2011/02/15

N君、おめでとう

6年前に小学3年生で担任した子どもたちも、気がつけば中学3年生。そのうちの一人N君が挨拶にやって来た。

N君はしばしば暴言を吐き、物を投げ、教室を飛び出し、「ベランダから飛び降りる」と言っては騒いだりして、私を手こずらせたものだ。集団で行う目当てに向かっては、なかなかスイッチが入らず、いったんスイッチが入ると他のチャンネルに切り替えるのが難しいというタイプだった。

その彼がペコリとお辞儀をして、正しく敬語を使って、「おかげさまで志望校に合格できました。あのとき先生と出逢っていなければ僕はどうなっていたかわかりません」と語ったものだから本当にびっくりした。思いがけない訪問に熱いものがこみ上げてきた。彼のことばのとおり、ひとつ間違っていたら、本当にどうなっていたことか。私もそう思う。

「君のことは忘れないよ。忘れたことがない」そう言って、私は机の2段目の引き出しの奧から、彼との思い出の品を取り出した。「これ、覚えてる?」「はい、覚えてます」それは、留め金のとれたハサミと引き裂かれたスチールの筆箱だ。彼が3年生になりたての4月当初にストレスをぶつけて破壊した物だ。スチールの筆箱は十文字に引き裂かれている。小学校3年生のどこにそんな激しいマイナスの情動と力があるのに驚かされた。私はこれをどうしても捨てられずに大事にしている。「こんなもの、まだ持っててくれたんですか」と彼は涙目になって私を見つめた。

詳しい事情はここには書けないが、彼にはそれだけの怒りと悲しみがあって、その自尊心はボロボロに傷ついていた。その壊れたハサミと筆箱は、いつも私の引き出しの中で叫んでいるように思えるのだ。「先生、ボクを助けてくれ」と。

多くの人は大きくはみ出たこの子を集団の枠の中に引き戻そうとするだろう。でも、私はそれは違うと思う。子どもがはみ出したときは、自分がそのはみ出た子の分だけ大きくなればいいのだ。だから、私は彼が何をやっても、教室のルールに引き戻そうとはしなかった。

「お前ははみ出てなんかいない。お前がベランダに出たら、ベランダまで教室だ。だから、いたずらに追いかけない。連れ戻さない」「お前が大事なように他の子も大事だ。みんなのいるところにいる。お前も自分で戻って来い」多分、そんな意味のことを何度も繰り返し彼に伝えた。

隣のクラスの先生も、私のクラスに入り込んでいる先生も、「Saltは冷たい。なぜ、彼にもっと寄り添わないのか」と批判した。彼女らには私の想いが伝わるはずもないが、彼にはちゃんと私のメッセージは届いていたのだ。

他の子どもを放ったらかして、しんどい子どもを追う姿をよく見るが、私は全然感心しない。「あの子はいつもおこられている」「みんなに迷惑をかけている」という印象を強くするだけだ。個別に話を聞くときは、他の子どもたちが知らないところでゆっくり時間をとればいいのだ。A君を中心にしたなかまづくりとか言って、教師がするべきことを子どもたちの集団に押しつけてどうするのか。そういう学級づくりに夢中の先生は手のかかるA君の他に、あんまり手のかからないB君や目立たないC君の願いをほとんど気にもとめないようになるものだ。

例えばクラスに30人いれば、30通りのドラマがある。全ての学園ドラマは、個性的な先生が主人公である。しかし、子どもは先生のドラマの助演者や脇役ではない。子どもが主人公であって、教師はその背景でなければならない。

私が彼をもった後、3人の先生が彼を担任した。6年で彼を担任したのは「おはボン」ジャケットのKenさんだ。Kenさんも彼のかしこまった挨拶に照れながら、「君からそんなことばを聞けるなんて夢にも思わなかった」と返していた。中学校で3年続けて彼を担任してくれた先生も、本当に彼をよく理解してくれたそうだ。その話を聞いて私は本当に嬉しい気持ちになった。

8 件のコメント:

  1. 一見冷たさそうに見えても、長い目で見ると実はそちらの方が、優しかったりするものですよね。まさしく紙一重だと思います。
    私も想い出の先生は、良い意味でも悪い意味(?)でも、印象に今でもはっきりと残っています。本当にそれらの先生と出会えて良かったと感謝しています。

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  2. 話を読ませていただいたとき
    報告に戻ってきたサマリヤ人を思い出してしまった。
    もちろん教師は神ではありませんが、
    その時、神から勤めを渡された養育係の一人ではあると思います。
    周りの言葉や評価が気にならない訳ではありません。
    でも最後は1対1のその時々の言葉と態度が大切だとは思います。
    でもわざわざ訪ねて来てくれたことが、嬉しいですね。

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  3. エシュコルさんは、どんな子どもだったんでしょうね。

    私も子どもの記憶の中に良いかたちで残っていたいものです。

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  4. 電気屋さんのおっしゃりとおり、一対一の関係が鍵です。

    いつもうまくいくわけではありませんが、時々こういう報いがあるのはありがたいことです。

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  5. 読ませていただき、感動いたしました。

    N君の成長と、その自分の成長の支えとして存在してくれていた先生に挨拶にくるというその関係性に感動いたしました。

    これらも人生はいろいろなことがあるでしょうが、そのような一つ一つの関係性に支えられて人が存在するんだな。そのすべての出会いと関係性を紡いでくださる主がおられるのだなと感じました。

    また、同時に、「あんまり手のかからないB君や目立たないC君の願い」にも心を留めてくれているというのはありがたいなぁと感じます。

    きっとN君のように挨拶に来れなくても、心がつながってる子たちもいるんだろうなと。

    それと、一つの学校に信頼できる先生が6年以上いてくれるっていいなぁと思いました。

    自分の子供らの経験だと1年とか2年とかでかわっちゃう先生多いです。

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  6. いつも神さまのときを認めよう、と思います。
    Nくんの1,2年の担任がどんな先生だったかは知りませんが、3年生でSaltさんに出会い、こんな先生がいる、先生にこんなふうに向き合えばいいんだ、と彼が知れたことは、その後の担任との出会いにも影響を与えたのでは。3年での出会いも、今のこのタイミングでの再開にも神さまの深い配慮があることと思います。

    今日はなかなかの日でした。思い返せば先週の土曜SIGNで写真から仕事を考え、昨日、親しい人と仕事上のスタンスについてちょっと言い合い、今朝、このブログを読み、そして、今日のドタバタでした。
    このブログ記事、私にとっては神さまのときとして出されたものです、知らされたものです。

    体に気をつけて頑張ってください、頑張りましょう。

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  7. meekさん、コメントありがとうございます。

    同じ学校に長く居続けるのはどうかとも思いますが、保護者とのつながりがしっかり出来ることは子どものためにもすごく良いと思います。

    子どもは節目に必ず会いにやってきます。どんなに忙しくてもきちんと相手をします。そうしない人もいますし、卒業生が出入りするのを露骨に嫌う管理職もいました。「いつになったら終わりますか、学校締めますよ」と教室まで言いに来た教頭もいました。現在の教頭先生はいつまででも待ってくれる理解のある先生ですが・・・

    神戸の場合は、人事の活性化の為に異動のサイクルが義務づけられて徹底しているのだと思います。奈良は田舎なので、特定の学校や地域と密着することが多いです。どちらにもメリット、デメリットがあります。

    私は元来飽きっぽいし、どちらか言えば、安定より変化や刺激や冒険を好む性格ですが、自分から望んで転勤したことはありません。でも、あと1回は転勤するでしょうね。

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  8. 専門家の銀じ郎さんのお役に立てて光栄です。

    いろんな人の目に触れる可能性もあるので情報はこの程度になっていますが、これまでに相手をしてきた1000人を越える子どもたちの中でもおそらく十指に入る子どもでした。本当はもっともっと書きたいし、書き残したいと思うこともありますが、今はその余裕もないです。

    妙な言い方ですが、彼を許容できるキャパシティを持っている人は、現実問題として教員には採用されにくいです。

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