2011/03/13

100年後




今日のバンド・フェスティバルで「100年後」という曲を歌った。地震を受けて曲目を変更したのだ。この曲はもともとはキャンドル・ナイトのために作った曲。普通、人は自分が生きる舞台として世界を考えるものだ。しかし、子孫や他者の視点に立って世界を見つめ直し、地球環境や未来に対して謙虚になろうよというテーマである。

津波ひとつやってくれば、地境もなくなり不動産も流れていく。誰にも文句は言えない。それは天災だからだ。ところが原発の場合はそうではない。いろいろ言いたいことがあるはずだ。それは人災だからだ。

100年後を考えて今を選ぶという人はあまりいない。でも自分が存在しない町の住みやすさを考えることが、何かを変えていくだろう。揺れがおさまり、波が引いた大地に立って、100年先を考えることが出来たなら、災いは災いには終わらない。

「神はわれらの避け所。また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海の中に移ろうとも。たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても」(詩編46:1~3)

「大水のとどろきまさり、海の力強い波にもまさって、いと高きところにいます主は、力強くあられます。あなたのあかしは、まことに確かです。聖なることがあなたの家にはふさわしいのです。主よ。いつまでも。」(詩編93編5節)

天災の天には、主の主権が働いている。そこに望みがある。

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