2011/02/13

織部の須弥(十文字)


本日のメッセージはエペソ2章から。

「私たちは神の作品であって、良い行いさえもそなえられている」ということばにこだわって興味ある一例をご紹介した。「贖い」という新創造に含まれるニュアンスがよくわかると思う。

徳川2代将軍秀忠にも茶の湯を指南した古田織部という茶人がおりました。
織部は利休に師事していますが、師匠が追求した「わび茶」を離れ、利休が打ち立てた茶の湯の定型を次々に破壊しながら、独自の美の世界を発展させます。歪みや焼けぞこないの茶器を尊んだり、床の幅に合わないからといって掛け軸をふたつに切ってしまったりしています。
そんな織部に、私が絶句した、驚くような作品があります。
それは、大ぶりの茶碗を故意に十文字に割って、小ぶりの形に仕立てたものです。井戸茶碗で銘は「須弥(十文字)」と言います。須弥(しゅみ)とは古代インドの世界の中心を表すことばです。
一度出来上がっているものを、わざわざ壊して、壊したものを素材にしつつ、全く新しいものを作り直すところに美を見出すという画期的なものです。私はこの茶器を見たとき本当に感動しました。一部には、血をイメージするような朱があしらってあるのも驚きです。


詳しくは、メッセージブログでお聴きください。

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