2010/02/15

母なる国の代表選手

国母選手の服装が問題になっている。私も「ラシクナイ」ことにかけては国母選手の上をゆくので、この手の話にはかなり大らかほうだが、記者会見の映像をYouTubeで見て、さすがに「ちょっとなあ・・・」と思った。

反省している人間がふんぞりかえって座ったり、歯を見せて笑ったりしない。そして、間違っても「反省してま~す」とは言わない。

ある分野の能力が少し秀でていただけで周囲がチヤホヤするから、こういう増長する若者が出て来るのだ。「メダルを穫れば名誉挽回」という町の声もあるが、それは全く別の次元の話ではなかろうか。

「お国のためにメダルを獲得」という雰囲気は私も好きではない。自分のスタイルを大切にしたって構わない。しかし、礼儀に反する自己流は大人の世界では通用しない。「税金を使って国の代表として国際試合に参加するのだ」という自覚に著しく欠ける言動は慎むべきである。バッシングはやむなし。甘受して反省すべし。

ただし、ボクシングの亀田にしてもこの国母にしても、その道では世界で競えるだけの結果を出すために、相当な努力をしてきているのだということも事実である。そのことは世間も十分認め、目くじら立てている人たちも自分の道で精進するべきだろう。そこは彼らの努力に習うべきである。一方で、彼ら自身は「その道から一歩出れば全く世間に通用しないただのガキなんだ」ということも思い知らねばならず、また、思い知らさねばなるまい。こうした一番大事なことを伝えないことが、落ちぶれてゴミクズのようになっていく芸能人やスポーツ選手を生む。

あんなガキに当たり前の世間のルールを教えられない指導者たちには、さらに大きな問題もあると思うのだ。

職場の後輩に元国体選手がいる。彼に意見を聴いてみた。彼も県の代表団として出場するとき、同じように服装のチェックを受けた経験を持っている。若き日の自分と重なるところもあり、いろいろ考えさせられたという。

彼の意見もやはり、「あれは、いかんでしょう」とのこと。でも、世代や価値観も近い彼の感性に触れるのは面白かった。彼は、「国母選手のスタイルが格好いいと思うタイプの若者たちがこの騒動をどう受け止めているのか興味がある」と言っていた。また、このプレッシャーの中で、自分らしい競技が出来るのかを気遣ってもいた。

おもしろいのでさらに彼に聞いてみた。「もし君が同じナショナルチームの先輩だったら、彼に注意するか?」と問うと、「しないでしょう」とのこと。「じゃあ、もしコーチだったら」と問い直すと「注意します」と即答した。どうやら、このあたりに彼の社会人としての境界線があるようだ。妙に納得。

「愛は礼儀に反することをせず」(Ⅰコリント13:)
礼儀は単なる処世術ではなく、愛の領域にあるとパウロは言う。これが真理である。今回のことに懲りて、変にかしこまって大人しくなって欲しいとは思わない。トンガッタままで、多少は周囲を察する愛が欲しい。

歪んだナショナリズムと一緒にパトリオシズム(自然な郷土愛や同胞愛)さえも、捨ててしまったこの国の代表チームに、こうした若者がいるのは当たり前と言えば、当たり前であって、国母選手個人に責任を追及するのは、いささか厳しすぎるし、気の毒であると思う。

名字が「国母」だなんて、何とも・・・笑えないギャグだ。

7 件のコメント:

  1. ずーと昔、ローマ法王に謁見のために船で向った、
    大正使節団の子供達の話か、勝海舟のアメリカでの話しか記憶が曖昧ですが、

    背の小さな田舎者丸出しの日本人を見て、
    アメリカかヨーロッパの人達はクスクス笑ったり
    馬鹿にして眺めたそうですが、
    日数が経つうちに、彼らの見方がすっかり変わったそうです。
    むしろ、尊敬を込めて立ち止まり、小さな日本人を
    見送る様子を見せるようになったとか。

    理由は一つでした。
    あまりの礼儀正しさに圧倒されたのです。
    目上の人の前を歩かない、目上の人が手をつけるまで
    食事をしない、多分、もっと沢山の事があったでしょうね。

    礼儀正しさは人を感動させるものです。
    日本人の挨拶は、初対面の人に対しても
    手を前で組み、体の最も大事な頭を
    無防備に相手に突き出す。

    日本人の間抜けな程の礼儀正しさは何故消えたのでしょう。
    聖書が握手をするようにと書いてあるから握手を
    するより、日本人として綺麗に頭を下げた挨拶を
    したいものです。

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  2. 古き良き日本へのノスタルジーなんて特にありませんが、日本が欧米化されていく過程で失ったものは、計り知れぬものがあるでしょう。

    それぞれの国の慣習を越えて、キリスト者の礼儀は愛に根ざしているべきものだと思います。

    復活してまず「おはよう」と言われた主に惹かれます。

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  3. >復活してまず「おはよう」と言われた主に惹かれます。

    復活と言う宇宙の一大事を、この間(ま)で通り抜けられた主の「間抜けさ」が何とも心和みます。

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  4. その通りですね。

    Lukeさんも熱から復活されましたか?

    まだまだ寒い日が続きますのでご自愛ください。

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  5. >礼儀は単なる処世術ではなく、愛の領域にあるとパウロは言う。

    成程、ですね。
    挨拶に関してですが、
    女は挨拶されても、敢えて無視する事があります。
    私も特定の人に知らん振りをした事が何度もあります。
    イエス様に出会ってからは、このかたくなな者も
    挨拶をするようにはなりましたが、、(^^)
    その逆もある訳で、挨拶が返って来ない、意識的に。
    今や、心の中で、「やったぁ!!」ですよね。
    妙な快感があるんですね。

    我が家は挨拶のない家で、「おはよう」「お帰り」「ただ今」も言った事がありませんが
    91歳、少し介護の必要な母は、時々、「ありがとう」
    「お帰り」と言うのです。胸が一杯になります。
    私は、まだ母に挨拶が出来ません。

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  6. 私は仕事柄もあるし、挨拶の歌も作ってるくらいなので、挨拶してますよ。挨拶しないことの方が難しいです。

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  7. オネシモさん、テレビでやっていましたよ。
    家族でも挨拶や感謝をしないで亡くなったりすると、後悔すると・・・。
    最初は照れくさくとも、やられてみては如何でしょうか。

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