2010/11/02

よく遊び、よく遊べ


子どもたちを見ていると、「もっと遊べ」「もっと楽しめ」と思う。私の目には「少しも」「さっぱり」「まだまだ」「全然」遊び足りていない。あんまり遊んでいないから、何をやらせても鈍くさすぎる奴が多すぎる。

要するに経験不足なのだ。そのくせゲームには詳しい。物事を短絡的に考え、諦めるのがやたらはやく、恐ろしくわがまま。幼い子どもに刃物を持たせるのが危険だと知っているなら、10歳未満も子どもにゲームなんかさせちゃだめだ。ゲームは遊びではない。

そんな中、私のクラスにはほとんど遊ぶことしか考えていない男の子が若干名いて、こいつらがなかなかいい。もっとも、世話はやけるし、いつもトラブルは起こすし、真面目が取り柄の先生はあんまり受け持ちたくないタイプの子たちだと思う。こいつらのおかげでかなりの時間と体力を失うことになるが、こいつらがいないとずいぶん味気ないクラスになるだろう。

とにかく彼らはいつどの場面をとっても、とてつもなくくだらないことをしていて、あまり誉める要素がない。これがいい。「遊び」というのは、何かをねらいにしたものじゃないからだ。誉められるような遊びなんてほぼ遊びじゃない。

生活科などという最低な教科がやっていることは、目もあてられないような内容ばかり。まともに遊んだことのない輩がどつまらん役人になって、「遊びとは何か」を考え出す。それを言われたまんまに現場でとっとと実践しているようではどうしょうもない。

生活科の悪口を具体的に書くと差し障りもあるかと思うので、(すでにかなり差し障りがあるが・・・・・)退職した幼稚園の某園長が私に話してくれたエピソードをご紹介しよう。

昔、保育の研究をしてかなりの成果があがっていると信じていた。そんなある日、子どもたちが言われたとおりに「お店ごっこ」をしていきいきと遊ぶ姿を目を細めて見ていたと言う。子どもたちも明るい声を響かせなかよく楽しくやっている。職員たちもよくここまでがんばってくれたと園長として満足だったそうだ。ところが、お片付けを終えた頃、遊びをリードしていたひとりの子どものが園長に近づいてきて、開口一番こう言ったと言う。「園長先生。もう、遊んでいい?」

これで、この園長は「目が覚めた」と言っていた。「言われたとおりのお店ごっこ」は、5歳児であっても「あそび」とは感じないのだ。それを楽しく遊んでいると見なしていた自分は子どもの何を見てきたのだろうと謙虚に反省なさったわけだ。まあ、これで目が覚める人はいいが、ずっと寝ぼけたままの人も多いというのもおわかりいただけようか。

私が「人生の半分は遊び」と言っているのは、かなり真剣なのだ。ただ漫画を読むとかゲームをするなんてことは遊びの範疇には入らない。他人のプログラムにのっかって消費に貢献しているだけだ。もちろんその行為自体は否定しない。仕事ではないから遊びというのは、ほとんど遊びの本質ではない。

遊び以外の領域においても、言われたことをそのとおりにやって誉められるくだらなさと言うのは、何と言おうか、私の価値観ではほぼ0点である。ちゃんと遊んでないから、遊び自体も遊び以外もともにおもしろくないのだ。

言われたことを言われたとおりにやらないと怒りだしたり、機嫌を損ねたりする教師が多い。「先生は今そんなことは指示しなかったでしょ!」と言うわけだ。これではストライクゾーンが狭すぎる。先生に遊ばしてもらっても、それは遊びじゃない。先生の目を盗んで楽しめれば、これはちょっと遊びっぽい。

私はその子が投げる一番いい玉をストライクとする。全然違う。こちらが予想しない反応をすると、やたら面白がって計画を柔軟に変更する。こういう「遊び」の心が良い結果を生むのだ。

目先の小さな予定調和の中で生きている人たちとは一生かけて話し合っても意見が合うことなどない。そういう人たちに限って、「話し合えば通じ合う」などと思っていたりするからやっかいだ。

意味のなさそうなことを、本当に意味があるかないか確かめたい。ないとしたら、どんな意味がなかったのか、そういうことを試してみる時間が必要だ。遊びの中には、そういうことが自然に含まれている。大人になれば、意味のあることが連続するので、意味のなさそうなことの入りこむ隙間がほとんどない。

4 件のコメント:

  1. >言われたことを言われたとおりにやらないと怒りだしたり、機嫌を損ねたりする教師が多い。

    確かにこういうタイプの先生は子供から人気が無いような気がします。「○○先生は~~~やから嫌いや~~」とという子供の話を聞いて、内心「そんなえらそうに先生のことを言っててええんかいな~」と思っていましたが、今日の記事を読んで、なるほどそういう点を鋭くついとるんかいな~と思いました。でも、そういう先生って、自分自身もつらくないかなって、思うんです。こんなに一生懸命、子供たちのために頑張っているのに、、、あいつらはいうこと聞かん、、、、とか、、、。

    でもやっぱり遊ぶのが好きな先生は、人気があるようです。

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  2. 辛いと思います。一生懸命の真面目ないい人が多いです。

    でも、面白くない人が無理に面白いことをしようとすると、周囲は楽しくなるどころか悲しくなってくるのです。

    だから、「遊ぶ力」は大事なのです。

    いのちがないのにそれを演じると、取り返しがつかない空騒ぎやガチガチの形式主義になるどこかの世界の話と似ています。

    神の国は幼子たちのものなのです。

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  3. 私は若い頃遊びすぎて、今になって深く反省する毎日ですが(笑い)けっこうオモロい人生だったと納得しています、その分色々な人に迷惑をお掛けしてます。我が子、特に息子に同じ轍を踏ませてよいものかと…反面教師にでもしてくれれば良いですかね。

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  4. 子どもの中に自分を見るのは嬉しくもあり、又、悲しくもありですね。

    でも、自分に似た因子を受け継いでいるからこそ、おのずと愛するのでしょう。

    「遊び」を共有出来ると人間関係は潤いますね。特に親子で遊べるといいと思います。

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