2010/06/13

キリストの荷は軽い

昨日はリコーダー講座、今日はメッセージと、毎週、土日はウイークデー以上にハードだが、「その時その場で頑張ればいい」というのではないのが実は一番しんどいところ。土日の備えはウイークデーにしておかなければならず、これをうまく回すのがなかなか難しい。

特にこれから体育の授業でプールが始まると著しく体力を消耗することが予想される。担任としての実労働は、通勤も含むとほぼ12時間。睡眠、食事、入浴その他を合わせ約8時間と見積もっても、残りの(4時間×5日)で他のすべてをこなさざるを得ないのだ。

・・・とは言いつつも、実際にはまだまだ「無駄」や「ゆとり」はある。だから、今のところ、特に行き詰まりもイライラも感じることなく過ごせている。

長いのに短い時間もあれば、短いのに長い時間もある。あっという間に凄いことが出来るときもあれば、時間をかけてもさっぱりうまくいかないときもある。

「時間があるから出来る」とか、「時間がないから出来ない」ということは、実は何ひとつない。「やる気があるかどうか」それに尽きる。

誤解しないで欲しい。「私はたっぷりやる気があって、こんなにもがんばっているぞ」と言いたいのではない。私が伝えたいのは全く逆のことだ。

時間というのは相対的なもの、絶対者とともに負うくびきによって時間は自由に伸縮するのだ。

私にやる気があまりなくても、イエスにやる気があれば、委ねていれば必ずそれは出来るはずだ。私はそう考えて今まで生きてきた。

疲れている人、重荷を負っている人は、イエスのもとで休もう。キリストのくびきは負いやすく、その荷は軽いから。(マタイ11:28)

2 件のコメント:

  1. 先日はお世話になりました。

    昨日から、「ぶどう酒になった水」のことを思い巡らしています。
    神は「この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになる」方であることを、考えさせられています。

    ヨハネ2:4の、母マリアへのお答えは、どうしても、冷たい言葉だなあと思うけれど、肉によらない新しい創造のことを思うと、少し納得です。

    各地にいろいろな器があり、イエスを源とする同じ水脈によって、そこに「いのちの水」が満ちていることに、わくわくします。

    すてきな方々とお会いでき、感謝でした。
    またいつか伺いたいです。
    リコーダー講座の皆さんと、また音を重ね合わせることも楽しみにしています。
    ありがとうございました。

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  2. 遠いところをありがとうございました。

    全国各地からいろんな方が来てくださいますが、リコーダー講座&礼拝とうかたちで連日参加されたのは、hiroさんが初めてです。

    フルーティー菅野が来てくれたことも、実にタイムリーでしたね。

    又の機会を楽しみにしております。

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