2011/04/30

5月のメッセージについて



今日で4月も終わり。忙しさに追われて心を亡くしているわけではないけれど、既に1年の3分の1が終わってしまったのかと思うと、ちょっと驚いてしまう。

5月のカナン教会におけるメッセージ予定は以下のとおり。

8日 エペソ人への手紙第5章
29日 ひねくれ者のための聖書講座 27

キリスト教という設定の中には、上の写真の子どもたちのような「自然さ」が失われるのはなぜだろう?
それは、どこかに「嘘」があり、「無理」をしているからだと思う。
それが「本物」なら、初めて出逢っても楽しむことや味わうことができるはず。
真理はいつも子どもやお年寄りのそばにだってある。
私はキリスト教徒ではない。宗教の話ではなく、神の子どもとしての特権と永遠のいのちについて、聖書に書いてあるとおりに「ありのまま」を話したいだけだ。
5月の青空みたいに、キッパリとした心でいたい。

2011/04/28

家庭訪問はたいてい自転車で行く。目的地に着くこと以上に目的地に至るまでの情報が大切だ。通学路の道順やそこで触れるもの、仲良しの友達の家への距離感などを知るためには車の移動ではわからない。

各御家庭にも貴重な時間をせっかく行かせてもらうのだから、いい時間、いい機会にしたいと思っている。教師が家にやって来るなんて迷惑だと思っている保護者もいるだろうから、せめて「そうでもないよな」と感じてもらえるようにはしたい。

現在25軒終了。のべ23時間強。移動時間もあるが、規定の2倍は時間を使っているわけだ。ゆったり予定を組んで大正解だった。

昔は家庭の希望など伺いもせず、学校側が勝手に予定を組んでプリントを配布し、どうしても都合の悪い保護者は申し訳なさそうに連絡するという時代もあった。それが良いのか、悪いのか。ちなみに、私は家庭の実情に合わせて、最大限融通するのが当然だと思っている。

教師や学校の権威はどうしようもなく失墜しているが、それは期待の裏返しと捉えて、一つひとつ丁寧に実質で応えていくしかない。

初日はものすごく暑くて、2日目は風が強かった。3日目には雨が降った。3日目の後半のことだ。雨は本降りになって「これは困ったなあ」と思っていると、道を挟んで反対側の道路脇に赤い車がスッーと停車した。中から子どもが降りてきて、「これ、いる?」と傘を差し出している。去年担任したK君だ。「ありがとう。いいよ、いいよ」と私が言うと、運転席の窓からお母さんが顔を出して、「こんなのしかなくてごめんなさい。百均の傘なので、遠慮しないで使ってください」と勧めてくださった。百均という言葉で気が楽になり、ご厚意に甘えることにした。

からだは濡れたけど、心はちょっとあったかくなって、ペダルも軽やかに次の家に向かった。


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1440962399【家庭訪問についてyohoo知恵袋】

2011/04/27

カエルの子はオタマジャクシ



娘もこんなフライヤー作ってイベントやってるようです。お近くの方はどうぞ。

2011/04/25

昨日はアースデー



今年のファイナルをつとめてくれたのは、壮馬の新ユニット「あんにょんクレヨン」

なぜか子どもたちが周りに集まって、まるで演出したようなステージになった。

確かにふたりは歌のお兄さんお姉さん風に見えなくもないが、子どもたちには彼らのもっている何かが伝わったのだと思う。

2011/04/23

明日はアースデー



この時期、誰に出逢ってもバタバタしていて余裕がなさそう。私も例にもれず忙しい。年中こんな感じではあるが、4月は特にタイヘンだ。昨日は歓送迎会で、今日は「リコーダー講座」で、明日は「アースデー」、あさってからは「家庭訪問」。相変わらず多忙だが、一つひとつを楽しめずに流れていくのは困るので、ところどころにゆる~い時間を無理に設けて調整している。どんなに忙しくしていてもあまりバタバタ感を感じさせたくない。スケジュールが詰まっていても、いかにも暇そうな感じがいい。実際は、その時現場へ行けばよいだけではなく、それぞれの準備があるのでけっこう大変だが、同時にいろんなことを考えたりするのは苦手ではない。でも、そろそろ単純なお休み日がないと・・・

取りあえず明日は晴れるゾ。

~明日のメニュー~

ワンノートメドレー
Sonho
Jazz de Sanpo
風のメロジア
かめさん
perdicao
100年後
janela
Fragile
Born on the earth
約束の場所へ

http://sound1.web.fc2.com/ 【明日PAを担当してくれるSOUND1 ken-MATSUO氏のHP】

ACよりRC


黒澤の「夢」といい、RCの「サマータイムブルース」といい、はっきり言うべきことを言うカッコよさには惹かれるが、カッコよさを目指せばみっともない結果になるので、私はどこまでも「私らしく」発信しようと思う。

「軽薄なジャーナリズムに 乗るくらいなら、私はあの発電所の中で眠りたい」
「卑怯者には守れない、別に守って欲しくねえ」
と清志郎は歌っている。

さすが、清志郎は稀少なロックン・ローラーだ。斎藤和義より断然いい。

http//www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=DnDTwqXFYlc#at=111
【RC SUCCESSION 1989.01.01. 2/3 軽薄なジャーナリスト/サマータイム・ブルース】


最近のSalt&Uribossa作品には、「喪失感」をテーマにしたものがけっこうある。

明日も演奏するSonhoもそんな1曲だ。Sonhoは「夢」という意味のポルトガル語。明るい未来のイメージももなく、Dreams come trueな歌でもない。明日に備えて練習をしているとき、ひとつの映画の場面を思い出した。黒澤明の「夢」という映画のワンシーンである。

この映画は当時かなり酷評されたが、原発騒動の後、8つのショートストーリーの中のひとつが予言的内容であったことが注目されている。

黒澤は、原発に対して明確に反対を立場を示していた。この映画が製作された1990年に刊行されたロッキング・オンの渋谷陽一のインタビューで、「(原発を)作った場合にさ、人間では制御できない性質を持ってるわけでしょ? それを作るっていうのが、そもそも僕は間違いだと思う」と明言している。


映画の中でも、登場人物(原発関係者)に、

「あの赤いのが…プルトニューム239。
あれを吸い込むと、2000万分の1グラムでも癌になる。
黄色いのはストロンチューム90、あれが身体の中に入ると、骨髄¬にたまり白血病になる。
紫色のが、セシュウム137。生殖腺に集まり、遺伝子が突然変異¬を起こす。つまりどんな子どもが生まれるかわからない。
しかし全く、人間は阿呆だ。放射能は目に見えないから危険だと言¬って、放射性物質の着色技術を開発したってどうにもならない。知¬らずに殺されるか、知って殺されるか、それだけだ。死に神に名刺貰ったってどうしようもない…」

「原発は、安全だ! 危険なのは操作のミスで、原発そのものに危険はない。絶対ミスを犯さないから問題はない、とぬかしたヤツラは、許せない!」

・・・・などと語らせている。

http://www.youtube.com/watch?v=mTg3D1PoyUE&feature=related 【黒澤明「夢」より~Mount Fuji In Red~」


http://www.youtube.com/watch?v=csxiVc99QQY&feature=related【黒澤明「夢」&桑田桂祐「ありがとう」】

2011/04/16

カフェテラスNZ6周年

カフェテラスNZは、今年の4月23日で6周年を迎える。 これまでの出来事が脳裏をめぐる。 NZのプロデュースは、私の遊びと仕事をつなぐ大事なポイントでもある。 昨年から年4回のシーズンごとのイベントになったが、それまでは毎月イベントを組んでいた。 ホントによくやってきたものだと今更ながら思う。 今年の春のゲストは朗読劇団「泉座」。 ちょっと肌寒かったが前半は楽しくテラス席で、後半はしっとり室内で朗読に聴き入った。 40分にも及ぶ向田邦子の作品は、昭和の日本人の家族の心の機微をしっとり描いたもの。こうした古き良き家族のかたちが失われていくような気がする。

You TubeでCM

アースデーならSouth タイムテーブル

オープニング ジャンベ・トリオ Pooly&Y.B.M&Salt

10:00 橿原市長挨拶(橿原市の後援をいただいております)

10:15 楽団ひとり(大道芸系こだわりのエンターテーメント)

10:45 団体紹介(参加ブースの代表による店舗や活動の紹介)

11:00 Salt & Uribossa with Itaminho(ボサノヴァ)

11:50 ユアサさんの木の話(Y.B.M氏によるショート・スピーチ)

12:15 ぴちぴちぴーち(美女系キーボードユニット)

12:50 福本俊介(ソロギター)

13:10 キンキ雑楽団(Sueちゃん率いるバリアフリー・ミュージック)

13:50 hanon(Singer Tesunariプロデュースのゴスペルグループ①)

14:20 Sora(Singer Tesunariプロデュースのゴスペルグループ②)

15:00 あんにょんクレヨン(壮馬くんの新ユニットpoolyのジャンベも聴ける)

15:50 エンディング(参加者全員で歌います)

遅ればせながら、アースデーならSouthのCMを始めました。

http://www.youtube.com/watch?v=TGuvsC24ZCY

2011/04/15

後ろ姿


新学期早々けが人が2人。1人は手、1人は脚。

手を骨折した彼は休み時間は外に出られず、教室に残ってひとり読書。仕方ないけどかわいそうだ。

「左手でよかったなあ・・・」と言いかけてストップ。左利きの彼にとっては利き腕の骨折なので、かなり致命的な怪我なのだ。それでも、がんばってギブスをした左手で絵も描き、習字も書き、給食も食べている。骨折しなくても時間がかかる彼なので、さらに時間がかかる。がんばれ!私は手伝わないけど、ちゃんと見ているぞ。

脚をけがした方の子どもがお休みだったので家を訪ねたがお留守だった。連絡はすでに届けてあるのでまあいいかと思ったが、やっぱり気になったので母親のケータイに連絡した。やはり縫った脚に痛みがあるようだ。来週からは普通に登校すると聞いて一安心。

けがをしてしまったことは仕方がない。でも、その後をどう過ごすか、周りがどうフォローしてあげるかは大事だ。

26人、それぞれの新学期スタート。黒板を背にした定位置のカメラからだと見えないものもある。

2011/04/12

いよいよアースデー


土曜日は、パーカッションのItaminho氏をお迎えして終日練習。理屈抜きに楽しい時間。こんな時だからこそ気持ちよく音を出したいと思う。昨年は発電機に問題があって少しノイズがのってしまう場面があり今年はそういうトラブルを避けるためにいろいろ手をうっているのだが、野外でのイベントだけに当日の天候も含めて心配はいろいろある。実行委員会はたったの1回。そのただ1回の実行委員会は奇しくも3月11日。後はメールと電話のやりとりですべて進めてきた。チラシには、ちゃんと復興支援の文字を入れることが出来たが、原発についての統一的な見解を持つには至らなかったので、主張がある場合は各ブースで自己責任で行うことと決まった。

2011/04/09

はじまる



新学期がはじまって3日。某教育研究グループなどでは「黄金の3日間」などと呼んで尊んでいる。『どんな学級の子供でも、最初の3日間は騒がずに先生の言うことを聞く。それは言わば、どんな先生かを子供が査定する期間であり、この3日間で、これから1年間通用する約束事やルールをはっきりと伝える。これを怠ると学級は崩壊する恐れがある・・・』というわけだ。

まあ、わからないでもないが、最初の3日間でちょっと下手こいたくらいで崩壊するのなら、一年間うまくいってるように見えたって、そんなクラスは大したことない。管理上手な人は確かにいる。しかし、学級経営というのは、そういう管理のノウハウでこなすものではない。

子どもを疑ってかかってはいけない。騙されても信じてあげないと。だから、私の場合は、「まあ、そのうち、ボチボチいっしょに考えていこうや」で十分だ。子どもがちょっと騒いだくらいで何かが揺らぐような土台の上にはろくな建物は建たない。兎にも角にも、子どもがゆったり出来ないようでは、毎日が楽しくないではないか。

最近はますます大人が幼稚になり、子どもが大人びてきた。誰もが「上品に楽しむこと」を忘れている気がする。嫌な時代である。だから、毎日を笑顔で、上機嫌ですごしたい。10歳前後の子どもたちにはキラキラした時間を過ごさせてあげたい。

システム化された教育技術など、少なくとも私には不要だ。今年は、「出来ましたか?」「わかりましたか?」ではなく、「もっとやりたいですか?」「楽しいですか?」という問を大切にしたい。

初日から子どもたちは、隙間の時間を上手に使って、クラスに関係なく楽しく遊んでいた。「いいなあ」と思った。「すみません。お楽しみ中、恐縮ですが、荷物運ぶの手伝ってくれる?」と声をかけると、「うん、いいよ」と全員が仕事をしてくれた。

何の仕掛けも法則もクソもあるかい。そこにはかわいい子どもたちがいるだけだよ。

2011/04/08

花詩織



昨日ご紹介した「花詩織」の画像があったので貼り付けた。「花詩織」はいたち川とアザミどおりが交差する角にある不思議な花屋さん。お店の前からは立山連峰が見える。この店の前から立山連峰にかかる美しい虹を見た記憶が、風のメロジアに収録した「虹」のイメージの元になっている。

オーナーの牧野さんは、ロシアでも個展を開かれるほどのフラワー・アーチスト。寛容で、繊細で、そして鋭い感性の持ち主だ。

その牧野さんが奈良に来られたとき、なぜか私の詩集を気に入り、友人たちにプレゼントしたいと言って10冊も買ってくださった。さらに御礼にと贈られてきた薔薇の花があまりにも綺麗だったので、これはどうしても富山へ行かないと思い花詩織を訪ねたのだった。その時に出逢ったのが名古屋のプライナスである。

それからというもの富山を訪ねる度に何度となくお世話になっている。中越へボランティアに行ったときも、この「花詩織」で最後のチャリティーライブをしてから、現地に入らせてもらった。仕事の出張で富山入りしたときも、彼女が出入りする学校を紹介していただいた。

また、行きたいなあ。富山。

牧野さん、元気ですか?でも、さすがにこのブログは読んでないよね。PCいじるような人じゃないもんな。

2011/04/07

花束



この時期、さまざまな出逢いや別れがあって、花束は見事にそんな場面を演出する。

富山に行ったときはいつもお世話になっていた「花詩織」の牧野さんのことばを思い出す。

「花束をもらって嬉しくない人はいない。どんなすばらしい音楽や絵画でも好き嫌いはあるけど、花が嫌いな人はいない」

子どもたちが手渡した花束が、適当なことばが見つからないぎこちない瞬間を和やかにしてくれた離任式。

「さよなら」「ありがとう」なんて、ことばにするとあまりにも安っぽい。

2011/04/05

プレゼント



二階堂幼稚園から思いがけないプレゼントをいただいた。今年の卒園記念品のCDだそうだ。その中に5年前に幼稚園の創立50周年の際に依頼されて作った「明日にむかって」という曲がピアノとフルートの演奏で収録されていた。今でも大事にしてもらっているのがとても嬉しい。

丹波市幼稚園でも、卒園式の歌として作曲した「チャイルド・チェーン」をずっと歌っていただいているし、山の辺小学校でもずっと「おはよう・ボンジュールハロー」を毎朝かけてくれている。ドイツの音楽大学でピアノを教えていたという新しい音楽専科の先生もこの曲を気に入ってくださって、楽譜が欲しいという連絡があった。

改めて数えてみれば、担任を離れている5年間に8つの校園所でコンサートをしている。さらに市役所でロビー・コンサートをし、市民大学の講座としても演奏させてもらった。長岳寺での平和コンサートも5回を数えるし、自分の職場近くで、しかもしばしば教育委員会にまでバックアップしてもらって楽しめるなんて、冗談みたいに恵まれた話だ。

去年からは担任に復帰したので、平日のコンサートも講演もご容赦願ったのだが、断らなければならないほど、次々とオファーをいただけるのは何ともありがたいことだ思っている。

2011/04/04

てんでんこ


教育の力は大きい。

大事なことをきちんと伝えるとその教訓がいざというとき身を守る。逆に、くだらないことを教えて愚かな管理をすると取り返しがつかないことになる。

「津波てんでんこ」の伝承どおり、教師の指示を待たず、自己判断で高台に逃げた子どもたちはみな助かった。その一方で、危急の際にも点呼をとって多くの子どもたちを死なせた学校もある。愚かな管理をかばう声もあるが、学校という場所には、この種の優先順位の錯誤がうんざりするほどたくさんある。また、今回の明暗を分けたのは、家庭や地域の教育力の差であろう。

子どもたちには、自分の心で感じて、自分の頭で考え、自己責任で判断して行動できるように教育しないと駄目だ。

http://www.rsy-nagoya.com/wisdom/tiiki/tiiki26.html

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/281397.html

2011/04/03

礎石



幼少期を彦根城や和歌山城のそばで過ごしたせいか、城にはけっこう興味がある。 世界初の木造高層建築にして、信長の天下統一のランドマーク的な存在だった安土城。 「もし現存していたら・・・」と思う人は多いだろう。しかし、あっけなく焼失したがゆえによけいイメージはふくらむ。 いずれにしても、今は礎石しか残っていない。

これは、信仰の世界にも共通する。 たとえ誰かの建てた建物が焼けても、信仰の礎石であるキリストが残る。これは恵みである。人の業が無様に残り続けることを思うとぞっとする。

2011/04/02

ちょい旅



いよいよ新学年度がスタートして、あらゆることがいっせいに動き始めた。

このまま突っ走るモードに入る前に、もう一回脳みそを整理しようと何となく琵琶湖を見に行った。信楽経由で行くとけっこう早いのだ。今回は何も決めずにインターネットで直前にホテルだけ予約してダーッと行ったのだが、このホテルがなかなか良くってものすごくリラックス出来た。仕事を終えて帰宅し7時半に出発するという無茶をやってみたが、全然疲れもなく、ほどよく日常を離れられて実にいい感じだった。

翌日もいいお天気。近江八幡周辺を散策、この地にゆかりのある近江兄弟社の創立者ヴォーリスの足跡も辿り、安土城址にのぼる。信長が水郷で船遊びを楽しんだという西の湖周辺の風景が印象的であった。確かにこのあたりが信長の時代には戦略的要地であり、その他にも信長を満足させる要素がいろいろあったのだろうと思う。

信長がどの程度の福音を聴いたのか。そもそもフロイスら宣教師にちょっとでも信仰があったのかどうかも含め興味はつきない。一方ヴォーリスという人物も興味深い。琵琶湖をガリラヤ湖に見立て、近江八幡に理想郷を建設しようとしたと言うが、どの程度遊び心でどの程度本気だったのだろう。宣教師として教団から送られて来た人ではなく、ただの英語の先生だったと言うから面白い。

時代を超えて、人は主権者である神に対してどのように対峙したかでその生き方が決まる。さまざまな思惑で人は他者に、また世界に働きかける。ある人は大事をなし、ある人は小事をなす。いつまでも残る価値とは、決して人の目にそれほど大事とは映らないはずである。イエスのたとえを見ても、恵みの管理者が問われるのは、事の大小ではなく主人への忠実である。