2011/02/05

beautiful saturday

私はもともと結構タフで病院嫌い。それで、からだが動かなくなるまで疲れに気づかないようなところがあるのだが、ついに、からだが動かなくなったので、相当な疲れが溜まっていることにようやく気づいた。諸事情により仕事も連日遅くなる。微熱も続きダウン一歩手前までいってしまったが、参観や懇談も含め、さまざまな計画立案もあり、仕事は絶対休むわけにはいかない。何とか持ちこたえるしかない。多忙と疲労の螺旋に絡みとられていきそうになりながら、何とかそのど真ん中で背筋を伸ばして、だましだましの一週間を終えようやく脱力中。ようやく、平熱に戻り下痢がストップした。ゲンキが一番。

今日は、予定を無しにして久しぶりの休養日。わけがわからないほど混乱した数週間を振り返っている。

私はいつも問題の矢面に立たされるのではなく、情報を整理したり、分析したり、いろんな先生たちの聴き役をするだけだが、これが気づかないうちに、かなりのダメージになっていたようだ。

さすがに今回ばかりは微熱もあったし物理的にも不可能だったので、無理をして時間を作ってくれたUribossa氏には申し訳ないが、予定していた練習もキャンセル。

仕事に関しては、保護者の皆さんや子どもたちの力で、私の足りなさを補っていただいて、ギリギリ納得のいくかたちになった。まあ、自分のクラスに関しては妥協点を見いだせても、それ以外は納得のいかないことばかりで、この違和感と徒労感は日を重ねるごとに大きくなっていくはずだ。

返信していないメールや電話もあり、そうした処理も少しずつ。

リコーダー講座の受講者でもある音楽専科の先生からのメールにはいつも色々考えさせられる。

音楽教師たちのギョーカイでは、それなりのプライドやテリトリーがあって、その中での善し悪しの線引きからはじかれていく、そのはじかれ方にはすさまじいものがあるようだ。

まあ、「楽しい」とか「ここちよい」とかより「出来る」「出来ない」を優先して、辛抱や鍛錬の末に承認を得て来られたセンセイたちの価値観は、脱げない鎧みたいなものだから、それを解きほぐすのは大変だなと思う。

1月の講座には音楽専科経験者が3人も来られていたが、彼女たちはホントに謙虚で柔軟な心の持ち主だなと感動しつつ、前に立たせてもらっている。

私は悩めるその方への返信として、以下のようなメッセージを送った。

音楽には確かに良いものとそうではないものがあると思います。
でも、良いか悪いかを決めるのは、決して特定の先生ではありません。
商業音楽を「通俗」ということばで否定したい気持ちもわからないことはありません。

音楽専科の「りっぱそうな」先生たちの屈折したプライドは、全く音楽とはほど遠い雑音か不協和音みたいなもので私は嫌いです。

音楽は空気の振動であって、風みたいなものです。神さまの摂理にのっとっているものは美しく、そうではないものは人の心を打ちません。

それが心地好いかどうか、本物かどうかは、権威が決めるものではありません。
子どもやお年寄りや、音楽教育が必要と思われるような未熟で未発達な人たちが審査すればいいのです。私は心からそう思っています。

だから、○○先生の教えも、××先生の言うことも、私はあんまり興味がないのです。

子どもや、ライブのお客さんの反応の方が大事です。
ただ良いものに触れている人は、いつでも、心が通い合うし、友だちになれると思います。


これから、近所の温泉にでも行こうかな。来週はもっとゆったり健やかに過ごしたい。しかし、 来週は来週で、何と20年ぶりの「性教育」にもチャレンジ。時代は変わっていて、フツーの教員アタマについていけない私は、やはり私なりの切り抜け方で楽しむ予定・・・・・

2 件のコメント:

  1. 話を聞く、というのは楽なことではないですね。
    知らず知らずに何か得体の知れないあやしいものが浸み込んで、と思わされることがあります。温泉などでデトックス?解毒?してください。

    私は近所の天然温泉の銭湯、あそこですが、行ってきました。
    脱力感が最高によいかったです。

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  2. 私は中途半端に共感もしないし、説教じみたことも言いませんが、「自分を保ちつつ、ただ聴くだけ」がしんどいですね。銀じ郎さんの方は、それがまさに仕事の重要な部分なので私よりずっと大変かと思います。私は別にしなくてもいいことを請け負ってるだけですから。

    やっぱり温泉はいいですね。「ぬく森の郷」が温泉だったら言うことなしなんですが。でも、天然温泉も、いつもの中華料理店から数分の場所にあるのです。

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