2011/01/31

算数嫌いにならないで

4年生くらいになると、算数嫌いの子が増えてくる。過去の塾講師経験を振り返っても、中・高で数学の苦手な子は、たいてい4年生か5年生でつまずいている。

私は高学年を持つと、「この教科(単元)で学ぶことは、将来こんな風に役に立つのだ」というオリエンテーションの時間をかなり丁寧にとる。4年生くらいだとまだそれはちょっと難しいので、とにかく「楽しかった」「おもしろかった」という感覚を残してやりたいと思っている。

大人になっても、度量衡の感覚や集合の概念、関数や確率や損益の計算など、算数や数学を通して身につけた力は暮らしの役に立つことばかり。

算数のテストがちょっと悪かったくらいで、算数嫌いになってはもったいない。逆に少しばかり満点が続いたくらいで、「この子は理系が向いているのでしょうか」と言う親御さんも、やや気がはやりすぎ。

私も理想ばかり高くて、たいしていい授業は出来ていないが、可能な限り具体的な活動や操作を通して体験させることを大事にしている。

面積の学習では、1平方メートルを体感するため、みんなでその上にのっかったり、算数の教科書を敷き詰めると何冊分になるかを予想して、実際に計算してみたりした。

立体の学習では、5ミリきざみで、立方体マトリョーシカを作った。条件はすべて異なる展開図にすること。

工作用紙を無駄なく使っているかどうかも評価のポイントのひとつ。

6 件のコメント:

  1. 小学校の時「俺はローマ人や中国人では無い」からと
    ローマ字や漢字を全く学ぼうとしなかった私ですが、大学受験を前にして「なるほどここでは必要やったんやな」と気づかせていただきました。

    Salt さんの様な先生に教えてもらいたかったですね。
    まあ時間は戻る事はありませんが、今、担任のイエスキリストは素晴らしく良い先生で私が言う事を聞かない時も諦めずねんごろにといて導いて下さいます。
    いい先生にあたって良かったです。

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  2. 電気屋さんがクラスにいたら、私が圧倒されていたかも知れません。

    でも、私の指示どおりやらなくても、「指示以外」「指示以上」のことをやる子どもはいつも誉めているので、毎日賞賛されていた可能性もあります。

    別の学年、別のクラスになると、「今はそんなことをする時ではないでしょ!」と叱られたりすることもあるようですが・・・

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  3. 同じことをしても褒められたり
    「叱られたりすること」で学べる事も大きいですね。

    お互いいい担任に出会えて感謝です。
    別のクラスの事はどうでもいいです。
    イエスキリストのクラスは学ぶことも嫌いな私も気に入ってます。

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  4. 別のクラスはどうでもいい。う~ん、学校の場合、これは違います。別のクラスを気にしないわけにはいかないんですよ。

    子どもたちをいたずらに混乱させることは避けなければばらないので、ひとつひとつの選択にはかなりの知恵が必要です。

    Saltの私塾ではないので、あくまでも公立学校の公務員としての職務の範囲、一つの学校の教育計画の系統性の中での発言や指導が求められるわけです。

    ある意味、私みたいな人間にとっては「片足だけでドリブルしろ」と言われてるような感じですが、審判の笛がなければセーフなので、何とかごまかしごまかしやってます。

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  5. そうですよね。
    言葉が足りずにすみません。

    「別のクラスはどうでもいい。」は、イエスキリストを担任とするクラスに対してのそれ以外の意味で書きました。
    他の教会と言われる集まりや宗教や活動などお偉い先生といわれる方の指導法などの意味での「別のクラス」でした。ごめんなさい。

    仕事でチームでやる時は(まれにですが)
    他の大工や電気屋さんの事を無視してやると混乱をきたすので、多少不服でもマニュアルに従って工事請求します。それでも一人暮らしの見るからに貧乏そうな方の時は黙って仕事だけして「ありがとうございました。と言って帰る時もありますが、、。せいぜいそのくらいでしょうか。

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  6. クラスメイトはいいもんですね。

    私のクラスも26人きょうだいみたいになってきて、言いたいこと言い合ってますが、受け入れて許してるところもあってホンマにかわいいです。

    裏表ばかりの大人どもよりずっと偉いなあと思います。

    私は多面体ですが、裏表ないですから。薄っぺらな裏表野郎とはほとんど噛み合うポイントなしです。

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