2011/03/14

心のキャンドル



100年後        Salt&Uribossa

100年後の世界がどうなるかなんて
想像も出来ないけど
今よりずっとよくなってるなんて思えない とても

空気も水も汚れ果て 
緑の森もなくなって
人の心も もっとすさんでしまうのかな

だから 今 少しでも ささやかでも
心のキャンドルに火をつけよう

100年後の世界に私はいない
だから どうでもよくはないだろう
今より 少しでも 明るい未来を残したい
子どもたちに

だから 今 少しでも ささやかでも
心のキャンドルに火をつけよう



2000年の年賀状に「これからの100年もよろしく」と書いた。これから100年はとうてい生きることが出来ないけれど、自分のいない100年後や、この世界から姿を消した私の存在について考えることも悪くないと思った。

歌詞を作る場合は、出来るだけ平易な日本語を使う。でも、私なりにいろんな意味を込めている。ある人たちにとっては意味が伝わらなくても、特定の人や別の人たちにはわかるメッセージを込めていたりする。

この歌はキャンドルナイトの為に作ったのだが、きっかけは家具作家Y.B.M氏との会話の中にあった。「僕は100年後にも愛される家具を作いたいんです」という彼のことばから曲のイメージが広がった。私は家具は作らないが、この曲は私からY.B.M氏への答えでもある。

また、「心のキャンドル」には、マタイ25章1~13節の「花婿を迎える10人の娘のたとえ」のイメージも重ねている。

イザヤ書42章には「彼(イエス)はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす」という表現もある。「くすぶる燈心」は信仰を意味する。

いずれにせよ、ことばは聴き手の語彙や感性や経験に支配される。その枠いっぱいに広がる可能性のある表現を選ぼうとするのは、私が仕事で小学生を相手にしているからだろう。自分の成長に合わせて一緒に育っていくような歌はいい歌だと思う。そして、互いの共有部分の大きい歌が愛唱歌となっていくのだ。

私の作る歌は愛唱歌の類ではなく、どちらかといえばカスタムメイドに近い。届けたい相手の心にしっかり届けばそれでいい。

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