2010/03/19

Saltが考えるプロフェッショナルな教師②

本来、小中学校の教員こそprofessionalなライセンスでないといけないと思うが、残念ながら、その養成課程も採用もその職責の重さにふさわしい人材を育成し登用するシステムにはなっていない。公立の小中学校の教員レベルでは、大学教授が持っているような学問的にも時間的にも自律性が保証された身分ではない。

社会的地位も低いが、それには教職員組合の卑屈な価値観と主張がいっそう自分たちの立場を悪くしている。教師が己を労働者と規定したことは、自らその職責を軽んじた宣言だと受け取られかねない。

高い職能を必要とするシステムが、すぐれた資質をスポイルするような連帯を内部に作りあげるのは大きな問題を孕んでいるが、本質的な改善を望むのは不可能だと見ている。

子どもと関わっている時間に自分の権利を主張すること自体がすでに敗北である。

出る杭は必ず打たれる。
打たれる前に引っ込む器用さは私にはない。
「飛んでいる杭は打たれない」と言うが、飛ぶと組織からはみ出てしまう。
これはいただけない。

残された道はふたつ。
打とうと思っても打てぬくらいに深く食い込むか、頭を突き出すかしかないのだ。

学校の外側が変わらない限り、学校の内側は変わらない。システムを攻撃してもほとんど意味はないし、徒労に終わる。エネルギーはもっと効率よく、かつ楽しく消費するべきである。なかまで攻撃し合うのは愚の骨頂である。

私は誰をも否定しないが、自分の立場や主義主張に凝り固まって感情的になるのはド素人の証だとだけ宣言しておこう。

それほど、教師という人種は「われわれことば」で語る傾向が強い。

なぜ私は親のご機嫌など一切とらないにも関わらず、親は私を信頼しやすい傾向にあるのか。これからも、私は許される範囲で私自身のことばを語り続けよう。全部本当のことなんて決して言えるはずはないが、自覚している嘘は言わずにいよう。それは私自身の健康の為でもある。

現場で人として当たり前に感じることをありのまま自分のことばで話すだけで、まず間違いなく親御さんは信頼してくれるものだ。それは簡単な理屈だ。親は自分のいのちより大事な子どもをあずけているのである。だから親というものは、基本的に「自分の子どもに深くかかわる教師は信頼に足る人だ」と思いたいのだ。

こうした心理を理解して、ただ率直に丁寧に話せばいい。自分が納得していないようなことばで相手を説得できるわけでもないので、私はまず自分を説得し納得してからしか、話し始めることはない。「こっちの立場もわかって欲しい」というようなレベルのお願いに耳を傾ける親は少ない。

「われわれことば」で語ると、いざというときに責任を回避するための保険をかけているような印象を与える。しかし、「その子が自分の子だったら、どんなことが心配で、何をしてやりたいか」を自分のことばで伝えれば、必ず落ち着きどころは見つかり、「先生、よろしくお願いします」となる。

だから、文句を言いに来た親にも、たいてい御礼を言って帰ってもらうことになる。だって親も私も子どもがかわいいんだから、そういう結論になるのは当たり前なのだ。

Professionalな教師は、「われわれことば」の本質が何であるかをわかっていて、「われわれことば」を使わない。「われわれことばの本質が何であるかをわかっていて」という断り書きは何かというと、単に組織の一員であることをわきまえず、秩序を乱す「自分のことば」を使う者も時々いるからだ。こういう教師が学校の信用を著しく失墜させる。

Professionalな教師は、相手にわかる自分のことばで語る。そして、自分の発言に責任を負う態度で子ども向き合う。だから出来ないことは言わない。

何か事件が起きても、「こんなことは二度と繰り返しません」「問題は即急に必ず解決します」などとは絶対言わない。

私はいつもこんな風に言う。
「私たちがどんなにがんばっても明日もっとひどいことが起こる可能性があります。学校というのは基本的にそういうところです。私に約束できることは限られていますが、約束は必ず守ります。起こったことは隠さず事実どおりに伝えます。そして、なるべく似たようなことが今後起こらないように時間をかけて取り組みます。お怒りはごもっともです。悲しみはよくわかりますが、なぜこうしたことが起こってしまったのかを正しく理解し、それを解決するには時間がいるのです。私は子どもの心や世の中を変える力はありませんが、考えられる限りのことは試してみます。どうかもう少し一緒に見守っていただけませんか」と。

年度末にあたり、一年間の反省と自戒をこめて簡単にまとめてみた。

8 件のコメント:

  1. ボクサーは打たれることをさけては通れないから、打たれ強くなければならないが、先生と呼ばれる職業もそうなのかもしれない。

    子供達を見ていただいた先生方の中でTさんは、一度就職してから先生になりたく思い、働きながら夜間で資格を取り小学校の教師になった。若き日に彼女にバイクで会いに行く途中事故を起こし空中を飛んだ話や、レクでは、奥様と来ていて彼女は「自称副担任と思ってます」と言っていた。息子がバイクの免許を取ったときTさんの近くの河原で久しぶりに会って、私も含めて3人でレースをしたこともあった。楽しい思い出です。彼はいまどうしているだろうか。ボクサーであっても打たれ続ける事は楽しいことではない。
    Saltさん1年お疲れさま。

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  2. ありがとうございます。

    確かに打たれ強いボクサーはいても、打たれ好きなボクサーはいないですよね。

    相手をノックアウトするのは意外に簡単なんですよ。でも、自分が勝っても仕方ないわけで。

    ボクシングも好きなんです。

    だけど・・・だから・・・・プロレスなんです。

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  3. エシュコル2010年3月20日 8:41

    「出過ぎた釘(あえて杭ではない)は打たれない、打ち難い」というのもありますが。

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  4. 昨日はリコーダー講座を楽しませていただき、ありがとうございました。「光あるところへ」「Saltのメヌエット」など一人で吹けるとさぞ気持ちいいだろうな~、という曲から「ON ICE」のようにみんなの中で楽しめるものまで、とてもよかったです。

    今年の夏も出張講座「リコーダー講座 IN KOBE」をお願いしたいですね。昨年とちょっと違う企画を頭に浮かべているのですが、それは、もうちょっと自分の中でためてから相談します。

    教師の”プロ意識とは何か”をメッセージできるものにしたいです。私は、神さまにあって企画するこの講座は他ではできないものと思っています。

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  5. こちらこそ、いつも遠いところをありがとうございました。

    4月からの新年度は、さらにパワーアップしようと考えています。

    いろいろ試してみて、手応えを感じている部分と、まだまだだなあと反省しきりの部分があります。

    少しでも熱心な参加者の皆さんのご期待に添い、また、現場で役に立てていただけるようにさらに研究を重ね精進したいと思っています。

    Momoちゃんも本当に良くやってくれるので、表現の可能性がうんと広がります。

    夏休みの講座、楽しみですね。よろしくお願いします。

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  6. 公立小学校のPTA会長です。
    職場は聖域、入って来るな! そんな雰囲気を感じさせる教師の多い事。
    何れにせよ学校ネタ(笑い)参考になります。

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  7. ネズミさん現役PTA会長職(と言っていいかな)御苦労様です。
    以前中学校ですが分不相応ながらだれもしてくださるかたいなくて、私もさせていただきました。
    結果は実に面白かったです。任期がおわり同時期に小学校のPTA会長をなさっていた方がたまたま家の前を通られ、止まって一言
    「よー、会長ー」
    「なんだか、会長と呼ばれ無くなってさみしいねー」「本当だよな、あんなに早くやめたかったのにねー」その時でないと出会えない出会いがあるそれが学校でもありますね。
    今年度のお勤め本当に、御苦労様でした。(やってみてこそ、わかるつもり)

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  8. 私もPTA副会長の経験がありますよ。私の時の3役は私をはじめとして、かなりのコワモテ揃いで、総会や会議は最短時間でシャキシャキ進んだものです。いったい何の組、何の会とお母さんたちにも大ウケでした。

    教師としてのスキルはそこそこでも親として落第の人も多いので、私もそうならないように気を引き締めたいです。

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