2010/02/02

無神論者にもなれない日本人

日本人が「私は無神論者だから」などと嘯いているのを聴くと、この人はあんまりマトモにものを考えたことのない人なんだなとしか思わない。なぜなら、何も信じないということは、神の前における曖昧さを保留することに他ならず、そうした態度を無神論ということばで括ってしまうということは、その自覚さえ全くないという告白だからだ。言ってみれば、それは孤児院にいながら、そこがどういう施設なのかわからず、猫の額ほどの園庭の遊具に夢中になっているようなものだからだ。

本当の無神論者というのは、近頃はやりの多神教優位論者のことではなく、ドストエフスキーが描いたイワン・カラマーゾフやスタヴローギンのような人物を指す。即ち、創造主としての神の存在とキリストの贖罪の意味を知った上で、「そんなものはないし、あっても自分には必要ない」と宣言する人のことを言うのだ。

つまり、日本人は無神論者になる前提としての知識や情報さえ持っていないというのが本当ではないだろうか。人権思想や民主主義も背教文化さえも、日本に存在しているものには全てにその基礎や土台がない。しかもそれらはまるで「書き割り」のような薄っぺらさである。

・・・んなわけで、タカ&トシの「欧米か!」というツッコミはなかなかいいポイントを突いているのだ。欧米は既にほぼ決着がついている。

逆に、日本人にはまだ望みがある。きちんと聖書に触れ、福音に向かい合ったとき、何が起こるか。そこはまだ未体験ゾーンだからだ。

キリスト教を追いかけてもキリストの面影はない。

大切なのは聖書そのものに偏見なく向かい合うこと。私の発信はそのためのささやかな道つくりであると自覚している。

2 件のコメント:

  1. 内田樹さんの日本辺境論に近い考え方ですね。私も同感です。

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  2. ネズミさん、どうもです。

    内田樹さんといい橋本治さんといい、東大文学部ってけっこうオモロイ人が出てるんですね。「日本辺境論」は読んでいないのでチェックしておきます。

    日本人論は山本七平が面白いですね。

    私は日本人なので、ただそれだけの理由で日本が好きです。自分が日本人ではないような物言いも、おかしなナショナリズムも両方嫌いです。

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