2009/12/24

2009年のメッセージを終えて

昨日で2009年のメッセージをすべて話し終えた。

「ひねくれ者の聖書講座」を10本、「ダビデの生涯と詩編」を12本、昨日のクリスマス礼拝や特別なテーマのものや、他教会などでのメッセージを合わせても、今年は年間20本くらいのもので、これまでに比べるとずいぶん楽をさせてもらっている感じだ。多分2010年はこのペースで行って、少しずつ減らしていく予定だ。

それにしたところで、まとまった話をするのはそれほど簡単なことではない。何でもよけりゃテキトーにしゃべるが、聖書に忠実に、そして、自分自身に忠実に話さないといけないのだ。これは大変ですよ。私みたいないい加減な人間にとってはかなり難しいこと。

毎週、「もうあんまり話すことなどないよなあ」というのが本音。伝えたいことなんて別にない。「みんな好きにやればいいんだ」と本気でそう思っている。それでも、何か語るべきことがやってくる。まだ、もう少しどこかに必要はありそうだ。

私は教えの体系を整理してお伝えしようなんて思っていない。主がリアルな私を通して伝えようとしておられることを伝える義務は感じている。自分以上のことはわかるはずもないし気持ちものらない。また、自分以下の話にはあまり力がこもらない。

常に身の丈に合わせてしゃべるためには、しょんぼりしてたり、ゴロゴロしてたりは出来ない。逆にメッセージが嘘のないキチンといたものであるために、常に一定のテンションでシャンとしていられるようなもの。

私は放っておけば不節制で無茶ばかりしてしまうが、「自制」というのは聖霊の賜物。私のうちにおられる方が何とか守ってくださったとしか言いようがない。私の心身の程よい緊張と健康にもメッセージは役立っているようだ。

2 件のコメント:

  1. 「ひねくれ者の聖書講座」、「ダビデの生涯と詩編」は、podcast経由で聞かせてもらっています。僕にとって、聖書の話を聞ける数少ない機会です。
    弟子たちのように、直接イエス様の顔を拝して御言葉を聞けなくとも、神様の言葉があらゆるメディアから入ってきます。

    でもそんな時代だから「本物」と出会える大切さを感謝しないといけませんね。

    神様の言葉を取り次ぐことと並べて不遜ですが、今日終業式の日に授業の遅れた新人さんクラスで今年最後の授業をしました。にわかな準備なので、本当に我ながら情けない授業でした。教材研究の深さという「身の丈」通りの授業なのです。
    やはり「言葉」を生業とする以上、しっかりその「身の丈(これは伸ばせる)」を意識して来年も一歩一歩です。

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  2. 2学期、お疲れ様でした。ようやく終わりかな。

    授業は奥深いですね。確かに身の丈は影響します。面白くない奴には面白い授業は出来ません。

    一枚の皿に盛られた料理みたいなもんで、良い教材と素直な子どもたちの反応が素材であれば、それなりの味付けで腹は満たせますが、プロとしては、ホンマに旨いものを食わせたい。そこに尽きるわけで・・・・

    ともに精進いたしましょう。また色々教えてください。

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