2011/03/10

立場と文脈


仕事から帰宅すると、リビングではジャケットが緑色だった頃のルパン3世の録画が再生中だった。懐かしいなあと思いながら、観ることもなく観ていると、音に敏感な私は、不自然な無音状態に反応。「おっと、ルパンが問題発言したな!」と言うと、「何て言ってたんやろ?」と話題になった。心ない不適切なことばをあえて使う必要はないが、この種のことば狩りがアニメにまで及んでいるのはひたすら不愉快である。そのことばがよいとか、よくないとかいう以前に、そのことばがいかなる文脈の中で、どんなニュアンスで語られているかを無視して、ただ消させてしまう力は、そのよくないことば以上に暴力的で、ある種の憎しみや敵意に満ちている。

話は変わるが、米国務省のケビン・メア前日本部長が「沖縄ケンミンはゆすりの名人」などと問題発言。さすがに今回は米政府がメア氏を更迭し公式に謝罪した。これを日本政府は評価し、「米国の対応は適切だった」(菅直人首相)とし、早期の幕引きに応じる見込みである。やれやれ。「ゆすりの名人」ということばだけが報道されているが、問題はこのことばがどこでどんな風に語られたかである。これは米大学生を相手にして国務省内で行った正式な講義の中での発言であり、フリートークにおける戯言ではない。

さらに重要なのは、この部分。

『私は日本国憲法9条を変える必要はないと思っている。憲法9条が変わるとは思えない。日本の憲法が変わると日本は米軍を必要としなくなってしまうので、米国にとってはよくない。もし日本の憲法が変わると、米国は国益を増進するために日本の土地を使うことができなくなってしまう。日本政府が現在払っている高額の米軍駐留経費負担(おもいやり予算)は米国に利益をもたらしている。米国は日本で非常に得な取り引きをしている。』

アメリカの対応が迅速なのは、反省の度合いが深いからではなく、それがアメリカの本音に極めて近いから、メア氏個人の見解としてきちんと打ち消さないとまずいからである。

大半のメディアの報道も、ゆすり部分のことばだけ強調し、沖縄県民が怒っているという話にすり替えているが、そんなレベルの話ではない。

金丸時代に始まった思いやり予算についても、今や、良く知らない国民の方が多いだろう。菅さんも、「今回の無礼な発言で、思いやり予算は、米兵ではなく、日本の子どもにこそつけるべきだと目が覚めました」とでも言えばよい。

一方では、3.1独立宣言集会に参加した民主党の土肥隆一衆院議員が竹島の領有権問題に言及されていたが共同宣言文に署名した問題で引責辞任。これもまたみっともない話である。国を代表する立場から言えば、まだメア氏の愛国心に分がある。

一足先にとっとと辞めてしまった前原外務大臣もそうだ。「外務大臣だから、外国人とは仲がいいのだ!」とでも言って開き直るぐらいの気概がなければ、中国やロシアを相手に交渉など出来るはずがない。

日本の大臣や議員は、いったい誰の利益を代表して発言し行動しているのかと情けなくなる。

ルパンは暴言を吐いてもいい立場だが、議員や大臣はそうではない。謝罪のことばも、反省のない文脈の中で語られているものを鵜呑みにしてはならない。

私も立場をわきまえて発言しなければならないので、ことばにはかなり気を使っているつもりだが、受け手の乱心にまでは配慮は及ばない。悪しからず。

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