今回「電気屋さん」のところへお邪魔した直接の理由は、結婚式の司式の為だった。「時間が重なるので助っ人に来ないか」というわけだ。電気屋さんの提案はいつも唐突で、肝腎な説明がほとんどない。ところが、これが不思議なことにことごとく実現してゆくのだ。
「電気屋さん」は私に負けないぐらいの変人である。私の方が少しだけマトモに見える?
「電気屋さん」の職業や職業観について、私がここで必要以上に詳しく論じることは適当ではないが、「電気屋さん」のさまざまな仕事のひとつである「ブライダル」に関しても、それが主から託されたものであることを受け止めている。やはり、私が睨んだとおり、「電気屋さん」はただの「電気屋さん」ではなかったのだ。
そんなわけで、これまでブライダルで食い代を稼ぐ牧師や宣教師は、総じて私にとっては軽蔑の対象でしかなかったが、一人ひとりが個々の式にどのように関わっているかを吟味したわけではないことを振り返らされた。また、Dr.Lukeが、Koji&Mayumiの司式で語ってくれたメッセージも、布石として生きていた。そして、カナの婚礼におけるイエスの態度は、悔い改めを迫ることや福音を伝えることでなく「祝福」であったことも思わされた。結論として、私は今回のオファーを私に関する個別の問題として、信仰を持って受けることにした。
結婚という摂理は偉大である。それはキリストと教会のモデルであり、そこには祝福が満ちている。
整えられた花嫁は美しい。姿かたち以上に、そこには特別な何かがある。誓いの瞬間、その厳粛さに心を打たれた。花嫁の頬をつたう涙はとても美しく、そしてその涙を見つめる花婿のまなざしは限りなく優しい。
司式者である私の問いかけに「はい、誓います」と答えるときの新郎新婦の表情は、おそらく一生で一番真剣なものなのではないだろうか。
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