2010/02/23

やさしさ

「やさしさ」ということばに不快感を持つ人は少ない。しかし私は、多くの人たちがためらうことなく使っている「人にやさしい」「地球にやさしい」という表現にも、「やさしさ」ということばで一括りされるものの本質的な欺瞞を感じずにはおれない。

これらの表現において明らかなように、やさしくされる人は弱者であり、やさしくされる地球は壊れかけだという前提じゃないか。つまり、「やさしさ」とはやさしくする側に立つ者が自分のうしろめたさを誤魔化してはいい気になるための宗教的価値観に過ぎない。

弱者の側に立つことをためらうことなく宣言する人々は、自分の立ち位置からの距離感で人を簡単に値踏みし、自分から遠い場所で生きる者を烈しく攻撃する。総括したり糾弾したりする人たちがそうだ。彼らはある種の同族への強烈な「やさしさ」を強要する。シー・シェパードだって鯨にはやさしい。

私はよくよく考えて言い分がどっちもどっちの時には弱者の応援をしたいが、弱者に非がある場合だっていくらでも存在する。

だから、私は人の吹聴する「やさしさ」を取りあえずは警戒するのである。

5 件のコメント:

  1. エシュコル2010年2月23日 23:37

    「思いやり」「やさしさ」どちらもよく女性の好きな言葉ですよね。その微妙さがSaltさんにピッタリかも・・・。
    先日『バカボン』を書いていましたが、それにも通じるものがあるのでしょう。久し振りにテレビで見ましたが、私にはその素晴らしさが未だに理解不能です。ハア~。

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  2. 「バカボン」はアニメもそれなりに面白いけど、原作読まなきゃ、私が書いてたことはわからないよ。

    「思いやり」も「やさしさ」も微妙ですね。

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  3. どんだけ上から目線なんや。
    養われているものが、養っている相手に対して
    言えることは「ありがとう」
    思えることは「感謝」
    そこから与えられるものは「平安」


    特に日本人は自分を低くする事へのささやかな抵抗がある。
    「私をあわれんでください」
    「どうぞお助け下さい」
    日常生活ではあまり使われなくなった言葉です。
    本当の弱さを、自分のものとする強さが私もほしい。
    葡萄は自分では立てないからこそ他の何かに掴まってのびていくもの。

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  4. ちょっと簡略すぎ誤解となりそうな自分の表現を補足させていただきます。
    どんだけ上から目線なんや、とは
    地球や人にやさしいとする考えを持つ人たちの意味で、
    養っている相手とは、地球や自然、最終的には造り主で
    養われているものは、私であり、全ての生きとし、生けるものの、意味です。

    アバターでも少し感じましたが、
    こんなにも人に住みやすく、美しい地球を人が住めない程汚して住み難くする者が、月や、火星はたまた宇宙のどこかの☆などの過酷な環境にパラダイスを求めれるのか?
    自分の部屋も綺麗に出来ないなら所詮はその程度だと自分をしるべきだと。

    以上、やっぱり自分の部屋は片づけられてない電気屋でした。失礼しました。

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  5. 「葡萄は自分では立てないからこそ他の何かに掴まってのびていくもの」

    これは、真の自立とは主への依存であるという意味合いで真実ですね。

    そして、「依存するもの」「されるもの」という関係性より、それはひとつのまことの葡萄の木であるという「いのちの共有制」の中にさらに深い真理があります。

    人間の「やさしさ」や「思いやり」に違和感を感じてしまうのは、イエスの中にしか本当のそれがないことを知っているからだと思います。

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