2009/11/06

生糸

金曜日は、毎朝「おはボン」が流れる学校にいる。その学校で放課後、教頭先生の特別授業があった。教育実習生が最終日と言うことで特別に行われたもので、私も顔を出す。

繭を紡いで生糸を作るという授業。ビーカーに水を入れ、アルコールランプで熱し、繭を煮る。割り箸の先で繭を転がすと、ひっかかってくる糸がある。まさに「糸口」が見つかるわけだ。これを30cmの黒い板に巻き付けていくという作業。

綿を紡いだことはあるし、蚕に繭を作らせたことはあるが、生糸を紡ぐのは初めての経験だったので興味深かった。注意深く見つめないとほとんど見えないほど細い糸である。これが、切れることなく延々と黒い板に巻き付いていく。

回数をチェックして計算すると、軽く1kmを越えた。1匹の小さな蚕がつくる1つの繭からこれほどの長さの生糸がとれるとはビックリ。事前に実習生が予想した「運動場1周分ぐらい」という予想を大きく上回った。

シルクロードのターミナルでもあった奈良であり、生糸の生産が日本の産業の中心であった時代もある。裏側には哀しい歴史もあるが、今はちょっと置いておこう。

この単純な実験で思うことは、蚕というのは何とすごい虫なんだろうということ。小さな虫がどれほどの回数、その醜い身体をよじりながら、何のためにこれだけのものを作ったのだろうということだ。自然の神秘などという陳腐なことばで住まされない創造主の奥義がある。

カイコは天の虫であり、その糸は生きる糸である。その糸で作られた絹で、日本人は着物を作ってからだを覆って来たのだ。

レーヨンを「人絹」など呼ぶのは面白い。「人権」を揶揄する洒落ではないのだが、人造のものは、「それなり」ではなっても「別物」なのだ。

ユニクロ全盛の時代、生糸の美しさに感動した。

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