2010/08/31

サヨナラハチガツ

今日のタイトルはUribossa氏からいただいたメールからのパクリ。あまりにも今の気分にぴったりのコピーだったので・・・

カタカナの無機質な感じは、電報っぽくってかなり切ない。オミゴトです。

特に学校現場で働く人間にとっては、8月31日はセンチメンタルな抒情を誘うのだ。そんなことないかな?エッ!もしかして私だけ?

毎年、最後の日はきっちり休みをとって、ゆっくり夏を振り返っていたような気がしていたが、過去の日記を調べてみると全くそうでななかった。前任校ではこの日に奉仕作業をしていたり、仕事で出張していたり、新学期のための書類を必死に作っていたりと大忙し。娘と一緒にY.B.M氏の工房でカホンを作ったのは5年前だった。そして、去年は妻の目の検診に病院へ。何と曖昧な記憶。「曖昧me 甘いんちゃうん?」

悪い夏ではなかった。久々に家族旅行(ひとり欠けたが)も出来たし、音楽も充実していた。いろいろ妨害要素もあったが、マイペースは貫けた。

今年の夏は暑かったが、ホントに辛いのは残暑の中での運動会の練習だ。しかし、想像しただけでも頭がクラクラするなあ。

いよいよ、明日からセカンド・ステージ。バラバラなリズムでやってくる子どもたちを、自然にひとつの流れにのせるのはひと苦労だ。

写真は、スクリッティ・ポリッティというイギリスのユニットが1985年に発表した名盤「キューピッド&サイケ85」のレコードジャケット。何となく突き放したようなクールな音づくりが、けっこう気に入ってました。久しぶり(15年ぶりくらい)に針を落としてみると非常に新鮮。これは、アメリカでは絶対生まれないオンガクだなあ。今、私がやってる音とはかけ離れてはいるけど・・・

2010/08/29

3人寄れば・・・

約1ヶ月ぶりにMomoちゃん、1日ぶりにSueちゃんと会う。2人を室生に迎えてPruneの練習をした。3人とも家も離れているし、スケジュールもいっぱい。なかなか時間を合わせるのが難しい。おまけに9月になれば、Momoちゃんはニュージーランドに、Sueちゃんは香港に行ってしまう。それなのに、10月11日にライブのオファーを受けてきたSueちゃん。しかも、練習日を忘れて別の予定を入れて京都に出かけていた。夜の7時に合流。何とも大らかでタフな人だ。しかし、3人寄るとやはり面白い。多少無理をしてでも集まって音を出す値打ちがあるなあ。次のライブも面白くなりそうだ。

2010/08/28

リッチな立地




それにしても、今年の夏休みはいろんなところで演奏したなあ。

7月31日は田原本カフェ・アルコ
「Salt&Uribossa/真夏の夜のボサノヴァ」

8月1日は丹波市幼稚園
「prune/チャイルドサマーフェスタ」

8月15日は長岳寺
「Salt/平和の鐘を鳴らそう(怒りの鉄弦)」

そして今日、8月28日大阪某所のマンションの40F
「Salt&Vinegar/フォルクローレ&ボサノヴァ・ナイト」
お客さんは招待された10人のみという個人パーティ。
カイピリーニャにも聴きに来てくれたSueちゃんの友達が企画したお世話になった方へのサプライズイベントなのだ。大阪の一等地にそびえ立つ高級マンションの40Fからはすぐ間近に大阪城も見下ろせる。これは都会嫌いの私さえかなりリッチな気分にさせる驚きの立地である。


「○○と煙は・・・・」と言うくらいなので、高いところは嫌いじゃないのだ。NYでは、エンパイアステートビルにも倒壊前のWTCにも上ったことがある。
・・・・と言うわけで、Sueちゃんも私もとてもいい気分で演奏できた。実際は夜景に背を向けて演奏しているのだが、それでも十分に堪能させてもらった。
皆さんにも非常に喜んでいただいたようで、「また是非」とのお声もかかった。40Fまで機材を運ぶのは大変だが、このロケーションの為ならまたやろうかという気にもなる。

2010/08/26

Saltの友情論

ネット上のHNからのお付き合いから始まっても、リアルに肩を抱き合える友人に成り得るという、人間嫌いで付き合いの悪い私にとっては、ほとんど想定外のあり得ない出来事をここ数年の間に経験している。

妻曰く「あなたは無愛想で非常に印象が悪い」そうだが、全くそのとおりなので否定はしない。あえてそうしているわけではないが、「テキトーに話を合わせるような友人なんていらない」という気持ちが根底にあって、そういう佇まいになっているのは間違いない。だが、「無愛想で印象が悪い」私には、実際にはかなりの多くの友人がいるというのも事実。

私が友人と呼べるのは、共有出来る何かがあり、様々な刺激があり、楽しいGive&Takeがあり、共に過ごす時間の中で新しく生まれるものがあるような関係のことである。

接触する時間が長かったり、ことばを交わしたりする場面が多かったりして、相手が親しみを感じてくれていても、私は全く友人だと思っていないこともある。逆も然りで、私が友人と見なされないことも多かろう。そういう人の目に映る私には、何一つ共有するものもなくただ違和感に満ち満ちているのだろうと想像できる。

と言うわけで、残念ながら教育現場には知人は多くても友人が少ない。キリスト教会にはもっと少ない。

2010/08/25

私の十字架

2学期の為の職員会議があり、ぎっしり詰まった予定を確認し、一つ一つの行事の細かい案を検討する。

私は人と相談するのも、計画どおりに行動するのも得意ではない。共通理解とか言うのも苦手で、組織にはすこぶる不向きの人間である。「何で私がここにいるのか」といつでも思う。・・・・などと言っても始まらないので、取りあえず協力せざるを得ない。

意外性のある独自の視点や創造的で奔放な表現など、学校では全く必要とされていない。物事をスムーズに進行させるためには「何も考えないこと」が一番有効だったりするのだ。

そんなことは自分が子どもの頃から知り抜いた上で、あえて教員になったのだから、現場の改革に無駄に力を注ぐ気持ちもなければ、今さら深く失望するわけでもない。

ただ嫌なものは、未だに好きにはなれず、20年経ったからといっても、私の感受性と思考パターンでは「環境に慣れる」ということはあり得ない。「私」という生き物にとっては、最高に居心地の悪い学校という職場で、何とか生き延びる為には、学校不適応な生来の「私」が死んでしまわなければ、教室には居られない。給料をもらうためとはいえ、子ども嫌いの私は、子どもの前で作り笑顔が出来るほど器用ではない。

教員としての私は「新創造された私」でなければならない。だから、私は日々「十字架で死ぬ」必要がある。それが不信仰に私に与えられた神の方法であった。目の前にいる子どもたちにふさわしい教員となる為に、日々新しく創造されることによって、何とか一定の信仰の純度が保たれてきたのだと思う。

2010/08/24

学び合う集団を育てる

私の学校では、学び合う集団づくりの為の授業研究を続けている。今日は2人の先生の授業のVTRを見ながら、子どもの学びがどこでどう繋がり、又、途切れたのかを1日かけて丁寧に検証していった。

一例を挙げると、発達障害のあるA君は授業の導入部では教師の指導を受けて課題に手をつけたものの、すぐに椅子をひきずりながら自分の机を離れ、大きな物音を立て始める。周囲の子どもたちも、何とか授業を続けるが集中力は途切れてしまい、A君も再び学びに戻って来る気配はない。

こういう場面を見せられると、どんなクラスにもいそうなB君、C君の「こんなとき、どうする?」的な話になりそうだが、発達障害の子どもの不適応な問題行動を「集団の質を表現しているのだ」ととらえ、周囲の子どもたちとA君との関わり方や、A君の「わからない」という困り感を生かす授業デザインを作るにはどうすればいいのかを追及していく。

VTRを巻き戻してA君の動きを細かく追っていくと、彼の不安や不満が身体表現として表出する理由やきっかけが教師の授業行為の中にあることが見えてくる。

勿論、A君は発達障害のゆえに、問題行動を起こすのであるが、問題行動を誘発する条件は教師が提供していることが明らかになる。これは見落とされがちな重要な気づきである。

「特別支援というと、発達障害のある子どもが普通学級の中で少しでも単元の課題に近づけるように個別のサポートすることばかりが語られるが、「子どもどうしのつながり」や「集団のあり方の問題」としてとらえることがいかに大切かを痛感する次第である。

昨日、見学した「あおはにの家」なんて、本当はない方が良い施設なのだ。社会的弱者を排除し、切り捨てる価値観に私は決して賛同しない。

2010/08/23

第2回育ちと学びの支援研修会


神戸市で通級学級を担当する4名が奈良「あおはに会」にやって来た。これは、銀じ氏の企画による「育ちと学びの支援研修会」の第2弾として実施されたもの。やるなあ、銀じ郎!

まず生活支援スタッフのI氏からあおはに会の理念や事業内容について説明をしてもらう。I氏はこの3月までハーブクラブで10年間店長をされた方で私も個人的に親しくしてもらっている。 I氏のゆったりとした中にも熱意が感じられる口調は非常に説得力もあり、話を聞きながら、この10年間のいろんなことを思い出していた。

ハーブクラブで食事をした後は、元F1レーサーの片山右京氏が彼自身のことばであおはに会の魅力を紹介するDVDを試聴。それから、実際に施設を見学しながら、作業中の利用者の方々と出会う。

参加された方々は、さすが銀治郎氏に誘われて奈良の山奥までノコノコやって来るだけあって(褒めてるんですよ)なかなか個性的な方ばかり。熱心に話を聞き、見学してくださったので嬉しかった。

後で感想を聞いてみると、スタッフや利用者の明るさと楽しさ、そして、自然な感じに好感を持ってくださったようだ。私も改めて客観的な目線で事業内容を見つめることが出来て新しい気づきもあった。

2学期からそれぞれに今日感じたことを糧として、将来の自立から逆算した「子どもたちの今」をサポートしてくださることと期待している。

カナン教会・9月の予定

8月最後の週は「家庭礼拝」となっており、天理での集まりはありません。

そこで、ちょっこし早めの9月の予定です。

事情により変更がある場合はお知らせします。

昨年もメッセージをしてくれたイギリスのペニーさんが、9月かあるいは10月に再び来日される可能性があります。

5日 メッセージ「はじめにことばありき」(ひねくれ者のための聖書講座⑲)
12日 分かち合い・聖餐式
19日 家庭礼拝
26日 メッセージ「逃れの町」(約束の地カナン⑨)

9月は私も相当忙しくなるはずですが、いつものペースで淡々とやります。午後の2時頃からスタートです。

気軽にお越しください。

2010/08/22

かめさん




ぼくは かめさん きみも かめさん みんな かめさん

りくにすむかめ うみにすむかめ かわにすむかめ いけにすむかめ  


                     Salt&Uribossa「かめさん」より



写真は「水族館に住むかめ」だが、泳いでいるフォルムがかっこよかったのでパチリ。

関西ではスケールの大きいお年寄りは、多少のことは「かめへん、かめへん」と言う。それは「歯が悪くてしっかり咀嚼できない」という意味ではなくて、「気にしない、気にしない」という意味だ。

世界中に棲息するかめのデザインや習性を調べているだけでも、造物主のセンスに驚かさせる。

「かめさん」は、かめへの愛着と造物主への賛美と私の人権感覚を表現したもの。

振り返れば、私は似たようなテーマの歌をもうひとつ作っている。今も幼稚園児や小学生に局地的ブームとなっている幻の曲「じゃがいも」だ。



ぼくのあたまは じゃがいも きみのあたまも じゃがいも 
つちをかぶった じゃがいも いつかめがでる じゃがいも

ぼくのあたまは じゃがいも きみのあたまも じゃがいも 
みんなあつまれ じゃがいも かたちいろいろ じゃがいも

じゃが じゃが じゃが じゃが じゃがいも
じゃが じゃが じゃが じゃが じゃがいも
じゃが じゃが じゃが じゃが じゃがいも

げんきもりもり  じゃがいも
えいようまんてん じゃがいも 
じゃがいも          

            Salt&Uribossa「じゃがいも」より

2010/08/21

地引き網

マタイ13章には天の御国に関する7つのたとえがある。
① 3~9「種まきのたとえ」
② 24~30「毒麦のたとえ」
③ 31~32「からし種のたとえ」
④ 33「パン種のたとえ」
⑤ 44「畑に隠された宝のたとえ」
⑥ 45~46「真珠商人のたとえ」
⑦ 47~50「地引き網のたとえ」

その7つのたとえを締めくくるように「倉のたとえ」が語られ、イエスが郷里で「大工のせがれではないか」と侮られ軽んじられる記事が出て来る。

一つひとつのたとえについて、ここで細かく解説はしないが、ごく簡単にまとめると、この7つのたとえが語るひとつのメッセージは次のようなかたちでまとめられよう。

「多くの人は天の御国の本質を見きわめることが出来ない。しかし、その価値を認めて天の御国のために全てを捨てる人もいる。不自然な力で巨大化したその地上の教会には、毒をもったものや役にたたないものが混じっている。一人ひとりの信仰の真贋が明らかになるのは後のことである」

今回の脱力クラゲの旅では面白がって地引き網体験をした。当然、私のからだは自動的にこのたとえを思い出すようになっているので、いろいろ考えさせられたわけだ。

イエスは当時のガリラヤの庶民がその仕事や普段の当たり前の暮らしの中で見聞きしていることを題材に、とてもわかりやすいたとえを様々な角度から語られたが、別に地引き網なんぞ引っぱらなくても、今日も明日もそこかしこに天の御国の秘密は隠されているというわけだ。

海水浴場にもなっている遠浅の浜にわずかに広げた網だが、けっこういろんな数と種類の魚がかかっていたので驚いた。

ネットに引っかかってくる魚にも「いろ~んなの」がいて当然だ。

2010/08/20

何という暑さザンショ!

           残暑お見舞い申し上げます。

毎日暑い日が続いております。私は海の近くでゆっくりしながらちょっと美味しいものを食しておりました。一泊二日でしたが近場だったのでのんびり出来ました。写真は私が水族館で撮影したものですが、クラゲは本当に力が抜けていて涼し気でイイ感じです。

みなさん、じっとしていても暑いので、あんまり張り切らないようにしましょう。無理をすると他人に攻撃的になります。熱中症対策には、水と塩分を採ることが不可欠です。

2010/08/18

大阪の中の沖縄

37度を越える酷暑の中、大阪市大正区のフィールドワーク。一日かけてご案内してくださったのは関西沖縄文庫の金城馨氏。

大正は区民の4分の1が沖縄出身だが、その背景には沖縄の人たちが肩を寄せ合ってコミュニティーを形成せざるを得なかった差別の歴史があった。 金城氏は沖縄2世。他の府県の出身者が他の地方に移り住んだからと言って、奈良2世とか京都3世などとは言わない。


琉球の歴史を日本史の中に正しく相対化する作業は戦後65年行われてはいない。 今年2010年は、朝鮮戦争60年、安保改定50年、コザ暴動40年にあたる。戦後初の政権交代によって、 戦後の歴史を縛って来た鎖を解放するチャンスも皆無ではなかったが、鳩氏の説く「友愛」は、自己保身と奴隷根性を包む美辞麗句に過ぎないことが明らかになっただけ。

金城氏のことばは哲学的で多くの点で共感できた。

「未来を語るには過去を整理する必要がある」「正義を掲げると間違いを犯す」「人間は間違いに気づいてそれを正すことしか出来ないし、それさえも本当に正しいかどうかはわからない 」「正義は人を傷つける」「正しいことを語り合うと相手を否定するだけ」「正義をより強い力の正義が押しつぶすのが戦争だ」「マジョリティーがマイノリティーに理解をしめすことには暴力性があり、マイノリティーがマジョリティーに理解を求めるためには迎合と同調を重ねることになる」 「正しいことを語りたがる人の話なんかマトモに聴くに値しない」

2010/08/15

茶色い戦争ありました

天理ユネスコ協会が主催する平和のコンサートにお招きいただいて演奏して来た。 今年で4回目である。毎年8月15日の終戦記念日に行われるのだが、振り返ってみれば一度も雨は降っていない。

去年はmomoちゃんと一緒にOZ-Mayで演奏したっけ。そして、そのまま、大宇陀のお祭りに出演された野田さんのグループの演奏を聴きに行ったなあ・・・・・。

さらにその前の年は、このライブを終えてから大急ぎでLukeさんとエシュコルさんを室生まで迎えに戻って、針でKoji君やemiさん、Dr.Kさんやリチャードさんと合流して、ハーブクラブでランチしてから、さらに工房でコンサートをやったなあ・・・・・。

そうそう一番最初の年には、もう社会人になった教え子の女の子たちが来てくれて、彼女たちも一緒に打ち上げにも参加してくれたなあ・・・・・・。

「来年もよろしくお願いします」と言われて4年続いてきたのだが、今日は「これからもずっと頼みましたで」に変わった。

そんな先のことまでわからないが、演奏する方としては、続けてお声がかかるというのは、決して悪いことではない。




サーカス  中原中也『山羊の歌』より


幾時代かがありまして
茶色い戦争がありました

幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
今夜此処でのひと盛り
今夜此処でのひと盛り

サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(さか)さに手を垂れて
汚れた木綿の屋根のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
安値(やす)いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外(やがい)は真ッ暗 暗(くら)の暗(くら)
夜は劫々(こうこう)と更けまする
落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

2010/08/14

平和の鐘を鳴らそう 

「平和の鐘を鳴らそう」 天理ユネスコ協会主催

8月15日 午前11時~ 
Saltによるアコースティック・ライブ 「怒りの鉄弦」
場所 長岳寺 (天理市柳本町)

平和への願いや現状への怒りを込めて、久しぶりにソロでスチール弦のギターをかき鳴らしつつ歌います。中原中也や金子みすずの詩に曲をつけたものや沖縄の歌を中心に演奏する予定です。

http://www.chogakuji.or.jp/ 【長岳寺】

終戦記念日を前に

敗戦によって精神的支柱を失った日本人は、国を挙げて過去の歴史の全否定を行い、GHQが敷いたレールの上をひた走り、その徹底ぶりと勤勉さのゆえに諸国が驚くほどの脅威の発展と回復を成し遂げはした。しかし、それがいかに虚しくくだらないことであったか、65年経った今、さすがに多くの国民は気づき始めている。

高度成長時代に生を受けた私は、「今をがまんすれば明日はきっとよくなる」という冗談みたいな神話を叩き込まれて育ったが、幸い私はひねくれていたので、そんなくだらない嘘は十五で見破った。

誰かが描いた絵の中のピースになるのは御免だ。予定調和的な言動をして同調してたまるか。墨を塗られた教科書より、初めから墨を塗る必要もない教科書なんて、もっと怪しいと思った。

受験戦争の規律を守って従軍するなんて、ゼロ戦や回転に乗って敵につっこむほどアホらしいことだと思った。

高学歴にも優良企業にも興味がなかった。そんなもんに飛びつくのは、ジープからまかれるチョコレートを我先にと欲しがるガキじゃねえか。

何もかもが嘘っぽかった。

「モダンタイムス」や「独裁者」なんていう映画を撮ったチャップリンや、「人類に進歩も調和もない」と言ってテーマとは正反対のオブジェを建てた岡本太郎や、「イマジン」を歌って子育てのために引きこもったジョン・レノンは、他の連中より、ちょっとだけ本当に近いことを求めているんだと思った。アートの中には自分が正直になれる居場所があると感じていた。

表現を突き詰めることは私の人生の大きなテーマとなったが、「信仰」は表現の必要感と質を一変させた。

私はこともあろうに、激しく忌み嫌った「学校」という現場に置かれるという予想だにしない展開を受け入れ実に25年。無作為にサンプリングされた母集団としての子どもたちやその家族と出会うことになる。

この現場での数々の出逢いが、私の価値観を整理し、感受性を研磨することとなる。自分の表現世界にひきこもっていては得られなかった生きた情報を得ることが出来た。

戦争を知らない子どもたちは、もっと深刻な敗戦のダメージの中で育ったのだ。「平和ボケ」ということばがあるが、自分たちが享受しているものが、何なのかわからず、やりたいことが何もない・・・・なんていう若者の現実は、確かに、朝飯食ったかどうか忘れて徘徊するボケ老人と変わらない。

今、子どもたちは、かつてどの世代もが経験したことのない不安と絶望の時代を生きている。

援助交際をするのは目先のお金が欲しいからではなく、フリーターになるのは将来の夢を追っているからではない。もっと大切なものを彼らは既に失っており、その替わりを得る希望もほとんどないのである。

私はかつて、左寄りの人が多い職場で職員旅行の担当をしたとき、指宿温泉へ連れて行った。知覧の特効記念館に立ち寄る為である。10代の兵士たちは、歪んだ軍国主義教育と戦時下の様々な制限の中で、両親への感謝と家族への思いにあふれる遺書を残している。

「教え子を再び戦場へ送るな」という教職員の合い言葉は表面上間違ってはいない。それは「二度と過ちを繰り返しませんから」という原爆慰霊碑の主語なしの呪文と似ている。戦後民主主義教育は、戦場では役に立ちそうもないわがまま勝手で根性のない子どもを育てる仕事を請け負って来たに過ぎないのではないか・・・私はそんなメッセージを同僚たちに投げかけたかった。

ろくに挨拶も出来ず、不誠実で義務をはたさず、口いっぱいに自己主張ばかりする子どもたち、大半の子どもは、戦場に出ても任務に堪えることなど出来まい。どんな反対意見も押しつぶす子どもの現実を軽く見てはいけない。こんな子どもを育てたのは、戦後生まれの頭の悪い大人たちである。

直接戦争を体験した世代は、もうすぐ誰もいなくなる。今の世代が次の世代のために受け継ぐバトンの重さが大切だ。

どんな時代のどんな場面でも、人の心の自由は守られている。何を動機とし、何を見つめているか。それが問われる気がする。

2010/08/13

まな板の上の恋

人間ドックに行ってきた。CTの機械に入れられる様子がパンに挟まれるソーセージを連想させるので、そう呼んでいるわけではない。ドック(dock)は船を修理・点検する施設のこと。人間ドッグ(dog)ではない。

思えば半世紀近くにもなる人生の航海でずいぶん私の船もポンコツになってきたものだ。とはいえ、まだまだ渡るべき海はたくさん残っている。このまま難破船になったり、むやみに沈没するわけにはいかない。

今年は妻と一緒に行くことが出来たので、何か夫婦の記念イベントのようでちょっと楽しかった。今回利用したグランソール奈良は、リゾートホテルのようなつくりであまり病院っぽくないのがいい。検査後の食事もまあまあ良く、食後のドリンクもコーヒーの他にハーブティ―を選べる。エルダーフラワーをチョイスした。

とはいえ、人の言いなりになって身を委ねるのが苦手な私。検査着を来て、「まな板の上の鯉」状態で指示通りに動くのがどうも・・・・

人間ドックと言いながら、病む「人間」ではなく、「データ」を集めて読むだけだなあとしみじみ感じる。

扉の向こうでバリウム飲んでいる妻を思いつつ、これまでの航海の道のりを振り返る。そりゃ、船体も凹んだり、帆もところどころ破れたりするわなあ。

「人間」もからだは船と一緒で、点検・修理は必要だ。「霊」だの「魂」だの言わずにとりあえず「からだ」はもう少しいたわらないと。

私は最期の瞬間まで元気に生きますよ。死ぬまで右肩あがりがモットーですから。

http://www.grandsoul.co.jp/ 【グランソール奈良】

2010/08/12

Saltの社会学

学校的価値が学校空間から滲み出し、過剰な影響力を持って社会全体に浸透していることを社会学用語では「学校化社会」と呼ぶ。70年代にアメリカのイヴァン・イリイチが言い始め、日本でも宮台真司や上野千鶴子がよく使っているが、私はいかにも「社会学的な」この表現をあまり好まない。

社会と学校がフラクタルな関係にあることは、私もしばしば述べてはいるが、社会学者が、自分の脳みその中にことばの地図を作るためのつけた記号に、誰もがお付き合いすることはないと思う。

しかし、本来学歴などとは関係のない「芸」を競うはずのフィールドで生きている人たちが、どうでもいいような雑学クイズに答えて「さすが○○大卒芸人」などと言って感心する構造があることに強い嫌悪感を持つ。

「学校化社会とはよく言ったものだ」と言いたくなるのだろう。

「受験戦争」という表現も笑ってしまう。「意欲さえあれば平等に学べるチャンスが与えられていることを、戦争などと表現すべきではない」とも言える。受験を否定するなら、「旧帝国大学」の出身者は、それこそ永久戦犯である。

偏差値身分制の支配する構造の中で、「個性ある人材を」などと言って、毒にも薬もならないようなのっぺりした人格の先生たちが教室の中で語る理想などおとぎ話にもならない。

実際は偏差値で輪切りにされて、それを嘘っぽい綺麗事で覆われてきた子どもたちは、見事に学校的権威を内面化させ、ろくに中身もないのに、一流(と言われる)大学に合格したから自分も一流になったように錯覚するか、「どうせ俺たちは」「所詮私たちなんか」と卑屈になるかに両極化し、その間には8割強の中流馬鹿が烏合の群れを形成することとなる。

インターネットの普及によって、学校はほぼ完全に知識や情報のセンターとしての意味を失った。どこへも行かず、誰とも会わなくても欲しい知識ならPCから得ることが出来る。そうした意味では、これまでとは全く違った時代が来ている。

学校は勝者の既得権益を保持するためにだけ、その不愉快な構造を残しつつ、ますます空洞化していき、社会のストレスを蓄積させながら崩壊を早めるだろう。

すべてをクールに見つめ、尚かつ笑い飛ばせるなら、少しだけ希望が見える。

職業洗濯の自由ハ・ハ・ハ~ン♪

自営業の友人たちと話すことが多い。

彼らの苦労話を聞くと「大変だなあ」と思うが、逆にちょっと羨ましくもある。

友人たちの仕事への熱意や誇りは半端ではない。

正直、私は自分の仕事(教育)にはそこまでの思いはないと告白せざるを得ない。

「自分が自由に使えるまとまった時間」「他者の介入や力によって分断されない時間」を持っていることは、財布にお金があるよりも豊かなことだ。

組織に帰属して労働力を提供することによって代価を得るには、知識や技能だけでなく、「自分の時間を売ること」が含まれていることが多い。

私が県から給料を得られているのは、すぐれた知識や技能を提供しているからではなく、自分の時間を売っているからだ。私の指導内容よりも出勤簿の押印の方が大切なのである。それが公務員の世界である。

逆を言えば、時間さえ売っていれば質を問われない甘い世界でもある。(まあ、実際はそう甘くもないが・・・・)実にくだらない。

自分の知識や技能に見合う代価を求める世界に身を置くことへの憧れはあるが、その対価があまりにも割に合わぬものであることへの苛立ちを感じるのであれば、自分の今の立場は確かに今の自分にふさわしいように思える。

日々の糧を得る手段として、イエスは大工をし、パウロは天幕を作った。この事実は決して軽く見てはいけない。

彼らが選んだ仕事の質や時間について考えるべきである。

また、その反対に職種を問わず、神の学びは全ての人に開かれているという面も忘れてはならない。

イエスに賞賛されたあのローマの百人隊長は、極めて現世的な仕事の中で、神を信じるということに関する霊的な本質をイスラエルの教師たちより豊かに学びとっていた。

どんな仕事をしていても、「自分の納得」が大切だ。その納得は「妥協」ではなく、少しでも「満足」に近いものであるべきだ。

大切なことは優先順位と動機である。短い盆休みだが、ちょっと仕事を見つめ直し、心を洗濯しようと思う。

http://www.youtube.com/watch?v=hBZH6Ozc73I 【1989の懐かCM】

2010/08/11

新屋英子さんにおにぎりもらう

新屋英子さんのひとり芝居「ヒミコ伝説」を観に行く。以前はこの枠の企画責任者だったので、夏休みは4回の大きな講座と部会ごとの集まりとその段取りで大変だったが、一参加者というのは、その時間だけ座っているだけなので全く気が楽。

それでも「元事務局長は3列目より前に座るように」とスタッフに促され、なぜか最前列に。

芝居の中で新屋さんがおにぎりを食べるシーンがあり、最前列に座っていた私は劇の中に招き入れられ、おにぎりをもらった。私もアドリブでお茶をつぎ返したりしてそれに応じた。「ヒゲの兄ちゃん」とか言っていじられてしまった。

私の隣では、いつも「アースデーならsouth」で一緒に司会進行をお手伝いしていただいている酒井ひとみさんがおられ、私が芝居に巻き込まれたのに大いにウケていた。彼女は新屋英子さんに憧れ、長年の夢であったひとり芝居をついに今月22日に橿原で上演されることになっている。 それで、新屋さんへのご挨拶も兼ねて今日は観に来られたのだ。

それにしても、81歳とは思えないエネルギッシュな演技であった。

若い保育士などもけっこう来ていたので、時代を共有していない世代にとっては、正直共感しにくい部分もあったと思うが、ひとつの時代の「生き証人」としていつまでもお元気で活躍して欲しい。

【新屋英子さんプロフィール】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B1%8B%E8%8B%B1%E5%AD%90
http://homepage3.nifty.com/nobinokai/



ひとり芝居 矢車草 酒井ひとみ 
8月22日(日)開場13時 開演13時30分  
会場 奈良県社会福祉総合センター大ホール(近鉄畝傍御料前東出口スグ)
参加費 500円 上演協力 劇団ひーとびーと

2010/08/10

Musica

慣れない主夫疲れか、イマイチ体調がすぐれず・・・・・うまいことに、今日は久々に仕事はオフ。

ギターとピアノに向かって、いろいろアイデアを練っているうちに元気回復。

月末のSalt&Viegarのライブに向けて、Sueちゃんのために1曲作った。タイトルはMusicaとした。シンプルにオンガクを喜ぶ内容だ。来るべき世界で私はどんな歌を歌っているのだろうか・・・・

一方では9月のリコーダー講座のテキストづくりも進める。受講者のニーズもレベルが高くなってきたので、毎回、新鮮かつ美味しいものを準備するのは大変だが、私も勉強になる。

やっぱりたまに休みがあると全然違うなあ。

2010/08/08

にわか主夫

わが家の女子ふたりは、ただいま電気屋さんのところでお世話になっている。娘の用事に妻が付き添って伊那へ行ったのだが、戸隠まで足を伸ばして、さらに羽まで伸ばしているご様子が送られて来た。しかし、なかなかいい写真だ。

「戸隠はいいですね~というか、この家とここがいいです」というメールが妻から送られて来た。さらに文末には、一泊のはずがさらにもう一泊すると書かれているではないか。 おいおい。

妻も娘も家のことはいつもよくやってくれているので、たまには、ごゆっくりどうぞ。おふたりが不在の時くらいは、料理くらい作りますよ。私だって・・・・・。というわけで、親よりデカクなった腹ぺこたちにちゃんとおいしいものを食べさせました。

さて、晩ご飯のメニューは、薩摩モチ豚の生姜焼き、もやしのターメリックソテー、トマト素麺。「トマト素麺」というのは、Uribossa氏に教えてもらたったのだが、つゆにトマトをすり下ろすと、これが実にサマーでサワー。ちょうど庭で収穫したばかりのトマトを贅沢にすり下ろして「つるるん」っと。これがやりたくて、わざわざ教会の帰りに特級品の三輪素麺を買って来たのだ。

電気屋さん、ありがとうございます。

2010/08/07

愛のリコーダー

 昨年に引き続いて神戸での「出張リコーダー講座」を頼まれていたのだが、日程調整がうまくいかず今年はキャンセルとなったので、ちょっと残念に思っていた。 しかし、今日は、銀じ郎氏が神戸から同僚のN氏を伴って参加してくれたのでちょっと嬉しかった。
 前回、小グループで演奏の仕方を工夫してそれを発表して聴き合うワークを試してみたが、それがけっこううまくいったので、今回もやってみた。
 
 1人で吹くのと、2人で吹くのと、3人で吹くのと、5人で吹くのは全然違う。そして、一人ひとりが曲の特徴をとらえて、自由に表現の仕方を考えることは、指揮者の指示で音楽を作る楽しさとは異なっている。

今日は、リズム(律動)とビート(拍)のおさらいと、サウンド(音)とメロディ(旋律)のお話。コード(和音)やハーモニー(和声)にまで話は及ばなかったが、細かく詳しく話せば、いくらでも話は膨らむ。

概論が終われば、もう少しマニアックな話もしてみたい。

今回、新しく準備した楽曲は4曲。既習曲4曲と含め、2時間8曲を演奏。曲の間にレクチャーを挟むのでいつもながら、盛りだくさん。初参加のN氏も「こんなにいっぱい演奏するとは思わなかった。シャワーみたいに音楽を浴びられた」と感想を述べてくれた。

新曲のうち2曲は練習用だが、もう2曲はまずまず完成度も高いので、またフルーティ菅野くんやSueちゃんにも吹いてもらいたいところだ。

野田さん&赤星さんの再登場も待たれるところだが・・・

今日は終盤にバイクに乗ってY.B.M氏が現れた。

毎回いろんな人たちが入れ替わり立ち替わり現れるのが、この講座の面白いところ。

宇陀市在住で、某中学教頭となられたサックス奏者が来るのもいいかも知れない。今度声かけてみよっと。

2010/08/06

三線でハイサイ

私の学校では毎年8月6日は、平和のための集会を持つ。

体育館で全校の集まりを持ってから、それぞれ希望のコースに分かれてワークショップを行った。

絵手紙を描いたり、戦争体験を聴いたり、チヂミを作ったり・・・

私は、三線のコーナーを担当。沖縄の歴史と音楽について簡単に解説してから練習した。私が君たちの頃には、沖縄に行くのにパスポートが必要だったと話すと、驚いていた。

いきなり曲を弾けるようになるのは難しいので、初めて三線に触る子たちのためにテキストも作っておいた。

おかげで、参加した子どもたちも興味津々!

「楽しかった」「もっとやりたい」

子どもたちから、こういう声が返ってきたら大成功だ。

2010/08/05

「休み」なのに休んでいない

毎日、半分遊んでいるようなダイアリーだが、実はそれも全部仕事だったりする。

ところで、夏休みに入ってから休んだのはたった1日だけ。

昨日は、午前中は教育相談。午後は研修講座。
今日は、午前は作業所訪問。午後は平和集会の準備。
でも、そんなことを自慢しているわけではない。

私も教員に研修させるプログラムを担当していた時期もあり、自分自身も各種研修の講師として招かれることもあるので、「どうでもいい内容ばかりだ」とは言いにくいが、どんな研修も「各自が自由に休むこと」より高い価値があるわけではない。他人にあてがわれた目標に何の疑問も感じずに邁進出来るのは、頭が悪い証拠だとしか思えない。

私は、子どもも教師も「休みは休むべきだ」と思う。約束は「9月にまた会おう」で、宿題も研修も何ひとつなしで、いっさいの義務を負わせないのが一番いいと思う。

各自が好きなように過ごせばいいのだ。それで自堕落になる奴はとことん自堕落になればいい。それもまた大事な選択だ。真面目がエライなんて誰が決めた?

想像力や創造力が乏しいと、とにかく何かやることがあることが重要になる。誰かに申し訳を立てるように無駄に時間をつぶし、意味のない書類を積み上げる。

どんなくだらないシステムも私の心の自由までは縛れはしない。私は何をやっていても密かに愉しむ術を心得ている。さて、明日は全校登校日だがどうやって遊ぼうか?

2010/08/03

暑中お見舞い申し上げます



ランニングコースの終点と決めているポイントから、

少し奧に入ると木々に囲まれた涼し気な渓流が流れる。

上を見上げると織りなす緑の奧に青空が見える。

太陽の光が透けた葉っぱの緑が本当に美しい。

眩しい真夏の光にきらめく水面に足をつけて、しばしの涼を味わう。


2010/08/02

週末は笛を吹こう!

8月7日(土)14:00~16:00
Saltの「楽しいリコーダー・アンサンブル」


場  所 室生ぬく森の郷 学びの部屋にて(宇陀市室生区)
参加費 1500円 

なお、当施設では300円で入浴できます。
今回はリズムについてのおさらいと新しいトピックでレクチャーします。

フルートの貴公子K君は現れるのか?

http://www.city.uda.nara.jp/nukumorinosato/index.html
(室生ぬく森の郷HP)

再び洋画教室へ

                                                                                          再び洋画教室へ。

今日は美術専科の為の講座である。大阪、和歌山からも中学・高校の美術の先生たちが来られていた。

例年になく自己紹介から始まり、最後には作品の前に立って喋るという場面もあった。


小学校の教員で、しかも図工・美術に関わってさえいないのは私だけ。和歌山から来られた先生たちは、自分たちでモデルを雇って毎月描いていると言う。

私以外の参加者は高校でも美術を専攻し美大や芸大でも学んで来た人たちだ。

高校でも音楽を選択した私は、よく考えれば美術は義務教育しか受けていないではないか。

そんなわけで、わかりっきったようなセオリーも、何となく身につけて来ただけで、かたちの取り方や色の配合も、そう言えば誰からも一度も習った記憶がない。 よく考えたら音楽だって誰に習ったわけでもないなあ。Artなんて人に習うもんじゃない。

                   
金曜日にちょっと感覚を取り戻せたので、今日は思ったよりも手が動いた。

1枚をじっくり描き込む人が多かったが、私は欲張って、午前と午後、別の角度から2枚描いて透明水彩で薄く着色した。これを1週間続けたら、ちょっとマシな絵が描けそうな気がする。

2010/08/01

チャイルド・サマー・フェスタ

数年前に校区の幼稚園の卒園式の歌を作らせていただいたのだが、今年は夏祭り「チャイルド・サマー・フェスタ」に招かれた。学校への講師依頼が来たので、お仕事しての出張である。

今回はPruneのメンバーで行かせてもらうことにした。グランドピアノが使えるということで、Momoちゃんもハイテンション。フロントにはSueちゃんに立ってもらい、リードしてもらった。私は歌わず語らず、黙々とギターを弾いて、ジャンベを叩いた。

小さな子どもたちを相手に演奏するのは久しぶりだ。卒園式に歌うチャイルド・チェーンだけでなく、ジャガイモもよく歌ってくれているということなので、チャイルド・チェーンはMomoちゃんに、ジャガイモはSueちゃんにリードしてもらって子どもたちにも歌ってもらった。

幼児向けの歌も、一度きちんとテキスト化しようかな・・・・