2009/11/14

飽くなきギターサウンドの追求 Uribossa編

今回はUribossa氏が送ってくれたメール転載をお願いして、ギターサウンドに関する私とのメールのやりとりの一部を掲載させてもらうことにした。彼のギターサウンドへのこだわりの一部が垣間見える。


From Uribossa to Salt

クラシックギター界や、おそらくスティール弦ギターの世界も
残響が多い方がよしとされていると思います。

しかしボサノヴァに限っては、残響が長いと、次のコードに移る時に
前のコードの残響が邪魔になり、ひとつひとつのコードがぼやけてしまう
といった現象が起きます。
特にベース音があまり長いのは、曲全体のアクセントがなくなります。
もちろん左手を浮かしてカッティングすればいいのですが
そのタイミングがまた難しい。なんでもかんでもカッティングすると
これまた、チマチマした曲調になってしまうのです。
私の下手なフレーヴォなんかその典型ですね。

ジョアンは、実は驚異的な弾き方をしています。
長く鳴りすぎるベース音をカットする際、左手ではなく、右手の親
指で行っています。
一回弦をはじいてすぐにもう一回その指を弦に当てて、ミュートし
ているのです。
それを歌いながら、その歌もずらしながら、、、。

もちろん、僕らはジョアンじゃないので、そんな曲芸はしなくても
OK。

それから、ブラジルのジ・ジョルジョというメーカーのギターは残響が少ないのです。
http://sambatown.jp/digiorgio.htm
質が悪いからそうなったらしいのですが。
ジョアンをはじめ、ブラジル人がそのギターを使って弾いていたから
ボサノヴァギターの定義がそうなった、とも言えますね。
高価なギターは、和音を弾いても1音1音がハッキリ聞こえるけれど
ジョルジョのは「まとまって」聞こえる、この点も大きな特徴のよ うです。
だから、ジョルジョを使えば誰でも「そこそこのバチーダ」が弾けて、ボサノヴァっぽい演奏が出来てしまうらしいです。
でも音量には乏しいらしい。年月を経て枯れたもの以外は。

私としてはやはり音量は欲しいのです。
音量があれば、軽いタッチで弾くことが出来るから。
さぁ、音楽人生が終わる前に、これぞ!というギターに会えるでしょうか。



From Salt to Uribossa

ギターサウンドに関しての詳しい解説ありがとうございます。めっちゃよくわかります。

いいギターと出逢うことは本当に幸せなことですね。

ヤイリギターと田村ギター、いずれも個性があって、それぞれによって未熟ながら、
自分の弾き方も変わっているのに気づきます。

その楽器の持っている一番いい音を曲に合わせて出そうとしている自分がいます。
 
自分にはこの試行錯誤がとても楽しいし、「お目当てのギターを貯金して買う」とかではない醍醐味を味わっております。

今日は田村ギターを使いましたが、やわらかくて実に邪魔にならない音色です。とてもいい感じです。ヤイリだと音が立ちすぎる。響かずにカラッと音が立つ。そこが渋いのですが、リコーダーの伴奏向きではありません。


・・・・以上、アホ親父ふたりの、他の人にはどうでもいいようなやりとりでした。

2 件のコメント:

  1. 全ての良いこと、好ましいモノ、素晴らしいと感じるところには、神の影が有るように思うのは私だけでは無いと思います。
    古いコピーではありますが、たかがギター、されどギターと感じさせられました。
    ほとんど気にしてないような事柄の奥には、普段過ごしているだけの者には知ることも出来ない世界が隠されているんですね。
    ボサノヴァにはそんなフィールがあること初めて知りました。ま、私は知っただけですが、、
    楽器にも国民性が有ることも面白いですね。
    性能的に優れた品が決して全てにおいて心地よいわけでもないことは、スポーツなどの競い方と違って興味深いですね。
    楽しむ世界では本当はプロもアマも無いと思うところが有ります。
    前者はそれを成して収入をえている、ほとんどの後者はそこに稼いだお金をつぎ込んでいるだけのこと
    もちろん意識はちがいますが、、、

    私は楽器が出来ませんが、3人の子供達に是非身につけてほしい事の一つに何かしらの楽器を楽しむという事がありました。
    社会に出てから人生を豊にしてくれるのは、いわゆる5教科ではなく、どちらかと言えば図工、体育、音楽、家庭科などであると感じていました。
    もちろん数式や社会が本当に好きでという子もいますが。

    なにかしら多くの教師を目指す学生と話をすることが多いのですが、
    良く話させて頂くことは、「先生という仕事はとても大変です、生き物を扱う仕事だけでも十分大変な上に、人格有る者と相手を、しなければなりませんから」
    「でも、素晴らしい仕事だと思ってます。なかなか泣ける程の仕事はありませんから、先生として真摯に向かい合うとき必ず泣けるときが有ると思います。是非目指してください」と
    長野来てから電気屋より大工の方が割合が増えてしまいましたが、大工の仕事で泣けたのは一度だけ

    来春も何年かお世話になった何人かが県外へ出ていき、小学校の教師として赴任されます。
    どうぞ、全てを治める方が、この矛盾の多い世にあって彼ら一人一人を守り導いてくださいますように思います。

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  2. 何だか嬉しいコメントです。私も小学校で大事なのは、体育、音楽、図工、家庭科であると本気で思っています。

    楽器と友達になると、本当に楽しいです。楽器と友達の人どうしは、簡単に「音もだち」になれます。

    私は小学校の教員ですが、ドラマ以上にドラマチックな日々を送っております。

    お金は儲からないし、責任は重いし、時間は束縛されますが、泣ける仕事です。

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