2010/01/17

Remember 1.17

ハイチが大変なことになっている。未曾有の大地震である。生き埋めなどで救出を待つ場合の「生存の限界」とされる発生後72時間を過ぎた。救援活動は遅々として進まず、治安も悪化している。

そんな中、日本では神戸の震災15周年を迎え、かなり複雑な気持ちだ。ハイチは遠く私は無力である。

あれからもう15年か。

10年目の時にはJR神戸駅で大きなライブやイベントもやった。

神戸の被災者が中心になって中越の被災者を励ましに行くことに、当時は大きな意義も感じていた。中越の震源地で行ったいくつかのライブは今も忘れられない。仮設住宅に荷物を運んだり、剥がれたクロスを張り直したりした。でも、自分に出来たささやかなことよりも、出来なかった多くのことを思う。

何もしないことの言い訳なんて、探さなくても何処にでもある。キチンと仕事をしているまともな大人に赤の他人に関わる時間なんて、無理して作らなきゃ無いに決まっている。そして、たとえ時間を作ってからだを動かしても、一個人に出来ることなんて限られている。そんなことは初めからわかっていた。それでも、何もしないよりは少しはマシだということを示したかったのだ。そうしたことを踏まえた上で、焼け石に水を打ちに行ったわけだ。

「神戸の記憶を風化させない」とは、一体何を指してそう言っているのか?

被災者のエゴだってある。ボランティアの自己満足もある。自治体の運営や防災の仕組みの問題もある。揺れたのは地面だけではなく崩れたのは建物だけじゃない。神戸は復興の中で反省をかたちに出来たのだろうか?大いに疑問が残る。

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