2011/01/01

元旦に思う


大晦日に私の住んでいる地域にも久しぶりのまとまった積雪があり、元旦は道を行き交う人もない。

あらゆる生活のノイズを降り積もった雪が吸い込んで、凛とした静謐感がある。

2011年が始まった。

エデンの園では雪は降ることはなかった。雪は神の贖いとその義を表現している。

道ばたのゴミも、道ばたの看板も、そして地境をさえ覆い尽くす。

そんな誰も汚したことのない雪の上を進む快感には格別のものがある。

五感にとらわれると信仰を見失うが、五感が信仰に反応すれば、日常の些細なことから、非常に心地よく、キリストそのものを味わうことが出来る。

私たちはからだで生きているのだから、からだで味わうことは非常に大事なのだ。イエスは何のために「私たちと同じように」なってくださったのかを読み取ろう。

ことばや口先だけの頭でっかちの理屈は人を疲れさせる。そんなメッセージならやめたほうがいい。

やせがまんしている人には何の魅力も感じない。頑張り抜いている人にはご苦労さんだなとちょっとだけ思う。

既に出来上がった閉じられた関係性の中で回り続けるのも、まともに出逢っていない関係性についての寛容さや優しさを示すのも実に簡単なことなのだ。

からだを使ってキリストに従い、感覚と経験でイエスがともにおられる事実を味わえる一年でありたい。

ところで、大晦日の夜にトトロの雪だるまを作っていたのは、18年前の元旦に生まれた私の娘。(ちなみに受験生)そう言えば、トイ・ストーリーにもトトロは登場していたっけ。父譲りの余裕と遊び心で、軽~く人生の節目をクリアして欲しい。




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