6年前に小学3年生で担任した子どもたちも、気がつけば中学3年生。そのうちの一人N君が挨拶にやって来た。
N君はしばしば暴言を吐き、物を投げ、教室を飛び出し、「ベランダから飛び降りる」と言っては騒いだりして、私を手こずらせたものだ。集団で行う目当てに向かっては、なかなかスイッチが入らず、いったんスイッチが入ると他のチャンネルに切り替えるのが難しいというタイプだった。
その彼がペコリとお辞儀をして、正しく敬語を使って、「おかげさまで志望校に合格できました。あのとき先生と出逢っていなければ僕はどうなっていたかわかりません」と語ったものだから本当にびっくりした。思いがけない訪問に熱いものがこみ上げてきた。彼のことばのとおり、ひとつ間違っていたら、本当にどうなっていたことか。私もそう思う。
「君のことは忘れないよ。忘れたことがない」そう言って、私は机の2段目の引き出しの奧から、彼との思い出の品を取り出した。「これ、覚えてる?」「はい、覚えてます」それは、留め金のとれたハサミと引き裂かれたスチールの筆箱だ。彼が3年生になりたての4月当初にストレスをぶつけて破壊した物だ。スチールの筆箱は十文字に引き裂かれている。小学校3年生のどこにそんな激しいマイナスの情動と力があるのに驚かされた。私はこれをどうしても捨てられずに大事にしている。「こんなもの、まだ持っててくれたんですか」と彼は涙目になって私を見つめた。
詳しい事情はここには書けないが、彼にはそれだけの怒りと悲しみがあって、その自尊心はボロボロに傷ついていた。その壊れたハサミと筆箱は、いつも私の引き出しの中で叫んでいるように思えるのだ。「先生、ボクを助けてくれ」と。
多くの人は大きくはみ出たこの子を集団の枠の中に引き戻そうとするだろう。でも、私はそれは違うと思う。子どもがはみ出したときは、自分がそのはみ出た子の分だけ大きくなればいいのだ。だから、私は彼が何をやっても、教室のルールに引き戻そうとはしなかった。
「お前ははみ出てなんかいない。お前がベランダに出たら、ベランダまで教室だ。だから、いたずらに追いかけない。連れ戻さない」「お前が大事なように他の子も大事だ。みんなのいるところにいる。お前も自分で戻って来い」多分、そんな意味のことを何度も繰り返し彼に伝えた。
隣のクラスの先生も、私のクラスに入り込んでいる先生も、「Saltは冷たい。なぜ、彼にもっと寄り添わないのか」と批判した。彼女らには私の想いが伝わるはずもないが、彼にはちゃんと私のメッセージは届いていたのだ。
他の子どもを放ったらかして、しんどい子どもを追う姿をよく見るが、私は全然感心しない。「あの子はいつもおこられている」「みんなに迷惑をかけている」という印象を強くするだけだ。個別に話を聞くときは、他の子どもたちが知らないところでゆっくり時間をとればいいのだ。A君を中心にしたなかまづくりとか言って、教師がするべきことを子どもたちの集団に押しつけてどうするのか。そういう学級づくりに夢中の先生は手のかかるA君の他に、あんまり手のかからないB君や目立たないC君の願いをほとんど気にもとめないようになるものだ。
例えばクラスに30人いれば、30通りのドラマがある。全ての学園ドラマは、個性的な先生が主人公である。しかし、子どもは先生のドラマの助演者や脇役ではない。子どもが主人公であって、教師はその背景でなければならない。
私が彼をもった後、3人の先生が彼を担任した。6年で彼を担任したのは「おはボン」ジャケットのKenさんだ。Kenさんも彼のかしこまった挨拶に照れながら、「君からそんなことばを聞けるなんて夢にも思わなかった」と返していた。中学校で3年続けて彼を担任してくれた先生も、本当に彼をよく理解してくれたそうだ。その話を聞いて私は本当に嬉しい気持ちになった。