2010/08/21

地引き網

マタイ13章には天の御国に関する7つのたとえがある。
① 3~9「種まきのたとえ」
② 24~30「毒麦のたとえ」
③ 31~32「からし種のたとえ」
④ 33「パン種のたとえ」
⑤ 44「畑に隠された宝のたとえ」
⑥ 45~46「真珠商人のたとえ」
⑦ 47~50「地引き網のたとえ」

その7つのたとえを締めくくるように「倉のたとえ」が語られ、イエスが郷里で「大工のせがれではないか」と侮られ軽んじられる記事が出て来る。

一つひとつのたとえについて、ここで細かく解説はしないが、ごく簡単にまとめると、この7つのたとえが語るひとつのメッセージは次のようなかたちでまとめられよう。

「多くの人は天の御国の本質を見きわめることが出来ない。しかし、その価値を認めて天の御国のために全てを捨てる人もいる。不自然な力で巨大化したその地上の教会には、毒をもったものや役にたたないものが混じっている。一人ひとりの信仰の真贋が明らかになるのは後のことである」

今回の脱力クラゲの旅では面白がって地引き網体験をした。当然、私のからだは自動的にこのたとえを思い出すようになっているので、いろいろ考えさせられたわけだ。

イエスは当時のガリラヤの庶民がその仕事や普段の当たり前の暮らしの中で見聞きしていることを題材に、とてもわかりやすいたとえを様々な角度から語られたが、別に地引き網なんぞ引っぱらなくても、今日も明日もそこかしこに天の御国の秘密は隠されているというわけだ。

海水浴場にもなっている遠浅の浜にわずかに広げた網だが、けっこういろんな数と種類の魚がかかっていたので驚いた。

ネットに引っかかってくる魚にも「いろ~んなの」がいて当然だ。

2 件のコメント:

  1. 子供の頃3km程離れた海沿いの親戚の下の浜に
    良く地引き網引きに行きました。
    30年前は子供の遊びではなく子供も仕事でしたから、マジ引いたご褒美でなく報酬でしたが、今はエンジンで大半引いて最後だけ引くというレクレーションみたいなイベントに感じました。色んな意味で時代でしょうか。
    当時の記憶ですが軽く一度に500匹くらい、大きなたらいに真鯛、黒鯛、ひらめ、たなご、いか、さば、いわし、たこ、カニ、きす、こち、べら、あいなめ、ふぐ、いとり、さより、ながめ、かい、ひとで、おこぜ、しまだい、あいなめ、くらげ、はちめ等わけて各人バケツでもらって帰ったものです。それが30年経って同じ場所同じ仕掛けで、網には瓶、食品トレー、ペットボトル、缶カラ、靴、イチジク浣腸、買い物袋等に混じって申し訳ないように少しの魚が、、、。こんなに短い時間でこの様な変化は今まであったのだろうかと、寂しさを通り越して、怖ろしくなりました。その時は特に少なかったのかもしれませんが、、
    神の地引き網がその様でない事を願っていますが、イエスが再び来るとき、良い魚を探す方が難しいだろうとは想像しています。

    ちょっと重い話にしてすみません。

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  2. 電気屋さん、コメントありがとうございます。

    明らかなゴミに混じって魚のかたちをした偽物などが混じっているわけで、そういうのがやっかいですね。

    主による再創造の希望がなければ、海の汚れももっと寂しく感じることでしょう。

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