2011/01/19

とにかく現場はおもしろい




ニュース番組で、教師の仕事の多忙さについての特集をやっていた。
確かに報道されていたことに無理な事実の捏造はないが、あまりにも情けない取り上げられ方にちょっと苛立った。まずこの種の取材に応じる現場教師の麻痺した感覚に驚く。顔にモザイク入れてもらって匿名性を担保しつつ、マスコミの力を借りて何かを主張したいという甘えきった根性が気にいらない。逆にそんな主張さえなく、ただ何となく取材に応じているだけだとしたら、救いがたい馬鹿である。

この番組では、以前にも新任半年で自殺した教師のことを特集していたようだが、今日の報道もその延長線上にあるものとして取材していた。現場を混乱させているのは、教育制度なのか、親のクレームなのか、教師の未熟さなのか、番組が視聴者に対していったい何を伝えたいのかはっきりしない。

自殺はあくまでも自己責任の範囲の問題であって、「自殺の原因が教育現場にあるはず」と言いたげな取材は、全く違うという気がする。死にたくなる原因なんて、その気になれば何処からでも見つけてこれる。退職者の場合も、休職者の場合も同じ。現代は社会全体がオカシイのだから、学校にその影響が如実に反映されるのは当たり前のことだ。

さらに、仕事はあくまでも出来高で評価すべきだと思っている。たとえ、カリキュラムや時間割が学校を支配していたとしても、それは事実上の王様ではない。あくまでも教育の主体者は教師と子どもである。教育にかかわらず、何時間かけて準備しようが駄目なものは駄目で、瞬間のひらめきであろうが良いものは良い。それ以外の評価など、本来あろうはずがないのだ。

人間が時間を売るようになったのは、巨大なシステムが人格や能力を奴隷的に人材化したことによる仕事の質の低下、均一化による。「こんなに忙しくがんばってます」「忙しいから~出来ません」こんな言い訳は何の説得力も値打ちもない。

確かにやるべきことは少なくはないが、要求される最低限の書類提出や日々の業務に簡単に音を上げるようではまるで話にならない。教育の仕事はそんなに甘くない。他にもっとやるべきことや、さらにおもしろいことはいっぱいあるのだ。

6 件のコメント:

  1. 自殺された若い先生を取り上げた報道は観たかもしれません。
    亡くなられた方は気の毒ですが、亡くなられた方の言い分が正しいわけではありません。むしろ、残った人々、とりわけ教えられていた子どもや、同僚、それらの人々が簡単に悪者や加害者にされることには腹立たしさを感じます。誰であれ独り善がりな言動で攻撃される人には、負けずにいてほしいです。

    多くの有能で善良で真面目な先生たちが、いとも簡単に凝り固まった思考で自分の首をしめるのをよく見ます。自己責任であることに間違いないですが、視点を意識を変えるチャンスや機会を増やしてあげてほしいです。
    …そのチャンスや機会を活かそうとする動機すら失くしていたら終わりですが…。

    がんばろう!

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  2. おっしゃるとおり、残された者が悪者や加害者にされるのは、おかしなことだと思います。

    自殺は自分を否定するのではなく、周りを否定する行為です。

    いのちを断つことによって、傷つく自分、かわいそうな自分を封印するのですから実に勝手なものです。

    だから、私はいくら饒舌であろうが、自殺という最終選択をする人のことばにはまともに耳を貸す気にならないのです。

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  3. >残された者が悪者や加害者にされるのは、おかしなことだと思います。

    一緒に働いていた先生も、教えてもらっていた生徒さんたちも、つらく悲しい思いをしておられるのではないでしょうか。

    報道がそのような方向性になってしまう、ひとつの原因は、ご遺族のつらい心情が、どこかに原因を見出したいという願い、その強い思いに突き動かされているのかもしれません。その背後には、もしも他にどこにも原因がなければ、ご遺族の方ご自身が、自分の子育てや自死された方への関わり方に、その原因を帰属されるかのような、罪責感。それを逃れるために、どこか他に原因を求めたくなるような、、、。

    一般的に、近しい人に死なれ、残された者の心には、「自分の何かがこの人の死に影響を与えたのだろうか?」という罪責感と、「なんで残された私たちに、こんな苦しい思いをさせるのか?」という複雑な感情が渦巻いているのかもしれません。

    >社会全体がオカシイのだから、

    年間3万人を超える人々がそのような選択をしてしまう今の国の状況の中で、「教師」という職にある人の何人かが、その中に含まれていても、それは当然といえば、当然のことかもしれません。むしろその報道される件数の少なさに注目してもいいのかもしれません。

    学校や教育の問題について考慮する時に、常に、それが映し出している「社会」の姿について考慮しなければならないと思います。

    預言者エリシャをはげ頭よばわりした子どもたちが熊にかき裂かれたた記事がありますが、それはその子どもたちを、預言者に対して不遜な心と態度を示すような、そんな子どもにしてしまっている「大人」が裁かれたのだと思います。

    創造主から罪によって断絶された人間の姿、、その限界、、。その只中に、主のしもべである、Saltさんと硬派銀じ郎さん、また、私が知らなくても、主が送り出された器がおられると信じます。

    私も、病院で、お年寄りに関わりながら、主を見上げます。

    暗闇に、主の光が、輝きますように。

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  4. meekさん、コメントありがとうございます。

    ちょうど7年前のことです。となりの小学校で、「校長先生の自殺」という、あってはならない事件がありました。

    それは「障害者差別」「部落差別」「教職員の不和」「保護者との確執」という、ありとあらゆる問題がごちゃ混ぜになって、まじめな校長先生に襲いかかったのです。

    市全体の人権教育が問われていました。その直後に私は事務局長に就任したので、この問題は具体的に避けて通れないものでした。

    はっきり言えることは、具体的に「原因」を追っても仕方がないということです。もう一方の当事者は、責任を取らずに死の世界へ逃避したわけですから、決着はつきません。

    そして、同じ条件にさらされても、さらにそれをバネにして高らかに人生を謳歌する者のいるということこそ、大事なことだと思っています。

    私には、自殺した人間の無念を晴らすことに手を貸す気はありません。

    死んだ校長先生は、教育者として最低の選択をしたのです。

    もちろん、遺族をいたわる気持ちはありますので、公にこんなことを発言はしませんが、身内の自殺を止められなかった責任は家族がきちんと負うべきなのです。

    罪の症状の一番顕著な現れは、責任の転嫁です。敵意を周辺や外部に向けたツケは必ず自分に返ってきます。

    meekさんの現場での証は、多くのお年寄りの希望になっていることでしょう。感謝します。

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  5. これは、大変な事件に関わられたのですね。ネット検索すると結構情報がでてきました。Saltさんも事務局長として大変なご苦労を経験されたのではないかなとお察しします。しかし、そのような経験も「苦労」とするのではなく、「バネにして高らかに人生を謳歌する」という心の態度は、本当に学ぶべき態度だと思わされます。

    励ましをありがとうございます。私も職場で希望になれば感謝なのですが、お年寄りの方々からお叱りを受けることも多々あり、私の不十分さも主にゆだねて、もっとお年寄りの方々や職場の人と遊べるようになろうっと。

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  6. 日々やっかいなこともたくさんあるのですが、私も仕事そのものをもっと楽しみたいです。

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