2009/11/30

マ・カ・ナ

Makaniは、Salt&Uribossaのナンバーだが、マ・カ・ナは、私の旧い友人で、BBSにも味のある書き込みをしてくれていた硬派銀治郎くんのblogのタイトル。

主に、彼の専門である発達障害児の療育や相談と信仰を絡めての発信になると思うが、最近メキメキ腕を上げているというデジカメ写真も楽しみである。

興味のある方は下記アドレスへ

http://makana20091105.blogspot.com/ 

単語がわからんタンゴ

友人の箱屋八代目が企画に加わったクアトロ・ビエントスのタンゴを聴きに行った。6時9分に仕事を切り上げ、大和川沿いを突っ走って6時32分に「いかるがホール」到着。5分遅れの35分開演にギリギリ間に合い、たっぷり2時間音楽に浸る。

なかなかしっとりした演奏だが、私はスペイン語は全くわからないので、やや欲求不満。いくら日本語で解説があっても、まさにラテンな歌詞世界は、ちょっと宙に浮いた感じで、アルゼンチン酒場風に演出されたステージも、何やら太秦映画村風で、どこか滑稽さの漂うものに思えた。

ボサノヴァをポルトガル語で延々やり続けても、馴染みの無い人には同じような印象を与えるに違いない。

この道で感動を誘うには、圧倒的な実力がないと無理だ。そんな実力のある日本人などいるわけもなく、ボサノヴァでは小野リサが限界だ。

そもそも日本人が、母国語でないことばで、本当に繊細な表現が出来るのかという問いについては、私は否定的だ。かつては、自分のサウンドを表現するには英語でないと不可能だと思った時期もあった。しかし、様々な葛藤を経て、今は日本語での表現に落ち着いている。

発信側に問題はなくても、受信側の問題がある。だからこそ、共通のことばで伝えること、わかりやすさ、聞きやすさが大事なのだ。自分のことばであるより、相手のことばであることを大切にしないと何も伝わらない。

神のことばが人になられたのは、「伝える」ためである。だから私も、たとえ「アホ」と思われようと、わかりやすい日本語で歌い続けることにこだわっていたい。

それぞれの世

Dr.Luke曰く
「ヨハネ書簡を読めば明らかだが、『世を愛する者は神を愛していない』とあるとおり、世は神への愛と対立するモノ。この命題の対偶を取れば、『神を愛する者は世を愛していない』となる。よって自分のうちには神への愛があるだろうか?と問えばよいのだ。つまりそれぞれにとっての世とは、神の愛を無にするものであって、一律にこれは世のもの、あれは霊のものとカタログを作るものではない」

  
   †     †     †     †     †     †     †     †   


私も全くそのとおりだと思う。こういうカタログを作って他人に押しつけたがる人達は、本当につまらない人種だ。本当の問題は、世に触れることにあるのではなく、ちょっと世に触れたぐらいで、イエスへの思いが揺らぐほどイエスという御方を知らないことにあるのだ。世が魅力的なのではなく、イエスの魅力を全く知らないだけの話ではないか。実にくだらない。

私はイエスと出会うまで、この世の一切に辟易としていた。私が世に意味を見いだせるようになったのは、それがすべて「キリストの影」であるとわかったからだ。そのおかげで、私は生きる力を得て、食事も、散歩も、昼寝も、日常のあらゆることが楽しみに変わったわけだ。

「キリストにはかえられません」という賛美歌があるが、私は「当たり前やんけ!」としか思わない。なんでわざわざ「世の楽しみよ去れ、宝よ行け」と決意表明みたいに歌う必要があるのかわけがわからない。この世とキリストを同じ天秤にかける発想がそもそも貧困である。「団結がんばろう」みたいな賛美は、私の趣味ではない。

私はキリストの影を慕いつつ、日常の徒然を好きに歌っていたい。

2009/11/29

吉野での家庭集会

ムベさんがお住まいの吉野で家庭集会を持つ。

数年前から不定期で始まったこの吉野での小さな交わりは、ムベさんの30年以上にもわたる地道な証と祈りが結実したものである。

教会の有り様というのは、このように多様で自由であるべきで、行事予定や建物や形式に支配される必要は全くない。

2~3人が適当に集まって教会を宣言すればいいと言うのではないが、建物や団体がないと信仰が保証されないということはない。

カナン教会の教会堂は自前の建物ではない。実は賃貸契約もあと3年で終わるのだが、これがカナン教会にとっても間違いなくひとつの転機になるはずである。

どうなるかはまだわからないが、最近は建物の無駄を感じている。もちろん拠点としての良さもあるが、「私の動き」としてはけっこう足かせになっている部分もなくはない。

教会での実際の集まりよりも、インターネットを通して出来上がった繋がりの方が強く深いという逆転現象がおこっているのも、嬉しいような嬉しくないような妙な感じである。

そんなインターネットを通しての交わりのあり方については、おそらく常に個人への問いかけはあるはずだ。「情報のイイとこ取り」だけでは、信仰は健全には育たない。個々人が「主の前のひとり」として、もう少しきちんと己の有り様を問われ、十字架に恥じることのないまともな応答をすべきである。各地のリアルな交わりこそが核になるべきであるし、そのようにシフトしていくことだろう。

また、交通も通信も遥かに不便だったパウロの時代でさえ、もっともっと豊かな交流が盛んに行われていたのである。教団や教会という囲いの中に「いのち」を隔離し幽閉しようとするサタンの企てを打ち破って、実際にもっと動き、出会うことが必要だと感じている。

2009/11/28

アルコライブ!

アルコでのライブを終えて帰ってきた。このライブ後の気怠い充実感がいつもながら何ともいえない。反省点はいろいろあるが、とっても楽しいLiveだった。

実は昨日の夜は、頭痛と肩こりでメッチャクチャしんどくて、ほぼ何も出来ずにダウン。うどん旅行明けの仕事が、質、量ともにかなりキツくて、知らず知らず悪いストレスをため込んできたのだ。倒れるまで疲れていることに気づかないアホさ加減にあきれつつ、「仕事のせいじゃなくて遊びすぎやろ!」と自分にツッコミを入れつつ爆睡。

一夜明けて元気回復。ホントによく寝たので、今日はまずまずのコンディションで演奏にのぞめた。しっかり体調管理できない私だが、いつも神様の憐れみによって本番は何とかかたちになっている。

1部と2部はタイトルナンバー「風のメロジア」をのぞいて全部違う内容にした。アンコールでは新曲にパーカッションも加わって、さらに右肩上がりな姿を見てもらえたし、2部にはウクレレ名人の飛び入り演奏もあり、かなり盛りだくさんな内容になった。

今日はちょっと真面目すぎたので、来月のNZではもう少しふざけよう。

2009/11/25

末端

ニュースで、文科省関連の予算に関する仕分けの様子が報道されていた。

教員の雑務が多すぎることを問題視して、「文科省からの書類をもっと減らすことが、教員の人数を増やすより大事だ」ということを仕分け人のひとりである元校長の藤原氏が語っていた。それに対し文科省役人は軽くこう言い放った。「その努力はしている。末端にまで伝わっていないかも知れないが・・・」

私はこの「末端」ということばに反応した。その無神経な表現に強い憤りを覚えた。教育の最前線を「末端」と呼ぶ傲慢さに文科省の体質を見る。

私は彼が言う教育の「末端」にいるわけだが、正しくはそこを「教育現場」と言うのだ。

2009/11/24

憂哀

税収が少ないので、民主党がマニュフェストを文字通り実行するのはまず無理である。たとえ、資金が潤沢にあったとしても、「子ども手当」だの、「高速道路無料化」だの、人気取りのバラマキ効果などたかが知れている。そもそもいくら気前が良いふりをしても、もともとそれは国民の金ではないか。

鳩山さんは、学級費を使って買ったお菓子を子どもに配って、理念の浅はかさや指導力の欠如をごまかそうとする小学校の先生のようなものだ。どう考えても、学級費は「もっと別の意義のあること」に使うべきである。

よく教室に掲げてある歯の浮くような目標は、教室から一歩出れば全く役に立たないのが普通だが、鳩山さんの頭の中にあることは、もっと馬鹿馬鹿しい。口に出した瞬間にボロボロ崩れるほど脆弱で芯がない。世の中は教室よりも少しは複雑に出来ているはずだが、鳩山さんなら、小学校でも学級崩壊させそうだ。学歴があっても、ことば数が多くても、子どもの現実や背景に関心のない人には、子どもは絶対なつかない。

上から目線と言うより、どこを見ているのか怪しい目つきのお坊ちゃまの語る「友愛」なんて、いったい誰が本気で信じているのだろう。

2009/11/23

秋じまい祭

ふるさと元気村「秋じまい祭」に参加。

古くから続いてきた旧室生村田口地域の最大イベントである秋の収穫祭を「ふるさと元気村」で行うようになって3年。私も地元室生中学の吹奏楽部を呼んで来たり、クラフト仲間に声をかけて作品販売してもらったりしてきた。私の工房で喫茶店をやったこともあった。

すばらしい晴天にも恵まれ、いつも静かすぎる山里が大いに賑わう。前日までの旅行もあったので、今年は工房を訪れるお客さんの相手をするだけだったが、関係者とともに雰囲気を共有できたことは嬉しい。

館長の福田さんもスーツ姿で気合いが入っている。挨拶に行くと、「おお、来てくれたんか」と笑顔で迎えてくれた。本当なら、もっと手間暇かけて、いろんなことに参画しなければならないところだが、「行けるときだけ、やれることだけ」という協力のかたちを特別に認めていただいているのは、本当にありがたい。

私のやることなすこと殆どが元気村の規定にないことばかりで、責任者や関係各位の頭を悩ませてきたが、いつも何とか落ち着きどころを見つけることができている。今後はどうなるかわからないが、みなさんが規格外の私の存在やあり方を受け入れてくれる限り、私なりの協力はずっと続けようと思っている。

町村合併による採算重視や効率優先が合理的だという単純な発想で踏みにじられ、失われていくものは計り知れない。こうしたことに無関心になり鈍感になって、「仕方がない」ですませたくはない。

2009/11/22

讃岐うどん紀行

「おいしいうどんを食べたい!」この一念でついに本場讃岐へ。

11月22日は私たち夫婦にとっては22回目の結婚記念日である。10年目ぐらいからは、「記念に旅行にでも出かけたいね」と言いながら、3人の子どもをほったらかしにも出来ず、結局果たせないままにいた。

そんなわけで、今回は初の結婚記念旅行となった。22日は日曜日で23日の祝日と連休になる。ちょうど暦もいい感じで、教会のスケジュールも無理なく合わせることが出来た。(今年は連休絡みの日曜日は家庭での礼拝ということで休みにしている。)これは、実にうまいやり方だ。年中ろくに休みのない私にとっては、月に1度だけでも日曜がフリーになるのは非常にありがたい。何処へも行かずに家族とボーッと過ごしたり、買い物につきあったりということが、時には聖書を開くより大事なこともあるのだ。

さて今回の旅は、1年目のフレッシュカップルKoji & Mayumiと一緒ということで、実に愉快な珍道中であった。2人でまったりも良かったのだが、4人でワイワイはいっそう面白かった。「讃岐うどん」はKoji & Mayumiのカップル誕生に貢献した重要アイテムなのである。この辺りは、もしかしたら、Koji君が自分のブログで取り上げるかも知れないので、こちらでは遠慮しておこう。

行きは、明石海峡大橋をわたって淡路島を縦断、帰りは瀬戸大橋を通り岡山上陸。丸亀市の猪熊玄一郎美術館や倉敷市の大原美術館を見学。私の趣味に付き合ってもらった感じだが、周辺の丸亀城や倉敷美観地域も堪能し、「胃袋ツアー」とは言わせないバランスを辛うじて保つ。丸亀城では、私が長年の研究の末に編み出した「みんなが楽しく元気になる健康体操」を伝授。普及大使に任命したKojiくんが近々You Tubeにupするとかしないとか。

さらに不意の思いつきで通りがかった丸亀競艇にも初参戦。これが、予想外の盛り上がりだった。夜の競艇場は、私にとってはあまり馴染みの不思議な異空間なのでちょっと面白かった。もっと汚くて騒々しいものかと思っていたが、わりと落ち着いた感じだった。投票〆切前に金比羅ふねふねのメロディ―が流れていたのが間抜けな空気を醸していた。他の競艇場ではどんな曲が流れるのかなと興味が湧いた。

全食うどんでも良かったのだが、さすがにそれはあんまりかな・・・ということで、もうひとつの名物「骨付き鶏」を食す。「ひなどり」「おやどり」という露骨な名前のメニューだが、味の方はなかなかいける。それぞれに異なる食感が楽しめて、ギトギト・スパイシーな感じ。美味しかった。

帰りは、神戸で降りてハーバーランドで夕食。何となくパスタ屋に入ってしまい、うどんよりも何倍も高価で、何倍もまずいパスタを食べ、改めて日本の「うどん文化」のすばらしさ、特に「讃岐うどん」の偉大さを痛感。アメリカ資本のそのチェーン店は、コーヒーをいくらでもおかわりさせてくれること以外は、うどん屋にまさるところはひとつもなかった。恐るべし、讃岐のごんぶと暴れ龍うどん!

2009/11/20

よーい う どん

そもそも「遊び」には目的などなく、「芸術」には実用性もない。

私は「遊び人」の「芸術家」なので、行動に目的性が乏しく、その存在が大して何の役にも立たなくても仕方がない。

純粋な意味での学問だって同じ。前にも書いたが、「学ぶことは遊ぶこと」であり、遊びを極めれば芸術が生まれるのだ。

時々「数学なんか勉強したって世の中に出てから何の役に立つんだ?」などと言う奴がいる。あたかも数学以外の役に立つ知識と経験にあふれているかのような口ぶりだが、彼はたぶん数学が苦手なだけなのだ。数学は美しい。それで十分じゃないか。

「美しい」ものの中には、それ自体に追求する価値がある。「面白い」とか、「気持ちいい」とかいうことも同じ。

しかし、「説明」や「納得」というプロセスには、そのすべてが欠けている。そして、実用性の効率や儲け話には品格というものがない。

だから、私はやってもやらなくても「褒美」も「罰」もないどっちでもいいようなことこそ進んでやろう。おそろしく「無駄」で「面倒なこと」を周到に計画しよう。それが私のスタイルであり、拘りでもある。

勿論、自分の「面白さ」や「気持ちよさ」のために人を犠牲してはいけないのは当然だが、誰かや何かの為に自分を犠牲にして、「面白くないこと」や「気持ちの悪いこと」に耐え続けるはごめんだ。

取りあえず明日は、「おいしいうどん」を食べに香川県に行く。

2009/11/19

限定品 mottos ロゴ入り缶バッヂ

調子にのってアホ企画。

11月のアルコライブ、そして12月のNZライブでCDをお買い上げいただいた方に(限定50個のみ)Uribossa氏のデザインによる缶バッヂをドドーンとプレゼントしようという企画が決まった。

ブラジリアンカラーで、ギター2台をデザインしたmottosのロゴ入り。

何のバッヂかよくわからないその知名度の低さと洒落たデザインのギャップが格好いいぜ!

知らない人のために解説しよう。

Mottosとは、前作Life Is Beautufulを完全自主制作する際のオリジナルレーベル名として、命名したもの。私たちふたりの名字、イケモト+ウリモトの「モト」とふたりの使用するギターを重ねてロゴ化したもの。ただ音楽が好きなだけで、これという野心もなく、いつも遊んで満足しているだけの気楽な性分のふたりなので、「きちんと形にして、しっかり人様に届け、そして経済を活性化させよう」という決意を込めて、「行け、もっと!売り、もっと!」をモットーにしたのである。どこまで真面目でどこからふざけているのか当人でさえよくわかっていないが、ふたりともすごく気に入っていることが、この缶バッヂ制作からもうかがえる。

ちなみに、「遊」という漢字のもともとの意味は、「波間に漂う子どものこと」昔は「しんにょう」ではなく、「さんずい編」の漢字だった。「游」←こういう風に書いたのだ。波のritmoを聴き取って、いつまでも漂っていたい。寄せる年波ものともせずに、この遊び心で軽くサーフィンを楽しもう。

さて、誰がこの缶バッヂの無理矢理感の強いオマケを喜んでくれるかということだが、それ以前にCDが売れるかどうかがもっと問題だ。しかし、さらに問題なのは、まず私たちがCDに遜色なく演奏できるかどうかいうことである。

2009/11/18

Happy Birthdayな夜

旅の音楽家・丸山祐一郎とこやまはるこコンサートin銀河ステーションが無事終了。今回の企画は、広島大学の学園祭から、神戸のイベントを経由して、三重へ向かう旅の途中の丸山さんから、「奈良でその数日に間に何か出来ないか」という相談を受けてセッティグさせてもらったもの。

銀河ステーションは私がずっと関わってきた知的障害者の授産施設のコンサートホール。だからお客さんは、知的障害のあるなかまたちとスタッフ。

丸山さんたちのここでの演奏は3月に続いて2回目の公演になる。みんなもコンサートの雰囲気や丸山さんとはるちゃんの人柄もわかっているので、集合も早く、心はオープン。1曲目から手拍子、2曲からジャンプと超ハイテンション。ノリノリの1時間になった。

すーちゃんと私も2曲だけ飛び入り参加。Y.B.M氏もデイジュリドゥで丸山さんのビリンバウと絡んでムードは最高潮に。ダンスホールと化したホールにはすごい熱気とエネルギーが充満し、終わると汗びっしょり。

当初は16日の予定だったが、いろいろな事情で17日になった。17日は奇しくも私の誕生日なので、その巡り合わせの不思議を話していたところ、コンサートの中でサプライズのハッピーバースデーの歌やケーキやプレゼントがあった。本当にサプライズ。こういう展開になろうとはよもや思っていなかった。ものすごい元気をいただいた。人にはいろいろ励ましのメッセージを送りながらも、生まれてきたこと、生きていかねばならないことを時に重たく思う日もあるが、そういう考えは、当然のことながら、とんでもない思い違いなのだとしみじみ感じた。

そのハイテンションのまま、ハーブクラブで名物石窯料理のディナーをいただき、出演者とスタッフで打ち上げ。その流れで一緒に流星群を見ようという話にもなり、予定外ながら宿泊することになり、さらに盛り上がる。深夜まで歌い話し込んで、睡眠不足のまま、早朝の駅にすーちゃんを送る。そして出勤。そして、通常通りサラリと仕事。

今年は、例年にないほど多くの祝福メールを各方面からいただいて、改めていろいろな人たちに支えられて生かされ、守られていることに感謝した次第である。

私という者をつくり生かしてくださっている神様と、生み育ててくれた両親、誰よりもかわいがってくれた婆さん、妻と3人の子どもたち、そして、こんな私を祝福してくれる多くの友人たちにありがとう。

2009/11/17

合体技の妙味

総合格闘技のガチンコ対決が全盛であっても、プロレス独特の面白さは捨てがたい。古くは猪木が、そして桜庭が、昨今はミノワマンがプロレスの懐の深さを総合格闘技のリングで見せつけている。

そうそう、今日書きたいのはそーゆーことじゃなかった。プロレスの底知れぬ魅力のひとつである「タッグチームの強さの相乗効果」についてである。時にアンビリーバブルな合体技も繰り出す。

Salt & Uribossaもタッグチームとして、リングの内外でいろいろオモロイこと(ブログで少しずつ公表予定)に挑戦しようとしている。

ボサノヴァのリング内では、Beatlesリマスターアルバム発売を記念して、「Amor e paz」に続く共作曲を完成させた。単なるトリビュートソングではなく、来年のアースデーならSouthのためのテーマ曲でもある。タイトルは「Fragile(こわれもの)」。往年のプログレバンドYesのヒットアルバムにちなんだ。

井上陽水&奥田民生のナンバーとは、違ったテイストでBeatlesに対する親愛の情を表現した。共作ものに限らず、Salt & Uribossaでは、ひとりでは絶対出来ないことが出来てしまうのがいい。常に1+1>2なのである。

完成形になるまでけっこう手間取ったが、「こうなればいいな」と思っていたとおり、あるいはそれ以上になった。コーラスやリードギターはまだまだこれからだが、取りあえず現状の出来映えに納得。

「中高年の希望の星」(ぅぉお・・・最低のキャッチフレーズだ!)であるSalt & Uribossaも、あと数年でふたり合わせて合計100才になってしまう。そこで、エネルギー充満、元気100%のビッグプロジェクトも思案中。(まだほとんど白紙)

今日でまた1つカウントダウン。ますます右肩上がりに面白くなってきたぞ。

2009/11/16

石井順治氏のことば

「学び合う学び」を提唱する石井順治氏の授業ビジョンと哲学、その実践と、現場教師への的確なコンサルテーションには、佐藤学氏、秋田喜代美氏というふたりの東大教授が最大級の賛辞を惜しまない。

最近、石井氏の著書「ことばを味わい読み開く授業~子どもと教師の『学び合う学び』」(明石書店)を精読し、私も現場の一教員として、石井氏の子どもを見つめるまなざしのやさしさと感性のしなやかさに心を揺さぶられた。

著書の大半は、彼が見た若手教師の実践の記録である。たいていこのような記録が中心の教育書は私にとっては、実は退屈極まりないものである。仕事柄、仕方なくその手のものも目にはするが、いつもうんざりさせられる。簡単に言えば、課題をつかませ、問題を解決させるための有効な発問の流れ、わかりやすく整理された板書、予想されたとおりの児童の反応や活動が、読まなくても次が読める展開で、それらしく書かれているだけであって、どうにも「子ども劇団の臭い演技」っぽくて、汗臭かったり、土臭かったりする「私が出会ってきた子ども」の臭いが少しもしないからである。

しかし、石井氏のまなざしを通して語られる「学び合う学び」からは、生身の子どもたちの息づかいが聞こえてくる。しかも、それが彼自身の実践というのではなく、共同研究者や参観者という立場で取材されたものであるから、いっそう驚かされる。

著書の大半を占める授業記録に関する部分的な書き抜きには無理があるので、彼の哲学が感じられることばを選んでご紹介したい。教育関係者はもとより、学力低下問題や子どもの学びに興味関心のある方は是非読んでいただきたい良書である。以下、前記の著書より抜粋。

「何が学力を向上させるのか、そもそも学力とは何なのかということについては、ここで述べたいことではない。それよりも私は、学びに対する意欲がこれほどまでに低落していることのほうが心配なのだ。考えてもみてほしい。何十年もすれば今の子どもたちが日本の国を背負うのである。そのとき、人とつながれない、積極的に学ぶ意思のない大人になっていたら、この国はいったいどうなるのだろうか。子どもが未来への大きな可能性を抱いた存在であるという考えに変わりはないし、そうでなければならないと思うだけに、私たちはこの黄信号をこのまま放置することはできない。」(P18)

「一言で言えば、知識伝達型授業から脱却することである。もちろん、知識を伝えることがすべてよくないというわけではない。しかし、学ぶ意欲は、教えられる学びよりも、自分で発見する学びのほうがずっと高まるということを否定する人はいないだろう。だから、教師は、教えることを急がず、子どもの考えから学びを出発させ、子どもの多様な考えの交流によって学びを生み出す『学び合う学び』に転換していくことが必要なのである。 とは言っても、それはことばで言うほど簡単なことではない。何十人ものの子どもに一律に一つのことを教える大工場の大量生産システムのような知識伝達型授業は、一斉指導という方式によって、明治以来日本の教育を席巻してきたわけである。百年以上にも及ぶこの蓄積は、私たち日本の教師のからだに染みついている。だから、その転換には時間がかかるのである」(p21)

「学校は、多数の子どもが学ぶ場である。学ぶ基本は一人ひとりの子どもにある。学びは、学級として一つのものがあるのではなく、同じテキストで同じように学んでいても、一人ひとりの中に個別に存在するものである。このことについては、「一斉指導方式」によって十派一からげに教え込んできたこれまでの日本の教育のあり方は見直す必要がある。個が埋没するような学校教育では、これからの時代を生きる子どもを育てることはできない。しかし、それは、学力というものも、学びということも、すべて個別に、分析して見るということではない。学ぶ基本は個人に存在するけれど、それはまた他者とのかかわりを抜きにしてはありえないものなのである。生きるということは、個別に生きてはいるけれど、他者とのかかり、つながりを抜きにしてはありえないのと同じことである。個別の生き方が素敵な人ほど、他者とのつながりもまた素敵である。それは他者から学んでいるからである。人は、周りの人とともに生きることで、自らの生き方を豊かにしているのである。学校という所は、大勢の子どもが集う場なのだから、そこで触れ合う多くの仲間から、多くのことを学び、それぞれが豊かになっていけるようにしなければならない。それが、一人ひとりの学びを保証するということである」(P177)

「学ぶことにおいてもっとも大切な行為は『聴く』ことである。人一人で教えられることはしれている。豊かに学ぼうとすれば、他者から学び取るしかない。それには、他者のことばに耳を傾ける態度が不可欠である」(P180)

「子どもと子どもの間に聴き合うかかわりが生まれた学級は、子どもの声が温かい。表情がやわらかい。派手に主張する子どもが影を潜め、おだやかで声のテンションが低い。受け入れられているという安心感が、子どものすがたをそのようにするのだ。そして、そのような雰囲気が、つなぐこころを引き出す。『学び合う学び』でもっとも中心的なはたらきである『つなぎ』は、このような『聴き合うかかわり』によって生まれてくる」(P180)

「聴き合うかかわりは、聴き方、聴き相方を教えて出来るものではない。どれだけかたちを教えても、どれだけトレーニングを積んでも、それだけで聴ける子どもは育たない。『聴く』ということは、内面的な心のはたらきと、そこに存在する他者関係を築くための人間的なはたらきかけもしないで、聴ける子どもを育てることなどできはしない。そこで、私はもっとも原則的なことを述べたい。それは、子どものことを言う前に教師自身に子どもの声が聴けているかということである。これまでも私は、日本の教師はいかにも『発信型』であり、『受信』下手だと述べてきた。発問をし、説明をし、指示をし、というように、子どもに向かって発信することには一所懸命だが、子どもの内に生まれるものを受け止める『受信』は、『発信』に比べればいかにも希薄だ。それは、一斉指導方式で、大勢の子どもに一律に教えてきた日本の教育のあり方が染みついているからだと言える。これでは、仲間のことばに耳を傾け、聴き合い、つながり合って学べる子どもは育つはずがない。聴ける子どもを育てるには、何よりも先に、教師自身が『聴ける教師』になる必要がある」(P181)

「『学び合う学び』と言えども、授業の形態となると、学級全員による話し合いになっていることがほとんどである。・・・・それほど日本の学校には、一斉指導方式が染み付いている。・・・45分間始めから終わりまで学級全員でということになると、いろいろ不具合なことが出てくる。多くの教師がもっとも懸念しているのは、発言の偏りである。そこで陥るのは、なにとか子どもたちを発言させようと、発言を促す指導に偏ってしまう傾向である。そのことにより、子どもに発言を無理強いし、逆効果になってしまった事例を私はいくつも知っている。また、発言することだけが目的になり、言うことは言うが、仲間のことばに耳を傾けようとしない子どもになってしまった事例もかなり見られる。子どもたちは聴いてもらえるから話せるのである。要するに、話せる子どもにしたいのなら、話したい雰囲気をつくりたいのから、それより前に、『聴くこと』のできる教室にしなければならない。どんな考えでも、たとえ間違っていても、たとえことば足らずであっても、きちんと聴いてくれる、受け止めてくれるという信頼感があれば、子どもたちは話そうという気持ちを抱くのである。そのためには、教師がまず聴けなければならない」(P194~195)

「グループの学びには、いくつか原則のようなことがある。人数はあまり多くしないで、男女混合にすること、課題をはっきり示すこと、全員の考えを聴くこと、考えをひとつにまとめないことなどである。中でも、よい考え一つにしぼるような話し合いにしないことが重要である。それをすると、必ずだれかが饒舌になり、自分の考えを押し付けるようになる。そうではなく、どんな考えも、寄り添い合って聴くこと、そして、互いの考えを比べながら、それぞれが自分の考えを見つめることである。他者の考えを聴き知ることで、自分の考えを磨き発見していく。そういうグループの学びが望ましい」(P196)

「こうしたい、こうでなければならないという意識を払拭し、子どもの内から生まれるものから学びをつくろうとして、子どものことばに耳を傾けるようになって、私は驚嘆するような子どもの読みにいくつも出会うことになる。私は、かつて感じたことのない感動を何度も味わい、子どもとは、こちらが受けとめようとすれば、こんなにも豊かなものを生み出してくるのだとつくづく感じたのだった。そして、もう一つ、はっきりと認識したことがある。それは、子どもの読みは、決して一つにはならない、その多様な読みの交流こそが、文学を読み合う愉しさだということであった」(P199)

2009/11/15

ダビデの生涯と詩編 最終章へ

今年は月に1回の割合で、「ダビデの生涯と詩編」というシリーズをお話してきた。抜けたエピソードを補って来年も続けることも可能だが、12月で最終にしようと決めた。

ダビデの生涯はまさに波瀾万丈。彼が残した詩編は、今も世界中の多く人々の心を慰め、励まし続けている。なぜなら、ダビデにおこった出来事と喜怒哀楽は、時空を越えてイエスの地上での人としての体験と結びついているから・・・・

さらに、21世紀を生きる私たちは、ダビデの先行体験を、ダビデから1000年後のイエスを挟んで、さらに2000年後に追体験しているわけだ。物凄いスケールである。

私自身もメッセージを準備するにあたって、ゆっくりとサムエル記や詩編を読み直す機会を得て、新たな発見や感動もたくさんあった。

一番考えさせられたことは、イスラエル最高の指導者であったダビデの家庭生活についてである。彼の家族関係は決して円満とは言えず、妻たちとの強い絆もあまり感じられないし、子どもたちと気持ちが通じ合う場面もない。

長男アムノンが異母妹のタマルを辱め、タマルと母を同じくする三男アブシャロムがアムノンを殺し、ダビデに謀反を起こす。ダビデは全面対決を避けて、エルサレムを明け渡すが、アブシャロムはダビデのそばめと通じて辱めた挙げ句、この戦いでいのちを落とす。

不義の世にあって淡々と箱舟を造り、家族を守ったノアを思う。彼は自分の「家族だけ」しか救えなかったが、ちゃんと「家族を」救った。

私はダビデよりノアがいい。救いは「家」に来なければならない。それは、建物としての家とか、血縁とかではなく、ルツ記などの例を見ても、実質的な「家族」という意味でないだろうか?

2009/11/14

飽くなきギターサウンドの追求 Uribossa編

今回はUribossa氏が送ってくれたメール転載をお願いして、ギターサウンドに関する私とのメールのやりとりの一部を掲載させてもらうことにした。彼のギターサウンドへのこだわりの一部が垣間見える。


From Uribossa to Salt

クラシックギター界や、おそらくスティール弦ギターの世界も
残響が多い方がよしとされていると思います。

しかしボサノヴァに限っては、残響が長いと、次のコードに移る時に
前のコードの残響が邪魔になり、ひとつひとつのコードがぼやけてしまう
といった現象が起きます。
特にベース音があまり長いのは、曲全体のアクセントがなくなります。
もちろん左手を浮かしてカッティングすればいいのですが
そのタイミングがまた難しい。なんでもかんでもカッティングすると
これまた、チマチマした曲調になってしまうのです。
私の下手なフレーヴォなんかその典型ですね。

ジョアンは、実は驚異的な弾き方をしています。
長く鳴りすぎるベース音をカットする際、左手ではなく、右手の親
指で行っています。
一回弦をはじいてすぐにもう一回その指を弦に当てて、ミュートし
ているのです。
それを歌いながら、その歌もずらしながら、、、。

もちろん、僕らはジョアンじゃないので、そんな曲芸はしなくても
OK。

それから、ブラジルのジ・ジョルジョというメーカーのギターは残響が少ないのです。
http://sambatown.jp/digiorgio.htm
質が悪いからそうなったらしいのですが。
ジョアンをはじめ、ブラジル人がそのギターを使って弾いていたから
ボサノヴァギターの定義がそうなった、とも言えますね。
高価なギターは、和音を弾いても1音1音がハッキリ聞こえるけれど
ジョルジョのは「まとまって」聞こえる、この点も大きな特徴のよ うです。
だから、ジョルジョを使えば誰でも「そこそこのバチーダ」が弾けて、ボサノヴァっぽい演奏が出来てしまうらしいです。
でも音量には乏しいらしい。年月を経て枯れたもの以外は。

私としてはやはり音量は欲しいのです。
音量があれば、軽いタッチで弾くことが出来るから。
さぁ、音楽人生が終わる前に、これぞ!というギターに会えるでしょうか。



From Salt to Uribossa

ギターサウンドに関しての詳しい解説ありがとうございます。めっちゃよくわかります。

いいギターと出逢うことは本当に幸せなことですね。

ヤイリギターと田村ギター、いずれも個性があって、それぞれによって未熟ながら、
自分の弾き方も変わっているのに気づきます。

その楽器の持っている一番いい音を曲に合わせて出そうとしている自分がいます。
 
自分にはこの試行錯誤がとても楽しいし、「お目当てのギターを貯金して買う」とかではない醍醐味を味わっております。

今日は田村ギターを使いましたが、やわらかくて実に邪魔にならない音色です。とてもいい感じです。ヤイリだと音が立ちすぎる。響かずにカラッと音が立つ。そこが渋いのですが、リコーダーの伴奏向きではありません。


・・・・以上、アホ親父ふたりの、他の人にはどうでもいいようなやりとりでした。

卑弥呼もビックリ

邪馬台国がどこにあったのか?

新井白石や本居宣長などの国学者の論考に始まり、平成の世の今日に至っても、大いに盛り上がる話題だが、遷都1300年だの邪馬台国など、昔のこと以外に自慢の種がない奈良県人としては複雑な感じがする。例の新しい遺跡が発見された巻向は、カナン教会のすぐとなり。最寄り駅JR柳本のひとつ手前。まさに地元中の地元である。仕事で巻向小学校にも行ったことがあるし、知人も多い。

いずれにしても、あれだけの建物が実際そこに建てられていたことは事実で、それが卑弥呼の神殿かどうかは別として、それ自体が面白い。オリンピックの誘致みたいにハズレ都市が肩を落とすこともない。「邪馬台国じゃないその巨大勢力はいったい何だったんだ?」という別の興味が生まれる。

それにしても、あれだけ掘って、毎年毎年まだあちこちからいろんなものが出てくる奈良っていうのは実に面白いところだとしみじみ。

我々はみんな歴史の積み重ねの上に住んでいるわけで、歴史からもう少し有益な教訓を得る必要を感じる。昨日は天皇在位20年のイベントもあったようで、象徴天皇としてのあり方を真摯に追求してきたという挨拶と姿に、ちょっと痛々しいものを感じたりしたが、この国のさままざなかたち、国防のあり方、教育制度、これからの経済や福祉に、不安と怒りは尽きない。

奈良県も多少の誇りと知恵があるなら、アホみたいに「遷都1300年」なんてやってないで、もう少しイキな税金の使い方やこれからの奈良のあり方を考えて欲しいものである。

真贋定かではないのに、知らぬ間に「卑弥呼の里・桜井市」なんていう看板まで立っている。こんな子どもじみた地域エゴに血税を使う感覚には大いに違和感を覚えるこの頃である。

2009/11/12

忙しい人たちとの一問一答集

「忙しい」を連発する人を、私は基本的に信用しない。休まずに活動している時間が長いことを「忙しい」と言うのは何となくわかるが、その人がやりとげたことを見れば、なんのことはないわずかな時間と少しの努力で出来そうなことだという場合が多い。それをたいそうに「忙しい」と自己申告するのは、自分の無能と怠慢を報告しているようなものだ。

「時間がない」などということはない。時間は工夫して産み出すものだ。いろんな隙間の短い時間をつないだり、無駄を省いて作業の効率を上げるだけで、まだまだいろんなことが出来るものだ。

今やっていないことは、結局「やる気がなかった」ということ。例えば、昔あれほど好きだった音楽をやめてしまった仲間に対して思うこと。「その程度しか好きじゃなかったんだ・・・・」

「その気があったのに、○○のせいで出来なかった」という言い訳を重ねることは敗北である。たった一度きりの人生の大半を言い訳で固め、充実感のない忙しさに時間を奪われている姿には全く魅力を感じない。

私は充実感のない忙しさに耐えられるほど、鈍感にはなれないし、忍耐強くもない。退屈なおっさんにはなりたくない。私と真面目に付き合う人は、好き嫌いは別として、少なくとも何かの刺激を受け、「オモロイ」と感じるはず。

では、忙しい人たちとの一問一答集をどうぞ・・・

「Saltさんはマイペースですね」
>「当然だ。そう言うあなたは誰のペースで生きている?」

「Saltさんはやりたいことやってますね」
>「あなたは自分のやりたいことをなぜやらない?」

「Saltさんはよくそんな時間ありますね」
>「誰でも1日は24時間、あなたには間違いなく私より時間がありそうだ。使わないならその時間を私に譲ってくれ」

「Saltさんはいつも全力で生きてる感じがするな」
>「それは誤解だ。メッセージといくつかのこと以外は、ほとんど脱力して適当にやっている」
「Saltさんを小学校の先生にしておくのはもったいないです」
>「それは私を褒めているのではなく、小学校の先生を侮辱することば。小学校の先生は社会的地位や評価よりも遥かに高い職能が必要だと思っている。私なんぞは己の無能さを日々痛感しているというのが事実。これは立位体前屈みたいな謙遜じゃない」

「Saltさんだから言えること、出来ることですよ」
>「確かに人それぞれ、身の丈にふさわしいことというのはある。しかし、私だから言えること、出来ることがあるとするなら、あなたにも『私には言えないこと・出来ないこと』が言えたり出来たりすることがあるはずじゃないのか」

「Saltさんはどうして何でもそんなに自信に満ちて断言できるんですか?」
>「誰でもそれが正しかろうが、間違っていようが、『私はこう思う』ということを言う権利があると思う。自分の判断や好き嫌いを曖昧にする人とは安心してつきあえない。そういう人は、他人を思いやっているのではなく、自分が傷つくのを怖がっているだけなので、私ははっきりしない人間が好きではない。私は出来れば自分を嫌いになりたくないので、勇気を出して意見を表明しているだけのことで、別に自分だけが正しいと思っているわけでもなければ、自分のことばに自信を持っているわけでもない」

「Saltさんの自己満足なんじゃない?」
>「私は理想が高いので簡単に満足は出来ない。自己満足出来ることが最終目標だと言ってもいい。満ち足りて、感謝しても、理想に到達できたという意味での満足はない」

「Saltさんは家族ほったらかしでしょ」
>「そんなことはない。私はどちらかと言えば家庭的な人間だ。帰る港があるから、私は難破船じゃないのだと自分を励ましている。冒険はしても海賊のように人を襲うこともないし、有形無形のお土産はいつも家族のために準備している」

「Saltさんの奥さんが偉いですね」
>「・・・・その通りだ」

2009/11/11

ライブの打ち合わせ

28日(土)に2部制のライブをやることになった田原本のCafé Arcoへ打ち合わせに行く。

田原本は私の実家がある町。
この町で私は小学校5年の2学期から高校までのもっとも多感な時代を過ごした。
Café Arcoの近くを流れている寺川沿いを自転車で走って隣町の高校まで通っていたのは、ついこの間のことのよう。北から自転車通学する最長距離だった。

今も3週に2回くらいは母を訪ね、そのうちの何度かはUribossa氏と練習している。練習場所に実家を選んだのは、Uribossa邸と車で10分弱で往き来できるから。練習を口実に「来てやったぞ」と言わずに定期的に母と逢えるのはありがたい。

Uribossa氏の住む川西町は、田原本町と同じ磯城郡。「奈良を拠点に」と言いながら、Salt&Uribossaとしては、一番の膝元である磯城郡では演奏したことがなかった。

私が今回Café Arco 演りたかった最も大きな理由は、ここは「オーダーメイド家具Sign」の旧工房があった場所だからだ。

さらに、現オーナーは、昔から某NPOでいろいろお世話になった方でもある。いろんなイベントで音響の設備などをお借りしたご恩がある。

Y.B.M氏とのいろいろな記憶が詰まった場所で、きちんと現オーナーを祝福するためにも、今回のライブは避けては通れないものだ。

2009/11/09

学びは遊びで遊びは学び

私は高学年の学級担任になれば、それぞれの教科や領域の学習が、具体的に暮らしのどんな場面で役立つかということについて、ものすごく時間をかけて話す。そうすると多少、子どもたちの学びへのモチベーションが高まるからだ。

しかし、本来学問というものは、実生活に役に立つとか立たないなんてどうでもいいのだ。そうしたことを前提としての妥協ではあるが、子どもをその気にさせなければ、次の価値ある情報は届かないので、オリエンテーションには配慮する。

その上で、さらに数倍の時間とエネルギーを注いで、「数式の美しさ」や「ことばの不思議」など、学ぶ内容それ自体の魅力について、各単元の中で、力を込めて伝える。その中の多くはこぼれ落ち、流れて、消えてゆく。それでもいい。しかし、豊かさとはこうした無駄の蓄積のことなのだ。何より、私はそうしている方が楽しい。

つまらない先生のくだらない授業のせいで、子どもを「○○嫌い」にさせてはいけない。

最近読んだ河合隼雄氏の本に「日本の先生は、基礎基本を定着させようとして、○○嫌いを作っている」と書かれていた。ズバリ核心をついている。

「教える」ことは、知識の切り売りではない。「学ぶ」ことの動機が、学校に入るためや肩書きをもらうためであってはならない。

人は不思議に思うから追求し、興味があるから覚えてしまうのだ。「強いられること」「値踏みされること」は、誰であれ何であれ不愉快で苦痛だ。それは子どもも大人も同じ。

こういう制度の中では、敗者や落伍者が生まれるのは必然。かなりの数の子どもたちが、システム化された教育の中で、プライドをズタズタにされて学校に背を向ける。学びには敗者や落伍者などないはず。

落ちこぼれ、いじめ、不登校、中退者をこれだけ出しておきながら、学校における「学び」の本来的なあり方に対する見直しの議論はほとんどなされない。

先進国の学校が、産業革命以降、社会に必要な労働者にふさわしい人材(時間に遅れない・
正確に作業に従事する・雇用者に搾取されても気づかない)すなわち、「真面目な馬鹿」を大量生産するシステムとして機能してきたことを、私は中学生の時に見破っていた。私は馬鹿らしくなってこのレースから飛び出した。

高校1年のとき、「オートメーション」という学校批判のハードロックを歌った。「教科書どおりの生徒の大量生産は楽しいかい?」という内容だ。私は誰にとっても、都合の良い部品にはならないと誓った。

その後、高校中退で音楽を志すはずだったが、訳あって逆オフコースして教員になり、「学校」という万人が通過するシステムや、「学び」という人の一生の課題と向き合うことになった。これは決して愉快なことではないが、私の一生をかけての行である。

私にとっての教育の目標は、自立する精神を持った個人を育て、その上で協調し相互に補い合う力を培うことだ。そして、各自が細かい違いを味わい、創造的に人生を楽しむ術を知ることである。

○と×、「好き」か「嫌い」かのデジタル思考には、柔軟性も繊細さもない。「どちらでもない」という本来一番豊かなはずの幅広いグレーゾーンを存在しないものにすれば、不寛容で頑な感性しか育たない。

「なぜ」「どうして」をゆっくり考える時間を与えず、効率よく紙に書く「答え」を出すことばかり教える傾向には断じて抗いたい。立ち止まることを許さず、取りあえず動いてさえいればいいという誤魔化しの躍動感には、可能な限り物申す。

可能な限りというのは、哀しいかな、「不可能」な場面も少なくないからだ。

ただシステムの中で、ただ「うまく立ち回ること」を教えたくはない。勝者の定めた偏差値に振り回される劣等感を、エリートの優越感以上に嫌悪する。

「新しいもの」に触れるドキドキ感や「おもしろいこと」を追求するワクワク感があれば、学ぶことは全ての人にとって楽しいものであるはず。

その結果を誰かに値踏みされる余地を与えない喜びを持てば、煩わしいことから解き放たれるのではないか。

「よく学び、よく遊べ」ではない。「学び」と「遊び」に線を引くから、「学び」がつまらなくなる。「学びは遊び、遊びは学び」でよい。楽しく学んでいる人は、学びを遊び、豊かに遊んでいる人は、遊んで学んでいる。

2009/11/08

分かち合い

今日の礼拝はSaltによるメッセージなしの分かち合い。各自が平素のみことばによる養いと日常の中で受けた恵みを分かち合うかたちで礼拝する。

キリストの誕生を祝って東方からやってきた博士たちは、「黄金」「乳香」「没薬」を携えてきてそれを捧げた。「何かもらえる」と思って旅をしてきたのではなく、捧げ、拝するために参じたのだ。

そこには、しるしも不思議もなかった。普通の赤ん坊が厩に寝ていただけだ。

その何もないことこそしるしと不思議であることを彼らは知っていた。神の栄光のあり方を捨て、普通の庶民の子どものごとくお生まれになった方の中に、恵みとまことの実現をみたのである。

「黄金」「乳香」「没薬」は、それぞれに神の「栄光」「人格」「死」を象徴するものと言われている。クリスチャンは、ともに集まるときに、イエスに関する「栄光」「人格」「死」を証しなければならない。

博士は「手ぶら」で来なかった。彼らは準備したのである。もちろん、捧げものによって受け入れられるわけではなく、その質を競い合うためではない。

しかし、今日、異なる動機で参集する者が何と多いことだろう。

今年のクリスマスはどうしようかと皆で話し合いながら、世界ではじめのクリスマスを思っていた。

ちなみに20日(日)は休みにして、今年は23日(水)にクリスマス会をすることになった。夕方から場所を変えて夕食会。参加ご希望の方はどなたでも交わりに加わってもらってかまわないので早めにSaltまで連絡を。昨年のこの交わりが、Koji&Takoの結婚への滑走路となったのだ。

「いやあ、早いなあ」月日が経つよりもKojiのスピードに驚く!(「手がはやい」と書いて打ち直したけど、やはり括弧つきで表記します・・・)ハレルヤ!!

2009/11/07

至福の時間

11月、12月のライブに備えて、Uribossa氏とともにsound –labo「童」にこもって練習。午前中に「風のメロジア」全曲を曲順通りに演奏する。急にお客さんも来られたので、いい緊張感の中で練習できたし、来られた方々もそれぞれに満足して帰って行かれたようだった。

昼食を挟んで夜10時まで。これまで演奏してきたあらゆるレパートリー新曲など、あれやこれやと試しながら、歌い続け、弾き続け、休憩なしでほぼ9時間。午前の部とあわせると10時間。まさにミュージック・ハイ状態。

お互い忙しい中でひねり出した共有時間だけに、非常に贅沢な一日だった。音楽三昧は私にとっては至福の時間。

【ライブ案内】
11月28日(土)Salt&Uribossa 「風のメロジア・発売記念ライブ」
(第1部)18:00~18:45  (第2部)19:15~20:00
奈良県磯城郡田原本町阪手208-3 Café Arco(カフェアルコ)
0744-33-5899

2009/11/06

生糸

金曜日は、毎朝「おはボン」が流れる学校にいる。その学校で放課後、教頭先生の特別授業があった。教育実習生が最終日と言うことで特別に行われたもので、私も顔を出す。

繭を紡いで生糸を作るという授業。ビーカーに水を入れ、アルコールランプで熱し、繭を煮る。割り箸の先で繭を転がすと、ひっかかってくる糸がある。まさに「糸口」が見つかるわけだ。これを30cmの黒い板に巻き付けていくという作業。

綿を紡いだことはあるし、蚕に繭を作らせたことはあるが、生糸を紡ぐのは初めての経験だったので興味深かった。注意深く見つめないとほとんど見えないほど細い糸である。これが、切れることなく延々と黒い板に巻き付いていく。

回数をチェックして計算すると、軽く1kmを越えた。1匹の小さな蚕がつくる1つの繭からこれほどの長さの生糸がとれるとはビックリ。事前に実習生が予想した「運動場1周分ぐらい」という予想を大きく上回った。

シルクロードのターミナルでもあった奈良であり、生糸の生産が日本の産業の中心であった時代もある。裏側には哀しい歴史もあるが、今はちょっと置いておこう。

この単純な実験で思うことは、蚕というのは何とすごい虫なんだろうということ。小さな虫がどれほどの回数、その醜い身体をよじりながら、何のためにこれだけのものを作ったのだろうということだ。自然の神秘などという陳腐なことばで住まされない創造主の奥義がある。

カイコは天の虫であり、その糸は生きる糸である。その糸で作られた絹で、日本人は着物を作ってからだを覆って来たのだ。

レーヨンを「人絹」など呼ぶのは面白い。「人権」を揶揄する洒落ではないのだが、人造のものは、「それなり」ではなっても「別物」なのだ。

ユニクロ全盛の時代、生糸の美しさに感動した。

2009/11/05

Saltの反哲学的断章③ 反転する世界

ことばの空転。情緒の繊細さも、痛みのかけらもない鉄面皮な美辞麗句。

立ち止まり振り返ることを知らぬ目的地を見失った前進。

個人を顧みない錆び付いたシステムの謎の滑らかさ。

症状の改善など全く期待できない永遠の無自覚。

冷たく絶縁されるコミュニケーション・・・・

私には居場所がない。

何処にも安息の場所などないし、人の承認の中には、私の存在価値も生き甲斐もない。この世は私にふさわしい場所ではない。賞賛も批判も等しく無視するに限る。そして、そのような感覚こそ正確な評定であると信じる。

人を呪うことはすり替えに過ぎない。忌むべき堕天使に与えられた一時的な力を笑え。

キリストがこの世の為に死んだのでなければ、世界には何の価値も見いだせまい。キリストが確かに甦ったのでなければ、生きる意欲など何処からも出て来はしまい。

虚無は重量を持たない。それがずしりとこの身に重くのしかかるものであるなら、負けじと踏ん張ることも出来たろう。

軽すぎる。しかも、踏ん張る足場も見い出せない。となれば、堕ちていくのは摂理である。しかも、私が堕ちていくのは己自身の罪の重さによる。決して虚しい世界のせいではない。そのことを良く知っている。多くの人生の真摯な探求者が生きながらえる意味と本当の救いを見出すことなく、自ら命を絶つのは理解できる。

私も又、世界の軽さと己自身の罪の重さのゆえに深い闇へと沈んでいくのである。

しかし、驚くべきこと、感謝すべきことは、さらに闇の深いところで、キリストが私の堕ちてゆくからだを受け止めるべく先回りしておられるということ。

この身を受け止められた確かさ・・・・これほど力強い証はない。ここにのみ逃げ場があり、ここにこそやすらぎがある。

この虚無を見つめながら、しかもいきいき生きている人間こそ、「新しい創造」の中を生きている人である。

私が今生きているのは、まさにイエスの復活による。「私がイエスを信じる」からでさえない。「イエスの信仰」の中に、「イエスのいのち」の中に、私自身が取り込まれた結果に過ぎない。私には誇れるものは何もない。しかし、生き方には誇りがある。私が経験したこと、味わっていることは、極めて重要で価値のある情報だと思っている。

十字架を中心に反転する世界の真実が、この虚無の世界に散りばめられている。死の影に確かな復活の兆しが見え隠れしている。

まずはこの世界の嘘を見破り、とことん絶望すること。そして、イエスのことばを曇りのない心でそのまま受け取ることだ。

然るに、この世に媚び、すがり、自分の可能性に希望を見出すための福音は、最も恥ずべき嘘である。

2009/11/04

陽だまりの猫

昨日は各地で雪が降ったようだ。いつもは布団に入ると数分で眠りにつくのだが、昨夜は寒すぎてなかなか寝られず、敷毛布(電気毛布じゃない)を出した。私の住むところは、夏場は非常に涼しくて快適だが、冬場は朝夕の冷え込みが厳しい。

これから、この調子で寒くなるのかと思って覚悟を決めたが、今日は日差しもあって穏やかな日になったので少しホッとした。

今年は徘徊業なので、何処の学校へ行っても「ここ」と定まった居場所がない。勿論机があるにはあるが、電話のそばだったり、出入りの多い通路の横だったりで、どうも気が散って落ち着けない。これまでは自分専用の仕事場が与えられていただけにこの変化はキツイ。

水曜日は徘徊なしの空き日。月、火のまとめや木、金の準備に当てることになっている。そんな徘徊じゃない自校勤務の日の居場所として、図書室があることに気づいた。図書室は本がいっぱい。そして学校の中では唯一静けさのある場所。図書室の背中から陽があたる一画に陣取ってそこで仕事をすると能率は何倍もアップ。お昼に近づくと太陽も移動する。南に面した通級教室の空き時間にはそちらへ避難。これからはこのパターンでいこう。

秋冬の陽だまりの「明るさ」や「あたたかさ」は、心とからだに沁みてくる。陽の傾きに合わせて猫のように場所移動。水曜日は太陽のありがたさと猫の偉大さをしみじみ味わう日である。

2009/11/03

文化の日は掃除の日

やることがやたら多い私の部屋は、いつもあまり美しく整頓されているとは言い難い。

だいたい出したものを完全に片付けないままに次の作業にうつるから部屋が散らかるのである。そんなことは百も承知だが、そう簡単にはいかない。実際、何かやり始めると、そんな約束事はすっとんでしまう。

好奇心旺盛で面白いものを集めて来ては、ものを捨てられないタイプなので、わけのわからないもので溢れかえっている。大きな屋根裏部屋もあるのだが収まり切らず。

アトリエとスタジオと書斎がそれぞれあればもう少しすっきりするのだろうが、3人の子どもにもそれぞれに個室を与えているのでそういうわけにもいかず。

10月は特に忙しかったので、散らかり具合も限界に達したので覚悟を決めて、ひたすら部屋の掃除に取り組んだ。と言っても、片付けながら遊び、遊んでは片付けしているのでなかなか終わらない。結局散乱しているものは何処かに収まったものの、まだまだ綺麗になったとは言い難い。

職場のデスクや工房は仕方なく片付いているので、やれば出来ないことはないのだ。特に某研修団体の事務局長の仕事をやってからは、かなり細かい整理整頓が身についた。これには自分でもびっくり。追いつめられると何とかなるものだ。

さて、今日はこれくらいにして、年内にもう一度大掃除をしよう。

2009/11/02

人間関係のスタンス

そばにいても遠くに感じる人がいて、遠くにいても近くに感じる人がいる。

毎日会っていても全く気持ちが通じない人がいて、滅多に会わないのに瞬時に意気投合できる人がいる。

顔を見ただけで気分が悪くなる人がいて、名前を想い出すだけで元気が出てくる人がいる。

頻繁に合っていても記憶に残らない人がいて、数えるほどしか会ったことがなくても忘れられない人がいる。

「出逢い」がさらに新しい「出逢い」を生む。一度きりの関係もあれば、ずっと続く関係もある。もちろん、悲しい別れもあるが、私は来る者は拒まないし、去る者は決して追わない。ずっと続く関係は、努力なしに続いていくものだと思っている。

私は、神様の恵みによって、良き出逢いを与えられていると思う。所詮一人の人間が一生に経験することなどささやかなものではあるが、いろんな方との出逢いと人間関係の中で織りなされる図を見るのは楽しいものだ。

おそらく、すべての人に多くのチャンスが与えられていると思うが、気づかないまま通り過ぎたり、無理に追いかけたて失ったりしていることもあるだろう。

私が人間関係において大切にしたいポイントは以下の7項目。

①一定以上の共有できることばや体験があるということ
②それぞれが価値を認めるものを互いに理解しあえること
③干渉しすぎないこと
④依存しないこと
⑤高め合えること
⑥分かち合えること
⑦相手に要求しないこと

この7項目の過半数を満たしてくれる人は少ない。1項目も満たしてもらえない人は、どうでもいいので、ものすごくテキトーに付き合っている。

仕事や役割は別として、私は誰の「先生」でもなく「生徒」でもない。自分が楽しいと感じれば、多少の無理をしても引き受ける。でも、それはあくまでも「自分が楽しむ為」であって、それ以上の価値を自分では計算しないことにしている。

信仰がある人だろうが、ない人だろうが、男だろうが、女だろうが、障害のある人だろうが、外国人だろうが、年寄りだろうが、子どもだろうが、私のスタンスは変わらない。誰の為にも自分を犠牲にする気はないし、そういうのは偽善だと思っている。

私は誰にも媚びないし、「何か」の為に「誰か」との関係を利用することもしない。未来に備えて名刺を配ることはない。自分が良いと信じるものでも、絶対他人に押しつけたりはしない。ただ、静かに自分のよって立つところは明らかにし続けるだろう。

私の中では、良いものは明らかに良く、忌むべきものを好む姿は醜悪だ。面白くない奴とは長くは遊ばない。

立派な人にはなりたくないし、なれそうもない。

犠牲は十字架が100%であって、私はそれに何も加えることが出来ない。「復活の喜び」をただ喜ぶだけである。

2009/11/01

11月のお楽しみ

盛りだくさんの10月を終えて、秋も深まり11月。

11月は食べるものも美味しく、身体も頭も冴える季節。

4人の新任たちの研究授業も順番に行われ、私の指導の真価も問われる。勿論、私の指導なんぞ当人たちの成長の大した割合しか占めてはいないが、それでも自分なりに喜んだり、がっかりしたりという場面はあるはずだ。

教会のメッセージは、今年は分かち合いを挟んでほぼ隔週で行っているが、今日は「ひねくれ者のための聖書講座⑧・聖書を構造的に読む」というテーマで話した。emiさんが早速upしてくださっているので興味のある方はどうぞ。

来週8日はメッセージなしの分かち合い、15日は「ダビデの生涯と詩編⑪・ダビデとアブシャロム」を予定している。22日は休み。29日は吉野で集会を持つ予定。

元気村リコーダー講座は14日。さらに古典の名曲や新曲オリジナルをメニューに加え、いっそう充実させる予定。23日には「秋じまい祭」。今年は工房「童」としては特に何も予定していないが、当日は元気村にいるだろう。

28日には、「風のメロジア」発売後、Salt&Uribossaとしては初のレコ発ライブも待っている。ふたりの膝元でもある磯城郡田原本町「アルコ」での演奏だ。練習も3回予定。7日の土曜日は元気村で一日合宿。これも楽しみ。

そして、11月22日の結婚記念日(この日はいい夫婦の日)には、新婚夫妻ともに四国うどんツアーを予定。丸亀に宿泊予定だが、猪熊弦一郎美術館にも期待している。読者には四国在住の方もおられると思うが、もし、おいしいうどん情報はじめ、香川県のおすすめがあれば教えていただきたい。salt@kcn.jpまでヨロシク!

30日には多分、Uribossa氏と一緒にタンゴも聴きに行く。クアトロ・ビエントス(いかるがホール18:30~)

こうして月初めには、スケジュールを確認するのだが、既に今わかっているだけでも、けっこう盛りだくさんだなあ。

今回の伊勢・志摩岬めぐりの旅で、絵に関してもちょっとした創作意欲が湧いたので、久しぶりに何か描いてみようかなとも思っている。