2010/11/20

戦国感冒朝刊

尖閣問題の映像流出を巡って様々な議論が巻き起こったが、「こんな映像がYouTubeで流れた!」とバンバン報道するのはどうなんだ?

「秘密」にしても「正義」にしても、ことばの定義自体がそもそもいい加減なものだとつくづく思う。

とは言え、「自衛隊は暴力装置」という表現は確かにいただけない。

しかし、「自衛隊が暴力とは無関係」だとすれば、戦車や戦闘機はいったい何をするものなのだ?

自衛隊という組織にも、自衛隊の装備にも「消防車や火を消す」「扇風機は風を送る」というわかりやすさがないから困ったものだ。本当は誰でもわかっているのに、わかっていることを口に出せない馬鹿馬鹿しさにたえかねているのだ。

官房長官も「軍隊」とは言いにくいから、「暴力装置」と言い換えたわけだが、それが「隊員のプライドを傷つけた」からどうのこうの・・・と首相がわけのわからないことを言っている。

法務大臣は国会をナメきった発言のせいで、国民にナメられているし、そうこうしている間に、ロシアと中国に国家の主権をないがしろにされている。

2 件のコメント:

  1. 「暴力装置というのは、社会学・政治学の用語です」とのご指摘をいただきましたので、ひとこと。

    「暴力装置」ということばについては、マックス・ウエーバが最初に「職業としての政治」で書いたときと、レーニンがソビエトの理念の中で使っている場合と、仙石氏が現官房長官として使う場合とでは、意味合いもおのずと異なってきます。

    又、平和ボケしている一般国民と自衛隊員の受け止め方も違うわけです。そういうことにほとんど無頓着にペロっと言ってしまうところが、「いただけない」と思うのです。

    しかし、「撤回謝罪」はさらにいただけない。なぜなら、謝ろうが、ひれ伏そうが、仙石氏がそう思っていることは変わらないんだし、言い方はどうだろうが実際に自衛隊は「軍」であり、「暴力装置」なんだから、その事実の前には右翼も左翼も関係ないじゃないですか。

    「自衛隊って何なの?」ということを真剣に考え、論じないとやがて文民統制が崩れ、さらにこの国は滅茶苦茶な国になってしまう気がするのです。

    国家主権の質は暴力をいかにコントロール出来るかにかかっているわけですから、そこを抜きにして話をすると、アナーキーな無法社会にシフトせざるを得ません。

    日本の戦後は世界史上、非常に稀な「奇妙な状態」にあったので、この事実を相対化出来ず、「当たり前だ」と思っている日本人は本当に情けないです。

    「相対化する」と言っても、ローマとカルタゴの関係を日中や日米に当てはめるというような浅薄なものではなく、もっと慎重な深い考察が必要です。東アジアの歴史を丹念に振り返る必要があると私は思っています。麻薬・覚醒剤・武器と金の流れもひとつの鍵になるでしょう。

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  2. 神と新たな契約をむすばない者は(この世の国は全てそうだが)
    旧約的な中での妥協点を常に探し出すしかない。
    目には目を歯には歯をの観点からは暴力には暴力をもって対抗するしかこの世における安定は難しい。

    漢字で”静”かという字に争いと書くのは争いと争いの間にしか静かな時がこの世ではないと悟っての事。
    平和ボケした国民に無責任な首相というタッグでは、どう対応したらいいのか、神にどうとりなしの祈りをするのか、それさえもなんとも難しい。

    「撤回謝罪」も同感で、
    私の嫌いな言葉に
    「なんて、いうの」という親が良く使う言葉があります。
    習慣を身に着ける事もいいかもしれませんが、
    それよりありがとう、こんにちは、ごめんなさいの
    気持ちがないと言葉自体は意味も力もない。

    でもこんな日本なのですが、日本人である私は日本が大好きなのです。
    すこし神様の気持ちがわかるみたいなシュチェイションだ。はぁ~

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