2010/01/08

遊びの達人?

Dr.Luke氏が御自身のブログで、私を「遊びの達人」と紹介してくださっていた。(7日の「冬眠生活へ・・・」の記事)この栄誉ある称号を頂いたからには、調子に乗ってもっと遊ぶしかない。

遊ぶためにはお金と時間がいるが、お金も時間もあんまりないのにかかわらず、それらがたっぷりある人以上に楽しめるのが「遊びの達人」たる所以である。

お笑いであっても、「笑われる」より「笑わせる」方がレベルが高い。「笑わせる」より「思わず笑ってしまう空気を作る」方がさらに上である。遊びにおいても、「さあ今から遊ぶぞ」と力んだり、逆に無理に力を抜いたりしなくても、自然にその場を楽しんで、周りを楽しませているのが素敵なのだ。遊ぶのに疲れ果てるのは馬鹿げている。気がついたら遊んでいたというのが正しい。しかも誘いもしないのに、みんなが自然に巻き込まれ、みんなが面白がっているのが最高だ。

基本的に「仕事」は「遊び」の反対語ではない。仕事の中に遊びの要素が含まれていなければ、いい仕事なんて出来ないし、仕事の段取りが悪い奴に遊びを企画させてもつまらない。創造的な仕事をしている人は、遊びもまた創造的である。スケールの大きい仕事をしている人は遊びのスケールも大きい。

私は遊園地とかゲームセンターの仕掛けに乗っかることは遊びだと見なしていない。遊園地の外側こそ「遊びの園」であり、他人のプログラムにはまらないことこそ「本当のゲーム」の始まりである。

さらに言えば、例えば、楽器が出来なきゃ、音楽的な遊びは出来ない。遊びには最低限の訓練やスキルも必要なのだ。そして違いがわかるセンスが不可欠だ。追いつめられても自分を笑えるユーモアがあればさらにいい。

私が出来ることはごく限られているので、さらに広範囲でレベルの高い遊びが出来るように力をつけたいものだ。挑戦したら面白いだろうなと思うことはまだまだ山ほどある。

神の憐れみという観点に立てば、絶望の大きい者には、慰めもやや大きいということかも知れない。

2 件のコメント:

  1. 「遊びには最低限の訓練やスキルも必要なのだ。」
    全くその通り。スイミングも泳げるからこそ気持いいのであって。まあ、リコーダーも写真もスイミングに例えたら息継ぎや手のかき方から教えてもらっているところだけど、その訓練やスキル習得が、また楽しいから。

    絵も、自然に巻き込まれ、状態ですが。
    夏休みの学校内研修で図工の先生が教材研修を毎年してくれていた時期がありました。半日ほどで絵が完成しないのだけれど、描いているときは楽しく、途中まででもみんなで見せ合ってワイワイ話すのは面白かったです。そういう経験があるから描いてみようかとも思いますね。
    私も、遊んでいる人、楽しい人、でいたいですね。

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  2. マジで絵、描いてみてくださいね。絶対面白いと思いますよ。

    人の評価やつまらん枠組みから解放されると物凄く自由です。

    広告の裏に落書きする感じでいいんです。

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