11月が始まった。
いよいよニューアルバムの録音に着手する。しかし、一方で今月は研究授業を公開しなければならずその準備もある。今日はそっちの話。
①拠点校指導員をしていて「どう授業を組み立てるべきか」を他人に教えていた者が、さてどんな授業を展開するのか。
②人権教育研究会の事務局長をしていてさまざまな啓発活動を企画してきた者が、平素の学級経営や授業の中にどんな風にそうしたポイントを押さえているのか。
③特別支援教育にのコーディーナーターをして外部でも講演などをしていた者が、支援の必要な子がいっぱいいるクラスで具体的にどんな配慮をし手立てをこうじるか。
参観者は意地悪な方々ではないが、おそらくいろいろな興味をもって見てくれるはずだ。
6年ぶりに学級担任を持って半年を過ぎた。4年生ともなると15年ぶりで、「こんなに幼かったかなあ」と困惑する日々を過ごしている。毎日仕事帰りの余力は殆どゼロに近く、そんな中でやりくりしてきた。
教員生活も25年を過ぎてから、授業づくりについて根本的な見直しを迫られているのだ。 それなりに今まで通りの無難な授業をするのでは「研究」にはならない。
①一斉指導型のわかりやすい授業ではなく、教師を中継点とせず、子どもどうしが直接つながり合いお互いから学び合う授業。
②「わかること」「できること」を積み上げていく授業ではなく、「わからない」「できない」から始まる授業。
③全体として流れまとまってしまう授業ではなく、どの子の学びも途切れたり、逃げたりしないような授業。
他の人があまり試みないようないろいろな実験をやってきたが、この3つの課題は全くクリア出来ていない。
授業というライブはボサ・ノヴァより難しい。
同業者の仲間たちからのリクエストもあって、「発達障害の子が学級集団の質を問う」ことに関連する資料を当たってみたのだが、直接そういうものはない。発達障害の子どもたちのことに関しては、まわりの健常(そんなもんあんのか?)とされる子どもたちとの関係性に言及したものはほとんどない。すべてはその子の障害克服のためのあれこれのものだ。
しかし、直接特別支援のことは出て来ないが、先のことばをくれた岩谷氏も推奨するJunさんこと石井順二氏の学びのたよりは秀逸である。
暇なときに、ちょっとずつアーカイブを読まれるといいと思う。
http://www2.yecc.gr.jp/~manabukai/manabinotayori/tayori-1.htm