2009/11/12

忙しい人たちとの一問一答集

「忙しい」を連発する人を、私は基本的に信用しない。休まずに活動している時間が長いことを「忙しい」と言うのは何となくわかるが、その人がやりとげたことを見れば、なんのことはないわずかな時間と少しの努力で出来そうなことだという場合が多い。それをたいそうに「忙しい」と自己申告するのは、自分の無能と怠慢を報告しているようなものだ。

「時間がない」などということはない。時間は工夫して産み出すものだ。いろんな隙間の短い時間をつないだり、無駄を省いて作業の効率を上げるだけで、まだまだいろんなことが出来るものだ。

今やっていないことは、結局「やる気がなかった」ということ。例えば、昔あれほど好きだった音楽をやめてしまった仲間に対して思うこと。「その程度しか好きじゃなかったんだ・・・・」

「その気があったのに、○○のせいで出来なかった」という言い訳を重ねることは敗北である。たった一度きりの人生の大半を言い訳で固め、充実感のない忙しさに時間を奪われている姿には全く魅力を感じない。

私は充実感のない忙しさに耐えられるほど、鈍感にはなれないし、忍耐強くもない。退屈なおっさんにはなりたくない。私と真面目に付き合う人は、好き嫌いは別として、少なくとも何かの刺激を受け、「オモロイ」と感じるはず。

では、忙しい人たちとの一問一答集をどうぞ・・・

「Saltさんはマイペースですね」
>「当然だ。そう言うあなたは誰のペースで生きている?」

「Saltさんはやりたいことやってますね」
>「あなたは自分のやりたいことをなぜやらない?」

「Saltさんはよくそんな時間ありますね」
>「誰でも1日は24時間、あなたには間違いなく私より時間がありそうだ。使わないならその時間を私に譲ってくれ」

「Saltさんはいつも全力で生きてる感じがするな」
>「それは誤解だ。メッセージといくつかのこと以外は、ほとんど脱力して適当にやっている」
「Saltさんを小学校の先生にしておくのはもったいないです」
>「それは私を褒めているのではなく、小学校の先生を侮辱することば。小学校の先生は社会的地位や評価よりも遥かに高い職能が必要だと思っている。私なんぞは己の無能さを日々痛感しているというのが事実。これは立位体前屈みたいな謙遜じゃない」

「Saltさんだから言えること、出来ることですよ」
>「確かに人それぞれ、身の丈にふさわしいことというのはある。しかし、私だから言えること、出来ることがあるとするなら、あなたにも『私には言えないこと・出来ないこと』が言えたり出来たりすることがあるはずじゃないのか」

「Saltさんはどうして何でもそんなに自信に満ちて断言できるんですか?」
>「誰でもそれが正しかろうが、間違っていようが、『私はこう思う』ということを言う権利があると思う。自分の判断や好き嫌いを曖昧にする人とは安心してつきあえない。そういう人は、他人を思いやっているのではなく、自分が傷つくのを怖がっているだけなので、私ははっきりしない人間が好きではない。私は出来れば自分を嫌いになりたくないので、勇気を出して意見を表明しているだけのことで、別に自分だけが正しいと思っているわけでもなければ、自分のことばに自信を持っているわけでもない」

「Saltさんの自己満足なんじゃない?」
>「私は理想が高いので簡単に満足は出来ない。自己満足出来ることが最終目標だと言ってもいい。満ち足りて、感謝しても、理想に到達できたという意味での満足はない」

「Saltさんは家族ほったらかしでしょ」
>「そんなことはない。私はどちらかと言えば家庭的な人間だ。帰る港があるから、私は難破船じゃないのだと自分を励ましている。冒険はしても海賊のように人を襲うこともないし、有形無形のお土産はいつも家族のために準備している」

「Saltさんの奥さんが偉いですね」
>「・・・・その通りだ」

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