2011/05/05

やまぶきいろ


幼稚園の頃は、絵を描く時間がすごく楽しみだったのを思い出す。

小学校に入り、平仮名が読めるようになり、「やまぶきいろ」という色の名前を覚えた。「きいろ」ならわかるけど、その前についている「やまぶ」って何だろうと思っていた。「やまぶ」の正体がわからず、とて不思議だったが、深く追求するほど気にしていたわけではなかった。

3年生くらいになって、それが「やまぶき」という花の色らしいと知ったが、実際の花とは結びつかなかったし、それを見てみたいとも思わなかった。

6年生で歴史を学んで太田道灌の「山吹伝説」【やまぶき色の太文字参照】について読み、「やまぶき」の花をたまたま図鑑で見かけた。「なんだ、これか」と思った。

中学生になって英語が始まった。 やまぶきはGolden YellowとかBright Yellowと言うんだと知って、やまぶき色とは違う色のように感じた。

高校で油絵を始めてから、アングロサクソンと日本人の色感が違うことに気付いた。それがコダックのフジのフィルムの色の差になるのだと知ったのもその頃だ。

30過ぎて自分の家を持ち、庭にやまぶきを植えた。毎年、GWにゴールデンに咲き誇るこの花がとても好きだ。

知ること、感じること、味わうことは、少しずつ折り重なってひとつの確かなものになっていく。


太田道灌は扇谷上杉家の家宰でした。ある日の事、道灌は鷹狩りにでかけて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきたのです。そしてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。 その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】という歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。 驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。

http://homepage3.nifty.com/youzantei/mitisirube/yamabukidensetu.html

2 件のコメント:

  1. ワッフル旦那さんのコメントです。

    山吹色、響きもいいですね。
    友人が日本の色見本という古い本を持っていて見せてもらったのですが、
    古来の色とその表現が美しいです。
    馴染み深いのでは、桜色や鼠色がありますが、
    アリスが「鳶色の瞳に~」って歌っていて、それって何色?と思いましたが
    なるほど良く見ると日本人の目は黒色では無く鳶色なんだと思わされました。
    亜麻色、茜色、群青色、臙脂色、瑠璃色なども趣があります。

    万葉集では山吹が他でも見受けられますね。萩や梅の様に好まれた花と言えます。
    博識で多趣味多彩な兼明親王の句は、派手に七重八重に咲き誇る様に見える現代社会が、実は心の中では貧しい事を読んだようにも見えます。

                世人結交須黄金       せじん まじわりを むすぶに おうごんをもちう
                黄金不多交不深       おうごん おおからざれば まじわり ふかからず
                縦令然諾暫相許       たとい ぜんだく しばらく あいゆるすとも
                終是悠悠行路心       ついに これ ゆうゆうとして こうろのこころ

    金まみれの交わりの空しさは、日本とアメリカそのもの
    欲がはらんでいったその先にあるもの
    人は、いのちと滅びのどちらを選ぶのか、人に見られるために咲くのではない山吹を愛で、さらにその先にあるその様な山吹を造られた方に目をとめる者は幸いです。

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  2. ワッフル旦那さん、含蓄ある書き込みありがとうございます。

    本当はずっと前から日本画をやってみたいなあと思いながら、機会を持てずにいます。日本画の岩絵の具の色にすごく関心があります。岩絵の具を使ってクレーやカンディンスキーもみたいな抽象画を描いたらどうなるのかなと想像します。

    自然の色彩豊かな国に生まれて育ったことには感謝ですが、幹線道路沿いの、スクラップ&ビルドの愚にもつかぬ建物やその色彩にはうんざりです。

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