2010/11/25

三島事件から40年


今から40年前の今日、すなわち1970年11月25日、作家三島由紀夫こと平岡公威が、自衛隊の市ヶ谷駐屯地にて隊員に向かってクーデターを呼びかける演説をした後に、楯の会メンバーとともに割腹自殺を決行。当時小学生だった私には、その時はさっぱり意味などわからなかったが、三島の割腹自殺のニュース映像は、万博の太陽の塔とともに、強烈なインパクトを残した。このふたつのアイコンは、私が考える日本の戦後民主主義の矛盾を象徴するものだ。

三島は死の直前に「私の中の25年」という文章を新聞に掲載した。その中にある一文は現代の日本の姿を予見したものとして、ここ数年何度も取り上げられている。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」 

確かに民主党政権になってからの日本は、まさにこの三島の憂いと絶望に満ちたことばのとおりだ。
三島は単純な天皇崇拝者ではない。また、自衛隊員の中に行動を共にする者がでることは絶対にないことも知っていた。従って、三島事件は、政治的な決断でも思想的行動でもなく、空虚な自分の文学の美意識に殉じた演劇的な死であったと私は思う。


1984年に発刊されたフライデーの創刊号に掲載された三島由紀夫の生首の写真は、これまでに私が読んだすべての三島作品よりもリアルに、「人が地上に残しうるもの」を曝していた。

5 件のコメント:

  1. 一体、何がどうしてこうなるんでしょうね。

    ”この世にあって「キリストの心」で感じること”

    そのことの重要さをますます感じ今日です。

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  2. 非常に不思議な事件ですが、この壮絶な最期から逆算して個々の作品を読むと納得のいく部分も多いです。

    神の恵みや恩寵を抜きにして、自分を説明したり、何かを証明したりしようとすると混乱や矛盾が生じるのは当然です。

    生き延びている私は、私なりのやり方で責任を果たして、そして死ねたらと思います。

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  3. 別の内容でもやはり消えました。
    また、数週間ぐらい時間をおいてチャレンジしてみます。

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  4. あ、これは残っているようです。不思議です。

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  5. 不思議ですね。とても興味深い内容だったので、また時間をおいて投稿してみたください。

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