから謙虚なお便りを頂いたことはなかった。又、それが仙台で被災された方からの紹介ということを知らされ、さら驚いた。

そして今日、原発事故による放射能汚染に苦しむ福島からのコメントがあった。

初めまして。小学生男子2人の母です。福島市に住んでおります。私達はもうどのくらい被曝したんだろう…と考えると、無邪気に笑う子供たちに本当に申し訳なく思います。大人の責任として。私はクリスチャン初心者?で教会に行っていません。お聞きしたいのですが、神様にお委ねすることと自分の努力や知識で行動することは対立することなんでしょうか。例えばまず神様に祈りや感謝があり、その上で現実的に動くことは御心にかなうのでしょうか。この場での質問をお許しください。それでは失礼します。



非常に本質的な的を射た質問だ。私は「人の努力も神から切り離されて独立あるいは、対立するものではなく、すべてが神の範疇にあると捉えることが神に委ねるということではないかと思っている。人の知識や感覚ではなく、みことばが祈りや感謝を正しく方向づけてくれるのではないか・・・」という意味のことを、コメント欄に書き込んだ。

語る責任の重さを改めて感じている。

2011/05/15

SaltもSaft


スポーツ大好きなSaltだが、それよりもさらに音楽や美術が好きだったため、学生時代はスポーツに打ち込むことはなかった。

スポーツは何でも好きだが、特に格闘技と球技が好き。見るなら格闘技、やるなら球技という感じ。今日は職場のなかまとともにソフトボールの大会に出た。

最年少は23歳、最年長は62歳というチーム。40以上が過半数を占める。他のチームより明らかに年齢層が高い。他のチームはユニホームをばっちりキメているが、我々は100均のTシャツにマジックで背番号を書いて毎年参加している。これで強けりゃ格好いいんだが・・・・

思うようにからだが動かなくても、ただからだを動かすことは楽しい。「けがをしない」が目標だったので、余裕でクリアできた。しかも、今日はチームが待望の1勝。

やっぱ、からだ動かさないとなあ。

写真は、感動を呼んだ北京五輪の女子ソフトボールチームだが、すごい試合を見るより、ドンくさい試合でも自分がからだを動かした方がおもしろい。

2011/05/14

のどがかわいた


指導要領の改定によって教科書がかなり分厚くなり、内容も刷新された。国語の読み物でウーリー・オルレブの「のどがかわいた」という作品に取り組んだ。

登場人物が4人出て来るが、次のページをめくれば、そのうちふたりは消えてしまう。主人公と友人はほとんどことばもかわさす、これといった事件もおこらないまま、物語は淡々と流れていく。メインのシーンでも約1時間ガリラヤ湖でただ立って空想しているだけというお話。ほとんどあらすじを書き様がない不思議なドラマである。全く性格のちがうふたりが「水を飲む」という行為の中に、お互いのかわきを感じ取り共感するのだが、このかわきを象徴する背景は日本の小学5年生には読み取り様がない。教える先生達だって、ユダヤ人のことなどろくに知るまい。

というわけで、内容はかなり難しい。わかったつもりになって教え、わかったつもりになって学ぶことは出来るが、この作品を本当に理解するのは易しいことではない。数ある児童文学の中から、誰がどういう意図でこの作品を教科書に採用したのか、また採用されるに至ったのかは興味がある。

写真は、この作品の舞台でもあるガリラヤ湖。私が2001年に撮影したもの。

1931年、ポーランドのワルシャワの裕福な医者の家に生まれたウーリー・オルレブ。幼いころは、自分の出自がユダヤ人であることを知らずに育った。第二次世界大戦がはじまり、町がドイツ軍に占領されると、ワルシャワの学校に通っていたウーリーは担任の先生から「君はユダヤ人だからもう学校に来てはいけない」と言われた。そのうえ、ポーランドの士官だった父親はロシア戦線に送られ、その後、ロシアで捕虜になった。母親とウーリーと弟の三人はゲットーで暮らすことになったが、ウーリーが11歳の時、母親はドイツ軍に殺害された。(著書:ぼくと弟のホロコースト「砂のゲーム」より)

2011/05/12

雨あがる



月末に予定されている野外活動のハイキングコースを歩いて来た。歩き始めは小雨が降っていたが30分も歩くと雨があがった。創立記念日なのにお仕事はちょっと辛いが、森の緑や田植えを終えた水田が美しい。

写真は都祁山口神社。20年以上前に山口神社の祭礼の映像を撮るために取材に来たことがある。当時勤務していた都祁小学校が県の音楽研究会の会場校となったためだ。それにしても懐かしいなあ。

2011/05/11

自然エネルギー義援金


アースデーならsouthでのCDの売り上げの中から10000円を、東日本大震災、自然エネルギー義援金とさせていただきます。

今日の夕方、実行委員長の伊藤満氏が職場まで取りに来てくれました。伊藤氏は14日から青森の児童施設に別口の義援金を届けるそうです。

残りはUribossa氏が赤十字社に送ってくれます。

みなさん、ご協力ありがとうございました。


http://www.isep.or.jp/tunagari-project.html 【環境エネルギー政策研究所HP】

2011/05/10

鉢かつぎ姫


今年は校庭の片隅に田んぼを作り、ベランダではバケツで稲を育てる。一人ひとつ色とりどりのバケツを持って土を入れに行ったのだが、黄色いバケツが気に入った私のクラスの姫たちが頭にかぶっている。「そんなものをかぶってはいけないよ」と注意すべきなんだろうが、「鉢かつぎ姫(正しくは、鉢かづき姫)」という御伽草子を思い出して面白くなってきた。まあ、いいか。女の子が楽しいと世界は明るい。

2011/05/07

土下座




ろくなニュースがないが、最近見た中で最低のものは、福島のおばはん(あえて「おばちゃん」と書かない)が、土下座する東電社長を罵っていたもの。気持ちはわからないでもないが、「ちょっと違うやろ・・・」と思う。

土下座する東電社長も相当覚悟を決めたのだろうが、被災者の怒りのことばも芝居がかっている。TV局のデイレクターが台本書いたのか?

それにしても集団土下座しても、全く誠意が伝わらなかったらしいので、よほど「かたちだけの土下座」だったのだろう。 まあ、かけひきの土下座だから見透かされるだろう。

焼き肉チェーン店の社長も逆ギレ会見から、一転して土下座、あまりの名演技に戸惑ってしまう。この若社長タムケンみたいにバラエティーでも活躍できたでしょうに。

謝ることと悔い改めは全く違うよなあと思う。

自分が得するために神に謝っただけのキリスト教徒がかたちだけの偽物なのもよくわかる。

土下座ストラップが40万個も売れているとか。な~んだ、土下座は最近の流行だったのか。でも、このストラップ、本質的に十字架ペンダントと似ている。










福島県民としての責任とか、日本国民の責任というのがあると思う。原発をつくることを容認してきたのは、この「私」でもあるわけだ。

学校に苦情を含めて意見をくださる保護者は基本的に大歓迎だが、子どもが事件を起こしたとき、「どうしてこうなるまで気がつかなかったんですか?」なんて言うのも聴く。学校の責任は当然ある。しかし、「あんた、親やろ」と言ってやりたい。

突然、空から放射能が降ってきたのではない。無理矢理いやがる口を開けてユッケをねじ込まれたわけじゃない。私やあなたがそれを「許して」「選んだ」のだという側面があることを絶対忘れてはいけない。

あなたが使った電気は核燃料であり、あなたが食ったユッケは牛なんだ。

2011/05/06

黄色



黄色は「太陽の色」であり、幸福感や運気を呼ぶ色だとされている。色彩心理学的にも「希望」や「欲求」を表わすとされる。

日本でも人気の高いゴッホも黄色を好んで多様した画家として知られている。ゴッホの黄色には彼の強い情念を感じる。私があんな風に黄色を使うことはないだろう。黄色を使わないどころか、ここのところは、絵を描くことも殆どなくなった。今年は久々に子どもに図工を指導するので、もしかしたら、手すさび程度にまた何か描き始めるかも知れない。

1980年代は日本でも黄色ブームがおこった。黄色のパッケージのカロリーメイトがヒット商品となり、電話帳をイエローページとネーミングし、表紙も黄色に変わった。ファッション界でもひまわりブームがおこった。当時の日本の世相や日本人の心理状態を反映しているのだろうか。

子どもが選ぶ色と心理状態には興味があるが、単純に類型化して、説明を加えるのは好まない。

それにしても、改めて日本人の色感の豊かさに驚く。色の捉え方そのものが自然体験と結びついている。

油絵の具の表記で慣れきってしまったカドミウムイエローとか、クロムイエローなんて、実にどうしょうもない呼び名である。

http://www.i-kaigo.com/yellow-beauty/yellow-yellow.html#19

2011/05/05

やまぶきいろ


幼稚園の頃は、絵を描く時間がすごく楽しみだったのを思い出す。

小学校に入り、平仮名が読めるようになり、「やまぶきいろ」という色の名前を覚えた。「きいろ」ならわかるけど、その前についている「やまぶ」って何だろうと思っていた。「やまぶ」の正体がわからず、とて不思議だったが、深く追求するほど気にしていたわけではなかった。

3年生くらいになって、それが「やまぶき」という花の色らしいと知ったが、実際の花とは結びつかなかったし、それを見てみたいとも思わなかった。

6年生で歴史を学んで太田道灌の「山吹伝説」【やまぶき色の太文字参照】について読み、「やまぶき」の花をたまたま図鑑で見かけた。「なんだ、これか」と思った。

中学生になって英語が始まった。 やまぶきはGolden YellowとかBright Yellowと言うんだと知って、やまぶき色とは違う色のように感じた。

高校で油絵を始めてから、アングロサクソンと日本人の色感が違うことに気付いた。それがコダックのフジのフィルムの色の差になるのだと知ったのもその頃だ。

30過ぎて自分の家を持ち、庭にやまぶきを植えた。毎年、GWにゴールデンに咲き誇るこの花がとても好きだ。

知ること、感じること、味わうことは、少しずつ折り重なってひとつの確かなものになっていく。


太田道灌は扇谷上杉家の家宰でした。ある日の事、道灌は鷹狩りにでかけて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきたのです。そしてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。 その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】という歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。 驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。

http://homepage3.nifty.com/youzantei/mitisirube/yamabukidensetu.html

2011/05/04

鍍金がはげるゴールデン


GWはひたすら脱力しているつもりだったが、国内外でいろんなことが起こったのでそういう気分にもなれず、あれこれと日頃調べられないディテイルを少しばかり追求してみた。

まず、4月29日、東京大学大学院教授の小佐古敏荘氏が内閣官房参与を辞任する意向を表明した。私はこのニュースを仕事の疲れなどもありスルーしていた。しかし後から調べてみると、けっこう大変なことを提起してくれている。小佐古氏は、3月16日に原子力災害の収束に向けた問題に関して、菅直人首相を補佐するために内閣官房参与に任命された人物。チェルノブイリ原発事故の研究家としても国際的に認知されている原子力分野で日本を代表する学者である。菅さんはこの小佐古氏のことは全く面識もなく、空本議員の紹介で任命したと伝えられている。

小佐古氏が配布した文書から怒りが伝わってくる。  (以下青い太文字は引用)

この1ケ月半、様々な「提言」をしてまいりましたが、その中でも、とりわけ思いますのは、 「原子力災害対策も他の災害対策と同様に、原子力災害対策に関連する法律や原子力防災指針、原子力防災マニュアルにその手順、対策が定められており、それに則って進めるのが基本だ」ということです。

しかしながら、今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は、そのことを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い、事態収束を遅らせているように見えます。

とりわけ原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な指導・助言の中核をなすべき組織ですが、法に基づく手順遂行、放射線防護の基本に基づく判断に随分欠けた所があるよう見受けました。例えば、住民の放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、これから被曝すると予測されるもの)は、緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)によりなされるべきものでありますが、それが法令等に定められている手順どおりに運用されていない。法令、指針等には放射能放出の線源項の決定が困難であることを前提にした定めがあるが、この手順はとられず、その計算結果は使用できる環境下にありながらきちんと活用されなかった。また、公衆の被ばくの状沢もSPEEDIにより迅速に評価できるようになっているが、その結果も迅速に公表されていない。

初期のプリュ-ムのサブマージョンに基づく甲状腺の被ばくによる等価線量、とりわけ小児の甲状腺の等価線量については、その数値を、 20、 30km圏の近傍のみならず、福島県全域、茨城県、栃木県、群馬県、他の関東、東北の全域にわたって、隠さず迅速に公開すべきである。さらに、文部科学省所管の日本原子力研究開発機構によるWSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福井県、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきである。


そして、国外では昨日触れたビン・ラディンのニュース。

あれこれニュースを見てみたが、イラン・ラジオのHPはけっこういい。

【ビン・ラディンは数年前に殺されていた】
http://japanese.irib.ir/index.php?option=com_content&view=article&id=18057:2011-05-03-09-55-39&catid=17:2010-09-21-04-36-53&Itemid=116

ここでは、アメリカのダンコフ元上院議員候補が、プレスTVのインタビューで、「多くのジャーナリストや政治専門家は、ビンラディンが既に数年前に殺害されていたと考えている」ダンコフ氏は、「ビンラディンは、かつてCIAの一員であり、アメリカ政府は彼を、旧ソ連軍との戦闘に利用していた」と語ったことがサラッと書かれている。

また、パキスタンのブット元首相が2007年のインタビューで「ビン・ラディンが死んだ」と発言していたことにも改めて触れている。(この後、ブットは暗殺されるがテロの声明は出ず)

http://japanese.irib.ir/」 【イラン・ラジオ】

2011/05/03

真相は水の中



ビン・ラディンが殺された(らしい)。

もし、殺されたとされる人物が御本人であれば、生かしておいていろいろとお尋ねせねばならぬこともあったはずだ。 何一つ証拠がなく始まった「テロとの戦い」の重要な証拠をそそくさともみ消す。これが私たちの同盟国の常套手段である。

語られてまずいことがあったからあわてて殺したのか、すべてはアメリカ政府の筋書きどおりを演じただけなので、何一つ聴く必要がないのか、普通に考えればそのどちらかである。

フセインの息子を死後11日間も放置した米政府が、今回はテロリスト側に配慮して水葬。政府高官は「イスラムの伝統に沿って土葬で行う」と述べていたが一転水葬になった。「引き取り手がいないからだ」と説明した。つまり、死体を公式に確認させずに海に処分したのだ。

かつてレーガン政権の強硬姿勢はソ連の危機感を高めすぎて、冷戦のもう一方の主役の自己崩壊を早めた。これによって、永久に終わらないはずの公共事業も頭打ち。

しかし戦争とその危機感のもたらす需要は、アメリカ経済の至福とアメリカのエリートたちの私腹のために不可欠なので、冷戦がなくなると、反イスラム原理主義の対テロ政策によるホットな戦争を思いついたというわけだ。これが、ブッシュからオバマへと受け継がれた。

「911陰謀論」についてここで詳細を語る気はないが、それは「論」ではないことだけは明言しておきたい。

私たちがニュースとして聞かされているものの大部分は、決して真実ではない。

たとえば、ビン・ラディンの遺体とされる写真を、きちんと検証もせずに多くのマスコミが報道したが、これは合成であることが明らかにされている。しかも、この写真は2001年にすでに報道されていたもの。さて、ビン・ラディンはいつ死んだのかな?

さらに2010年の1月にはFBIが捏造したビン・ラディンの写真をめぐって素材(ネタ)にされたスペインの議員が怒っているという記事が16日のスペイン紙エル・ムンドに掲載されている。

http://www.afpbb.com/article/politics/2683644/5168088
【ビン・ラディンWANTED画像の素材となったオジサンに関する記事】

まあ、FBIが正式に刑事告訴もせずに、懸賞金をかけた画像に、赤の他人のものを使わざるを得ないのは、ビン・ラディンがすでに存在しないことを知っていたからかも知れない。

かねてから様々な病気や死亡説があったように、米軍の関係病院でずっと以前に死んでいた可能性も否めない。

要するに、生きていた方が都合の良いときには死んでいても生かされ、今、死んだほうが都合がよくなれば、死んでいても、もう一度殺される。それが彼らのルール。

世界中のお人好しは、こういうお粗末な茶番をたくさん信じこまされているのである。

真相は水の中。しかし、簡単に水に流してはいけない。

見ずに何を信じるべきか。