昨日はリコーダー講座、今日はメッセージと、毎週、土日はウイークデー以上にハードだが、「その時その場で頑張ればいい」というのではないのが実は一番しんどいところ。土日の備えはウイークデーにしておかなければならず、これをうまく回すのがなかなか難しい。
特にこれから体育の授業でプールが始まると著しく体力を消耗することが予想される。担任としての実労働は、通勤も含むとほぼ12時間。睡眠、食事、入浴その他を合わせ約8時間と見積もっても、残りの(4時間×5日)で他のすべてをこなさざるを得ないのだ。
・・・とは言いつつも、実際にはまだまだ「無駄」や「ゆとり」はある。だから、今のところ、特に行き詰まりもイライラも感じることなく過ごせている。
長いのに短い時間もあれば、短いのに長い時間もある。あっという間に凄いことが出来るときもあれば、時間をかけてもさっぱりうまくいかないときもある。
「時間があるから出来る」とか、「時間がないから出来ない」ということは、実は何ひとつない。「やる気があるかどうか」それに尽きる。
誤解しないで欲しい。「私はたっぷりやる気があって、こんなにもがんばっているぞ」と言いたいのではない。私が伝えたいのは全く逆のことだ。
時間というのは相対的なもの、絶対者とともに負うくびきによって時間は自由に伸縮するのだ。
私にやる気があまりなくても、イエスにやる気があれば、委ねていれば必ずそれは出来るはずだ。私はそう考えて今まで生きてきた。
疲れている人、重荷を負っている人は、イエスのもとで休もう。キリストのくびきは負いやすく、その荷は軽いから。(マタイ11:28)
先日はお世話になりました。
返信削除昨日から、「ぶどう酒になった水」のことを思い巡らしています。
神は「この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになる」方であることを、考えさせられています。
ヨハネ2:4の、母マリアへのお答えは、どうしても、冷たい言葉だなあと思うけれど、肉によらない新しい創造のことを思うと、少し納得です。
各地にいろいろな器があり、イエスを源とする同じ水脈によって、そこに「いのちの水」が満ちていることに、わくわくします。
すてきな方々とお会いでき、感謝でした。
またいつか伺いたいです。
リコーダー講座の皆さんと、また音を重ね合わせることも楽しみにしています。
ありがとうございました。
遠いところをありがとうございました。
返信削除全国各地からいろんな方が来てくださいますが、リコーダー講座&礼拝とうかたちで連日参加されたのは、hiroさんが初めてです。
フルーティー菅野が来てくれたことも、実にタイムリーでしたね。
又の機会を楽しみにしております。