2010/08/28

リッチな立地




それにしても、今年の夏休みはいろんなところで演奏したなあ。

7月31日は田原本カフェ・アルコ
「Salt&Uribossa/真夏の夜のボサノヴァ」

8月1日は丹波市幼稚園
「prune/チャイルドサマーフェスタ」

8月15日は長岳寺
「Salt/平和の鐘を鳴らそう(怒りの鉄弦)」

そして今日、8月28日大阪某所のマンションの40F
「Salt&Vinegar/フォルクローレ&ボサノヴァ・ナイト」
お客さんは招待された10人のみという個人パーティ。
カイピリーニャにも聴きに来てくれたSueちゃんの友達が企画したお世話になった方へのサプライズイベントなのだ。大阪の一等地にそびえ立つ高級マンションの40Fからはすぐ間近に大阪城も見下ろせる。これは都会嫌いの私さえかなりリッチな気分にさせる驚きの立地である。


「○○と煙は・・・・」と言うくらいなので、高いところは嫌いじゃないのだ。NYでは、エンパイアステートビルにも倒壊前のWTCにも上ったことがある。
・・・・と言うわけで、Sueちゃんも私もとてもいい気分で演奏できた。実際は夜景に背を向けて演奏しているのだが、それでも十分に堪能させてもらった。
皆さんにも非常に喜んでいただいたようで、「また是非」とのお声もかかった。40Fまで機材を運ぶのは大変だが、このロケーションの為ならまたやろうかという気にもなる。

6 件のコメント:

  1. 夜景が美しいのは、その灯りの数ほど人がいて、ドラマがあるのですが、
    様々な人生を夜の帳が包んで、光だけが瞬いているからでしょうか。
    同じように都会の朝日と夕日も綺麗ですね。

    ダビデが屋上から見た光景は少し違ってましたが、
    ネブカデネザルが見た光景も似た感覚を与えてくれたかも知れません。
    私も都会嫌いなのですが、このように説明のいらない魅力が有ることも確かです。
    天国には夜景は無いわけですが、千年の時代、新地の町並みの美しさも楽しみにしています。

    何やら難しいこと書きましたが、上の話は捨てて置いて、本当にこれはリッチな立地ですね。
    えーなー、いつか高いところに住みますか。

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  2. 確かに「リッチな立地」ですね。

    また、友人のためのプライベート・ライブというのもリッチ。

    リコーダー講座でよくやって頂いているのもプライベート・ライブに近く、負けずにリッチですよ^^

    いい夏の終わりのイベントですね。

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  3. 電気屋さん、コメントありがとうございます。

    天国に「夜景」はない。確かにそうですね。

    旧約聖書には「夜警」が出て来ますね。「夜回り」という翻訳でしたっけ。

    「夜回り」と言えば、9月夜回り先生こと水谷修氏がわが天理市にやって来ます。忙しい中ですが、聴きに行くことにしました。

    マスコミに出まくると、どうしても嘘っぽい感じがつきまといますが、水谷さんの指摘した子どもの裏の世界にたくさんの人が注目したのは意義があります。

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  4. 銀じ郎さん。コメントありがとうございます。

    ホンマにいいイベントでした。夏の終わりをイメージする選曲にしましたが、あまりにピッタリすぎて、街のネオンうるうるになりそうでした。

    確かにリコーダー講座も場所を移してから、私も気持ちがリッチになりました。元気村時代も、自分は自由にゆる~くやってたつもりなんですが、ものすご~く周りに気を使っていたんだなあと今になって気づきます。「ぬく森の郷」悪くないです。また次回9月4日よろしく。

    入場者を制限するプライベート・ライブはめっちゃお洒落ですね。私も誰か呼んで企画しようかな。

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  5. 次女の高校に水谷修氏が公演に来て家内も聞いてきました。確かにマスコミの作り出す害も大きいですが、本当にそこを経験した人の話はすごいといってましたので、そのご私も何冊か彼の本を買い読ませていただきました。
    先生を辞められた後も先生と呼ばれる関係はいいなー。

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  6. 「こどもたちへ」(サンクチュアリ出版)が手元にあります。

    夏休みに30冊くらい「大人買い」(と言っても90%ブックオフの100円本)した資料の中に混じっていました。

    その中にこんなことばがありました。

    「苦しみたい 哀しみたい 死にたい
     人を傷つけたい 殺したい
     そう思って 生まれてくる子どもはいません」

    ホントにその通りですよね。

    いったい、どこで、どう狂っていくのか。

    学校での経験がその「ねじれ」や「病」を生み出す原因を作っていることは少なくないのです。人間の本質的な罪の問題は別として、不易な価値を保証する居場所がないと子どもたちは、まともに羽化できないまま蛹の中で腐っていくのです。

    私は今の生活に加えてさらに「夜回り」まで始めたら死んでしまいますから、私は昼の世界の子どもたちとしっかりつきあって行きたいと思います。子どもの「今」とどう関わるかで、未来も大きく変わるはずです。

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