2011/01/12

少年は今日も無敵


この日、私の住んでいる地域は、出勤時にマイナス6度を記録した。いくらもう少し標高差があるとはいえ、いくら午後からの授業だといえ、いくら少し陽がさしてきたとはいえ、ピューピュー北風が吹く運動場はかなり寒い。

ところが、この少年を見よ。気がついたらどんどん服を脱いでいき、吠えながら鉄棒のそばまで走って行って、何をするのかと思って見てみたら、「鉄棒におなか引っ付けてみるわ」といって、何度もチャレンジしては雄叫びをあげていた。

なかなかやるなあ。

こうやって自分が生きている感覚を刺激して、誰も傷つけずにドーパミン出して、ひとりハイテンションになることを覚えてくれたら、まあ上出来だと私は考える。

2年先に同じことやってたら、ちょっと問題。今でも少し問題だが、私が経過を見守っているからギリギリセーフなのだ。

3 件のコメント:

  1. 2年先でもSaltさんのように経過を見守る人がいれば、それはそれで大丈夫ですよ^^

    自立とか成長とか、考えさせられています。

    支配と依存は、根っこで一緒です。
    本当の自立は”動機”が正しくなる、自立する、ことのように思います。以前から指摘されている通り神さまは間違いなく動機を見ておられますね。

    言動が振る舞いが、どんなに立派に見えても、その動機に支配や依存があると、おかしくなります。そんな人が何をしても誰かを幸せにはできないですね。

    それぞれが自立してほしいな…。

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  2. 誰も傷つけずに自分が生きている感覚を刺激する
    なるほど、なるほど
    バイクで暴走するのは似てるようだが
    簡単に死んで家族や周りに深い傷を残すので×
    また、これが意外と周りに受けて
    注目を集める為にエスカレートしやすいので
    経過を見守る誰かがいることは大切ですね。

    見える形では家内が
    見えない所でも暗闇にいらっしゃる主が私の保護者です。

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  3. おふたりさま。どうもです。

    「黙って見ていてくれる人」って大事ですね。

    何をやっても見つめてもらえなかったり、冷たい視線ばかり向けられるようになると、人の行動は著しく病的になります。

    あとちょっとでビョーキ程度の健やかさに留まって欲しいです。

    教師は集団のまなざしを変える力を持ち得ると思います。

    多くのいじめは学校的価値観から生まれます。

    「ものにはいろんな見方や切り口がある」ということを1年間でしみじみわからせてやるやけでも、教科を完璧に教えるより値打ちがあると信じています。

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