2011/01/17

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あれは、いったい何だったのか? 私たちは何を学んだのか・・・

8 件のコメント:

  1. 一番上の写真と三番目の写真は僕の近所です。
    一番上の写真の煙の近くに立って火災を見てました。
    煙で街がうす暗くなって、太陽が血のように赤かったです。
    当日は、いよいよこの世の終わりが来たのかと思いました。
    何を、、、、学んだんですかねぇ、、、。

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  2. 実際に神戸で震災に遭われたご経験は、meekさんの心の中にいろんなものを残していったと思います。

    私はボランティアという偉そうな立場から関わらせてもらっただけですが、あのとき見た光景は未だに目に焼き付いています。

    神戸の友人たちと連絡がつかなかったときは、しばらく目の前が真っ暗になりました。

    町のかたちは整ったものの、何を学んだのかは疑問ですね。

    昨年だけでも、兵庫県内の復興住宅内で51人の孤独死があったと報道されていました。

    地震で死ぬよりさびしいものを感じます。

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  3. さらに悲しいことは、10月に一人の中学生が、12月にもう一人の中学生が、すぐ近所のビルから飛び降りたことです。悲しいことです。

    もしかすると、がれきの中で得た何かを、
    かたちが整うことで再び失ったのかもしれません。

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  4. 大地震によって、私たちは地球に仮住まいしているなかまであることを知り、ライフラインなどと呼ばれるものは別にいのちとは大して関係なく、お金があっても商品が無ければ買えず、トイレがなくてもうんこをしなければならないことを味わったのでした。

    こうして得たとても大事な教訓を、整った街並みは忘れさせてしまうのでしょうか。

    子どもたちが夢を持てないような町を作ってはいけません。

    建物なんて飛び降りても死なない程度の高さで十分なんですよね。

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  5. 確かに傾いたS0G0や一階が潰れたビルなどを見たときの事は衝撃でした。
    全ての高層建築の礎はシヌアルの思い出とかかわっています。一か所に人が集まる都市でしか見る事の無い景色で、田舎の景色は様々ですが都会の景色は世界中どこへ行ってもある古代の都市に似ていますし
    ジェンガの様に不安定に積み上げられた高層マンションの高い所に人が住みたがる理由も根っこは同じだと思います。
    雨やんで人傘を忘る”と言いますが日本人は特にそれが速い民族だと思います。復興の速さも驚異的で今のハイチやロスでさえ残しておいてあるのでなく地震の跡が残ってます。
    ただあらゆる経験も主につながらないと自分で自分を締め付けるツルの様な危険性を持つように感じます。

    偉そうに言う私も、あれから学んだことは
    柱で持ち上げて1階を駐車場にして家は作らない事、くらいでしょうか。
    出来るなら平屋で地の上にたちたいものです。

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  6. 私が見る「神戸」は特殊な町ですね。

    何か戦後日本のある一面を象徴している気がします。

    特に山を削って海を埋め立てた地域などは、異様なまでに空気の密度の薄さを感じます。

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  7. 田舎での大火を想い出しました。数年後に田舎の現場を見ましたが、復興と共にまだ焼け野原の部分と入り混じった所を見て、複雑な思いを抱いていました。まるで大空襲の後の様な現場を。
    また阪神淡路大震災後に地下鉄サリン事件もありました。
    共に何を私達は本当に学んだのでしょうか? 考える機会を与えて下さった事を感謝します。

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  8. 地震にオウムに、そして、生首。

    私たちは教訓を得たとは思えません。

    私たちの国も時代も、その責任を問われます。

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