2010/11/30

Tango Argentino


会田桃子さんのTango Argentinoのライブを聴きに行った。友人の箱屋の大将から案内をいただいたのだが、その日の仕事がどこまで伸びるかわからないので、行けるとも行けないとも返事をしないままだったが、放課後のケース会議があっさり早めに終わり、事務処理もチャッチャとやっつけて開演時間に間に合わせた。

実は箱屋の大将の同級生北村くんが、このユニットでバンドネオンを弾いているのだが、彼のバンドネオンと会田さんのバイオリンが織りなすアンサンブルが絶妙で聴き応えがある。

ちなみにNHK龍馬伝の高杉晋作が死ぬ場面でバックに流れていたバンドネオンは北村くんの演奏によるらしい。(箱屋情報)

さらに、北村くんの実家は今夜ライブがあったドラムヤカタのすぐ傍だという話。 もうひとつおまけに今日は北村くんの誕生日だということで、サプライズでお祝いもあって、こじんまりしていたが、アットホームないい雰囲気だった。

明日からは懇談というせわしい予定だが、行って良かった。

2010/11/29

ホームレスごっこ


教室横のベランダに段ボールハウスが出現。実は研究授業のときもそのままあった。

当然、参観者から「何をやらせているんだ?!」というツッコミもあるだろうと予想していたが、誰からの小言もないどころか、指導に来てくれた先生からは、「あれはいいですね。教室の一画にゴザやじゅうたんを敷いただけで、いじめがなくなるという研究もあります」などと言うありがたいことばもいただいた。

実は、数日前に段ボール箱で作った空気砲の中に入り込んで、穴から顔を出して「ホームレスごっこ」をしていた子どもたちに、ホームレスのおっちゃんたちの段ボールハウスの奥深さを教えてやったところ、「僕らもホームレスやりたい!」という展開になってしまったのだ。

最初は教室のすみっこで遊んでいたのだが、邪魔になるので撤収させようとして、「ホームレスごっこというのなら、外でやらないと・・・・」と言うと、「わかった」とベランダに移動したわけだ。

彼らは段ボールハウスの中で給食を食べさせて欲しいと私に交渉してきているが、今は保留中。

2010/11/28

研究授業を終えて




6年ぶりの研究授業を終えて、ちょっとホッとしている。とは言え、そんな時間も1日6時間あるうちの1時間にすぎず、これからも毎日毎日授業は続いていく。

当日は、参観する先生方がそれぞれに2人で4人の子どもを観察し、顔やからだの表情とその変化を追いかけ、その子の学びがどの場面で深まったのか、また途切れてしまったのかを個々に記録する。また、教師や子どもの発言のすべては全体の授業記録となり、その2種類の記録による事実を元にした授業検証を行う。

「何となく」の印象や、教師の指導力に関する互いに気を使いながらの話ではなく、「子どもがその時どうであったか」が中心に語られるので、非常に協議の質は高まる。

私も授業提供者として、非常に充実した時間を過ごさせてもらった。
とりわけ、一番心配だった発達障害を抱えている子たちが、周囲の子どもたちの支えによってねばり強い学びの姿を見せていた。私が感じていた以上のことが、複数の先生から詳細にわたって報告され、高い評価を受けていたのが非常に良かった。

いよいよ2学期も残すところ一ヶ月。

2010/11/25

三島事件から40年


今から40年前の今日、すなわち1970年11月25日、作家三島由紀夫こと平岡公威が、自衛隊の市ヶ谷駐屯地にて隊員に向かってクーデターを呼びかける演説をした後に、楯の会メンバーとともに割腹自殺を決行。当時小学生だった私には、その時はさっぱり意味などわからなかったが、三島の割腹自殺のニュース映像は、万博の太陽の塔とともに、強烈なインパクトを残した。このふたつのアイコンは、私が考える日本の戦後民主主義の矛盾を象徴するものだ。

三島は死の直前に「私の中の25年」という文章を新聞に掲載した。その中にある一文は現代の日本の姿を予見したものとして、ここ数年何度も取り上げられている。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」 

確かに民主党政権になってからの日本は、まさにこの三島の憂いと絶望に満ちたことばのとおりだ。
三島は単純な天皇崇拝者ではない。また、自衛隊員の中に行動を共にする者がでることは絶対にないことも知っていた。従って、三島事件は、政治的な決断でも思想的行動でもなく、空虚な自分の文学の美意識に殉じた演劇的な死であったと私は思う。


1984年に発刊されたフライデーの創刊号に掲載された三島由紀夫の生首の写真は、これまでに私が読んだすべての三島作品よりもリアルに、「人が地上に残しうるもの」を曝していた。

イエローカーペット&レッドカーペット



上は天理市庁舎前、通勤中の信号待ちに車の窓越しから。

下は先日紹介した伊那食品工業の敷地にて。



2010/11/24

ヤドカリ少年



何だかんだ言って、仕事の現場で束縛される時間は長く、ベラボーなエネルギーを奪われている。楽しいが、決して楽ではない毎日だ。

公立学校にいる以上、子どもを縛りたくないもので縛らざるを得ず、私自身も縛られている。縛られていても自由でいられる私とは違い、子どもはその不自由感を露わにする。こんなややこしいことは子どもに説明しようがない。

子どもたちは、私に会いたくて学校に来るわけではない。私の演奏やメッセージが聴きたくてそばにいるわけではない。これは前に立っていて一番しんどいことだ。

静かに話を聴いてじっくり考える訓練もまだ十分にはされていない。ただじっと座っていることさえ難しい子もいる。

授業は本当に難しい。ライブよりもメッセージよりも、これまで引き受けてきたどんな相談や講演よりも難しい。

たとえ私のことを信頼していても、それでも毎度ちゃんと話を聞いているわけではないし、こちらの予想や期待通りに反応してくれるわけではない。

大事な話をしているときに全く話を聞いていなかったり、ずっと言い聞かせてきたことを簡単に忘れて正反対の選択をされたりすると、本当に情けなくなる。

子どもは一人ひとり性質や能力も違う。親の考え方や環境によって多種多様の生育歴を経て今日の姿がある。そうした背景を無視して現在の有り様を冷たく判定することは出来ない。

それにしても、彼はなぜゴミ箱にはまってしまったのだろう。いくら考えてもわからないが、とにかく抜いてやるのにずいぶん苦労した。これまで周囲の子たちは、「○○が××なことをしている」と言いつけにくるだけだったが、最近は面白がって「これ、オモロイから写真撮ろうよ」と言うようになった。

2010/11/23

ブリューゲル版画展in京都


昨日の「11.22(いい夫婦)」の日は結婚記念日だったのだが、お互い仕事に疲れてまともにことばを交わすことが出来なかったので、午後から京都へ出かけることにした。ブリューゲルの版画展を観に行ったのだ。妻はブリューゲルの版画に興味を持っていたし、私もボッシュやブリューゲルの気持ち悪い系の作品は昔から好きだった。

私としては純粋に作品で気持ち悪くなりたかったのだが、絵画の世界を味わう前に満員の人に酔って気持ち悪くなってしまった。とにかく大勢の人でびっくりした。あれだけの人が美術に関心があるのは悪いことではないが、とうてい絵を味わう空気ではなかった。人気のある作品の周辺は、まさにブリューゲルの作品の中のような密度だったので、絵に登場する巨大な魚の腹を切り裂かれて飛び出るように会場を後にした。

400年前のネーデルランドも現代の日本も、人間の本質は全く変わっていないわけだ。

ゆっくり出かけたので、絵を観た後は他は何処へも出来ず、目の前にある京都タワーにでも上るかということになって、おそらく20数年ぶりに京都タワーに上った。○○と煙は高いところが好きなのだ。

京都タワーは、古都にあまり似つかわしくない滑稽な佇まいだが、幼い頃から見慣れているせいか、それほどヒドいとは思わない。まさに60年代の産物で、そういう時代の香りを残している。デザイン上のコンセプトは、京都市内の町家の瓦葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたものだそうだ。

2010/11/22

ライブ感覚

学校の教室というのは、日々ライブ感覚だが、音楽の場合と全く違うのは教室の主役は子どもだということ。パフォーマーとして有能であることは小学校の教師にとってあまり重要な要素ではない。

今日は5時限目に、研究主任が自分の空き時間を利用して、金曜日の研究授業につながる国語の学習を見に来てくれた。

子どもたちは、月曜日か、火曜日か、午前か、午後か、前日に家庭で何があったか、休み時間に何があったか、朝食に何を食べてきたのか・・・・等、ちょっとしたことで様子が全く違ったりする。

とにかく、こちらが思ったようにはいかないことが多いのだが、それが面白い。いずれにしても、子どもたちが研究授業当日に見せる姿が、取りあえずここまでの私の通知票みたいなものだ。

ボサ・ノヴァのライブも近づいて来た。You Tubeでのライブ・インフォメーションをどうぞ。

http://www.youtube.com/watch?v=R-CBnhwOlc0

2010/11/21

侘びダーヂ・寂びダーヂ


Salt&Uribossaはボサ・ノヴァを中心としたブラジル音楽をベースにはしているが、日本語の持つ美しさや、「侘び」「寂び」といったメンタリティーをとても大事にしている。

これは私と出会う前からUribossa氏自身も追求して来たものであり、そうした感性が響き合って今日の活動に至っている。

Uribossa氏は、ジョアンのギター奏法や発声を継承しながらも、日本人としての古風な感覚を根っこに持っているので、そのスタイルは決して「ブラジルかぶれ」の借り物ではない。それは彼の人となりや生き方の細部にも現れている。

現在、Uribossa氏によるSalt&Uribossaの公式HPを制作中であるが、暫定的に御自身のブログでもライブに関するインフォメーション等を行っている。

最新記事はニューアルバムに収録予定の待望の新曲の歌詞。

アルコのライブのフライヤーも私のブログのものと食事のメニューに若干の変更があるので、ご来場予定の方は、チェックよろしく!

http://wabisabidade.blog.eonet.jp/bossa/2010/11/

寒天を売る観点


ちょっと訳ありの社会見学に行って来た。

「伊那食品工業」は、国内シェア80%を誇る伊那の山の中の寒天の会社である。創業以来、連続して増益増収を続けている奇跡の企業。不景気な昨今の日本にあってこれだけの規模の企業が途切れることなく右肩上がりを続けているのは、ほとんど考えられないことなので、あのトヨタをはじめ、多くの企業がその創業者である塚越氏の経営理念に注目しているそうだ。

しかし、この大躍進は決して利益を追求した結果ではなく、創業以来、社員ひとりひとりの幸せを求めた自然な結果だと言うからさらにびっくり。創業者塚越氏のことばによれば、「利益は健康なからだから出て来るウンチだ」とのこと、「50年間たった一人の社員のリストラもしていない」というのが本当だとすると、外向きのキレイごとではなく、これはなかなかあなどれない本気の姿勢だと感じる。社内には21世紀の100年カレンダーをあちこちに貼り、目先のことではなくずっと先を見通すようにと、徹底している。

健康ブームで寒天に注目が集まったときも、経営規模が拡大することを「あえて」しなかったと言う。企業にとって最大のビジネスチャンスを軽く受け流したことにもちゃんと理由があるのだ。一時のブームにのって無理に設備投資をすれば、ブームが去ったときに必ずそのツケがまわってくる。その時傷つくのは社員であり、会社もダメージが大きい。「責任を持ってキチンと商品を届けられるような身の丈にあった商売が大事だ」とキッパリ言い切る塚越氏。

あくまでも会社はみんなの幸せにあるとし、「凡事継続」「年功序列」「終身雇用」というイマドキの経営理念とはかけ離れたことばを恥ずかしげもなく謳いあげている。
伊那食品工業は、「寒天」というこの世に別に無くてもよさそうなマイナーなものを扱いながら、アメリカ型の能力主義や効率主義で組織をボロボロにしてきた日本の会社経営を一から考え直させる怪物企業なのだ。

このような、地元の方々にとっても誇りであるような素晴らしい会社を一代で築き上げた塚越氏の理念を支えるのは何なのだろうと不思議に思ったが、それは、なんと昔はどこの小学校にでもその像があった二宮尊徳の生き方に原点があった。

「遠きをはかる者は富み 近くをはかる者は貧す。」「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」という尊徳のことばが、会社経営のすみずみにまで浸透していたのだ。損得よりも尊徳優先というわけだ。

半日かけてゆっくり見学させてもらったが、会社の敷地の中に、植物園のような自然を生かした庭園や美術館、レストランやショップがある。確かに謳い文句のとおりに、どこをとっても、効率よりも快適さを優先し、それなりの「癒しの空間」を作っている。社員のマナーもサービスもよく、施設もすみずみまでキレイでホスピタリティーかなり高い。

伊那食品工業に古き良き日本人の姿を見た。

2010/11/20

戦国感冒朝刊

尖閣問題の映像流出を巡って様々な議論が巻き起こったが、「こんな映像がYouTubeで流れた!」とバンバン報道するのはどうなんだ?

「秘密」にしても「正義」にしても、ことばの定義自体がそもそもいい加減なものだとつくづく思う。

とは言え、「自衛隊は暴力装置」という表現は確かにいただけない。

しかし、「自衛隊が暴力とは無関係」だとすれば、戦車や戦闘機はいったい何をするものなのだ?

自衛隊という組織にも、自衛隊の装備にも「消防車や火を消す」「扇風機は風を送る」というわかりやすさがないから困ったものだ。本当は誰でもわかっているのに、わかっていることを口に出せない馬鹿馬鹿しさにたえかねているのだ。

官房長官も「軍隊」とは言いにくいから、「暴力装置」と言い換えたわけだが、それが「隊員のプライドを傷つけた」からどうのこうの・・・と首相がわけのわからないことを言っている。

法務大臣は国会をナメきった発言のせいで、国民にナメられているし、そうこうしている間に、ロシアと中国に国家の主権をないがしろにされている。

2010/11/16

リンゴ飴



高学年のいきいきタイム(クラブ活動のような枠)で「スーパーサイエンス・コース」を担当している。

毎回、ネタさがしに苦労するが、今回はリンゴ飴にトライ。

テキ屋でのバイト経験もある同僚の指導により、限られた時間と予算と設備の中で何とか完成。

私は毎回、天才科学者に扮し、白衣を着て参加している。「ひとことサイエンス」のコーナーでは毎回、サイエンスにまつわる蘊蓄を語ることになっている。

リンゴの側から見た種の話をした。動けない植物は、いかにおいしそうな実をつけて種を分散して運搬するかというストーリーを3分程度にまとめた。子どもたちはグツグツ言い出した鍋を気にしながらも、興味深く聴いてくれていた。

これも私の種まき。

朝、教室に行くと「先生、リンゴ飴ちょうだい。」と書いてあった。他のコースの子どもたちが、羨ましいなと思ってみていたのだろう。

まあ、「砂糖眩し」はいかがなものかとは思うが、「本来のおいしさ」をそのまま伝えるべきではある。

2010/11/15

オンステージ








             




最近、Uribossa氏の友人が撮影してくれた夏のライブ画像をいただいた。

あの暑かった夏はどこへ行ってしまったのだろう。

              

被写体になるのは好きじゃなかった。

でも、最近は写真を撮るのも写るのも、けっこう楽しい。何でだろう?

            
 
      

 明日の夜は練習。
 
 本番もいいけど、練習が楽しい。
                               
 音楽そのものが楽しい。









2010/11/12

バックステージ




たった3曲、わずか数分間の演奏だが、子どもたちにとっては貴重な体験だったと思う。やりたい楽器にさわれなかった子、1ヶ月必死に練習しても、まだまだ完全には演奏出来ない子、それぞれの子どもの背景やドラマがある。

そうしたバックステージが充実しているかどうかも、おそらく客席に伝わるものだと思う。

膨大なエネルギーを注いだが、私は音楽専科ではなく、学級担任なので、混乱を避けるために音楽的なアドバイスは一切しなかった。

私が伝えたのは、ただ「演奏前の静けさを作る」ということ。「友達の音を聴き、全体の音に調和する自分の音を聴き、音楽を楽しむ」ということ。

会場である市民会館から徒歩で学校にもどる足取りは軽かった。

教室に戻ってから、全員にひとことずつ感想を語らせた。どの子も笑顔で満足していた。私もその子どもたちの表情を見て、これでいいと思った。

2010/11/11

仙谷より千石の米を守れ

日ごとに国益を損なうスッカラ菅氏だが、「TPP平成の開国」などという戯言は、歴史も経済にも暗く、外交能力もなしという証拠である。

「仙谷より千石の米を守れ」と言いたい。農業を馬鹿にした国は滅びるしかない。

尖閣問題に関しても、10日の衆院予算委員会で「歴史に堪える対応」だったと現状認識の甘すぎる答弁をしたようだ。

YouTubeさせた海保職員は、失職覚悟で彼が信じる国益を追求した点で、私服を肥やすために職にしがみつく政治家よりはずっと偉い。

「自分がやりました」と認めた点でも、「私は知らなかった」「秘書のせいだ」とシラをきる政治家より遥かに立派。

故意に衝突してきた中国人船長を超法規的に釈放して、中国で英雄にしてしまった。今度は、海保職員を処分して、日本で英雄を作ろうとしている。

冬めくボサノヴァ



磯城郡田原本町「カフェ・アルコ」にての冬のライブのご案内。

「真夏のボサ・ノヴァ」の頃のあの暑さはどこへやら。今朝は各地がこの秋の最低気温を記録した模様。

今回も超多忙なスケジュールの隙間をぬって、秘密の特訓を繰り返し(別に秘密でも特訓でもないけどけっこうマメに練習はしてます)果敢に新しいネタにもチャレンジ。

冬はお鍋かボサ・ノヴァか。

ボサノ・ヴァは、夏には涼しく、冬には温かい、世界で一番こころとからだにやさしい音楽です。

2010/11/10

Saltの「アホ」リズムな箴言⑨


(41)遊びは無計画で非効率で不可解であることが多いが、その膨大な無駄の中にこそ新たな発見と大いなる飛躍がある。

(42)遊びは、時間的、空間的、精神的「ゆとり」の中でこそ生まれる。この3つのうちどれが欠けてもいい遊びは出来ない。人は追いつめられた状態では遊べない。

(43)図星をつかれると怒り出す。哀しみを突き抜けると笑い出す。

(44)偶然を主張する必然について、無意味を強調する意味について、もう少し考えてみても悪くない。

(45)最短距離で目的地に着くことが最善のプロセスではないことが多い。

2010/11/09

同じ目の高さで


上から目線で話しても、子どもの心には届かない。こちらから何かを伝える前に聞いてあげないといけないことがいっぱいある。

ムカついても、「ことば」で伝えることが出来る子どもは簡単にキレない。そんな「ことば」を育てるために良い教師は徹底的に聞き役になる。

2010/11/06

今日のリコーダー講座から


やたらゆっくりはっきり丁寧に話す戦場カメラマンが人気を集めている。私も最近何度かテレビで見かけて、ついついその「軽妙」というのとは程遠いトークに引き込まれてしまった。そして、今の時代だからこそ、ここまでウケるんだなと思った。

今日は月に1回のリコーダー講座である。

リコーダー講座では、意識的にワルツの練習曲をたくさん取り上げている。ミディアムテンポのワルツが音楽療法的に高い鎮静効果があると考えられているからだ。

私は、軍楽的な士気高揚に用いられた偶数拍子ではないことにその一因があると思っているのだが、それは言ってみれば、カウンター的な癒し効果である。

戦場カメラマン渡部氏がここまでウケているのも、こうした背景とのコントラストがあってのことだ。つまり、茶の間を席捲するワイドショーやバラエティ番組のテンポの速さ、テンションの高さと、無駄な情報量の多さと、質の低さに比べて、その真逆をいっているところに癒し効果が生まれているのだと思う。つまり秘密は、彼のトークのテンポの遅さ、テンションの低さ、情報量の少なさと、質の高さにある。

さらに、今日の講座では、トピックのひとつとして、「クリシェ」を取り上げた。これはフランス語で「決まり文句」「常套句」を意味することばであって、本来はあまり良い意味ではない。

音楽でクリシェという場合、「同じコードが続くときに装飾的に加えられる慣用的なライン。半音あるいは全音の動きをあえて作る作・編曲上の技法」を指すが、これがその名前のとおり、いかに頻繁に使われているかを実際の楽曲を取り上げて説明した。

本当の意味での個性というのは、突飛で新奇なものではなく、普遍的な「型」や「法則」をはずしたものではあり得ないのではないかと伝えた。同一のコード展開の上に巧みに重ねられたメロディの美しさを確認できたと思う。

先の渡部氏も、日本人らしい礼儀正しさが、戦場カメラマンとしての非日常性と重なっているところに魅力があるのだと思う。ウケをねらわないその人らしさが一番いい感じなのだ。これは音楽も同じだ。

裏ビデオ流出

海上保安庁が撮影したとみられる例の衝突事故映像がYouTubeに流出。民主党政権にダメージを与えるための内部告発であるとされている。

「仙石」「左派」を揶揄するsengoku38というハンドルネームも怪しげだ。

インターネット社会では、一部の人間が情報を独占することは不可能である。裏が表に出て来て、表が裏返る。

「一目瞭然」と前原氏が息巻いていたビデオだが、中国側は捏造だと一蹴。

「どんな証拠を見せても見たいようにしか見ないのだ」ということが、全くわかっていない人たちの管理していたはずの「隠し球」がポロっともれてこの有様。みっともないことこの上ない。

さあこの後、どんな風に中国と向き合うのか。

日を追うごとに国益を損なうスッカラ菅さんは、東アジア構想については前任のルーピーポッポちゃんよりもいっそう見識が乏しいと言われているだけに、一国民としては心配でならない。

2010/11/03

Saltの「アホ」リズムな箴言⑧




(36)子どもにとって遊びとは、まさに子どもが子どもの今を生きる最も貴重な時間である。

(37)意味のなさそうなことを、本当に意味があるのかないのか、それを確かめることが大事だ。ないとしたら、どんな意味がなかったのか、そのくだらなさを実感することこそ貴重な体験なのだ。遊びの中にはそうした要素が含まれている。

(38)大人になると、日常の大半が意味のありそうなことで埋め尽くされ、意味のなさそうなことが入り込む隙間がほとんどなくなってしまう。子どもが、子どもの今を生きるということは、その意味のなさそうな時間を大人に勝手な色づけをされずに体験することだ。

(39)子ども時代から、意味のありそうなことばかりで埋め尽くされた子どもはあまりにも不幸だ。そういう不幸だった子どもが真面目な先生になって不幸を拡大する。

(40)遊びのモチベーションを作るのは、未知なるものへの好奇心と期待である。傲慢と諦観からは遊びは生まれない。

2010/11/02

よく遊び、よく遊べ


子どもたちを見ていると、「もっと遊べ」「もっと楽しめ」と思う。私の目には「少しも」「さっぱり」「まだまだ」「全然」遊び足りていない。あんまり遊んでいないから、何をやらせても鈍くさすぎる奴が多すぎる。

要するに経験不足なのだ。そのくせゲームには詳しい。物事を短絡的に考え、諦めるのがやたらはやく、恐ろしくわがまま。幼い子どもに刃物を持たせるのが危険だと知っているなら、10歳未満も子どもにゲームなんかさせちゃだめだ。ゲームは遊びではない。

そんな中、私のクラスにはほとんど遊ぶことしか考えていない男の子が若干名いて、こいつらがなかなかいい。もっとも、世話はやけるし、いつもトラブルは起こすし、真面目が取り柄の先生はあんまり受け持ちたくないタイプの子たちだと思う。こいつらのおかげでかなりの時間と体力を失うことになるが、こいつらがいないとずいぶん味気ないクラスになるだろう。

とにかく彼らはいつどの場面をとっても、とてつもなくくだらないことをしていて、あまり誉める要素がない。これがいい。「遊び」というのは、何かをねらいにしたものじゃないからだ。誉められるような遊びなんてほぼ遊びじゃない。

生活科などという最低な教科がやっていることは、目もあてられないような内容ばかり。まともに遊んだことのない輩がどつまらん役人になって、「遊びとは何か」を考え出す。それを言われたまんまに現場でとっとと実践しているようではどうしょうもない。

生活科の悪口を具体的に書くと差し障りもあるかと思うので、(すでにかなり差し障りがあるが・・・・・)退職した幼稚園の某園長が私に話してくれたエピソードをご紹介しよう。

昔、保育の研究をしてかなりの成果があがっていると信じていた。そんなある日、子どもたちが言われたとおりに「お店ごっこ」をしていきいきと遊ぶ姿を目を細めて見ていたと言う。子どもたちも明るい声を響かせなかよく楽しくやっている。職員たちもよくここまでがんばってくれたと園長として満足だったそうだ。ところが、お片付けを終えた頃、遊びをリードしていたひとりの子どものが園長に近づいてきて、開口一番こう言ったと言う。「園長先生。もう、遊んでいい?」

これで、この園長は「目が覚めた」と言っていた。「言われたとおりのお店ごっこ」は、5歳児であっても「あそび」とは感じないのだ。それを楽しく遊んでいると見なしていた自分は子どもの何を見てきたのだろうと謙虚に反省なさったわけだ。まあ、これで目が覚める人はいいが、ずっと寝ぼけたままの人も多いというのもおわかりいただけようか。

私が「人生の半分は遊び」と言っているのは、かなり真剣なのだ。ただ漫画を読むとかゲームをするなんてことは遊びの範疇には入らない。他人のプログラムにのっかって消費に貢献しているだけだ。もちろんその行為自体は否定しない。仕事ではないから遊びというのは、ほとんど遊びの本質ではない。

遊び以外の領域においても、言われたことをそのとおりにやって誉められるくだらなさと言うのは、何と言おうか、私の価値観ではほぼ0点である。ちゃんと遊んでないから、遊び自体も遊び以外もともにおもしろくないのだ。

言われたことを言われたとおりにやらないと怒りだしたり、機嫌を損ねたりする教師が多い。「先生は今そんなことは指示しなかったでしょ!」と言うわけだ。これではストライクゾーンが狭すぎる。先生に遊ばしてもらっても、それは遊びじゃない。先生の目を盗んで楽しめれば、これはちょっと遊びっぽい。

私はその子が投げる一番いい玉をストライクとする。全然違う。こちらが予想しない反応をすると、やたら面白がって計画を柔軟に変更する。こういう「遊び」の心が良い結果を生むのだ。

目先の小さな予定調和の中で生きている人たちとは一生かけて話し合っても意見が合うことなどない。そういう人たちに限って、「話し合えば通じ合う」などと思っていたりするからやっかいだ。

意味のなさそうなことを、本当に意味があるかないか確かめたい。ないとしたら、どんな意味がなかったのか、そういうことを試してみる時間が必要だ。遊びの中には、そういうことが自然に含まれている。大人になれば、意味のあることが連続するので、意味のなさそうなことの入りこむ隙間がほとんどない。

2010/11/01

甲賀の飛び出し坊やは忍者風


上柘植インターから、東近江に向かう道中、 脇道のススキの陰の「飛び出し坊や」が目に入った。

「さすが甲賀の町、飛び出し坊やも忍者風だな~」と妻と話していると、本当に忍者の「飛び出し坊や」があった。あまりにもグッドタイミングなので笑ってしまった。しかも、これから飛び出すのではなく、渡りきった様子なのが、「やるな~忍者」って感じだ。

でも、忍者のコスチュームより、普通の子どもが忍者風の方がいい。このあたりのセンスは大事だ。

こんな風に「ろばの子」へ向かう途上は道中も、いつものように「遊び半分」の実に楽しいものだった。 目的地に着くまで目をつぶって突き進む感じはどうにも好きじゃない。プロセスも含めてすべてを味わいたい。

ちなみに滋賀県や京都府には、この「飛び出し坊や」の数はやたら多い。「坊や」ではなく「女の子」の人形もあった。



「飛び出し坊や」とは・・・・

主に児童への交通安全の呼びかけやドライバーへの注意喚起のために、通学路などに設置されている看板のことである。横断旗の入れ物を兼ねるものもある。正式な名称は存在せず、飛び出し人形・飛び出し小僧・飛び出し君・飛び出し注意君などとも呼ばれている。